文章を読むとき言葉をイメージ化すると理解しやすいという風に言われます。
速読法などの解説にも言葉をイメージ化するほうが速く意味が理解できるというようなことが言われています。
ところがイメージというのは一つの言葉について一つというわけではなく、言葉に対応数理めー時というのはそれこそ無限にありますから、イメージ化といわれても迷ってしまいます。
たとえば「鳥」という言葉に対してイメージを思い浮かべるといっても、鳥は何千種類もあり、個別の鳥となれば無数ですから、単純に考えると途方にくれます。
こういうと「鳥」のイメージというのはどれでも良いというのではなく、「鳥といえば***というように鳥らしい鳥、つまり典型的な鳥」のことを言うのだという説があります。
ダチョウとかペンギンは鳥には違いないが、鳥を代表するようなとりではなく、イギリスの学者の研究ではイギリス人の学生を対象にした調査では、鳥といえばロビン(こまどり)だそうです。
イギリス人ならばこの結果で納得するかもしれませんが、日本人なら納得はできないでしょう。
ロビンなどといえば日本人は犬の名前と思う人のほうが多いくらいで、「鳥」と聞いて「こまどり」をイメージする人はほとんどいないのではないでしょうか。
つまり「イメージ」というのはたぶんに経験に依存するので、地域とか生活環境や個人的経験の影響を受けるので、広く一般的に共有させるものとは限らないのです。
日本人なら「鳥」と聞けば鳩とかカラスなどを思い浮かべる人のほうが多いと思いますが、それにしてもどれか一つの種類の鳥が代表とされるわけではありません。
それでも「鳥」と聞いて何らかの鳥をイメージすることはメリットがあります。
むかしなら「鳥」という言葉の意味を辞書的に「脊椎動物の一種で、温血。卵生で、角質のくちばしを持ち、歯はない。体は羽毛に覆われ、前肢は翼に変じ多くは飛ぶに用いる。」などと覚えこんでいて、いちいちこれを想いだしていたのでは読みはひどく遅くなってしまいます。
「鳥」というのはどれか特別の鳥を指しているのではなく、すべての鳥が共通して持っている性質をそなえた、「鳥一般」を指すなどと、難しいことをいわなくても、鳥らしい鳥をイメージすればそれらの性質は、典型的な鳥のイメージに含まれているというわけです。
しかし典型的な鳥といっても人によってイメージの違いはあるので、読む人のすべてが同じ解釈をするとは限らないので、大体の意味の共有をすることができてもまったく同じというわけではありません。