「農相を含め人心を一新してまいります」「人心一新のため内閣改造に早く着手し」などといった表現が最近頻繁にニュースに現れました。
「人心一新」とは古めかしい表現で、現代社会には馴染まないので「おや?」と引っかかる感じがします。
「人心」という熟語の意味は普通は「人間の心」「世間の人々の考え、気持ち」といった意味で、「人心一新」という場合の「人心」は「民衆の心、人民の心」です。
「人心を一新する」といえば。「国民の気持ちをまったく新たにする」という意味ですから、穏やかではありません。
国民を見下すような感じですから、王様ではなく、現代の政治家が文字通りの意味でこのような表現を使っているとは考えられません。
おそらく熟語の意味についての誤解があるものと思われます。
前後の関係からすると、内閣改造のことを指しているようですから、具体的には「閣僚の顔ぶれを一新する」というような意味なのでしょう。
それなら「面目を一新する」とでも言えばよかったのでしょうが、「反省して心を入れ替える」というような意味を込め「人心を一新する」といってしまったのかもしれません。
「人心」という言葉を使うとき「人」が何を意味するかということに無頓着で、「人間」か「世間の人々」かなどと意識することなく、漠然と「自分たちの心」ぐらいのつもりで言ったのかもしれません。
「人心」の意味を分析すると「人間の心性あるいは心裡」とか「人民の心情あるいは心得」のどちらかといった感じになります。
「人心を一新する」といえば後者のほうですから、意味を考えずに「感字熟語」として使ったのでしょう。
「感字熟語」解釈といえば「料理」は「材料を調理する」から「料理」というのだという説明があります。
「料理」の本来の意味は「はかりおさめる」で「物事を処理する」という意味です。
cookingという意味ではなかったのですが、いつごろからかcookingの意味に使われるようになっています。
「料」は「はかる」という意味で、「材料」ではないので、「材料を調理する」という解釈はこじつけです。
「料理」という言葉が全体としてcookingという意味だと知っていて、後からそれらしい理由付けをしているのです。
もし□料□理という熟語の□の部分を埋めろというなら、材料調理だけが連想できるのではなく、材料管理とか原料処理、資料整理とかいろいろ考えられます。
「材料調理」→「料理」という必然性などはないのです。
漢字は表意文字で、熟語は構成する漢字が意味を明示していると普通は考えられていますが、案外そんなことはなく、漢字の意味が無視されて意味が覚えられている例というのが結構あるのです。