言葉の情報量を文字数で計算する方法というのがあります。
たとえば200ページの本一冊に含まれる情報量を計算するのに、1ページ20行、1行45文字として、日本語の場合なら1文字2バイトとして36万バイト、つまり360kバイトというふうに計算します。
これに対して写真の場合は図のようなカラー写真で180kバイトなので先の本の情報量の半分の情報量だということになります。
ほんの100ページ分の情報量は小さな写真1枚分の情報量しかないということになってしまいます。
文字を読むといった言語情報の処理は左脳で、写真などの映像情報を処理するのは右脳なので、右脳の情報処理能力のほうが左脳の情報処理能力よりはるかに大きいなどという説はこうしたことを根拠にしています。
極端な言い方では右脳の情報処理能力は左脳の10万倍だとか、もっと極端には100万倍だとか言う主張まであります。
左脳を鍛えるより右脳を鍛えるべきだというために主張されているのですが、すこし考えればこうした説明は間違っていることが分ります。
言葉の情報量を文字数で計るというのは、言葉の入れ物である文字と、言葉の意味する情報を混同しています。
文字数で情報量を計るなら名前の長いものの情報量は、名前の短いものの情報量より多いということになってしまいます。
たとえば「小笠原島」は4文字で「宇宙」の2文字の2倍の情報量だというふうに例をとれば、誰でも文字数で言葉の情報量を計るのは滑稽であることが分ります。
言葉が持つ意味情報というのは、辞書に載っているから、その辞書の説明の文字数で言葉の情報量を計算できるというふうに考えられなくもありませんが、辞書を引いてみればそうはいかないことが分ります。
たとえば「岩」という言葉を辞書で引くと「石の大きいもの、特に加工せず表面がごつごつしているもの」などとあって、それでは「石」とはなにかというと「岩より小さく砂より大きい鉱物質のかたまり」といった具合でわけが分らなくなります。
つまり「石」を知っている人にしか「岩」の意味は説明できないし、「石」の意味は「岩を知っている人にしか説明できないのです。
知らない人に言葉で説明しようとすれば、際限なく説明しなければならないのです。。
「石」を知っている人にしても、なんとなく道に転がっている石しか知らない人もいれば、岩石学者のように、いろんな石を知っている人もいて、同じ「石」という言葉を聞いても受け取る意味の量つまり情報量はかなり違います。
言葉の持つ情報量というのは、客観的に計算するというわけには行かないのです。