60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

単語をまるごと理解

2007-07-22 23:25:56 | 文字を読む

 昔の子供のあいだで、「グリコ」というジャンケン遊びがありました。
 じゃんけんをして「グー」で勝ったら「グ、リ、コ」と三歩進み、「チョキ」で勝てば「チ、ヨ、コ、レ、イ、ト」、「パー」で勝てば「パ、イ、ナ、ツ、プ、ル」と六歩進むというものです。
 大人が見れば何が面白いのか分らないでしょうが、子供がそれに夢中になったのは、言葉が身につく時期だったからだと考えられます。
 言葉を一つ一つの音に分解したり(「グリコ」を「グ、リ、コ」)、一つ一つの音をつなぎ合わせて言葉にする(「グ、リ、コ」を「グリコ」)ことで言葉がスムーズに使えるようになったのです。
 かな文字を覚えるときも、最初は「ぐ、り、こ」と一文字づつ読んでいても、読む能力が身についていくと「ぐりこ」と続けて読めるようになります。
 言葉を声に出したり、読んだりできるようになるということは、言葉や文字を要素に分解できると同時に、一つのまとまりとして使えるということです。

 漢字を覚えて、漢字熟語を学習するときは一つ一つの漢字を学習し、その上でもjを組み合わせた熟語の意味を学習するのが正統的な方法です。
 「読書」の「書」がこの場合は「文字」ではなく「ほん」であると学習していれば新聞や雑誌を読むことは「読書」といわないという感覚になります。
 「理解」はただ「わかる」という意味でなく「すじみち」が「わかる」ことだと学習していれば、「なんとなくわかる」は理解はしていないということがわかります。
 しかし実際に「読書」や「理解」という言葉を読み書きするときにはいちいち分解して理解するということはありません。

 「空前絶後」のような四字熟語の場合は「空前」と「絶後」に分解され、「空前」は「空」と「前」に、「絶後」は「絶」と「後」に分解されて「前にも後にもないような」ということで「めったにない」という意味です。
 しかし「めったにない」という意味だと呑み込んでしまえば、「空、前、絶、後」という一つ一つの文字の意味を確認しながら意味を組み立てるということはしなくなります。

 漢字の組み合わせが多くなり「国際連合安全保障理事会」のように長い言葉になると文字をひとつづつたどっていって意味を理解するのは大変です。
 この言葉が何を指しているかがわかるようになっても、一目でこの言葉を見分けたりあるいは言葉に出したり書いたりするのにはだいぶ手間取ります。
 こういう場合はどうしても「国連安保理」のような略語を作って代用するのが自然の成り行きです。
 「国連安保理」のような言葉は「国際連合安全保障理事会」という言葉が基にあるからわかる言葉で、これだけでは何のことか分からない言葉です。
 こうなると言葉の意味と文字の意味を結びつけるという意識は薄れてきます。
 
 文字の一つ一つの意味をそのつど思い出して言葉の意味を組み立てるというのは、言葉を覚える段階では意義がありますが、読んだり書いたりする実用的な段階では個々の文字の意味をそのつど意識しないようになるのです。