漢字は意味を表すので、知らない単語であっても字面からおよその意味が分かるといわれていますが、略語となるとそうはいきません。
「東証」とか「大証」という略語を見て何のことか分るためには、あらかじめ「東京証券取引所」とか「大阪証券取引所」というのを知らなければなりません。
「帝都高速度交通営団」を略して「営団」というのは筋道が分りやすいのですが、「営団」から「帝都高速度交通営団」を思いつくことは困難です。
「営団」とか「一勧」という文字をみて、文字の意味からその文字の示すものをイメージすることは困難です。
つまりこの場合、漢字は言葉の意味を示してはいないのです。
東京証券取引所とか帝都高速度交通営団などといった名前は、意味は分かりやすいのですが長たらしくて扱いにくいという欠点を持っています。
新しくものの名前をつけるときは、それがなんだか分りやすくしようとするので、どうしても説明的な名称になり、したがって長たらしくなるのです。
その名前をたまにしか使わなければ、長たらしくても良いのですが、頻繁に使うようになればいちいちフルネームで呼ばずに、略語で間に合わせるようになります。
略語は何でもよいということではなく、何の略語か分らなければならないので、略される言葉との関係が分りやすくなければなりません。
略語の元の言葉を知っている人には何の略語か分かるので、何を意味しているか分かるようになっていますが、略語だけから何を意味するかは分からないのです。
英語でもBSEはBovine spongiform encephalopathyという名前を使っていればどんな病気なのか単語の意味から見当がつく(単語の意味を知っていれば)のですが、略語になったBSEからでは何のことか分りません。
もとの言葉のほうは言葉の意味を説明していますが、長くて扱いにくいので、意味を示していなくても短くて扱いやすい略語のBSEのほうが圧倒的に使われるようになっています。
カタカナ語の場合でも、もとのカタカナ語が必ずしも分りやすくないのに、簡略化されているので、さらに分りにくくなっています。
それでも略語のほうが使われるのは、言葉がその意味を表している場合は長たらしくて、使いにくいからです。
頻繁に使われる言葉は、文字がその意味を示しているからといっていちいちそこに注意を払わないので、文字がその意味を示さなくても簡単で分りやすいほうがよいのです。