60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

出来れば略字

2007-07-08 22:41:15 | 眼と脳の働き
 左上の図はいわゆる新字体と旧字体を対照させたものです。
 新字体(または略字体)についてはいろんな批判があるようですが、現在ではこれが普及して、普通の人にとっては新字体のほうが馴染んでいるので、右側の旧字体のほうは違和感があって読みにくいのではないでしょうか。
 漢字が出来た頃は極端に複雑な文字はなかったのでしょうが、漢字の開発が進むにつれて複雑なものが積み上げらてきたものと思われます。
 複雑な文字が膨大に集積されれば、実用的には不便になるので、常用される漢字が簡略化されるのは当然です。

 字形が極端に複雑になれば、正確に覚えるのは大変で、書くことが難しいだけでなく、よう場合でも脳の負担は大きくなります。
 憂鬱とか躊躇といった文字は読めたとしても、文字の細かい部分まで見分けているわけではなく、全体的な印象として記憶されていて、アバウトな照合をしているのです。
 細かい部分まで見分けようとすれば、眼と脳に大きな負荷がかかりますし、全体的に判断する場合でも、字画の少ない文字に比べればやはり、脳と眼の負担になりつかれやすくなります。

 新字体のほうが脳や眼に負担をかけないといっても、新字体は旧字体にあった文字同士の関係を壊してしまうので、漢字の体系を混乱させているという批判があります。
 たとえば森鴎外の鴎という字の「区」の部分は本来は「區」なのですが、「かもめ」は常用漢字として鴎となったので、鴎外となっています。
 そのほか「欧州」「殴打」なども常用されるということで「区」になっていますが、常用漢字に入っていない「謳歌」「嘔吐」「嫗」などは「區」となって首尾一貫していないというのです。
 「區」の部分は「おう」という読みを与えているので、文字によって「区」を使うというようなことをせず、全部「區」にしたほうがよいというのです。

 ところが「區」あるいは「区」は「おう」という読みだけでなく「く」という読みもあり、また「悪の枢(樞)軸」のように「すう」という読みもあります。
 意味的にも「區」は「小さな区切り」ですが「欧州」や「鴎」は音だけで意味はなく、「殴打」「嘔吐」「謳歌」「嫗」の場合は「小さくかがむ」、「枢」の場合は「じく」ですから全部一律というわけではありません。
 すべて「區」にしないと一貫性がなく不便になるというわけではないし、すべて「区」としてはだめだということでもありません。

 「寿」と「壽」の場合も「壽」の部分を「寿」にしたところで指し達不便はないと思います。
 「波濤」を「波涛」としたり、「範疇」を「範畴」とするとそんな字は読めないという人もいますが、使っている人もいるのですから定着するかどうかの問題です。
 「躊躇」の場合は「寿」とする例は見かけませんが、「躊躇」という語が好く使われるのなら「足」+「寿」という字になっても差し支えはないと思います。
 眼と脳を必要以上に疲れさせないためには、できるだけ略字体を多用したほうが良いのです。