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漢字の意味の無視

2007-07-14 23:24:48 | 文字を読む

 健忘症というのは物忘れが激しい症状のことですが、「健」の意味が「健康」の「健」と同じと考えると意味は通じません。
 この場合の「健」は「はなはだしい」という意味なのですが、たいていの人は「健やか」の意味しか思い浮かばないでしょう。
 「健啖家」という言葉は「盛んに食う人」という意味ですから、「盛んに」とか「おおいに」という意味もあるということなのですが、そこから「盛んに忘れる」という風に類推できないことはありません。
 それでも「盛んに」はポジティブな意味なので、「健忘症」というのはヘンな語感です。
 たいていの人は「健忘症」という単語を見て「健」の意味に注意を払わず、単語の意味を全体的に「はなはだしい物忘れ」と受け取っているのです。

 「殺人」といえば「殺」は「ころす」という意味ですが、「殺到」、「相殺」、「殺風景」というときの「殺」の意味はどういう意味かと聞かれれば、「ハテ」と戸惑うのではないでしょうか。
 「悩殺」といえば文字通り「ころす」ということではなく比喩的な意味です。
 「抹殺」という場合の「殺」は「ころす」という意味だけでなく比喩的な意味の「けす」という意味もあります。
 「けす」という意味から「へらす」に意味がつながり「相殺」という言葉が連想できます。
 「殺風景」の場合は「すさんだ」という意味で「殺伐」などとともに、「ころす」の比喩的表現と言えなくもありませんが、自然に連想されるというわけではありません。
 「殺到」の場合は「いっぺんに」という意味で、「ころす」→「ひどい」ということから連想できなくもないですが、かなり無理です。

 「警句」の「警」は「シャープ、鋭い」の意味で、警告、警戒、警報、警官などの「いましめる、とりしまる、ようじんさせる」などといった意味とはちがうので、連想しにくい意味です。
 「角力」は「相撲」のことで角は「くらべる」で「かど」や「つの」と関係があるといえば言えるという程度で、知らなければ連想できません。
 「親告罪」の「親」は「みずから」で「おや、したしむ」といった意味に近いといえば近いですが、「おや、したしむ」から自然に連想できる意味ではありません。

 「落成」の「落」は「できあがる」の意味で「落城」は字が似ても「(比ゆ的に)おちる」意味で、「集落」、「村落」のばあいは「ひとがかたまってすむ」といういみですから、意味のつながりを見つけるのは困難です。
 「落」という文字を見れば意味が分かるのではなく「落成」「落下」「集落」といった熟語の意味をそれぞれに覚えておかなければとても不便です。
 
 このような例から分かることは、漢字熟語の意味はそれぞれ構成している漢字の意味と結び付けて覚えているとは限らないということです。
 むしろ熟語の意味を全体として捉えていて、個々の漢字の意味がどんな意味かを気にすることなく使っている場合が結構あるのです。