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日本語と冠詞

2006-03-16 22:57:31 | アナログとデジタル
英語の冠詞atheが日本語の助詞の「」と「」に対応しているという説があります。もちろん学問的には根拠のない説ですが、案外多くの人が納得しています。例として挙げられているのが桃太郎の昔話で、「あるところにおじいさんと、おばあさん」というときに「」という助詞が使われています。このときの「おじいさんとおばあさん」は「あるおじいさんおばあさん」で特定の「おじいさんとおばあさん」ではないので英語なら不定冠詞(aまたはan)が使われるケースだというのです。つぎに「おじいさん山に芝刈りに、おばあさん川に」というときは「そのおじいさんは山に芝刈りに、そのおばあさんは川に」ということで、特定の「おじいさんと、特定のおばあさん」を指すので「」という助詞が使われ、英語なら定冠詞のtheが使われケースだというのです。 なるほどうまく対応しているなと、なんとなく納得してしまう人もいるでしょう。しかし、そのあとの「おばあさん洗濯をしていると」という場合のおばあさんは「そのおばあさん」であるのに「」という助詞が使われています。そうすると「」はaにも対応しているが、theにも対応していることになります。「」と「」がatheにそれぞれ対応しているという説はアヤシイナとここで気づくことになります。 そういえば、むかしの初歩の英語の教科書には「This is a pen.」というような文章があって、「これはペンです」と訳していて、「これがペンです」と訳してはいませんでした。また「これがそのペンです」を英訳すれば「This is the pen.」となって「」はtheに対応してしまっています。「竜馬行く」というときだって「ある竜馬が行く」という意味ではなく「その竜馬が行く」ということで「」は英語のaとはまったく無関係です。 「」と「」が英語のatheに対応していない例は探せばいくらでもあり、対応例のほうが少ないでしょう。英語の冠詞は主語となる名詞だけにつくのではなく、目的語の場合でもついてきます。ところが「」とか「」は目的語には使われないのですから、英語の冠詞に対応するのが「」と「」という助詞だという説はまったくの無理筋です。 このような説が出てきたのは、「日本語は冠詞がないのであいまいで論理的でない」などといわれたりするためだと思われます。日本語も英語のように論理的だと言いたいために「じつは冠詞に対応するものが日本語にはあるのだ」という証拠を出そうとしたのでしょう。しかし、二三の文例から類似の関係を見つけて、全体を推し量るというのはアナログ的とは言いながら乱暴に過ぎます。このような論理ではヤッパリ日本語は非論理的だとおもわれてしまいます。類推をするにしてももう少し多くの例を検討してから論を立てるべきでしょう。