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60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

ズーム2

2006-03-04 22:53:07 | 眼と脳の働き
 眼の使い方は意識的にもできますが、普通は無意識に眼を動かしています。
 近くのものを見たり、遠くのものを見たりするときは無意識のうちに焦点調節をしていますし、注意を引くものがあればそこに視線を向け、焦点を合わせます。
 左の図では上の方の横棒が下のほうの横棒より長く見えます。
 これはポンゾ錯視といわれ、両側の斜線が遠近感を感じさせるために、同じ長さのなのに近くにあるほうが短く感じるというものです。
 この図形を右に90度回転したのが右側の図です。
 この場合は、遠近法的な図ではないのですが、左側の縦棒より右側の縦棒が長く見えます。
 この場合は、狭い範囲を見るときと、広い範囲を見るときとで自動的に焦点調節が行われるため大きさが違って見えるものと考えられます。
 遠近法の場合は遠いと感じる場合と、近いと感じる場合とで、焦点距離が自動調節されますから、いずれにせよ比較をするとき眼が動いているのです。
 
 それなら、もし眼を動かさないでみれば、同じ大きさのものは同じに見えるのではないかと予測されます。
 眼を動かさないで見るといえば、
 ①視線を一点に集中させ周辺視野で見る
 ②同時に二点に注意を向けて見る
 ③焦点を定めずぼんやりと見る
などの方法があります。
 どの方法でも二つの棒は同じ長さに見えるようになりますが、文字を読むための有効視野を広げるには同時に二点を見る訓練が有効です。

 右上の文字列の中で「は」という文字が□で囲ってあります。
 右下の同じ文字列の中の「は」と比べると上のほうが大きく見えます。
 上の場合は「は」という文字が囲まれているので、注意がここに集中するため大きく見えるようになっています。
 漢字かな混じり文を読むときは、成人であれば大抵の場合「遠近法か」「あるいは」「別の方法か」というふうに少なくとも文節単位でいわゆる「つかみ読み」をします。
 そのため一つの文字を注視することはないので、一文字だけ囲めば大きく見えます。
 子供のように文字の習い始めなら一文字一文字に集中することに意義があるのですが、このような読み方では理解力がかなり落ちてしまいます。
 理解力を増すためには二文節以上のつかみ読みができるよう練習する必要があります。

ズームイン、ズームアウト

2006-03-03 23:26:23 | 眼と脳の働き
 左の内側の円と真ん中の内側の円とは同じ大きさなのですが、左側のほうが大きく見えます。
 左側の内側の円が大きく見えるのは、すぐ外側の円と干渉しあって起こる、同化効果によると心理学では説明されています。
 分かったような分からないような説明で、光学的な現象なのか、脳の解釈なのかあいまいです。
 実際に網膜に映る像が大きくなっているのであれば光学的な現象で、網膜に映る像が同じなのに大きく見えるというのであれば、脳の解釈あるいは錯覚です。
 つぎに真ん中の図の場合は、外円が内円と離れているので、同化現象を起こさず、対比効果が起きるので内円は小さく見えるとされています。
 この場合も光学的な現象なのか、脳の解釈なのかハッキリしません。

 この説明は、同じ平面にある図形についての説明なので、図形を同時に見ていることを前提としていると考えられます。
 そうすると網膜には、同じ大きさのものは同じ大きさの像で写っているはずなので、脳の錯覚だと説明しているようです。
 
 しかし実際に大きさを比較するときは眼が動くので、見る対象によって焦点距離が変われば同じものでも大きさが変わって見えます。
 カメラのたとえでいえば、狭い範囲を見るときはズームイン、広い範囲を見るときはズームアウトをするのですが、自動的に焦点調節が行われるので、自分では焦点距離を変えたという自覚がありません。
 そこで、大きさが違って見えたのは脳の錯覚だと考え、なぜ錯覚を起こすかという説明を試みたのでしょう。

 ところが見方を変えると錯覚だと思われたことが実は錯覚ではなかったということが分かります。
 真ん中の円と右側の円は=でつないでいますが、この=の部分を見ていると、大きい外円と小さな外円がつながっているように見え、同じ図柄に見えます。
 そうすると左右の内円の大きさは同じ大きさに見えてきます。
 二つの円がつながって一つの図としてみたときは注意の範囲が広がって二つの内縁を同時に見ているので同じ大きさに見えるのです。

 二つの内円が同時に見たときはズームアウトしたときのように小さく見えます。
 老眼になると離して見ないとぼやけるので、文字を読むとき離して見ようとします。
 そうすると字が小さくなるので見にくくなり、狭い範囲に注意を向けて文字を確かめようとします。
 そのため毛様態筋を緊張させ続けるので眼がたちまち疲れてしまいます。
 したがって、文字を読むときには、あまり離さなくても楽に文字が見えるように、老眼鏡を使うのが無難です。

周辺視で見る

2006-03-02 22:42:47 | 眼と脳の働き
 大きな円の中にある「8」という文字と比べると、小さな円の中にある文字はかなり大きく見えます。
 文字の大きさは同じなのに、囲んでいる円の大きさによって見え方がかなり違います。
 心理学では対比効果によって起きる錯視だと説明されています。
 そういわれれば「なるほど」と思いがちですが、少し考えると妙な説明だと感じます。
 同じものでも、大きなものと比べれば小さく感じ、小さなものと比べれば大きく感じるというのは分かります。
 しかしそれは相対的に大きいとか、相対的に小さいと感じるということで、絶対的には同じものは同じ大きさに見えているはずです。
 たとえば、長さが20cmのものがあったとして、10cmのものと比べれば大きく見え、50cmのものと比べれば小さく見えます。
 しかし眼の網膜には20cmのものは20cmに見えているはずです。
 小さな円に囲まれた文字が大きな円に囲まれた文字より大きく見えるのは、網膜により大きく映ったからです。

 もし囲んでいる円の大きさとの比較で見え方が違うのだとすれば、右下の文字のように円の外に出ている文字が、小さな円に囲まれた文字より小さく見える理由が分からなくなります。
 同じ大きさの文字が違った大きさに見えるということは、見るときの焦点距離が違っているからです。
 同じ平面の上に描かれているものなのだから、見るときの焦点距離は同じだろうと思うかもしれませんが、そうとは限りません。
 狭い範囲に注意を向けたときと、広い範囲に注意を向けたときとでは、焦点距離は自動的に変わります。
 
 ためしに、大きな円の中にある文字にしばらく注意を集中して見てから、囲んでいる円を見ると、文字は最初より小さく見えるようになります。
 注意の範囲が広げられたので、焦点距離が自動調節され、網膜に映る像が小さくなったのです。
 小さな円に囲まれた文字が大きく見えるのは、注意が小さな円に引き寄せられ、狭い範囲に集中するためです。
 円の外側にある文字は注意を狭くするものがないため小さく見えるのです。

 ここで小さな円と大きな円の外側に注意を向けて図を見ると(たとえば図の中の黒点)、文字は中心でなく、周辺視野にあります。
 注視点を動かさなければ焦点距離も変わらないので文字は同じ大きさに見えます。
 周辺視野はぼんやりするので、つい個々の文字のほうに視線を向けがちですが、視線を動かさないで見ていると同じ大きさに感じられるようになります。

焦点距離を固定して見る

2006-03-01 23:51:11 | 眼と脳の働き
 これは同じ大きさの円盤を等間隔に重ねた様子を描いたものです。
 一番前の円盤も、その奥にある円盤も同じ大きさなのですが、奥にあるものほど大きいように見えます。
 前にある円盤を見るときと後ろにある円盤を見るときとではでは自動的に焦点距離が変わっているので、大きさが違って見えるのです。
 何気なしに見たときは、焦点調節が自動的に調節されるため、気がつかないのです。
 もし焦点を固定した状態で見れば、奥の円盤も手前の円盤も、同じ大きさなのですから同じ大きさに見えます。

 焦点距離を固定する方法としては「立体視」というのもあります。
 まずは寄り眼で見る方法です。
 画面を見ながら、画面と眼の間に人差し指を立て、指先をみるとそこに三つめの像ができます。
 この三つめの像は画面から浮き上がって立体的に見えます。
 それだけでなく、この映像では円盤は同じ大きさに見え、左右のふちは平行に見えるようになります。
 この像を見ているときは、焦点は画面上ではなく、画面と眼の間にありますから左右の像よりは小さく見えます。
 この像をハッキリ見え、動揺しないようじっと見ると、円盤が同じ大きさであることがよくわかります。

 つぎに図に眼をむけながら画面のずっと先のほうを見るようにすると、真ん中に三つめの像が見えますが、今度は左右の像よりひっこんで見えます。
 焦点が画面より奥になったので、先ほどとは逆に映像は大きく見えます。
 この場合も、像が動揺しないようにじっと見ると、円盤が同じ大きさに、左右のふちの線はハッキリと平行に見えます。

 立体視をしているとき、像がハッキリしているときは焦点が動いていないので、いわゆる奥行きの錯視は発生しないのです。
 奥行きの錯視は、焦点を手前と奥とに自動的に変えて見るために起きるのだということが、立体視によっても実感できるのです。

 立体視をしなくても焦点距離を変えない方法はまだあります。
 一つは、図の上下の星印を同時に見るという方法です。
 上下の星印をじっと同時に見続けると、上下の円盤の大きさが同じに見えてきます。
 もう一つの方法は、二つの図形の間の空間部分に注意を集中して見続ける方法です。
 この空間部分が、眼に対し垂直平面であるように(実際そうである)見えれば周辺視野の画像は奥行き感がなくなります。

奥行き錯視は眼の自動焦点調節

2006-02-28 23:00:47 | 眼と脳の働き
 Aの縦線は4本とも垂直なのですが斜めに見えます。
 斜線によって、上の丸印の部分が下のほうより手前に見えるためにおきる、奥行きの錯視です。
 奥行きの錯視については、図形に奥行き感があると奥にあるほうは小さく見えるはずだと脳が解釈しているためにおこると心理学の本では説明されています。
 しかしそれでは、網膜に映った像と脳で感じている像が一致しないということになります。
 立命館大学の飯田健夫教授の研究によれば、奥行きを感じさせる平面画を見た場合、絵の中で遠くにある部分を見るときと近くにある部分を見るときでは目は焦点を変えているということです。
 絵の中で遠近感を感じる場合は見る部分によって自動調節を行っているというのです。
 そうすると網膜に映る像も自動的に変わって遠くに感じたものは近くに感じたものより大きくなります。
 したがって、脳が大きく見えるはずだと解釈しているというのではなく、実際大きく見えているのだということになります。
 
 実際、どうなのかをA図で確かめてみましょう。
 まず上の二つの丸を見て、視線をそのままにして下の二つの丸を見ます。
 そうすると焦点距離を変えないまま上の丸と下の丸を同時に見ていることになります。
 上の丸も下の丸も同じ平面にあるように(実際同じ平面上にある)見えるので、奥行き感はなくなります。
 したがって縦線は垂直に見えます。
 はじめてのときは上の丸からつい目を離して下の丸を見たりするので、どうしても縦線が斜めに見えたりしますが、少し慣れればうえの丸を見ながら下の丸を見ることができるようになり、縦線は垂直に見えます。

 同じことをB図でやった場合は錯視はなくなりません。
 上の二つの丸を見て、同時に下の丸を見ても、横線は水平に見えず、斜めに見えるでしょう。
 目が左右にあるので、上下を同時視しても無意識のうちに左右別に焦点調節をしてしまうのです。
 Bでも丸の位置をAと同じようにして、今度は左右を同時に見るようにすれば横線は水平に見えるようになります。

 同じ図でも焦点の調節によって見える大きさが変わるのですから、網膜に映った像の大きさが変わるのであって、脳が勝手に大きさを解釈しているのではないことが分かります。

視野の構造化

2006-02-23 23:54:07 | 眼と脳の働き
 文字を読むとき、はっきり見ることができるのは7文字ぐらいで周りはぼやけて見えるといいます。
 実際に見ているときは、中心部分がはっきり見えて、周りがぼやけて見えているという自覚はありません。
 しかし、目を動かさないで見ると、目を当てたところから左右4文字以上はなれたところの文字ははっきり見えないでしょう。
 見えていてもどんな形なのか把握できず、読むことが困難になっています。
 目の網膜の中心部に映る部分は解像度が高く、周辺部は解像度が低いためです。
 それでも、目の注意はハッキリ見えている中心部分の像に向けられているので、周辺部がハッキリ見えないことに気がつかないでいるのです。

 もし、周辺部分にも注意が向けられれば、ハッキリ見えなくてもある程度の範囲までは文字を認識することはできます。
 図の一番上の行は、全体にぼやけているだけでなく、無意味な文章でまとまりがない(構造化されていない)ので、読むのが非常に困難です。
 ところが2番目の行の場合は、文章に意味的なまとまりがあるので、周辺部分も注意を向ければ文字が何であるか分かります。
 解像度が低くても文章のつながりから、文字の見当がつくので、自然に読めたりします。
 3番目の行は同じように周辺部分をぼやかしていますが、無意味文なので読み取りにくくなっています。
 
 網膜の周辺部分は視神経が少ないので、いくら訓練をしても解像度を上げることはできませんが、注意を向けることができれば、低い解像度でも文字を把握することはできます。
 よく知っている文字であれば詳しく見なくても、ある程度ぼやけた状態で見ても分かりますし、文章の前後の関係からも自然に分かったりします。
 子供のうちは文字をよく知らないので、一文字一文字を確認しなければならないため、狭い範囲に注意を集中させて読む必要があります。
 成人の場合は読書経験があるので、一文字一文字に注意を集中する必要はなく、ある程度広い範囲に注意を向け、一度に多くの文字を把握するほうが文章が理解しやすくなります。
 それでも、子供のときから一文字一文字読む習慣がついていたりすると、つい狭い範囲に注意を集中させて目を疲れさせたりします。
 視野を広げるというのは注意の幅を広げることで、視野の範囲を構造的に見ることです。
 単に知覚できる範囲を広げるということではなく、認識できる範囲を広げることです。


凝集性のある文字

2006-02-19 23:20:58 | 眼と脳の働き
 漢字は単語が一字で表される場合が多いのですが、カナや英語の場合は幾つかの文字が集まっています。
 単語のなかの文字が、お互いにひきつけあって一まとまりに見えることを、凝集性といいますが、上の図で見るように、カナは凝集性がありません。
 この例では漢字は一字なので最も凝集性がありますが、英語の小文字も文字数がある割には凝集性があります。
 瞬間的にぱっと見てその単語がなんという単語か分かる、つまり単語の中の文字を一つ一つ確認しないでも全体的な形かで分かるのが凝集性のある表記法なのです。

 ひらがなの場合は凝集性がないので、ひらがな表記の場合は、つい一文字一文字呼んでしまいがちです。
 カタカナもひらがなに比べればわずかに凝集性がありますが、カナばかりの文は
英語のように分かち書きをしても非常に読みにくい文章となります。
 英語の場合は意外と凝集性が高く、一つ一つの文字を確認しないでも、単語を見てその姿全体から直ちに意味を理解できるそうです。

 アメリカの速読訓練の中にも文字を一つ筒確認していくのではなく、単語の形を見て瞬間的に意味が分かるようになる訓練法があります。
 よく漢字は字を見れば音読しなくても意味が分かるといいますが、そういう意味では英語の場合も凝集性が高いので、読みなれると、見た瞬間に単語全体の姿から意味が分かるようになります。
 日本語のローマ字表記は同じようにアルファベットを使いながら、凝集性が低いので読みにくくなっています。
 英語の場合でも大文字ばかりで書かれた場合は凝集性が低いので小文字の場合と比べるとはるかに読みにくくなります。
 

文字の大きさと読みやすさ

2006-02-18 22:49:21 | 眼と脳の働き
 文字を読み始めたばかりの子供は、文字を十分に頭に入れてないので、一文字一文字を確認しながら読むことになります。
 確認のためには文字の大きさが必要なので、視力がよくても読みやすい文字は大きくなります。
 文字が細かいとひとつの文字に集中しきれないし、また文字と記憶との照合がしにくいのです。

 学年があがるにつれ、文字の学習が進むにつれ、すばやく文字の確認ができるようになり、単語の読み取りさらには句や文の読み取りができるようになります。
 句や文の読み取りができるようになれば、一度に目に入る文字数が多くなったほうが読みやすくなります。
 学年があがるにつれ、読書に適した文字の大きさが小さくなるというのは、文章の把握能力の向上によるもので、視力の向上するわけではありません。
 
 高齢者の場合は年をとるにつれ、細かい文字は読みにくくなりますから、大きな活字を求めるようになります。
 これは老眼によるもので、子供のように文字の理解力が足りないということではありません。
 以前に比べれば新聞の活字も大きくなり、ほんの活字も大きいものが増えています。
 なかには大活字本のようなものもありますが、文字が大きければ大きいほどよいというものではありません。
 文字が大きければ、一度に目に入る文字数が少なくなるので、文章の見通しが利かなくなり、理解力は落ちてきます。

 老眼になると近くが見えにくくなるので、つい離して見ようとします。
 そうすると字が小さくなるので見通しがよくなっても判読が難しくなるので、自然に目を凝らしてみてしまいます。
 そうなるとどうしても狭い範囲に注意を集中させるため、視野が狭くなり文章の理解力は落ちます。
 目が疲れるだけでなく、ものの見方まで視野が狭くなってしまいがちです。
 新聞の文字が読みにくくなったら、離して見るなどということをせず、老眼鏡を使って無理なく見ることがまず大事です。
 

はっきり認識できる文字数

2006-02-17 23:53:21 | 眼と脳の働き
 30cmくらいの距離から文字を読む場合、大体2.5cm四方のスペースがはっきり認識できる程度といいます。
 視角にして中心から上下左右に2度から2.5度の範囲がはっきり見え、外側に行くほどぼやけてしか見えないといいます。
 そんなことはない、もっと広い範囲がはっきり見えていると思うかもしれません。
 ところが実際ははっきり見えていると思っているだけで、視線を動かさないで中心から離れたところの文字を読もうとすると案外近くの文字も読めないものです。

 2.5cmというと漢字かな混じり文で大体7文字程度といいます。
 これは文字の大きさを9ポイント程度とした場合のことで、文字の大きさによって変わってきます
 文字が大きければもっと広い範囲が認識できそうなのですが、実際やってみると思ったより狭い範囲しかはっきり見えないものです。

 図の一番上の文字を最初の「視」という文字に視線を向けて、そのまま視線を動かさないで右側の字を読もうとした場合、3文字ぐらいまでしかはっきり形が分からないのではないでしょうか。
 先頭の文字に目を当て、視線を動かさない場合読み取れる文字の数は、文字が小さくなるほど増えてきます。
 それでは文字が小さければ小さいほど、多くの文字を読めるかというとそうは行きません。
 文字が小さくなると輪郭ははっきり見えても文字を見分けにくくなるということもありますが、文字数が増えると見えても把握しにくくなります。
 つまり、見えても脳の処理が間に合わなくなるからです。

 もちろんこれは個人差があることで、誰でも2.5cm四方の範囲しかはっきり見えないとか、7文字ぐらいしか一度に読み取れないということではありません。
 練習をして視野を広げればもう少し広い範囲が認識できますし、文字の数も一度により多くを把握することができます。
 そうすることによって、より文章が理解しやすくなり、また目をつかれさせずにすむようになります。

二点同時視をして視野を広げる

2006-02-16 23:02:26 | 眼と脳の働き
 左側の端から線をたどって右側の端にたどり着くという課題ですが、集中力のテストとして挙げられるのが普通です。
 ほかの線と交わって入り組んでいるため、線をたどっていくうちに少し注意がそれると、すぐ近くの線と混同してしまっていつの間にか別の線をたどったりします。
 たどっている線から注意がそれないように集中しなければならないということで、集中力の問題だとするのです。
 
 混同しないようにするにはたどっている線上の現在地に注意を集中するのが普通ですが、線が入り組んでいるため進んでいくうちに、ちょっと注意がそれたときに、隣の線に打つ足りします。
 このときそれる前の点に戻れればいいのですが、視線を一箇所に集中したやり方で進んでいるとそれる前の点がどこだったか分からなくなります。
 視野を狭くして集中しすぎていると、少し視点をそらされるとそれまでどこにいたかわからなくなるからです。

 図上で赤い点を打ってあるのは、交差点の前で視線を一度とめて、つながっている先の点を同時に見る。
 さらにその点を見ながらその先のつながっている点を同時に見るという風に二点を同時に見ながら進むと言う場合の通過点を示しています。
 先へ進んでいくとき直前の出発点から目を離さないで、次の中継点を決め、さらにそこから先の中継点を探すというふうにしていくと混乱しないですみます。
 一点集中でなく二点同時視するくせをつければ自然に視野が広がるので迷いにくくなるのです。
 視線を線に従って動かしていく方法というのは、一箇所に視線を集中するやり方で、視線が常に動くので線が込み入っているところでは注意が動揺して間違えやすくなります。
 そのため注意を集中しようとして、目を凝らすのですが、視野が狭くなり、柔軟性が鳴くなり、間違えやすい上に目が疲れます。
 注意を分割して二点同時視をするほうが間違えにくく疲れません。