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60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

アナログ的な説明

2006-06-01 22:37:30 | 眼と脳の働き

 図は心理学ではポピュラーなエビングハウスの錯視図です。
 小さな円に囲まれた円と大きな円に囲まれた円とは、同じ大きさなのに、左側の円のほうが大きく見えます。
 どうして違う大きさに見えるかというと、対比効果によるものだと説明されています。
 対比効果といってもなぜ周りを囲まなければならないのかは説明されていません。
 ただ対比を見るのであれば横にひとつ並べるだけでよいはずです。
 普通は対比といえば、ひとつずつ横に並べるものです。
 ぐるりと囲めば単なる対比と違った見え方がする可能性があるのに、そうとはいわず、単純な対比であるかのように装っています。

 左下はおまけに描いたもので、小さな円を中側に入れています。
 これも大きさの異なる円が対比されているということなのですが、外側の円は上の小さな円に囲まれた円より小さく見えます。
 同じ大きさの円で、しかもこちらのほうが小さな円と対比されているのに、より大きく見えるどころか、逆に小さく見えてしまっています。

 円周の周りに接近して小さな図形が配置されると、円の輪郭を意識させるため、、外側に配置されれば輪郭が大きく見えます。
 逆に内側に小さな図形が配置されれば輪郭は小さく見えるのです。
 したがって外側に小さな円を配置した円のほうが内側に配置した円より大きく見えるのです。
 
 大きな円に囲まれた円の場合は、大きな円は中側の円と近接していないので、中側の円の輪郭を意識させる影響力を持ちません。
 対比効果で小さく見えるといわれても「ソウカナ」と思う程度で実感としてはそんな風には見えません。
 小さな円を中に入れているものと比べ、こちらのほうが小さく見えるというわけでもないので、対比効果がどの程度あるのか分かりません。
 
 小さな円で囲まれた場合と、大きな円で囲まれた場合を比べるというと、条件が同じように聞こえるかもしれませんが、図形の距離が違うので同じ条件ではありません。
 言葉では「周囲を囲む」と、同じなのですが並べてみると、大きな円のほうはかなり離れなければならないので条件を同じにすることはできないのです。
 結局これは、円の周りを小さな図形で囲むと輪郭が拡大視されるということを示しているということなのです。
 
 対比効果であると説明されればなんとなく分かったような気がしますが、実はあいまいで、条件が示されていないのです。
 心理学で使われる説明は、時々このようなアナログ的な説明があり、条件を吟味しようとすると実はあいまいということがあります。
 同化効果とか、対比効果というのはその代表なのです。
 


輪郭の内側と外側

2006-05-31 23:13:36 | 眼と脳の働き

 図Aの二つの円は同じものです。
 しかし何気なしに見ると左側の円はやや縦長に、右側の円は横長に見えます。
 左側の円は内側に小さな円があるので、水平方向の輪郭が内側に感じられるため、横幅が短く感じられるのです。
 それに対し、右の円は小さな円が外側にあるので、輪郭が外側に感じられます。
 そのため、横幅が長く感じられるのです。
 この場合は刺激物が小さな円にしてありますが、円形でなくても直線のようなものでもかまいません。
 輪郭を見ようとするとき、線の込み合っているところに眼がいくため、このような現象がおきるのです。

 図Bはよく知られているミュラー.リヤーの錯視図で、上の軸線のほうが下の軸線より長く見えます。
 その原因についてはいろんな説がありますが、図Aの場合と同じ原理で輪郭の感じ方に注目すれば、上の図は軸線の外側に矢羽根があるため横に広がって見え、逆に下の図は輪郭が内側に感じられて軸線が短く感じられるのです。
 この場合は矢羽根の形が輪郭強調の刺激となっていますが、矢羽根でなくても円形でも、四角でも同じ結果が得られます。
 要するに線端の外側に刺激図形があるか内側にあるかによって、線の長さが異なって見えるということです。
 そこでD図のよう下の図の軸線の外側に小さな円を持ってくると、線端の両側に刺激図形が来るので、軸線の長さは変化しないように見えます。
 したがって、B図の場合と比べると、上下の軸線の長さは差が少なく感じられます。
 確かに、輪郭の外側に刺激図形があるか、あるいは内側にあるかによって軸線の長さが違って感じられるということが分かります。

 同じ原理でC図のような同心円の錯視も説明ができます。
 二重円の内側の円は実際よりも大きく感じられ、外側の円は実際より小さく感じられるというのですが、下に外側の円と内側の円を置いてみると確かに内側の円は過大に、外側の円は過小に見えます。
 内側の円は外側の円によって輪郭が外側に感じられ、外側の線は内側の円によって輪郭が内側に感じられるのですから、内側の円はより大きく、外側の円はより小さく見えるということになるのです。
 同心円の錯視を心理学の説では同化効果とによるものだとしています。
 同化効果というのはいまひとつ意味があいまいですが、近接しているものが一体化して見えるということであれば大体そんなものかと理解できます。
 同化効果という説明を使うならば、ミュラー.リヤーの錯視図も同化効果で説明できるのですから、そのようにすべきでした。
 図形の形が違うから説明の原理を変えるというのではなく、同じ原理で違った形のものまで説明できればそのほうがより説得力を持つのですから。


右脳の絵

2006-05-30 22:58:36 | 眼と脳の働き

 図のb、cは自閉症児だったナディアが3歳のときに描いた絵で、aは手本となった絵本の絵です。
 ナディアは幼児のとき驚くべき画才を示したのですが、描く絵は普通の幼児と違って自分が好んでみていた絵を手本にした模写です。
 色を使わず、ダイナミックな線画をすごいスピードで描いたといいます。
 一般的には幼児の絵は写実性はなく、まして精神的遅滞があればなおさらで、このような絵が描けるというのは非常に特異な才能です。

 右の図はポンゾの錯視図ですが、二本の横線を比較すると上の線のほうが長く見えます。
 斜めの線が遠近感を感じさせるため、同じ長さの線が、手前にあると感じるほうが短く感じるというものです。
 この錯視は一般的には幼児はあまり感じず、脳が発達してくるにつれて感じるようになるということです。
 原因は分かりませんが遠近法的な見方は、幼児の段階ではみられず、教育や経験によって形成される味方だと思われます。
 高齢者もポンゾ錯視は減少する傾向にあるというのですが、遠近法を高齢者が知らないということは考えられないので、高齢者の場合は視覚能力の衰えということになるのでしょうか。
 
 ナディアの絵は遠近法に従っていないかというと、そうではなく遠近法を使ったきわめて写実的なものだったといいます。
 描いた絵を見ると、ナディアは普通の子供よりはるかに早く遠近法を獲得していたということになるのですが、精神的な遅滞ということと矛盾があるように見えます。
 ナディアの絵は手本のある模写なので、遠近法にのっとった絵であるといっても手本が遠近法であったということで、ナディアが遠近法を理解していたかどうかは分かりません。
 ナディアの絵はモノクロの線画ですから、平面に描かれた手本をそのまま平面的に模写しただけなのかもしれないのです。
 
 もし遠近法の知識があったり、描く対象の実態についての知識があれば、平面に描こうとする段階で迷いが出て、結果として写実的な絵にはならなかったと思われます。

 実際、ナディアはその後の教育によって、言語の遅れを取り戻すにつれ、10歳以降の少女時代からは絵の才能がしぼんでしまい、年齢相応の下手な絵になってしまったそうです。
 幼児時代は左脳の未発達を右脳が代償して、もっぱら右脳を使って絵を描いたのが、教育による言語能力の獲得など左脳の発達につれて、右脳に偏っていたときの才能が失われてしまったというのが普通の解釈です。

 しかし、ナディアの絵は模写であって、それも右脳を使って非常に速いスピードで行われたということですから真の写実性ではなく、一種のなぞりがきのようなものだった可能性があります。
 写実性は手本の絵が実現していたもので、ナディアがものを見て頭の中で、三次元的にイメージしたものを平面にうつしかえたのではないと思われます。 


右脳と輪郭

2006-05-29 23:05:10 | 眼と脳の働き

 A図はひとつの方向から見たものを描いていますが、立体感があり、ものの位置の前後関係はハッキリ見て取れます。
 ほかの方向から見た状態などが示されていなくても、野菜の形の立体的な構造(トマトの球状など)を直感的に理解できます。
 経験や知識によって遠近の見え方とか、ものの形についての知識があるので、何がどのように配置されているかが瞬間的に分かるのです。
 
 B図は静物画Aの輪郭線をコンピューターで抽出したものです。
 輪郭の出し方は、明暗のコントラストの強いところを線で表すという方法で、機械的な操作で得られるものです。
 明暗の諧調を無視して、明暗の差の激しい部分だけを拾っているのです。
 輪郭線だけになると立体感が失われ、前後関係も失われて平面的な画像になります。
 三次元的にものを見るときは、明暗のコントラストの強い部分によって、輪郭をとらえ、明暗の諧調によって立体感や遠近感を感じてみているということが分かります。

 三次元のものを紙の上に書こうとする場合は、輪郭を描かなければならないのですが、B図を見れば分かるように、輪郭線の感覚は、全体の感覚とはかなり違ったものです。
 訓練をしないとなかなか模写がうまくいかないのは、正しい輪郭線を描くことができないからです。
 見た感じのとおりに輪郭を描こうとすると、実際の輪郭と違ってしまうのです。
 右脳で絵を描こうというのが流行っていますが、これは輪郭線を描くとき自然に身についている方法でなく、一定の方法で機械的に輪郭線をとらえようとするものです。
 たとえばものではなく背景に注意を向けてみるとか、模写であれば原画をさかさまにして、さかさまの絵を描くといった方法です。
 要するに、経験とか知識といったものからの干渉を排除して、光学的に見えたままに輪郭をとらえようというのです。
 
 経験や知識といった左脳の領分での解釈を退け、網膜に映った像から脳を機械的に働かせて輪郭線を表現しようというのです。
 後から左脳が加わって意味づけをするからよいのですが、右脳だけでは、何が書かれているか、どんな配置で置かれているかなどのことが分からないのですから、右脳だけで描いたらあまり説得力のある画はえられないでしょう。
 
 画の遠近法は近代の発明なので、人が成長するば、自然に身につくというものでなく、教育によってえらるもので、そういう意味では左脳の産物です。
 結局、左脳、右脳どちらかに偏するというのではなく、バランスが取れているのが重要であるという常識的な線にもどってくるようです。
 


視野と輪郭の認識

2006-05-28 22:54:11 | 眼と脳の働き

 図A,Cは池田光男「何のために眼はあるか」からのもの。
 Aは色弱かどうかの検眼に使われる図のモノクロ版といったところです。
 これはなんと書いてあるかを判断するのですが、難しく考えなければ日本人なら「ト」と読めるはずです。
 ところがこれをコンピューターを使ってエッジ検出、つまり輪郭の検出をするとB図のようになります。
 人間の目ではややあいまいなものの、簡単にできたのでコンピューターでやればもっとハッキリ輪郭が検出できそうに思うのですが、実際はかなりぼやけた結果しかえられません。

 C図はA図を左側にある小さな四角形の大きさに視野を限定して、見た場合の視線の動きをトレースしたものだそうです。
 視野を限定されてみた人はA図に何が書かれているかまるで見当がつかなかったといいます。
 ところが視線の動きは「ト」を示していて、これを記憶をたどって紙に書かせると「ト」と書いていたことがはじめて分かるというそうです。
 これは視野が狭いと全体の像がつかめない、ということを示す実験だったのですが、眼の動きは全体がつかめていないのにもかかわらず、大きな間違いにつながっていません。
 
 B図で見るようにエッジはコンピューターで検出してもあいまいなのですから、狭い視野に限定されながら視線を動かしていれば、逸脱してわけの分からない動きとなっても不思議はないはずです。
 ところがC図で見るように、視線はときに逸脱することがあってもおおむね正しい場所に戻ってきています。
 意識的には狭い範囲に閉じ込められて全体像が分からないのに、無意識的には全体像を浮き彫りにするような動きを眼がしているのです。
 無意識に眼を動かしていっても、後で振りかえってみると適切な動きであったということです。
 
 だからといって、視野が狭くても無意識の動きをすれば結果的に正しい結論に達しうるとは必ずしもいえません。。
 視野が広ければ全体像は瞬間的につかめるのですから、C図のように何度も何度も同じ場所を徘徊をする必要はないはずです。
 ときに逸脱しながら何度も同じところをゆきつもどりつしながらトレースしているので、
偶々この回には外れっぱなしはなかっただけかもしれません。


明暗に対する反応

2006-05-27 23:20:09 | 眼と脳の働き

 輪郭を見分けるのには色の違いよりも明暗の違いのほうがハッキリ分かります。
 図の左の例では上段がグレート黒の帯が隣接しています。
 二つの帯の境界は浮き上がって見えますが、これは境界付近でグレーの部分が白く感じられ、手前にあるように見えるからです。
 下のほうは隣接している二つの帯がオレンジと青という補色の関係にあるので、ハッキリと色の差が見えるのですが、境界線は浮き上がって見えるほどの迫力はありません。
 色の違いがハッキリ分かる組み合わせなのですが、明度の差がないので平板に見えるのです。
 
 真ん中の例では、グレーから黒へ段々変化するようになっていますが、明度の変化につれて右側が奥に、そして縮小しているように見えます。
 明るいほうの部分が手前に、大きく見えるようになっている錯視図なのです。
 これにたいして、下の図ではオレンジから青に移行しても青のほうが奥に見えたり縮小して見えるということはありません。
 色彩心理学ではオレンジは暖色で進出色、青は寒色で後退色とされているのですが、この図は平板に見え、上の図のような錯視は生じません。
 人間の目は色を感じる視細胞は網膜の中心付近に集中しているので、ハッキリ見える中心視の場合はことさらに輪郭をハッキリさせる機能が必要ないのかもしれません。
 明暗を感じる視細胞が中心となる周辺視の場合は中心視よりぼやけて見えるので、明暗の差に敏感になるようにできているのかもしれません。

 一番右の図では上の場合は、白黒の明暗だけの図で、黒い四角の間にある線は、実際は水平線なのですが斜めに見えます。
 ところが、下の図のように背景を青に、四角をオレンジにすると水平線は水平に見え、斜めには見えません。
 青とオレンジは色は補色の関係にあって、境界はハッキリするのですが、明度はほぼ同じなので、片方が膨張して見えたり、片方が収縮して見えるということはありません。
 上の図で水平線が斜めに見えた理由は白が黒に対して膨張して見え、黒が収縮して見えることが原因だったということが分かります。
 
 ここで、四角はオレンジのままで、背景を白くしたらどうでしょうか。
 オレンジはもちろん白より明度が低いので、背景と明暗差があるので水平線は斜めに見えます。
 オレンジは進出色だといっても、白に比べれば明度ははるかに低いので、白との比較では収縮色なのです。
 そのため四角がオレンジになった場合は水平線は斜めに見えてしまうのです。
 白地に黒く書くということは、文明世界では当たり前になってきていますが、きわめて人工的な現象です。
 自然の中ではたいていのものは色がついているので、いわゆる幾何学的な錯視図のように、白い紙の上に黒い線でかかれたものは、自然には対応準備ができていなかったものなのかもしれません。


輪郭をハッキリさせる

2006-05-26 23:09:45 | 眼と脳の働き

 Aの上のほうの図はマッハの帯と言われるもので、明度の差のある帯を並べたものです。
 一つ一つの帯は一様の明度なのですが、明度の異なる帯が隣に来ると境界線が強調されて見えます。
 境界線の近くでは明るいほうの帯はより明るく、暗いほうの帯は実際より暗く見えるので境界線がはっきり見えるようになっています。
 光学的には境界線の近くも離れたところも同じ明るさなのに、眼で見た漢字では差があるように見えるのです。
 いってみればこれは錯視なのですが、ものの輪郭をすばやく見て取るためには、輪郭を実際よりもハッキリ見えるほうが生物として有利だったので、脳神経の働きがこのように適応していると考えられています。
 Aの下のほうの図は明度の差のハッキリした帯を並べたのですが、明度差が大きくなると同じ帯の中での明度差はあまり見られませんが、それでもやはり立体感が感じられるので境界部分に明度の変化が感じられるのです。

 Bはヘルマン格子と呼ばれるもので、境界付近の見え方の変化が見て取れる例です。
 白い格子に背景が黒くなっていますが、一部分格子はグレーにしてあります。
 普通はすべて白にしてあるのですが、効果がはっきり見えるように一部分だけ明度を変えています。
 白い格子の交差点に灰色の円が見えますが、白い線の上にグレーの線が重なっている交差点ではよりハッキリとした円が見えます。
 グレーの線同士の交差点にも円が見えますがあまりハッキリとしたものではなく、グレーの線の上に白い線がきている場合は、灰色の円は見えなくなっています。

 白い線の交差する部分が灰色に見えるのは、交点以外の場所がより白く見えているということで、黒い四角に隣接する部分が実際より明るく見えるためです。
 交点の四方の線が明るく見えるので交点は相対的に暗く見えてしまうのです。
 ところが左下のように横線がグレーになると線自体は実際より明るく見えますが、、交差点では白い縦線と隣接するので、縦線との境界付近ははより暗く見えます。
 そこで白い線同士の交差点の場合より明度差がハッキリ感じられるのです。

 逆にグレーの線の上に白い線がきた場合は、白い線の上では交差点部分は相対的に暗く見えているはずなのですが、縦のグレーに線と隣接するため、実際より明るく感じるので、結局明度差が感じられなくなっているのです。

 ヘルマン格子は交差点に注意を向けて網膜の中心窩で見ると錯視は消えます。
 白い交差部分のひとつをジッと見ると前に灰色に見えていた円は見えなくなり、白く見えるようになります。
 もともと白いので白く見えるのは当たり前ですが、周辺の場合は眼の感度が低いので輪郭をハッキリさせる仕組みが働いて、交点が暗く見えるのだということになります。
 つまり中心視をするときには錯視は必要でなく、周辺視をするときに必要になるということになります。


脳と栄養

2006-04-14 23:40:19 | 眼と脳の働き

 第二次大戦後、先進工業国ではIQがあがり続けたのですが、日本も上がり方が著しく、最上位クラスになっています。
 アメリカでは黒人と白人のIQを比較して、IQは遺伝的なものだと人種差別を正当化するような理論があります。
 ところが白人優位を主張しようとすると、日本人などが白人よりIQが高いということで、白人にとっては都合の悪い結果となります。
 先進工業国全般でIQがあがり続けたことを見れば、IQの高さをきめるのは遺伝的なものではなく生活水準とか、環境が主な要素ではないかと考えるのが自然でしょう。
 特に幼児期の栄養水準の改善は、脳が急激に発達する時期に、栄養が十分に与えられるために重要な問題です。

 人間の脳はたくさんのエネルギーが必要で、脳のエネルギー代謝は身体全体のエネルギー代謝の20%以上です。
 チンパンジーが約9%であるのに比べれば2倍以上となるのですが、幼児期もチンパンジーの20~45%に対し40より85%となっています。
 幼児期は脳が急激に発達するので、多くの栄養が必要であることが分かります。
 哺乳類は普通は離乳すれば大人と同じような食物を食べるのですが、人間の場合は離乳しても歯も消化器官も発達していないので、大人と同じ食物では十分な栄養を取れません。
 そうなると、身体の発育ももちろんですが、脳の発育にとっても特別な離乳食が必要です。
 
 人間の場合はチンパンジーよりも早く離乳し、しかも脳が必要とするエネルギーが多いため、特別な離乳食を用意すべきなのです。
 人間の脳は7歳ぐらいまでに大人の脳と同じ大きさになるのですが、それまで大人と同じ歯や消化器官を持たないのですから、特別な離乳食がなければ脳は十分な発育が出来ないことになります。
 戦後になって特に幼児の死亡率が減ったのは、医療の改善もありますが、栄養の改善が著しかったためです。
 生活の向上が栄養の向上につながり、それが離乳食の改善につながったためIQの向上にもつながったのでしょう。
 
 脳のためなどと特には意識しなかったのでしょうが、結果的には知能の向上が実現したといえます。
 といえば「そんなことはない、今の子供のほうが知能は低下している」という意見が出てくるでしょう。
 しかし、言葉の発達などの例で見ると、50年以上前と比べれば現在の幼児のほうが明らかに早くなっています。
 さらに視角能力など年配者が認めたがらない、そしてそのために理解できない部分での能力が向上してきてもいます。
 知能が向上すればよいというものでは必ずしもありませんが、いたずらに否定するだけではいけないと思います。


テレビとIQ

2006-04-13 22:48:31 | 眼と脳の働き

 図はパズルではなくてIQテストの一例です。
 左側の図形の並び方の規則を考え、?の所に来る図形を、右の八つの図形のうちから選ぶというものです。
 一行目の三つの図形と二行目の三つの図形を見れば、ひし形、正方形、正三角形と、三種の長方形(黒塗り、二本線入り、透明)の組み合わせになっています。
 三行目の最後は正方形と黒塗りの長方形の組み合わせだと推測できるので、5番が答えだと分かります。
 
 この種のテストの成績は、知識や教育の影響がないと見られたので、同じものが長期間IQテストで使われています。
 そこでIQが国や時代ごとにどのように変化してきているかを見ることができます。
 ニュージーランドのフリンという心理学者の調査によると、1950年以降、1980年代まででほとんどの工業国でIQは上昇しています。
 フリンの考えでは、西欧などの工業国は経済は発展してきてはいるけれども、文化的には退廃して人間的には退化しているので、知力が衰え、テストの成績も下がっていると予想されたのですが、逆になっています。
 そこでフリンはIQテスト知能とは関係なく、変化は何か別の原因によるのだろうとしています。

 クリストファー.ウィルス「プロメテウスの子供たち」によると、テストは知能と関係ないかもしれないが、脳機能を何らかの方法で測っているのです。
 何らかの挑戦的な仕事を行うための能力を改善する方法で、脳の機能が変化したのだとしています。
 その結果がどんなものかはまだ分からないけれども、変化した原因は第一はテレビやコンピューターゲームの影響だとしています。
 テレビは認知作用の速さに影響力を持ち、反応時間と脳機能をスピードアップするといいます。 その結果、視角的な認知能力が速くなり、処理能力が高まっています。

 テレビやコンピューターゲームは子供をダメにすると言う意見がアメリカでも、日本でも多いのですが、不気味ではあっても新しい子供のほうが、旧世代の人よりも新しい世界に適応的なのかもしれないのです。
 テレビやゲームばかりしていては身体にはよくないし、精神的におかしな人間となる可能性はありますが、だからといってやらせないというのもどうかと思います。
 テレビやゲームになじんだ脳のほうが、次の時代に適応しやすいというのであれば、テレビやゲームから子供を遮断するのは子供をかえって不幸にしてしまうかもしれないからです。

 ウィルスの考えでは、IQの成績が上がった原因の第二は栄養だといいます。
 IQ得点が一番あがったのはオランダで、オランダ人の食事は戦後劇的によくなったのに、IQ得点のアップ率の小さかったイギリスは食事の質が改善されていないといいます。
 第三の原因は小児期の病気の影響が減ったことで、医療の進歩が子供の知能にダメージを与えなくなったためだとしています。

 これらの説明はいずれもそう思うという、意見であって証明ではありません。、
 関連のありそうな現象でトレンドが似ているので、因果関係があるような感じがするというだけのものですが、否定する根拠もありません。
 最近では学力の低下が日本では問題になっていますが、これも詰め込み教育はよくないといった建前的理想論にのめりこみすぎたためかもしれません。
 子供には、時代に対する適応力を一応身につけさせる必要があるので、やみ雲にテレビなどを遠ざけるべきではないと思います。 


見立てによって変わる見え方

2006-04-05 21:55:41 | 眼と脳の働き

 左の図は、灰色の三角形の上に、白い四角形が重なっているように見えます。
 ところが、平面に描かれている図形を三次元的に見る、つまり見立てを行うのは、人間の特徴です。
 ハトを使った実験によると、ハトは灰色の四辺形と白い四辺形を別の図形と見て、重なっているとは見ないそうです。
 実際、平面に描かれているのですから、二つの図形が隣接していると見るのはきわめて現実的で、重なって三角形の一部が隠されていると見るのは現実的ではないのです。
 もし、これが平面上の図形ではなく、実際に三角形が遠くにあり、四角形が近くにあればハトがどのように見るかは分かりません。
 しかし、もしこれが三角形でなく天敵であるカラスの頭であれば、隠されている部分があるからといって、カラスではないとは思わないでしょう。
 部分が隠されていたからといって、そのものが分からないというようでは自然のk中では生きていけないからです。

 人間は平面に描かれたものを三次元的に見立てることが出来ますが、そのためどのような見立てをするかによって見え方が変わります。
 
 たとえば右の図で、一番上の図と真ん中の図を見比べたとき、横の線は真ん中の図のほうが長く見えます。
 理由は、上の図では円が横線の両端の間にあるので、視線の動く範囲が狭いということもありますが、真ん中の図形では、横線の一部が円で隠されているように見えるためです。
 そこでまん中の図と、一番下の図を比べて見ます。
 一番下の図は、横線が円の上にのっているか、あるいは横線の上に透明な円がのっているように見えます。
 そうすると、二番目の横線と一番下の図の横線とは同じ長さに見えます。

 そこで一番上の図形を改めて見直します。
 円の上に横線があるか、あるいは横線の上に透明の円がのっていると思ってみると、二番目の図形と横線の長さは同じに見えてきます。
 二つの円を透明ガラスに見立てて見ると、二つの横線は同じ長さに見えるのです。
 同じように一番下の図形と見比べても、横線は同じ長さに見えるでしょう。
 人間の場合は、客観的にものを見ることができるだけでなく、見立てによって見えかたがかわるのです。
 たいていの動物は平面上の像は平面的にしか見えないので、テレビを見ても立体感を感じません。
 猫などはテレビを見ると後ろを見に行くというのは、映像が平面的に見えるので不思議に思うのでしょう。