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60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

瞬間視と周辺視野

2007-10-02 22:35:02 | 眼と脳の働き

 スクリーンに文字を表示してすぐに消します。
 表示時間が一秒程度であれば図Aのように文字ははっきりと見えますから簡単に読み取ることができます。
 表示時間が百分の一秒程度になると、あっという間に文字が消えてしまうので、ウッカリすると何という文字か読みそこなったりします。
 注意していればそれでも読み取ることはできますが、たいていの人は表示された文字がB図のようにぼんやりと見えたことに気がつきません。
 すぐに消えてしまったので、はっきり見損なったと思うからです。
 はっきり見損なったといえばそうなのですが、はやく消えたということは、光の刺激がそれだけ少なかったということで、ぼやけてしか見えないのです。

 表示時間が少なければ少ないほど、目に入る刺激は少ないのでぼやけて見えてしまうのですが、このことは本のページめくりをしてみれば実感できます。
 図のように右手で本の背を持ち、左手での親指の腹でしごくようにめくった場合、200ページの本を五秒ぐらいかけてめくった場合は、文字ははっきり見えるように感じます。
 ところがめくるスピードを速くしていき、一秒以下でビュッとめくった場合は、文字は薄く見えます。
 印刷されている文字自体が薄くなるのではなく、各ページの文字が見える時間が瞬間的であるためぼやけて見えるのです。

 文字が表示されてから、それが見えたと意識されるまでにはおよそ0.2秒程度かかりますが、百分の一秒しか表示されない場合は、見えたと思ったときには、その文字はもう消えています。
 それでも文字を読み取れるのは、表示された文字が短期的に記憶されているからですが、この短期記憶(アイコニック・メモリー)は0.5秒ぐらいしか続きません。
 瞬間的に表示された文字を読み取るためには、ぼんやりした文字でも読み取れるという能力と、すばやく持っている文字記憶と照合する能力が必要です。

 ぼんやりした文字でも読み取れるということは、その文字が完全な形でなくても読み取れるということで、眼の中心でとらえた文字でなく、周辺視野でとらえた文字も読み取れるということでもあります。
 周辺視野でとらえた文字もすばやく読み取れれば、一度に読み取れる文字の数が増えるので、文字を読むときの眼の負担と脳の負担を軽くすることになります。
 文字を瞬間的に読み取る能力自体は練習で向上するので、瞬間視の練習は文字を楽に読むことにつながります。


眼の解像度と文字の解像度

2007-09-30 22:50:28 | 眼と脳の働き

 普段ものを見ているとき、はっきり見えるのは眼の中心のごっく狭い部分でしかないということに気がつきません。
 たとえば図の一番上の行で、真ん中にある小円の部分に眼を向けると「南船北馬・東奔西走」と眼を動かさなくても、すべての文字がはっきり読み取れます。
 これは目の中心から外に向かうにつれ、文字が読み取りにくくなるのを補うために、文字の大きさを中心から遠ざかるにつれ、大きくしているためです。
 ここで、もし眼を先頭の「南」に向けると、「北」という部分はぼやけて見え、「馬」という部分は読み取れなくなります。
 逆に「走」に注意を向けて見ても、やはり離れた場所にある「奔」はぼやけ「東は」読み取れなくなります。
 目の中心から遠ざかるにつれて文字が小さくなっているので、目の中心から遠ざかると、見えにくくなるということがはっきり分ります。
 
   ここで字の大きさを同じにしたのが次の行ですが、まん中の小円に注意を向けて見ると、一番上の行との違いがはっきりします。
 この場合は真ん中の小円を見て、眼を動かさなければ、左右の文字を読み取ることが非常に困難です。
 これは文字の大きさを同じにした場合は、文字の間隔が大きくなっているためではないかとも考えられます。
 そこで次の二行は文字の大きさが同じ場合には、文字間隔をつめています。
 この場合でも中心から離れるにつれ文字が大きくなっている場合は、楽にすべての文字を見ることができますが、文字の大きさが同じ場合は視線を動かさずにすべての文字を読み取るのは難しくなります。

 特殊なメガネがあって、文字列を見たとき左右がだんだん大きく見えるようになっていれば、楽に文字を読み取ることができて好都合なのでしょうが、そういうものはありません。
 ここで、目の中心から離れたところがはっきり見えないということについては、二つの対策が考えられます。
 ひとつは一点に注意を注意を集中するのではなく、注意を左右に分割する方法です。
 文字がよほどに小さくない限り、一点に集中してみなくても文字は読み取れます。
 一つ一つの文字をじっと見ていけば、文字ははっきり見えるのですが、活字の場合はじっと見なくても読み取れるので、注意の幅を少し広げることで視幅を広げるように努めればいくつかの文字を一度に読み取れるようになります。

 もう一つの方法は、解像度がある程度低くても文字を読み取れるようにする方法で、瞬間的に文字を読み取ることに慣れることで可能になります。
 活字文字はあまり小さくなくて、楽に読める大きさであれば解像度が高くなくても読み取れます。
 一文字一文字読む習慣から抜けられないと、どうしても文字をすべてはっきりと見ないと読み取れないのですが、慣れれば解像度が多少落ちても読み取りは可能になります。


漢字の情報力

2007-09-29 22:37:31 | 眼と脳の働き

 漢字をスクリーンに映した後すぐに隠した場合、映っている時間が0.01秒以下という短い瞬間であっても文字を読み取ることができます。
 渡辺茂「漢字と図形」では表示時間が千分の一秒以下でも漢字は認識できるとしていますが、このことから漢字には何か神秘的な情報力のようなものがあると感じる人もいます。 複雑な形をした漢字を何千も覚えるということは、脳にとって大きな負担となるので、漢字を減らそうとか、漢字を簡略化しようという運きが常にあります。
 これに対する漢字擁護派にとって、漢字がすばやく認識できるという実験結果は大きな支えとなったようです。

 ところで漢字を一度だけ表示するのでなく、B図のように一つの文字を表示してからすぐに隠し、次に同じ場所に別の文字を瞬間的に表示して隠すとどうなるかを試してみます。
 そうすると表示時間が百分の一秒以下のときは、後の文字は読み取れますが、最初に表示された文字は読み取れなくなります。
 もし最初の文字が読み取れた場合は、逆に次の文字が読み取れません。
 つまり、漢字を百分の一秒以下の間隔でで瞬間的に連続表示をした場合、連続して認識はできないのです。

 じつは百分の一秒以下の表示でも眼は文字を知覚できるのですが、脳に貯蔵されている漢字の記憶と照合して、分ったと思うのにかかる時間は100分の一秒以上かかるのです。
 脳が最初に見た文字を記憶と照合し終わらないうちに、次の文字が表示されると、最初の文字の照合を棄て、次の文字を記憶と照合しようとするので、最初の文字は認識されない結果となるのでしょう。
 最初に見た文字を認識しようとこだわっていれば、次の文字を記憶と照合する作業に入らないので、次の文字が認識ができなくなるのです。

 ところがC図のように漢字を二文字にして表示し、表示時間を同じように百分の一秒以下とした場合はどうなるかというと、この場合は二文字を同時に認識することができます。
 この場合表示される漢字は複雑なものであっても、記憶の中にある漢字、つまり知識として持っている漢字でなければなりません。
 読み方も意味も分からない未知の漢字であれば、一文字であってもある程度複雑な漢字は認識できません。

 こうしたことから考えると、瞬間的に漢字を読み取ることができるということは、漢字自体に情報力みたいなものがあるというより、読み取る側にしっかりした記憶があるからなのです。
 また、複雑であってもよく見る漢字であればすばやく認識できるわけですが、それだけでなく、瞬間的に読み取る練習をすると、記憶との照合時間が短縮できるようになります。
 これはアルファベットの場合でも同じで、単語のつづりをしっかり覚えていて、読みなれていれば瞬間的に表示されても読み取れ、練習によって瞬間的読取能力は向上します。
 瞬間的に読み取れるというのは漢字だけではないのです。


真似をする能力

2007-08-20 23:25:25 | 眼と脳の働き

 猿真似といえば独創性がないということで、否定的なイメージがありますが、実際には猿は人間に比べれば真似をすることが少ないことがわかってきています。
 最近ではむしろ、猿に見られる真似は本当の真似でなく、人間だけが本当の真似ができるのだという説のほうが有力になっています。
 学ぶという言葉は「マネブ」からきているので、学ぶの基本はまねることにあるという説が昔からありますが、これは日本語の上のことでどこの国でもそういえるわけではありません。
 漢字で「模(倣)」は真似る意味ですが、「学」という意味はなく、「学」にも「模」という意味がありません。
 また英語で「真似」といえばcopyとかimitateですが、これらは「学ぶ」という意味につながっているわけではありません。
 「学ぶ」はlearnとかstudyでcopyやimitateが語源になっているわけではありません。
 「真似」を重視するのは日本の文化的特徴なのかもしれません。

 上の図はチンパンジーと人間の二歳の幼児の模倣を直接比較した実験です。
 手の届かないところにある食べ物をひきよせて見せてから、同じことをそれぞれにさせましたが、チンパンジーも赤ん坊も引き寄せには成功しています。。
 実験者は食べ物を引き寄せる直前に、食べ物を引き寄せやすくするため熊手を半回転するのですが、チンパンジーはこの部分を真似しなかったそうです。
 人間の幼児は食べ物を引き寄せるという目的を真似しただけでなく、熊手を半回転させるという方法をも真似るという、完全模倣をしています。
 チンパンジーは目的(食べ物)と手段(熊手)を理解するが、自己流の方法で解決しようとして半回転させるという方法を真似しようとしなかったと解釈されます。
 つまりチンパンジーは完全模倣ができないで、人間に比べると模倣能力が劣るとされています。

 この実験から直ちにチンパンジーと人間の違いを結論付けるのは性急な感じはします。
 人間にだって不注意な人もいて、途中で熊手を半回転せずに引き寄せようとする人もいるでしょう。
 目的は食べるものを引き寄せることなので、熊手を半回転させなくても目的は達成できますが、熊手を半回転させたほうが引き寄せやすいということは直ちに理解できます。
 しかし二歳の幼児が途中で熊手を半回転させたのは、方法を見てこの方が理にかなっていると考えたからではないと思われます。
 半回転させないと引き寄せにくい例を見せていないので、幼児は意味が分からないまま半回転するという方法を真似しているものと思われます。
 つまり、人間ははっきりした根拠がなくても真似をする傾向があるのだなということがわかるのです。

 人間が言葉を使えるようになった原因の一つとして模倣能力が注目されるようになり、それにともなって模倣が価値あるものとされたので、こういう実験もなんとなく人間とチンパンジーの差を見せ付けるために設計されたようなニオイもします。
 お手本がベストでなければ、完全な模倣が良いのだとは必ずしもいえないのです。
 ただなんとなく真似をするということが言語を生み出す要因の一つであったとするなら真似というのも積極的な評価に値するといえるのです。


出来れば略字

2007-07-08 22:41:15 | 眼と脳の働き
 左上の図はいわゆる新字体と旧字体を対照させたものです。
 新字体(または略字体)についてはいろんな批判があるようですが、現在ではこれが普及して、普通の人にとっては新字体のほうが馴染んでいるので、右側の旧字体のほうは違和感があって読みにくいのではないでしょうか。
 漢字が出来た頃は極端に複雑な文字はなかったのでしょうが、漢字の開発が進むにつれて複雑なものが積み上げらてきたものと思われます。
 複雑な文字が膨大に集積されれば、実用的には不便になるので、常用される漢字が簡略化されるのは当然です。

 字形が極端に複雑になれば、正確に覚えるのは大変で、書くことが難しいだけでなく、よう場合でも脳の負担は大きくなります。
 憂鬱とか躊躇といった文字は読めたとしても、文字の細かい部分まで見分けているわけではなく、全体的な印象として記憶されていて、アバウトな照合をしているのです。
 細かい部分まで見分けようとすれば、眼と脳に大きな負荷がかかりますし、全体的に判断する場合でも、字画の少ない文字に比べればやはり、脳と眼の負担になりつかれやすくなります。

 新字体のほうが脳や眼に負担をかけないといっても、新字体は旧字体にあった文字同士の関係を壊してしまうので、漢字の体系を混乱させているという批判があります。
 たとえば森鴎外の鴎という字の「区」の部分は本来は「區」なのですが、「かもめ」は常用漢字として鴎となったので、鴎外となっています。
 そのほか「欧州」「殴打」なども常用されるということで「区」になっていますが、常用漢字に入っていない「謳歌」「嘔吐」「嫗」などは「區」となって首尾一貫していないというのです。
 「區」の部分は「おう」という読みを与えているので、文字によって「区」を使うというようなことをせず、全部「區」にしたほうがよいというのです。

 ところが「區」あるいは「区」は「おう」という読みだけでなく「く」という読みもあり、また「悪の枢(樞)軸」のように「すう」という読みもあります。
 意味的にも「區」は「小さな区切り」ですが「欧州」や「鴎」は音だけで意味はなく、「殴打」「嘔吐」「謳歌」「嫗」の場合は「小さくかがむ」、「枢」の場合は「じく」ですから全部一律というわけではありません。
 すべて「區」にしないと一貫性がなく不便になるというわけではないし、すべて「区」としてはだめだということでもありません。

 「寿」と「壽」の場合も「壽」の部分を「寿」にしたところで指し達不便はないと思います。
 「波濤」を「波涛」としたり、「範疇」を「範畴」とするとそんな字は読めないという人もいますが、使っている人もいるのですから定着するかどうかの問題です。
 「躊躇」の場合は「寿」とする例は見かけませんが、「躊躇」という語が好く使われるのなら「足」+「寿」という字になっても差し支えはないと思います。
 眼と脳を必要以上に疲れさせないためには、できるだけ略字体を多用したほうが良いのです。
 

漢字の瞬間的判断

2007-07-07 22:25:12 | 眼と脳の働き

 スクリーンに「萩」という字が表示されたらすばやくボタンを押す場合、表示からボタンを押すまでの時間は0.2秒から0.3秒程度です(人によって違い、また集中しているかどうかで違います)。
 ところが表示される文字が「萩」か「荻」で荻が表示された場合はボタンをすぐに押さず1秒以上たってから押すことにすると、「萩」だけが表示される場合に比べ、0.1秒以上遅れます。
 「萩」か「荻」かを判断するのに余分な時間がかかるためですが、ボタンを押すように筋肉に指令が出され、ボタンが実際に押されるまでの時間が約0.2秒とすれば、文字を見て判断をするのに0.1秒以上かかるようです。

 漢字は千分の一秒表示されただけで何という漢字か判別出来るとされていることからすれば、「萩」か「荻」かを判別するのに0.1秒(千分の百秒)以上かかるというのはおかしいと思うかもしれません。
 しかし、千分の一秒表示された文字でも、短期視覚記憶(アイコニックメモリー)は0.5秒程度持続するので、その間に記憶との照合は出来ます。
 表示されたのが千分の一秒だからといって、判断という脳処理は千分の一秒で完了したわけではないのです。
 実際の判断に0.1秒以上かかっていてもそのように意識されないだけなのです。

 右には「シ」と「ツ」と二種類の文字が並んでいますが、「ツ」の字がどこにいくつあるか、瞬間的には判断できないでしょう。
 「シ」と「ツ」が紛らわしい字体なので、パッと見ただけでは判断できないでしょう。
 これがもし「シ」が赤で、「ツ」が青となっていればパッと見ただけで赤の数はすぐに判断できます。
 青か赤かという感覚的な判断だけなら瞬間的な判断ができるのですが、「シ」と「ツ」のうちのどちらかを見分けるということになると、時間がかかるのです。
 
 隣の図では「萩」と「荻」が入り混じっているのですが、この場合もパッと見ただけで葉「荻」がどこにいくつあるかを判断することは出来ないでしょう。
 漢字なら判別が楽だということではないのです。
 複雑な形のほうが判別しやすいということでは必ずしもなく、簡単な形のほうが判別しやすいということも必ずしもいえないのです。
 「赤」と「青」という色のように簡単に見分けられる要素があればそれで瞬間的に反応できますが、なければ時間がかかってしまうので、短時間では判断できないのです。
 
 


見る速度より脳の速度

2006-07-07 22:37:16 | 眼と脳の働き

 左のアルファベットの表を1秒ほど見て眼を閉じ、表示されていた文字をできるだけ多く思い出してみてください。
 たいていの人は4文字前後だそうです。
 次に右の漢字の表を1秒ほど見て同じように文字を思い出してみてください。
 そうするとすべて思い出せる人もいるでしょうし、8文字(2語)の人もいるかもしれません。
 漢字のほうが複雑なのに、思い出せる文字数が多いのは、アルファベットの場合は文字がランダムに12個表示されているのに、漢字の場合は四字熟語が3個です。
 漢字は4字でひとかたまりになっているとはいえ、文字はアルファベットよりはるかに複雑ですから、漢字がすばやく識別しやすいことがわかります。

 渡辺茂「漢字と図形」によれば、漢字はこみいったものでも、千分の一秒以下の瞬間的表示でも認識できるそうです。
 実際は千分の一どころか三万分の一秒の表示でも認識できるというのですが、これは網膜に映る時間が千分の一秒以下で認識できるということで、認識自体を千分の一秒以下(三万分の一秒でも)でできるということではありません。
 この本の説明では、文字が表示された後0.1~0.2秒ほど鮮明な漢字が見たとおりに見えた後、ごく弱い漢字のイメージが10秒ほど持続するといいます。

 これは残像ではなく短期の視覚記憶だと思うのですが、要するに文字が表示されたのが線分の一秒以下であっても0.1秒以上視覚記憶が維持されるので、文字の認識が可能になるということです。
 人間の神経パルスの伝達速度は光に比べればはるかに遅いので、眼に映る速度は問題ではなく、脳の処理速度が問題なのです。
 かりに神経パルスの伝達速度が一秒間に100mだとしても、千分の1秒で10cmしか進まないので、千分の一秒では認識処理ができないということになります。
 千分の一秒の表示で漢字を認識できるといっても、一秒間に千字の文字を認識できるわけではないのです。

 このことから、文字を読むときに重要なのは、文字をジッと見つめ続けることではなく、短期の視覚記憶を向上させることと、脳の処理の処理速度を高めることだということが分かります。
 短期の視覚記憶力を高めるというのは文字を見た後0.1~0.2秒続くハッキリした記憶の後に続くぼんやりとした記憶をなるべく鮮明にすることで、最初のハッキリした記憶が数秒間続くような感じにすることです。
 脳の処理速度は文字を見続けないで先に進んでいくことで向上しますから、ある程度のスピードで文字を読むほうが眼が疲れないですみます。
 


眉毛の役割

2006-06-09 23:03:02 | 眼と脳の働き
 A.D.ブレストの実験で、ガラススクリーンの上に鳥の餌になる虫をおき、シジュウカラなどが近づいて餌をついばもうとしたとき、下からライトをつけ、右のような図形を映します。
 a,b,cのような図形の場合は鳥は逃げ出さないのに、dやeのように眼の形の場合は逃避しようとしたといいます。
 とくにgの場合はにらまれたように強く反応するといいます。
 gのような目玉模様を見ると鳥だけでなくサルや人間もギョッとして引く感じになりますからたいていの動物共通の反応です。
 多くの動物はぎょろりとした眼で見られると、攻撃や敵意を感じて警戒したり、逃げようとします。
 ジッと見つめる眼には圧迫感を感じたりするので回避しようとするのです。
 ジッと見る場合でもサルや人間の母子のようにお互いに見つめあうのは親密感をあらわすものですから、そこに眼の表情の違いがあります。

 とくに人間の場合は表情の種類が多く、複雑なのですが、眼それ自体も表現力を多く持てる構造になっています。
 たとえば人間の眼は またサルやチンパンジーなどとちがって、横長でまた白目が多く、目玉の動きが目立つようにできています。
 さらに顔面に毛がなくなっているのに眉毛が残っていて、眼が目立つようにできています。
 眉毛は何のためにあるかといわれれば、「さて、なんの役に立つのかな」と思いますが眼を目立たせて表情を読みやすくすることで、人間同士の意思の伝達に役立っています。
 眼の表情を読みやすくすることで複雑な社会関係を調整することに寄与しているのです。
  
 ところが、社会関係のありようでは表情の見せ合うことが回避されるときもあります。
 日本の公家が眉を剃って額に丸眉を書いたり、後に武士の既婚女性が眉を落としたのは、表情を読み取られまいとしたのでしょう。
 日本では、昔は権力者の前では下位のものは頭を上げることできないようになっていましたが、上位のものは表情を読まれるのを嫌っていたのでしょう。
 いまでも目上の人間に対して眼を見るのは非礼とされていますが、日本の権力者は目の力で下位のものを圧倒する習慣や自信がないのかもしれません。


眼から心を読む

2006-06-08 22:23:22 | 眼と脳の働き
 日本人は一般に、「表情が乏しい」とか「何を考えているか分かりにくい」などといわれたりすることがあります。
 泣いたり、笑ったり、怒ったりといういうレベルでの感情表現は、顔面の表情筋の動きではっきり示されます。
 欧米人に比べると日本人の表情筋の動きは小さいので、無表情に見えると思われたりするのかもしれません。
 日本人を含むモンゴロイドは顔の上部の筋肉を非対称に動かせない(片眉を上げられないとか、ウィンクができないなど)割合が多く、表所の変化に乏しいといいます。
 文化的にも自分の意思を相手に伝えることについて控えめがよいとされていたとかで、自己の意思をあらわにするのが不得意だといわれています。

 もし感情や意思を表情に表すことが不得意だとするならば、相手の感情や意思を読み取る能力は余計に発達させなければならないはずです。
 日本人同士のコミュニケーションで、意思や感情を表に表さず、読み取る能力もないとすれば社会がうまく機能しなくなるからです。
 欧米人が表情をハッキリさせるというのであれば、かれらは相手の表情を読み取るのが苦手なのだということになるでしょう。
 
 「眼は口ほどにものをいい」といういいかたがありますが、日本では顔の表情筋によって意思や感情を表現するより、眼によって表現したり、あるいは眼から受け取ったりするのが得意なのかもしれません。
 上の写真はサイモン.ハーロー「共感する女脳、システム化する男脳」からのもので、目から心的情報を読み取るテストで横の4つの選択肢から正解を選ぶ問題です。
正解は上から順に「決意を固めている」、「親しげな気持ちを抱いている」、「ためらっている」です。

 たいていの人は、3問のうち1問ぐらいは正解できなくても、解答を見て「そんな馬鹿な」と思うことはないでしょう。
 この例は欧米人の表情なのに日本人は、目だけから相手の心の状態を見て取ることができるのです。
 逆に日本人の表情を提示して、欧米人に解釈させれば同じような正解率は得られないでしょう。
 欧米人からすれば、日本人は自分は無表情で心を示さないくせに、相手の表情を読むのは得意というので、ずるい連中だと思うかもしれません。
 日本人からすれば、欧米人はオーバーな表情で作為的だと思うかもしれないのですから、どっちがどうだということではありません。
 ハーローの説では共感能力のある人は表情を読み取るのが優れているということですから、日本人はシステム化能力より、共感能力が優れているということなのかもしれません。

原因がひとつとは限らない

2006-06-02 22:55:29 | 眼と脳の働き

 図Aはポンゾの錯視というもので、斜めの線が遠近感を感じさせるので、上の横線のほうが長く見えるというものです。 遠近感ということであれば、斜めの線の開き方が大きいほうが距離を感じさせるはずです。 

Bのように斜めの線の開き方が少なければ、上下の横線の距離は少なく感じられるはずで、上の線は下の線よりあまり長く見えないはずです。 ところが予想に反して、B図のほうが上の線と下の線の差が大きく感じられらます。 いったいどうしてこんなことになるのでしょうか。  

A図とB図の違いはどこにあるかというと、斜めの線の開き方のほかに、横の線と両サイドの斜めの線との距離の違いがあります。 B図では上の線は斜めの線に接近していますが、A図では離れています。 B図では上の線の線端が外側の斜めの線のほうに伸びて見えるのです。 つまり上の線の場合は、両サイドの斜めの線が接近しているために線の輪郭が外側に意識されるために長く見えるのです。  ためしに下の線に線端の外側に小さな線を描いてみます。 C図はA図について線を加えてみたものですが、こうすると下の線はうえの線と同じか、むしろより長く見えるようになっています。 遠近法の観点からは、考えられないことなのですが、線の外側に刺激が加わることで下側の線が長く見えるためです。 

同じようにC図にも線を加えてみると、下の線はB図の場合ほど短くは見えません。 下のほうがやや短いかなという感じですが、B図の場合に比べると差は少なく見えるのです。 こうしてみると、斜めの線で遠近感を感じるので、上の線のほうが長く感じるのではありますが、上の線が方がはっきり長く感じられるのは、両サイドの線に外側に接近している場合だということが分かります。 遠近法だけによって起きている錯視はあまり強烈なものではなく、両サイドの線が接近している度合いによって強烈になるということがわかります。  

ポンゾの錯視については、遠近法で説明している場合が多いのですが、図を90度回転させても狭いほうに位置する線が長く見えるので、遠近法が原因とは限らないとする意見もあります。

遠近法以外の要素もあると分かれば、やはりそうかということになるでしょう。 原因がいつもひとつだけとは限らないのですから、ほかの要因もあるのではないかと考えてみるべきだったのです。