BUONA GIORNATA!

取材や旅、見仏、ヨーガ、読書の日々をつづります

平家物語

2011年09月11日 | 
京都の旅の報告を、東京にいる友人にメールしたらこんな返事が来ました。
「六波羅蜜寺とは渋い!自分も学生時代に行きました。先日、吉村昭の平家物語を読みました。(中略)野蛮と優雅の対比がおもしろい!大原の寂光院に行ってみたいです」

いやー、あなたの方が渋いよ。
私より7歳も年下の男性でありながら、学生時代に六波羅蜜寺に行ったとな?

彼のメールには、平家物語の感想がとても心をひく言葉で端的に綴られており・・・さすが記者だわ、と感心。

そうだ、大原の寂光院は平家一門の建礼門院が余生を送ったお寺。
今回の京都旅行でも大原に行くか鞍馬に行くかで迷ったのでした。よし、次は大原に決まり!


それで、私も平家物語を読んでみたくなりました。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」って、私、ちゃんと読んだことがなかったわ。有名すぎて、大作すぎて、和漢混交文が面倒で、平家にあまり魅力を感じていなくて。
確か次の大河ドラマは平清盛。うーん、いいタイミングかもしれぬ。

で、書店を3軒まわってやっと手に入れました。
吉村昭の現代語訳による「平家物語」(講談社文庫 820円)

手に取ってちょっと躊躇しました。だって、550ページもあるんだもん。背表紙の厚さが2センチを超えている~。

でも読み始めたら・・・おもしろくて止まらない。
吉村昭さんは不必要だと彼が判断した部分は大きく削り、史実を調べ、確かな解釈のもと現代語にしたそうです。平易な、でも美しい日本語で書かれています。比較的ひらがなが多いのですが、それが何となく優美さを感じさせている気がします。


それにしても、当時の人々は男も女も、老いも若きも、身分が高かろうと衆生だろうと、公家も侍も僧も、みんなよく泣くんです。さめざめと泣き、はらはらと涙を落とす。自分の行く末や身内の不幸を思って泣くだけではなくて、他人(敵でも)の衰えゆくさまや身の上、主従の絆を見ては泣く。その涙する様子がなんとも美しく、雅な感じがするんですね。不思議~。


現代人と泣きのポイントが違うのかしら。

戦国時代の侍もよく泣いたというから、かつては男性も感情を押し殺すことなく表現していたのでしょうね。現代人ももっと感情をおおらかに表現してもいいのになあ。男性諸君、泣くとスッキリしますよ!ホントに。


話を戻して。
無論、滅びゆく平氏と栄えようとしている源氏の戦いは激しく、兵の首をかき落とし殺戮の限りを尽くす場面もたくさん書かれています。裏切りもあるし、身投げもある。それでも人々の情と物悲しい風景描写のせいか、はかなさと優美さが全体を貫いているように感じられました。そこに美しさを見るなんて、やっぱり日本人なのだわ。「わびさび」ですよね。


友の感想そのまま。本当に野蛮と優美の対比が素晴らしいです。


京都の旅で巡った地名がたくさん出てくるので、あらためて彼の地が「都」だったこと、戦いの場にもなったこと、平氏が栄華を誇ったこと、歴史に登場する人々が本当に生活し、現代人の私と同じように泣き、笑い、家族を愛し、時にはおごり、間違いも起こし、そうやって日々を生きていたことを実感しました。


京都の通りの名がどこからきているのかも調べてみたいなあ。


そして「平家物語」を手に取った日から、私に取って怒濤の、充実の4日間となったのです。続く~。