BUONA GIORNATA!

取材や旅、見仏、ヨーガ、読書の日々をつづります

秋の空

2010年10月31日 | Weblog
見上げれば、茜色の空。

日暮れが早くなりました。


10月も今日で終わり。。。

1年前の今ごろは、まっすぐ頑張っていたな。
一直線に、全速力で、最短距離で走っている自分は、自分らしくてけっこう好きだったりする(笑)

それに比べたら、今年は進んだかと思えば戻り、あっちに行ったり、こっちに来たりと迷走しているけれど。苛立ったりするけれど。

いつか、そんなこともあったな、あれはあれでよかったんだな、と思えたらいいな。



ところで、昨日はある舞台を鑑賞して、涙しました。

すべての世界を包括している、と思いました。
電流が走るような、いくつかの美しい言葉もありました。

そのときの感覚を、胸に。

天使の輪

2010年10月30日 | Weblog
最近うれしかったこと。

「髪がツヤツヤ光ってる~!」って言われたこと。
それも、立て続けに3人の女性から。

すてきなフランス人女性とカタコト英語・カタコト日本語で話したこと。
ナチュラルな美しさと優しさを感じさせる人だなあ~。ホントにすてき。

仕事の帰り道に偶然会ったお友達の満面の笑顔。
数ヵ月前にちょっと悩みの壺の中に入っていた彼女に、私はある場所を紹介したのですが、そこに行ってすごく元気が出たそうで。私は紹介したことをすっかり忘れていたのですが、すごく晴れやかな顔で感謝されました。
その感謝の言葉ももちろんうれしかったけれど、何より、人の、くもりのない笑顔ってきれいだな~、私まで元気をもらえるな~と。


あれ?
元気の素は女性ばっかり(笑)



まだまだ、あるな。

今朝の青空と冷たい空気が気持ちよかったこと。

大ボスがおもしろい小説を紹介してくれたこと。


いいことって、毎日いっぱいあるのに
あるひとつの出来事にマイナスの感情を持つと、少しずつ心の中をモンスターに支配されてしまう!
やばい!
と気付いて、うれしいことをたくさん思いだしているお昼です。

今月の本

2010年10月28日 | 
何度も読んだ2冊は雑誌「一個人」のキリスト教入門と、スリランカ仏教会長老のアルボムッレ・スマナサーラ著「心がスーッとなるブッダの言葉」。

悩みがあって宗教にすがりたい、とかいうわけじゃないです。ぜんぜん。
リサーチ、情報収集、比較分析が私のシュミです☆


前者は、西洋美術(宗教画)、教会建築も紹介しながら、旧約聖書・新約聖書のエピソードや、登場人物の血脈なんかを解説していて、なかなか興味深いです。旧約も新約も最初に解説書を読んだのは確か中学3年生だったと思う…。
雑誌自体は、結構年配の男性向けだと思うんですけどね、数冊持ってます。仏像特集とか、京都特集とか。


後者は結構前に買った文庫で、読んだことはあったのだけれど、そのときはよく理解できなくて。というのも、取り上げられている言葉が「人生に意味などない」「祈りなんて役に立たない」とか…厳しいんだもん。これを買ったときの自分はたぶん、だれかに励ましてほしかったり、優しい言葉をかけてほしかったんじゃないかなと思うのです。
いまは、何もかもが腑に落ちます。納得。


キリストもブッダも、言ってることは同じなんじゃないかな、としみじみ思う今日この頃です。
ただ、ある言葉だけ取り上げてしまうと、言葉が独り歩きしてしまうって言うか、その言葉が発せられた背景が分からないと真意が伝わらないのに、まるでどんな状況でもその言葉を死守せねばならない、その言葉をスローガンに生きよう、みたいな傾向がありますよね。


ま、比較分析の私見はいつかごく親しい人にだけ発表してみたいと思いますが。


今月読んだのはそのほかにみうらじゅん・いとうせいこうの「見仏記」に、「世界の名前地図」などなど…相変わらず、周りにちょっと変だよと言われるラインナップでした。



かがみ

2010年10月23日 | Weblog
ダジャレじゃなくてね、
「かがみ(鏡)」から「が(我)」を取ったら「かみ(神)」になる、っていうフレーズ、聞いたことがあると思うんです。


それを大御神社の社殿でお参りしているときに思いだして、なんだかストンと腑に落ちた気がしたのです。


神社の社殿には大きな鏡がご神体として置かれていることが多いですよね。
鏡は三種の神器のひとつでもあるけれど、
その丸さ(=完全な調和を表す形)とか、鏡を媒体にして神様が降りてくるとか、いろんな意味が込められているそうです。


そんなことは抜きにして、私がふと思ったこと。


自我がなくなった自分を鏡に映したら、そこには本当の自分=神様が見えるってことなのかな、と。


そして、「相手は自分の鏡」とも言いますよね。
相手の姿は自分を映している、エゴで接すれば相手もエゴを返してくるし、エゴが取り払われた優しい気持ちで接すれば、相手もまた同じ。
自分=他人。
みんな同じひとつのもの。
つまり、本当はみんな神様みたいな存在なんじゃないか、と思ったわけです。


そこで冷静に考えてみる。
例えば、仕事で横柄な上司は、人望がない。
人望がないことに少なからず苦しんでいて、高圧的な態度をとっている。


私はまったく別の種類のことで苦しんでいるけれども、「苦しんでいる」ことは同じです。


苦しみのない人なんて、いるのだろうか。
孤独や病気やお金のことや、進学や仕事や、人間関係。
多かれ少なかれ、みんな苦しみを感じてるんじゃないかな。

みんな同じ。私と同じように、みんな何かに心を痛めている。


それに気付いて、自分にも人にももっと優しくなれるような気がしました。


なんて言いながら、すぐにそれを忘れて怒りを爆発させたりしちゃうんだけど。
怒りやイライラを持続させずに、すっと冷静になれるんじゃないかと思う今日この頃でした。

時間

2010年10月23日 | Weblog
時が経つのがあまりにも早いのは、気のせいでも、歳のせいでもないと思うのですが、私以外の人たちも早く感じるのでしょうか。
昨夜、友達との電話でもそんな話になりました。
彼女にとっては生活環境と人間関係が刷新された2010年、信じられないくらいのスピード感があったようです。

私は最近、ちょうど1年前のことを思い出すことが多くなっています。
昨秋のいろんなできごとは、胸があたたかくなる思い出です。ここ数年の中でも、「光」だと思えるほどに。

そして、なんて早いんだ、もう1年経ったんだ、としみじみ驚くのです。
1日も早いし、1週間も早いし、1か月も早いもんね。ほんと。


子どもの頃とか、社会人になって数年の間はこんなに早くなかったと思うんだけどなあ。そう考えると、「時間」っていうのはあってないようなものなのかも。


10月に入ってから、意外にも忙しいような、でもいつもと変わらないような、不思議な感覚で日々を過ごしています。
取材も数件あって楽しかったし、
ドライブもしたし、
ヨガも続いているし、
またスポーツクラブに行く気になってきたし、
新しい知り合いが増えたり、
友達とけんかして随分気まずくなったと思ったら仲直りしたり。


そんなこんなで、あっという間に2011年に突入しそう。

ネパール

2010年10月14日 | Weblog
ヨガの先生のネパールみやげにお香をいただきました。

就寝前の瞑想のときに焚いてみました。いい香り~。


ネパール…行ってみたいような。ちょっと怖いような(インドもそう思う)。
「怖い」は治安もあるけど、その混沌とした世界に自分が入っていけるかという怖さかな。世界観が変わるって言うもんね。

ネパールは混沌の中に実は秩序があって、それは人の思いやりで成り立っている気がした、と先生はつぶやいていました。

それに、日常のいろんな場面で自然に“祈る”習慣があるそうです。

以前テレビで見て「行ってみたい!」と強く思ったブータンに似た感じなのかなあ。
素朴で、優しい人々。


先生は今回の旅を「瞑想の10日間」がテーマだったと言っていました。人生最高の健康状態だそうです。日ごろから明るくて、笑顔がぴかぴかした女性なのですが、さらにパワーアップしているように見えました。

もっとネパールの話を聞きたいな。

花火、愛犬

2010年10月11日 | Weblog
夜9:00前。

どーん!と響きわたる音がして、私は走って庭に出ました。

私が住んでいるエリアで行われていたお祭りの、フィナーレでした。

高台とは言え、巨木が立ち並ぶ自宅から花火をハッキリ見ることはできず、敷地の出入り口を出て少し言ったところで見物。

打ち上がる川沿いの平地から見ることができて、ひんやりとした空気とともに秋の花火にうっとり。

どーーーん!

どーーーーん!


わおーーーーーーーん。


え?

振り返ったら、それはお散歩に行くのにおいてけぼりにされたと思って地団駄を踏む愛犬の鳴き声でありました。


庭に戻ると、いつもはそわそわしているのにやけにじっとしていて大人しいなあ、と思ったら、鎖が小屋にからまって身動きが取れず泣き顔の愛犬。わはは。


困った絡まりようだったので、玄関から助けて~と叫んだら、父を呼んだつもりが母が出てきて、あわてて出てきたついでに玄関から庭の植え込みにダイブ!…に見えたけど、つまづいて地面に体をたたきつけてしまった母でした。

もう少し勢いがついていたら、縁石で頭部を打ったかもしれぬーーー。
不幸中の幸い?


ダイブを目にし、「うぅ、痛いーーー」という母の声を聞いた愛犬は、助けに行きたい!!と思ったようで。
母に向かって何かを一心に伝える真剣な鳴き方でした。鎖が外れるほど、母の方向に突進しようとチャレンジしてたし。


母が「大丈夫だよ、だいじょうぶ」と何度か言うと、落ち着いて、顔を母の膝の上にくっつける愛犬。う~ん、頑張れば救助犬になる素質があったかもしんない。


ああ、この子にとっても本当に“お母さん”なのね。
家族が大事で、心配で、大好きなのね。
彼は「ひと語」はしゃべれませんが、言葉がなくてもしっかり通じるコミュニケーションも存在することを実感した夜であった。


母よ、おっちょこちょいはかわいいけど、本当に気をつけてね。
年取ってきたのだろうか…この古い家もバリアフリー化を考えねばならぬ日が近い。

瞑想

2010年10月08日 | Weblog
夜、眠る前。
静かに座って、目を閉じた。
両手は軽く開いて膝の上。
某ブログに書いてあった、心を落ち着ける呼吸法をしながら。

「息を吸って、私は静か。息を吐いて、私はほほ笑む」


何にも考えないようにすると、私は余計にいろいろ考えてしまう。
「あ、おなかすいた」
「背中がかゆいなあ」
「愛犬がクンクン鳴いてる」
「そうだ、明日取材だった!忘れてた!準備しなくちゃ」
「あとで顔のパックしよ~」などなど。


この文言を心の中で唱えながらゆっくり呼吸をしていたら、いつのまにか集中していたらしい。はっと気付いたら、20分も経っていた。

なんだか、すっきりして気持ちいい。

そして目を開けるときに、ふっと最近会ってない友の顔が思い浮かんで、そのあとに耳~頭に電波みたいな、音みたいなものが共鳴して震えるような感覚があった。

久しぶりにメールでもしてみようか。
そう思っていたら、握っていた携帯が震えた。
なんと、その友からメールが届いてびっくり!!
同じ時間に、お互いに連絡しようと携帯を握っていたなんて。
想像すると、笑っちゃう。
耳に感じた共鳴も、携帯の振動とシンクロしてて、なんだかおもしろいな。

2010年10月07日 | Weblog
何に見える?

私には、サーフィンしてる人に見える!

こんなふうに、うまく波に乗れたらいいね。

読書再開

2010年10月06日 | 
数ヵ月ぶりに読書に没頭している初秋です。

10月に入ってから、いま8冊目。

新刊じゃなくて、持っていた本を読み直しているんだけど。
「あ!この本、こんなとこにあったんだ~。5,6年前にもらったんだったわ」みたいな感じで、なぜか母屋のテレビ台の中にしまわれていたのを発見したりして。


8冊のうち2冊は哲学系の書籍、6冊は小説、児童文学。著者は日本人、アメリカ人、イギリス人。

驚いたことに、同じテーマ/フレーズがでてくるの。どの本も。これでもか、これでもかと。


繰り返し、私が気付かないといけないことに対するメッセージが送られているかのようで、はっとする。

前も読んだのにね~。そのときは全然気づいてなくて。

今の私に必要な情報なのだろう。

国とか言語が違っても大切であることは変わらない「普遍の真理」みたいなもの。

今年はあと3カ月も残っていて、1年を振り返るにはまだ早いけど、そうした「真理」とつながるためのきっかけがあって、受け入れるために自分の扉を開けた、そしてその扉からたくさんの情報やツールが入ってきて吟味した、怒涛の日々だったと思う。

迷ったり混乱したり頭がショートしたりしつつ(湯気が出そう)。