BUONA GIORNATA!

取材や旅、見仏、ヨーガ、読書の日々をつづります

見てたの!?

2010年06月25日 | Weblog
某星占いサイトから(以下、抜粋して転載)。

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貴方は素晴らしいエネルギーに恵まれた人ですが、

時々、自分がそれをやっているのではない

と思いながら何かをすることがあります。

貴方は自分の影響力にしばしば、とても無頓着ですし

誰かが貴方をそれほど重視しているわけはない、と

相手の中の貴方の像を軽視しすぎてしまうところがあるような気がします。


今の貴方の影響力は

たぶん、貴方が思うより遙かに強力なのです。

ですから、

「どうせ、自分が動いても状況が変わるわけではないだろう」

という仮説は、誤っているとおもいます。

どんなにどっしりした大きな岩でも、

意を決して手を出してみたら

拍子抜けするほど小さな力で動かせる、という感じがするのです。


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今日のお昼、
私がかかわっているある出来事についての私のつぶやき。
「私がいても、いなくても、な~んにも変わらないはず。まったく同じ。
 私は必要ないんじゃないかしら」


上の文を読んで、
「なぜ、このタイミングでそんなことを言うの~!?見てたの!?」
と言いながら、お昼のつぶやきを聞いていた友達と目を丸くしましたわよ。


名前を呼んで。

2010年06月25日 | Weblog
仲良くなったのに
敬語でもなくなったのに
○○(名字)さんって呼ばれると、途端にキョリを感じてしまう。
はあ。

名字がね、ちょっと硬い感じに聞こえる気がするのよね。
仕事上はいいんだけど。
プライベートで名字に「さん」という敬称がつくと、どうもむずむず居心地が悪い。

年齢の感覚がゆるいので
仲が良くなったら
年下の人に呼び捨て(または“ちゃん”付け、または勝手に付けられたニックネーム)されても、敬語からタメ口に替わっても平気。
いや、平気というより、うれしいくらいだ!

名前で呼びにくい雰囲気を無意識のうちに醸し出しているのか…う~ん。

名前で呼ばないってことは、その人の中で何かがなじまない、違和感を持つってことだよね。たぶん。

自分の名前、姓名ともにけっこう好きなんだけどなぁ。


ところで。

なぜか昨日、諱(いみな)とか字(あざな)とかいろいろ調べることになり。

例えば武士は幼名があって、元服したら新しい名前になって、出世したらお殿さまから名前の1字をもらって…というふうに、いくつも名前があったりしますよね。
中国でもかつて、そういう風習があって、いまも慣例として幼名やニックネームを日常的に使うことがあったり。

国によって、時代によって
自分の「名前」に持たせる意味や重要性が現代日本と違うのかな、とか
考えていました。

私は
名前にはその人の本質=魂が宿る、というような
濃厚な言霊の力を感じさせる訓示を受けて育ったので
すごく興味が沸きます。
またおもしろいテーマに出合ってしまった!


2010年06月25日 | Weblog
空が泣いています。

私の代わりに。

みんなの代わりに。

全部洗い流そう。