チラホラとネットやニュースでも話題に上っていたのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、8月4日に「宗教サミット(世界宗教者平和の祈りの集い)」というものが比叡山で行われました。
世界中の宗教者が、宗教、宗派を超えて招待され、約2000人の参加者で世界中で戦争や災害の犠牲となった人々の鎮魂を祈り、平和への協調をテーマにシンポジウムが開かれました。
今年で30周年だそうです。宗教や宗派を超えて(キリスト教やイスラム教も参加)、とはなっていますが宗教に変わりはないので、その思想は受け入れられないと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、宗教を理由にテロや内戦が頻発している昨今、このような集いはより意味を持ってくるのではないでしょうか。
さて、当然の如く創価学会は招待もされなければ参加もしていないわけですが、これを当然と思うのは学会関係者や学会に詳しいアンチ側の人間だけです。
日本で最大とされる新興宗教「創価学会」。正式名称「日蓮世界宗創価学会」。一応仏教系。←あくまで自称ですが。
一般の人からしたら不参加に「なぜ?」と疑問を感じることでしょう。
で、ネットでは「知恵袋」という、そのような疑問に対して問題の当事者や詳しい人が回答をするというシステムがあります。
そこで早速この宗教サミットに創価学会が招待されず参加もしていないのは何故か、という疑問が投げかけられていたのですが、その答えがやはり安定の学会流。私が目にしたものの中から少しばかりご紹介します。
まずは「立正佼成会が参加しているので無理」というもの。その宗教間の対立を超えて集まるから意味があるのに台無しな答えですね。
次に「学会主催で世界規模の同様の集まりをしているのに、わざわざそちらに参加する必要がない」というもの。
・・・おぉぅ。では学会主催の世界規模の集まりは何故ニュースにならないのでしょうかね。世界が嫉妬してるから?ていうか、学会員さんたちはそれで納得できているのでしょうか?
他には「宗教サミットでの重要人物(ヨルダン王国王子)が創価を認めているので、(宗教サミットとの)関係が悪いわけではない」なども。
どういう理由で認めているのかも重要ですよね。
一様に言えるのは「招待されない」「参加できない」わけではない、我々が敢えて「参加しない」のだ!という論調でしょうか。
個人的な感想で言えば、創価学会が招待されるときは幸福の科学も招待されなければおかしい、ですかね。
その時もやはり名誉会長ではなく長男とか代理の誰かが出席になるんでしょうね。いや、そんな心配をする必要もないのでしょうがw
8月、夏本番です。大型台風が九州に接近しているとかで、最近は豪雨の被害が激しい地域も多く、非常に心配です。
皆さまもいつ何時、どんな災害に見舞われるか分かりません。備えるだけでもしっかりとやっておいて損はないはずです。熱中症にも気をつけて、この夏を元気に乗り切りましょう。
最後に、コメントを頂いていけるケイコさんへ。
知識不足で私にはどの辺りが問題になるか判断できかねますので、頂いたコメントの掲載は見送っております。
学会の上層部が会員の疑問にしっかりと答えないということは、つまり答えることが出来ない、答えると都合が悪いということの証なのでしょう。
その事実の積み重ねで、創価学会とはどういう組織なのかを判断することが重要なのかと思います。そして、ケイコさんをはじめとしたこのブログにコメント下さっている方々は、自分なりにその判断を下した方たちなのだと思います。
これからも気に掛かったことや思うことがあれば、気軽にコメントして頂ければと思います。
暑い中、マダラ君の通院、お疲れ様です。
最近、すっかり「創価」を感じない生活をしておりまして(祝)
育児!内職!家事!そして夏休み(泣)
毎日ドタバタと過ごしております。
宗教サミットの件…創価としてコメント無いですかね?
正式な見解を知りたいところです。
子供の頃、創価以外は邪宗だ!とたたき込まれた私としては、(最近路線変更したようですが)そりゃ、そんな集いには出られんよな~という感じもしたり(笑)
私は10年ほど前エジプトに行ったことがあるんですが、現地ガイドさんと仲良くなって、夜行列車の移動中、夜中まで喋ってたんですが、一部の過激なイスラム教徒のせいで
イスラム教が悪く見られるのが悲しい、と。
現地では、純粋に信仰している人を多く見ましたし、平和と幸せを願ってるのは、みんな同じ、と実感しました。
「創価」を感じない生活!素晴らしいですね~。
私も基本的にはそんな感じなのですが、やはりアンテナがどっかに立っているのか「創価」や「公明党」というキーワードには敏感ですねw
それでも最近は自ら情報収集しにいく頻度も減ってしまい、それはそれは心おだやかな日々です。
宗教サミットのような他宗が関わるイベントなど、いくら今の教義では邪教路線は引っ込めていたとしても学会としては参加できないのでしょうね。
それは他が邪悪であるとか排他的な要素よりも、他を知ることで自分たちのことを「知る」ことになってしまうから、という要素も大きいのではと思います。
自らの姿というものは、他のものを通してでしか見ることができません。
砂に顔を埋めて初めて自分の顔の形を知るようなもの、とでも言いましょうか。
他の全ての宗教より優れている。それだけは学会としては(明言しなくとも)譲れぬでしょうから、他の宗教を通して自らの優越性が如何なるものか気づいてもらっては困るのではないでしょうか。
これは学会に限らず多くの新興宗教が排他的思想で自分たちだけで閉じこもっているのと同じ理由でしょう。
つまり、他宗は邪教であった時代から理由は変わっても目的は変わっていないのだと思います。
アズラさんのエジプト旅行での体験のように他を知ることで、自分たちだけがどうこうではない、と気づかれては困るんですよね。
宗教サミットのような「宗教の集まり・イベント」に、学会のような独自の教義が定まっていない宗教が何を以って参加できるんだ、っていう話でもありますけどね。
仏教のようで仏教でない、日蓮正宗のようで勿論日蓮正宗でもない、でもオリジナル教義でもない。本尊の意義も最近になって変わっちゃって、そりゃ宗教者の前で何を主張するんだって話ですよね。
池田先生の素晴らしさですかw
それも何の実績もない上、本人も不在という。いやはや、こう書くと改めて恐ろしい団体になりつつある気がしますね。