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真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

池田大作の品格PART2 第六章より「『創価テロリズム』の実態」 その3

2015-03-15 17:15:41 | 創価本の紹介
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第六章 対談「創価テロリズムの申し子『広宣部』とは」 佐貫修一×小多仁伯 その3

前略~

佐貫 そうですね。じつは、「広宣部」が初めて結成されたのは、東京都板橋区においてでした。前にも述べていますように、私は当時、北区と板橋区を統括する男子部幹部でしたので、結成に至る流れを知っているんです。
「広宣部」を立ち上げたのは、Nという板橋に住む学会職員の男でした。平成元年頃のことです。創価班の中から人員を選抜して結成したのが始まりです。
「広宣部」の当初の目的は、対顕正会対策のためでした。

~中略~

佐貫 我々などに対する尾行の他に、彼らが行っていると思われる具体的な活動とは、
①対象者宅の郵便物のチェック
②対象者の盗撮
③交友関係の調査
④怪文書攻撃
⑤対象者が出したゴミなどを持ち去り、その中からの情報収集
といったところが考えられます。

~中略~

小多谷 「広宣部」を動かしている創価学会は、今社会で問題視されている「集団ストーカー」の案件に、積極的に加担している組織であるといわれていますね。
「集スト」の被害者の多くが、犯人は創価学会だと言っています。またインターネットでも、創価学会の組織的関与が被害者をうみ出していると、さんざんに書き込まれていますが、この不名誉なイメージダウンについても、長い間、沈黙を守っています。訴訟が大好きな創価学会にしては解せないことですが、「脛に傷」があるのか、一向に反論してきません。

後略~

ゴミを漁っているとき、広宣部の方たちはどのようなお気持ちでしょうか。

やはり「池田センセーの為に!」という思い、あるいは「悪に正義の鉄槌を!」みたいな感覚でしょうか。

敵対視するとはいえ、よそ様のゴミを漁ることが師匠の為になると言うのならば、その師匠はゴミ以下でしょう。

よそ様のゴミを漁ることが、正義の鉄槌を下すことになるのなら、その正義はゴミほどの価値もありません。

私は思います。

センセーのため、正義のため、広宣流布のため、平和のため、人によって掲げる大義は違うのでしょうが、それらの本音は全て自分の為なのではないかと。

耳障りの良い、ぶっちゃけて言えば中二病的に「カッコイイ」大義名分の為に敢えて嫌な活動をする自分って何て素晴らしいんだ・・・!と自分の置かれたシチュエーションに酔いしれているのではないでしょうか。

比較するのは不謹慎かもしれませんが、聖戦の為にという大義名分をもって自爆も残虐行為も厭わないテロリストと同質の心理状況なのかな、と。レベルは違うでしょうがね。

どちらも自分のことを「高尚で崇高なナニカの為に戦うオレってカッコイイ・・・」と思っている重度の中二病患者です。

だから真摯な批判には「正法故の魔障」と、彼らの高揚感は一層純粋になってより狂信的になっていくのです。

本当は下らないことだと、バカにするのもバカバカしいくらいの対応が一番効果があるような気がします。

私が学会のことを知った最初の頃は、それはもう事実(証拠)と倫理・道徳観と理論を揃えてちゃんと突きつけることが一番効果的であるかのように考えていました。けれどこう巨大な組織を相手に、更には常識が通用しない相手にはコチラの土俵での勝ち負けは無意味に等しいのです。

アンチ創価ブログと呼ばれる多数のブログの中にも、創価学会のアレコレを笑い飛ばす方向で鋭い批難を展開するタイプのブログが少ないながらも存在します。

最近ではリンク先にもあります、大勝利さんの「聖教新聞 一面だけは読んでやる!」などが頭に浮かびます。

実は狂信者タイプの方に一番効くのは、大勝利さんの記事のような「エッ、それって良いと思ってんの?」みたいな相手にもならないような反応ではないかと思う今日この頃です。素朴でシンプルなのが一番ダメージがでかいという、逆転の発想かもw

さて、先週は記事の更新をすっ飛ばしてしまいました。そんな人はいないかもしれませんがw記事のアップを期待されていた方がいたら申し訳ありません。

先週は土曜に友達と久々にカラオケ(フリータイム)に行きまして、とても疲れてなんとその晩12時間ほど寝てしまったんですね~。

おかげで翌日の日曜日がとても短いことと言ったらw

そんなわけで時間が取れず更新できませんでした。

まあそんな日もあるということで。では皆さま、お読みくださりありがとうございます。また来週!


池田大作の品格PART2 第六章より「『創価テロリズム』の実態」 その2

2015-03-01 23:01:22 | 創価本の紹介
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第六章 対談「創価テロリズムの申し子『広宣部』とは」 佐貫修一×小多仁伯 その2

前略~

小多仁 細目を見てみましょう。まずは「寺院への徹底した攻撃」ですが、
①寺・住職の詳細な状況把握(過去と最近の様子)
②寺の定例行事の掌握
③活動家の動きの掌握
④寺の機関紙の定期的な入手
⑤寺のデータ管理
ということになっています。
次に「法華講救済運動の推進」ですが、
①脱会者の追跡調査 今どうなっているのか
②古くからの法華講の掌握
③脱講の推進 登山、供養どめの推進 ※青年僧侶への依頼
④脱講数の報告 月2回 ※月に数回、脱講デーを設けて、取り組む
となっています。
 そして、「組織への啓蒙」については、
①脱会者を絶対に出さない
②日顕宗への戦いの感覚を磨き、組織の啓発をする
③武器の活用(『創価新報』など)
となっていますね。

小多仁 この内部通達には「追跡調査の意義」とか、その「調査方法」まで明示されていますから。謀略好きな池田大作は、創価学会の裏組織を、外国のCIAやKGBみたいな諜報機関に仕立て上げたのですね。

佐貫 十年以上前の資料ですが、「法華講救済運動の推進」の項には「明年三月、新客殿落慶十万登山の粉砕」などとありますが、その後の、平成十四年の三十万総登山や、平成二十年の「決起大会」への妨害活動を見ていると、この内部通達そのままの動きが見られます。
 というよりも、この十年間で、創価学会の謀略活動にさらに磨きがかかっている、と見ていいでしょうね。

その3に続く・・・。

こういったことにも「数のノルマ」を課す辺りが流石と言うべきでしょうか。

完全なストーカー行為ですが、公明党がストーカー規制法案において「恋愛関係によるものに限定する」ことと注文をつけた理由がよく分かりますね。

たとえば布教活動の一環として「他宗の信仰者に対して勧誘していこう」というのならばまだ分からなくもありませんが。

創価学会のこれは、日蓮正宗を「敵」と認定した上での「攻撃」ですから、その脱講運動や内部での啓蒙さえも、憎悪を煽り筋違いの報復に執念を絶やさないという、およそ健全な精神からは程遠い行為の強要・励行であると言えます。

面白いのは「絶対に脱会者を出さない」という組織啓蒙、学会の信仰が「絶対正義」「唯一無二の正しい宗教」であるという謳い文句とは裏腹な目標ではありませんか。

本当に正しく、素晴らしい宗教ならば、たとえ誤解や無理解があり脱会者が出たとしてもそこまで必死に引き止めはしません。

いつか分かってもらえる、帰ってくると、鷹揚に構えるものでしょう。

そして信仰において、そのように離れる人が出るということは、何らマイナスにはならないはずです。「本当に正しい」のならば。原因は離れていく人にあるのですから。

けれど脱会しようとする人を追い回すが如き執拗さは、信仰の正しさの証明を「数」に頼るからではないでしょうか。

それは池田氏の顕彰も然り。

目に見えるもの、その数で「ほら、私達こんなに認められているのよ」と正しさの証明をしたいのではないでしょうか。

だから外国の図書館の利用証を「名誉ある顕彰」の一つにカウントしちゃうまで必死になってしまうんですよ。(今は無かったことにしてますがw)

不名誉なことや都合の悪いことをカウントせず無かったことにして、都合の良いことだけを水増ししてでも大々的に公表する。

「正義」の定義は人それぞれでしょうが、創価学会や池田氏のことをその枠に入れるのは不健全極まりない精神の表れでしかないと思います。

けれど不謹慎かもしれませんが上記の項目だけ見ると、学会って実は宗門のこと好きで好きでたまらないんじゃないかとすら思えますね。宗門の迷惑や実害を思うと本当に申し訳ないのですが・・・。

いやまあ、人間って好きな人のことより嫌いな人のことの方がよく知っていると言いますから、そういうことなんでしょうけれど。

私もこの世に創価学会以上に知っている組織的なものって、確かに存在しないかも・・・w


池田大作の品格PART2 第六章より「『創価テロリズム』の実態」 その1

2015-02-15 17:07:52 | 創価本の紹介
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第六章 対談「創価テロリズムの申し子『広宣部』とは」 佐貫修一×小多仁伯 その1

前略~

佐貫 「教宣部」というのは、四者(壮年・婦人・男子・女子)にまたがって組織されている、「表」の組織です。これに対し「広宣部」は、男子部、それも創価班などの中から選りすぐりを集めた「裏」の組織です。ですから、部外者が名前を聞いただけでは混同してしまうかもしれませんが、全く違う組織です。

小多仁 その違いについて、分かりやすく説明していただけませんか。

佐貫 そうですね。「教宣部」は日蓮正宗対策のために組織されたものであり、これに対し「広宣部」は、反学会陣営対策で作られた組織、ということになると思います。
 実質的な活動内容で区別してみると、「教宣部」に与えられた役割は、専らプロパガンダ活動であるのに対し、「広宣部」は専ら謀略活動を行っている、というところでしょうか。
 法華講員のところに知り合いの学会員が訪ねてくることがありますが、その時に、その学会員が連れてくる、見ず知らずの弁舌の立つ学会員、それが「教宣部」のメンバーだと思って、ほぼ間違いありません。
 彼らは、日蓮正宗に対するプロパガンダ教育を徹底的に受けていて、法華講員との対論に乗り出したり、脱講運動のために法華講員を訪ねてきたりするのです。
 これに対し、創価学会員を熱心に折伏する法華講員や、我々のように、反創価学会の活動を行っているメンバーを尾行してくる学会男子部、こちらは、「広宣部」のメンバーだと思ってほぼ間違いありません。
 名前が似ているうえに、同じ人間が、組織の「表」では「教宣部」に所属し、「裏」では「広宣部」の部員として暗躍する、ということもあり得ますので、二つの組織は余計に混同されやすいのかも知れませんね。

~中略~

小多仁  それによると「教宣部」―――正式名称は「教宣部委員会」だそうですが、そのトップは竹入央通副会長で、その設置にあたっては、当時、学会の会長であった秋谷栄之助が、「新たに、教宣部が設置された。方面、県、そして末寺ごとに、二十一世紀を前にして、本格的な日顕宗対策を進めていく」「創価学会に手を出したらとんでもないことになる、それを骨身に染みて分からせるまでやる戦いである」などと発言しています。
 そして、「日顕宗対策」という内部通達では、具体的な活動として大きな項目を三つ、一つめは「寺院への徹底した攻撃」、二つめは「法華講救済運動の推進」、三つめは「組織への啓蒙」を挙げ、それぞれに細かい方針を定めています。

・・・その2に続く。

これは一体何処の国の何の話だと思ってしまいます。

創価学会がこのような謀略が好きな組織であるか、必要にかられての謀略組織結成なのかは分かりませんが、両方である気がしますし、このような状況である時点で宗教団体としてはまともではないということは明白です。

よく聖教新聞では「〇〇の戦いだ!」とか「勝ち抜くのだ!」みたいな文言が頻発します。

それを目にしている熱心な学会員さんでも、そのスローガンを日常生活でそこまで本気に意識している方は少ないと思います。多くは「学会はこういった単語が好きだからなぁ~」といった感じで慣れっこになっている、小学校とかの「学級目標」程度にしか感じていない方がほとんどではないかと思います。

しかし実態としては、そういう学会員さんたちも知らずに本当の戦いをしている実働部隊が存在する、というわけです。

認識されているのは到底本気にしていない、ただのスローガンとしての「戦い」。

けれど本当に「徹底した攻撃」を明言した指示でもって行動に移しているということを知っても、同じように「学会はそういうことが好きだからなぁ~」で済ませられるでしょうか。

反学会勢力だからそれは当たり前?

正義は学会にある?だから何をしてもいい?

法律よりも学会の指導が勝るから功徳になる?

私は仏教に関しては素人程度の知識しかありません。それでも疑問に思うことは多々あります。

そもそも攻撃して叩きのめさないといけない「敵」という存在を作ってしまった時点で、仏教的には道を外れているのではないでしょうか。

ああ、正法だから魔が競う、という考えでしたっけ。

けれど私の仏教に対するイメージでは、「魔」は敵ではなく克服すべき弱さとか、断ち切るべき誘惑・欲望みたいなものなのです。いやまあ、ちゃんとは知らないですけどね。(「聖☆おにいさん」のマーラのイメージw)

知らないですけど、実在する人や組織に攻撃を加えること、迷惑をかけること、不愉快にさせること、こんなことが許されるとかましてや正しいことだとは言えないということは、分かります。

外部に敵(仮想敵)を作り、それに向かって一致団結して戦うという構図はM・Cの手法として知られています。お隣の国々などが良い事例ですね。

また敵があるということは、自分たち(学会)が被害者であるという意識を持たせ、悲劇に酔うことができますし、活動のモチベーションにも繋がります。順風満帆で何も障害がないより、立ち向かうべき「何か」があった方が活動しやすいでしょう。

そして被害者意識は選民思想にも繋がります。

被害者であるということは、正当性は自分たち(学会)にあるということです。その正しさを理解できないから「敵」であり、自分たち(学会)は正義に属する優位性を備えているということです。

正義で優位に立つからこそ、悪を打ち滅ぼさなければならない・・・という理論構築もできますね。

大きな問題は、それらは大半が無意識で行われているということです。誰もこのようなことを、真剣に考えずに一種の「空気」でそれらの考えが浸透しているということです。

「疑問を持ってはならない」。これが如何に重要なことか、創価学会の皆さまは大変よく御承知のようですね。


池田大作の品格PART2 第五章より「トインビー博士の孫娘・ポーリー女史の痛烈批判」 その5

2014-03-16 21:11:37 | 創価本の紹介
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第五章 色あせた「池田神格化」の現実 より

二,トインビー博士の孫娘・ポーリー女史の痛烈批判 その5

 〈対談集続編の発行は拒絶〉
 ―利用されたことを認める著名人も―

 私達が日本を出発するとき、池田氏の秘書が横に来て、「初版で洩(も)れた部分を、池田・トインビー会談の2冊目として出版したいが、その手助けをしてくれるか、どうか」と尋ねてきました。出版および著作権で、何か問題があったようです。
 また、一九八五年六月に池田氏がイギリスに行く予定があり、それで何らかの手助けが必要だったようです。それが何だったのかは明らかにされませんでしたが、少なくとも私達を利用しようとしていたのです。
 私達は、イギリスに戻ってから、池田氏により招待され、また彼の訪問を受けたりした何人かの人物に、電話を架けてみました。尋ねられること自体が不愉快、という明らかな反応を示した人もありましたが、何人かは、
池田氏の名声を高めるために利用されてしまったことを認めました。つまり、すべての行事が素晴らしいものであるかのように繕(つくろ)われ、写真が撮(と)られ、そっけない型どおりの会話が、あたかも非常に重要な会談であったかのごとくに取り扱われ、記事にされた、と。
 私は、祖父の著作を出版しているオックスフォード大学出版(OUP)にも問い合わせてみました。
 OUPでは、池田氏が、祖父の死後、宣伝のためにトインビー・池田対談の出版をしようと頼んできたが、最初は固く断った、と言っていました。
 その決断を貫き通せればよかったと思うのですが、池田氏はニューヨークの出版社から出版させることに成功し、OUPも、それに従わざるをえない形になってしまった、ということです。また、保存されているファイルの中には、「対談の第2冊目が出版されるかもしれない」といった内容の手紙もありました。

その6に続く・・・

先週、書き上げた記事の消失によりお休みさせて頂いた分をお届けいたします。

ポーリー女史ご家族の招待旅行は、トインビー対談本の続編発刊のためであったと。池田氏のイギリス訪問云々はちょっとよく分かりませんが、現実的な理由がここではっきりしたわけです。

それでやはり思いませんか。その目的を達するための手段としては、悪手以外の何物でもなかったのでは、と。

フツーにポーリー女史の下へ学会幹部とかが訪問して、事務的に依頼すればスマートに済んだ話だったかもしれません。

無論、続編の出版目的以外に女史が仰っているような写真を撮られ会話を重要な会談のように記事にされ、池田氏の名声を高めるという2本柱であったことは確かです。

しかしそれも、事務的な依頼の後、池田氏がイギリスに行って握手の一つでも写真に収めれば充分な結果が残せたのではないでしょうか。

少なくともポーリー女史のこういった手記はこの世に出てはこなかったでしょう。

何故に金をかけて愚かな行為を繰り返すのか。他の人らも不愉快だったというではありませんか。

学会上層部はどんだけおバカなのか?それとも池田氏の強い意向なのか?

学会員さんたちへの意識誘導、大雑把にMCと括ってもいいと思いますが、その辺の人身掌握術には大変長けているのに、著名人や学者・識者と呼ばれるような人に対しての接し方があまりにもあんまりな印象を受けるのは、私だけではないと思います。

こういった対外的な接待に関して、100%ではないにしても池田氏の半ば強制的な意向が働いていることは想像に難くありません。

そして自分より立場が下である学会員さんたちへの巧妙な対応と、いわば目上に見られるような知識人へ対しての拙劣な対応の落差。

これはそのまま池田氏のコンプレックスが反映されているのでは、と思います。

矢野氏の著書などでは繰り返し、池田氏は人の心を掴むのが上手かったと書かれてあります。けれどそれはあくまで創価学会という閉ざされた組織で上に立ちその下にいる人の心を掴むのに長けていたということであり、世間一般の対等な人間関係や信頼関係というものは、該当しないのではなかったのかと思います。

もっと言えば、盲目的な尊敬で媚び諂う人間や、恫喝や暗に脅迫めいた言動が通じ、自分を脅かすことがない・できないと思える人間にしか、池田氏は向き合うことができない極度の臆病者であると、私は思います。

さて、今回はちゃんとメモ帳に書き上げたものを保存してコピペしましたので、前回のような失敗はもうしません!

次回はポーリー女史の手記(全文)から思わず拍手喝采したい部分をピックアップしてお届けしたいと思います。(あくまで予定w)


池田大作の品格PART2 第五章より「トインビー博士の孫娘・ポーリー女史の痛烈批判」 その4

2014-03-02 22:19:39 | 創価本の紹介
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第五章 色あせた「池田神格化」の現実 より

二,トインビー博士の孫娘・ポーリー女史の痛烈批判 その4

 ②池田は権力と自己陶酔人間

 この旅行は、いったい何のためのものだったのか、それは、帰途につくまでに、すべて判明しました。
 私達は来日中、新聞やテレビのインタビューを受け、夫のピーターは国際情勢について、私は祖父について質問をされました。インタビューを受けるたびに、大衆の目には、池田氏とアーノルド・トインビーの仲が、より親密なものとして映ったと思います。池田氏は、自らをトインビーの、公けの代表的な親友であり、スポークスマンであるかのように見せるため、記事やフィルムを造らせたのです。
 私は祖父が、日本でどれだけ有名で重んぜられているのかを、まったく知りませんでした。「オーダー・オブ・ライジング・サン」で受賞してから、祖父の著書は全ての大学で必読書となっていました。

~中略~

 私の祖父は、日本を訪問した際、まったく池田氏には会っていません。祖父の昔からの日本の友人達も、祖父の最晩年の、どちらかというと漠然(ばくぜん)としたインタビューをもとに、池田氏が大袈裟に祖父の思い出を書きたて、自分のために利用していることに対し、明らかに苦々(にがにが)しく思っていました。

その5に続く・・・

ポーリー女史とそのご家族を招待した目的は、後に詳しく紹介しますが重要なもう一つがありました。

トインビー対談の続編の出版に際して必要となる遺族の了承を、ポーリー女史に働きかけるという目的です。

この豪華な接待は、まさに「接待」であったということです。

学会の話をしていると必ずと言っていいほどに出てくるのが、相手に恩を売っておいて公明党への一票を働きかけるというものがあります。親分も全く同じ発想です。親分だから当然かw

続編の出版に関してはポーリー女史側は拒否しますが、色々あって出版されてしまいます。それもまた後の記事に記します。

しかしそれと引き換えに、上記のポーリー女史の手記が英紙「ガーディアン」紙に掲載されるという経緯を辿ります。

創価学会の中だけで生きている学会員さんたちにとっては、ポーリー女史によってトインビー博士と池田氏の関係性は揺ぎ無いものであると確信を強めていることでしょう。

しかし世界的にはこのような創価学会と池田氏の実態を暴露されるという、実に愚かしい様を晒すことになったわけです。

この手記のおかげでトインビー博士の友人達などの関係者が池田氏や学会のやり方に不快感を抱いているということまで、明らかになってしまいました。学会にしてみれば、関西弁で言うと「いらんことしてもうたぁ~」てな感じでしょうかね。

池田氏本人の要望であったのかは分かりませんが、それにしてもあまりにもやり方がまずいのは素人目にも明白です。

もしも学会上層部のエリート集団wなどがまともな社会感覚を持っていれば、ポーリー女史にここまで言われることはなかったでしょう。

裏目に出た、などと言う次元の話ではなく、最初から失策であったわけです。

それともこういった接待を創価学会では常態化していたのでしょうか。豪華なもてなしで見返りを得られた有名人や識者などが、成功例としてあったのかもしれません。だから深く考えもせずに人を従わせるときには「札束で頬を叩く」というような行為に出るのかもしれませんね。

それが創価学会。イメージを裏切らないと言えば、その通りなんですけどね。