新しく左のリンク集に追加させて頂きました。
是波 道誉さんのブログです。
現役の壮年部の方であり、本部長という役職に就かれているそうです。
関西人ならではの軽快な語り口で、うんうんと頷きながら読んでしまいます。
私のような活動経験のない者には書けない、現場での体験をもとにした貴重な声を知ることができます。
みなさんも是非ご覧になってみてください。
是波さん、これからよろしくお願いします!
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私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年 価格:¥ 1,785(税込) 発売日:2009-12-22 |
以前記事にした「宗門との戦争勃発」の続きとしてお読みください。
第七章 「宗教家」として より
「半裸のレリーフ」 その1
池田氏はこれに飽き足らなくなったのだろう。庇を借りて母屋を乗っ取る。創価学会が日蓮正宗を飲み込み、傘下に位置づけてやろうと図った。
実を言うと学会が宗門に牙を剥いたのは、これが初めてのことではない。戸田先生の時代からあったことだ。戦時中、日蓮宗の合同を主張した僧侶に対し、「牧口先生の仇」と称して青年部による集団暴行を行ったりしたという。学会の宗教法人化を認めさせるために、僧侶に女性会員を近づけ、誘惑するといった裏ワザも駆使されたと言われる。そういう陰謀を知ってか知らず可、戸田氏は女性が懐妊すると、
「他人は許しても、この戸田は許しませんぞ」
と言って、ひたすら謝る僧を数珠で打ちすえたというエピソードも残っている。つまり学会は創世記からそうした威嚇と圧力を駆使して、独立を勝ち取ったわけである。出立時からしてこうなのだから、宗門と学会の間に確執が生まれるのは、言わば当然だったのかもしれない。
ただしこの点に関しては、宗門側にも驕りや気の緩みがなかったとは言えない。日蓮正宗は前述のとおり、教義に関してはきわめて厳格であることを信条としてスタートした。寺には賽銭箱も置かず、金銭的には常に困窮して「針金宗教」と揶揄されるほどだった。一切の妥協を許さないものだから、慕ってくる信者もそれほど多いとは言えず、「時を待つのみ」と孤高を保ち続けてきた。
ところがそこに、「現世利益」を唱えて次々信者を獲得する創価学会が現れた。檀家が増えればお布施も増える。参拝者も増え、大金が落ちる。総本山に参拝するときなど境内に泊まるから、宿坊の収入も膨大なものになる。学会の「現世利益」論に反対しつつも、実際に上がる収益は確かに蟲惑的だ。背に腹はかえられない。こうして徐々に寺側も毒されていったと言えよう。長年「針金宗教」に慣れてきた身にとって、初めて体験する金の魅力は麻薬のようなものだったのかもしれない。
その2に続く…
ちなみに赤字の部分、「宗門との戦争勃発 その2」で脱会者さんがコメント欄にて紹介してくださったサイトの出来事と思われます。
「暴力団・創価学会の一面 (小笠原慈聞・狸祭り事件の資料紹介)」
次に記事にアップしようと思っていた内容とリンクしていたので、とてもタイムリーでした。ありがとうございます、脱会者さん!
しかし少なくとも「平和」を掲げる宗教団体ならば、暴力は否定しましょう。言葉の暴力、脅迫や威圧的な言動もそこに含まれるでしょう。
いつの時代も目的のためには手段を選ばない。都合の悪いことを隠蔽して表面的にはキレイゴトを飾り立てる。それが創価学会の伝統的体質のように思われます。
面白いものを見つけました。
もしかしたら、アンチの方はすでにご存知の方も多いかもしれませんが、創価学会の不透明な会員数に関するデータです。
下のリンクは宗教行政を所轄する文化庁のデータより、各宗教の会員数を割り出したものです。
ここの日蓮系の項目にある「日蓮正宗」の会員数の箇所に「註4)94%減」とあります。
註4では何が書かれているかと言うと…
註4) 5年前の日蓮正宗の信者データ576万人は、創価学会員を含んでいたが、その数を差し引いたので約34万人と激減した。そのことから、逆に、信者数等のデータを公表していない創価学会の会員数は、542万人と推定される。
とあります。
このデータ、10年前のものですが創価学会の会員数ははだんだん減少していると言われています。活動家の方も、全国的に人材不足であるということはさまざまなブログで声を上げられています。
今の創価学会、公称827万世帯です。
ちょっと差が激しすぎやしませんか(汗)。
ま、あくまで「公称」と「推定」ですけどね。
前回記事の「池田大作の品格」(小多仁伯 著)にも、この会員数の隔たりは述べられています。
私が創価学会の本部組織センターに勤務していたころ、当直責任者として担当していました。
まだ、コンピューターの導入前でしたので、正月には全国から方面別に「正月勤行会参加者数」の報告を受け、当時の北條会長に集計し提出していたのです。
正月勤行会に参加する人の構成は活動者プラス記念行事にのみ参加する人たちで、この数がほぼ創価学会のA級活動家なのです。
今でも鮮明に記憶していますが、北條会長が亡くなる前年の昭和五十五年の正月勤行会参加者数は百八十万人ほどで、残りの人数を足しても二百万人を超えていませんでした。
その時の対外的公称世帯はたしか七百四十万世帯と記憶していましたので、実際の数字のと隔たりを強く認識したことがあります。
A級会員が200万人弱で文化庁データからの「推定542万人」ならば、納得できる数字ですね。幽霊会員が活動家と同じくらいいても別におかしくないので。
大きく言いたい気持ちは分かるし、そうせざるを得ない状況であるのは自業自得とはいえ間違いないでしょう。
しかし、ちょっと誇大広告がすぎやしませんかね?
上の正月の勤行会の参加者や公明党の得票数からも、公称の800万世帯以上の数字は正確とは言いがたいことが明らかです。
一事が万事、このような大げさな表現をするから、ウソで固めなくてはならなくなってしまうんでしょう。一事が万事、こうだから何かあってもまたウソだろう、大げさだろう、とされてしまうんでしょう。
正式な数字を出したくないなら、それはそれで構いませんが、あまりに大きな隔たりはその分だけ不信感も大きくなるということを知っておいたほうがいいのではないでしょうか。
「私が愛した池田大作」でも紹介した僧侶の吊るし上げ事件。
これ、どっかで読んだなーと思っていたら、「池田大作の品格」(一冊目)で書かれてありました。
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池田大作の品格―憂慮される池田Xデー後の社会的混乱 価格:¥ 1,680(税込) 発売日:2007-12 |
内容は重複しますが、コチラの方が生々しいので、も一回ご紹介します。
第三章 「池田神格化への軌跡とその虚像」 より
コラム “僧侶吊るし上げ“も池田の指示だった
山崎(正友)氏は、「池田大作は裏では日達上人にいろいろ圧力をかけていたが、表向きは信伏随従の姿を見せていました。日達上人を頭ごなしに怒鳴りつけ、それも会員達の前で、"俺の方が上なのだ"と見せつけるような振る舞いをしたのは、このときが初めてだった」と述べています。
これは昭和四十八年十月一日、正本堂落慶一周年記念行事の際に起きた事件です。
日達上人は翌年五月、「一宗の管長が公衆の面前で怒鳴られて、それで一宗の管長といえるのか。まるで暴力団が、小僧を怒ったような……」と池田の振る舞いを表現されています。
~中略~
なおまた、このような悪師・池田大作に親近する弟子達も、師匠に倣って、破和合僧の振る舞いをしました。いわゆる、"僧侶吊るし上げ"です。
事件の起こりは、昭和五十年頃より、心ある御僧侶方が、日蓮正宗の正法正義を守り貫くため、御宗門の出版物に創価学会の在り方を正す論文を掲載されました。これに対し池田大作は、怒りを顕にして「僧侶を総括せよ」と弟子達に命令したのです。
その尖兵となったのが、青年部を率いる原田稔と野崎勲でした。
私は、その恫喝現場に遭遇し、あまりの悪質さに驚嘆しました。以下はその体験記です。
その日、原田・野崎らは、日蓮正宗の御僧侶を学会本部に呼び付けたのです。
信徒が御僧侶を呼び付けること自体、不遜この上ないことですが、原田・野崎の両名は、その後僧侶に対し、挨拶も程ほどに、すぐさま、罵詈雑言を浴びせ始めたのです。私たち青年部幹部約十名は、聞き耳をたてて、隣の部屋に待機していました。
その光景は、話し合いにより意見や苦情を相手に伝える、などとは程遠く、あらん限りの大声を上げて、恫喝に次ぐ恫喝を重ねたのです。
原田・野崎の罵声は続きますが、ややあって、ひときわ甲高く
「先生に謝れ! ここで詫び状を書け!」
と執拗な連呼が始まったのです。
今日、社会問題化しているヤミ金業者の恫喝もはるかに及ばないほどの、えげつなさです。
終了後、野崎は応接間の隣で一部始終を聞いていた私たち青年部幹部に、上気した顔を引きつらせて、
「大成功であった! 先生から『私が見ているから思う存分にやれ』と言われていた。『青年部幹部に模範を示せ』との仰せのとおりできた」
と、ウソぶいたのです。
前の日達上人への恫喝も、御僧侶吊るし上げ事件も、つまるところ、池田大作の一念からの発露であることは間違いのないことなのです。
コワい宗教団体ですね~。
最近、暴力団との繋がりが、元組長の著書によって暴露されてしまった創価学会。
池田氏はかつて、若かりし頃は二代目会長の戸田城聖氏が経営する金融屋で、それこそヤミ金顔負けの取立てを行っていたとのことですから、こういうのは得意分野だったのでしょうか。
宗門も池田氏を破門する前に、どうにかできなかったものですかね。
こういう振る舞いをしてたんなら、それで充分じゃないですか。学会を解散させる理由として。
わざわざこんな横暴な団体を野に放つとは…。
(破門したから)関係ないじゃ済まされないです。この責任は宗門にとって、非常に重大であると思います。
「謎」っていうほどのものでもないのですが、私のちょとした疑問です。
最近他のアンチブログで、お守りご本尊の扱いが雑だとの指摘・嘆き・怒り・呆れをよく拝見するようになりました。
説明するまでもないでしょうが、一応「お守りご本尊」について説明すると、「携帯用ご本尊」です。
ペンダントのようにチェーンがついていて、ふたを開くと名刺サイズくらいかな?
最近では「折伏数(入会者数)」を増やすために、仏壇と違ってこの気軽に持てるお守りご本尊を、特に若い人たちに向けて乱発しているようです。
この携帯型お守りご本尊、一応受け取るには会館で「入会書」にサインしないといけないらしいのですが、その辺も乱雑になっているというお話です。
で、私の疑問ですが…。
うちにもこのお守りご本尊、あります。
母親が数年前、骨折で入院したときにお見舞いに来た婦人部の方々が「授与?」してくれたものです。
当時私はアンチではなく学会に無関心でしたので、心ここにあらずな感じで目の前の母親と婦人部のオバ様たちの会話を聞き流していたので、完全なやり取りは覚えていないのですが…
婦人部のオバ様「〇〇さん(母親)に、お守りご本尊様を授与することに決定しました~!」
母親「ええっ!いいんですか!?だって、あれって何か活躍した人しかもらえないって、ねぇ!ええぇ~、私でいいんですか~!?(大喜)」
てな感じでした。
それとどこかの会議?か何かで、地区の何人かに与える人数が決まっていて、その会議によって与えられる人が決められる…というようなことを言っていました。たぶんですが…。
つまり、ウチの母親はその会議によって選定された選ばれし授与者ということで、大喜びしていたようです。
それで入院中も信心頑張れよ!ということのようでしたが。
あー、後にこんなアンチブログを立ち上げると分かっていたら絶対メモってたのに!残念!
さて、とにかくこれが数年前です。十年は経っていない。
確かに昔は、このお守りご本尊て学会にとっての功労者しか与えられなかった、ということのようです。
今現在、公明党支援のために、つまり集票活動のためにもこのお守りご本尊が乱れ飛んでいるという話です。
無理やりお守りご本尊を渡して、「F票取ったど~!」となるようです(マジかな)??
「こういうお守りご本尊の扱いってどうなんだろう…?」という疑問の声が、古いもので十年近く前からネットであります。
母親は組織でお守りご本尊がどのような扱いを受けているのか、知らなかったんでしょうかね。
それとも地域差か、タイムラグか。
全部当てはまるかもしれませんが、特に母親の学会に対する感覚は数十年くらい遅れている気がします。
母親自身、まあ信仰は強固なのでしょうが、学会活動と呼ばれるものでアグレッシブな動きはしていないからかもしれません。座談会くらいしか出ないし、昔はその座談会も半分くらいは行ってなかったはず。
体が悪いのもありますが、腰が重いっちゅうかね。貧乏ヒマなしで働き通しだし。
だからある意味学会に対してもドリーマー(笑)でいられるのかも。
ちなみにこのお守りご本尊、五千円するらしいです。
仏壇用のデカいご本尊が三千円なのに…?
入院中の母親は、五千円払ったんだろうか?
新入会じゃないからタダだったのか…?
ふと思いついたちょっとした疑問でした。別に今更解決しなくてもいいですけどね~。