真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

私が愛した池田大作 ~目次

2010-04-25 15:53:21 | 私が愛した池田大作

矢野絢也氏の著書
「虚飾の王」との五〇年 私が愛した池田大作
をご紹介したいと思います。

私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年 私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2009-12-22

「池田大作の品格 PART2」とも並行して進めていきます。

私の感想では、この矢野氏の著書は数ある学会本の中でも今までで一番面白く、興味深いものでした。

なぜ未だに学会員さんが、池田氏を崇めているのかの心理状態が垣間見られる著書であると思います。

表紙の折り返しにこうあります。

ここに明かすのは盲目的な崇拝でも、
批判のための罵詈雑言でもない。
何十年にわたって側に仕え、
私が敬愛した池田氏の「生」の人物像である。

創価学会を語る上で絶対に外せない池田大作名誉会長。どのようにしてこの人が神格化されていったのか、推察するに役立つ一冊かと思います。

序 章
 返還された「黒い手帖」の中身
 裸の王様

第一章「カリスマ」として
 池田大作に勝る大物はいない
 嘘を平気で忘れる才能
 墓場で「俺を呼んでいる」
 究極の集団催眠術―――本部幹部会
 マインドコントロールのテクニック
 キッシンジャーを「生意気だ」と面罵
 競争させて忠誠心を煽る
 脱線こそ池田演説の真骨頂

第二章「下町のオッサン」として
 学会員一人一人と直結
 贈り物好き
 冷凍庫二台分のマグロを献上
 提出させられた「報告書」の数々
 学会職員は一斉に禁煙成功
 池田大作ミイラ化計画

第三章「兄貴分」として
 入信
 初めての出会い
 ご馳走になったカレーライス
 仕事をサボって選挙活動
 「会社がクビなら、学会もクビだ」
 竹入氏の「夜霧のブルース」
 「大阪事件」
 新会長から届いた一通の葉書
 「お前は将来、国会議員だぞ」
 スミス都へ行く
 雨の文化祭

第四章「政治指導者」として
 『黒い霧』の嵐
 「矢野をいじめたら、俺が許さん」
 弟子の「永久名簿」
 池田語録、高揚編
 栄光の五月三日
 池田語録、苦言編
 細やかな心遣い

第五章「内弁慶」として
 言論出版妨害事件の発端
 公明党、大躍進
 角栄氏からの泣きの電話
 学会、存亡の危機
 "大奥"に引きこもり
 内部の会合では超強気
 『千成瓢箪』を出しましょう
 「俺は辞める」を連呼
 絶たれた「池田総理路線」

第六章「戦略家」として
 先生は政治的天才
 創共協定の裏側
 「自民党と共産党、両方敵に回せるか」
 弱気と強気の二面性
 女性スキャンダル
 「月刊ペン」編集長を逮捕せよ
 「お前は嘘つきだ!」
 死屍累々

第七章「宗教家」として
 宗門との戦争勃発
 半裸のレリーフ
 宗教界の王者に
 しみじみと漏らした一言
 屈辱の会長辞任
 「俺は世界の池田だ」
 踏み絵
 「脱会者は地獄に落とせ」

第八章「金満家」として
 国税庁、動く
 公私混同
 「捨て金庫事件」と「ルノワール事件」
 大口献金者リスト
 連日の国税との折衝
 知りすぎた私

終 章  池田学会よ、どこへ行く
 「やはり政権に就かなくちゃ」
 非課税特権
 「ブリキの勲章」と「ノリエガ庭園」
 現場との距離が離れていく
 世間に開かれた学会に

おわりに

関連年表

この本のカバーが今までの学会本にはなく、とてもユーモラスで好きです。

2007年4月に中国温家宝首相と会談する際の、池田氏の写真だそうです。絵じゃないのに、よく色んなところで書かれている似顔絵とソックリ!

似顔絵にしやすい顔なんでしょうかね。


一周年です!

2010-04-20 21:05:15 | ブログ
早いものでこのブログも一歳の誕生日を迎えることになりました。
この一年間のブログ活動を通し、私自身の始めたばかりの頃のツライ感情の整理にもなり、コメントくださる方々とのやり取りで多くの勉強をさせて頂き、思いもかけない感動や成長を得ることができました。
この拙いブログを通して今まで関わってくれた全ての人々に、感謝申し上げます。
しかし、アンチブログなど長く続くのはいいことではありません。根源の問題そのものがなくなってくれることを祈りつつ、その日までコツコツ情報発信していきたいと思います。
これからも何卒、よろしくお願いいたします!





池田大作の品格PART2 第二章より「その淵源は『水滸会記録』にあった」その2

2010-04-18 01:26:23 | 創価本の紹介

〇「昭和三十二年の大阪の参議院議員の補欠選挙の時に、蒲田方面の何人かの人が買収事件を起こしました。……学会の方針、学会の指導に反してやることは絶対にいけませんが、大きい変毒為薬はできます。また、自分自身が人間ですから、そのときの調子によって一生懸命のあまり、どういうふうにして、踏み外したかは分かりませんが、あくまでも広宣流布のために自分はやったのだという、真心があるならば、私は、何らそれは恥ではないし、大御本尊様は大きいし、また自分自身の大きい罪を消していける、信心の上からみれば変毒為薬でもあるし、喜ばしいことであると思うのでございます。
したがって、いろいろとこれからも闘争があります。どんなことがあっても、私は広宣流布のために戦ったのだ、絶対に御本尊様をお守り申し上げるために戦ったのだ、と言い切れる名誉と確信をもった闘争を、私どもは広宣流布の日まで戦いきっていこうではありませんか」
(池田大作「蒲田四支部結成大会」昭和三十五年十二月十四日)

この池田大作指導は大変に重要なので、あえて取り上げました。何故ならば、池田が会長に就任し半年にして創価学会の組織ぐるみの選挙違反を「変毒為薬」(経文の言葉で、毒を食べてもそれがかえって薬になるという比喩)できるから大いにやりましょうと督励しているのです。ですから、ほとんどの学会員が犯罪に手を染めても、一向に「悪びれる様子がない」ことです。末端の組織では「英雄」に近い扱いをしているくらいですから、反省することはありません。かつて、共産党の宮本顕治書記長宅への「盗聴行為」で有罪になった竹岡誠治は、組織ではどんどん要職に就き、青年部最高幹部にまで抜擢されています。その竹岡が、その人脈を利用し政界にまで顔を広げていきました。やがて、四五〇万人の顧客流出に関わる"ヤフーBB恐喝事件"に中心者として社会を驚かせました。
私は、本部組織センターでいつも竹岡とは一緒でしたので、彼を大事にする池田大作や執行部が、「犯罪行為」を認識し、人材として登用していたことを良く知っています。
また、創価学会・公明党の選挙がらみ事件で、長年に亘り学会員が選挙違反を繰り返してきました。マインドコントールでロボットに等しい学会員は、戸別訪問・投票干渉・替玉投票等々、勝つ為には「何でも有り」の選挙違反者を恒常的に産み出してきました。創価学会では、先の池田大作の激励や教唆・煽動により、哀れにも選挙違反で捕まった人に"法難賞"とも言うべき名誉を与えていたと、古参の学会幹部から聞いたことがあります。昭和三十一年、池田大作が起訴された「大阪事件」が、その発端になったようです。
さらに、有名な「新宿替玉投票事件」に関わった本部職員のMは、一時、海外に身を隠しました。ほとぼりが冷めて学会本部に戻ってきた時、「Mは"法難賞"ものだ」と言い合った記憶もあります。

~後略~

この池田氏の発言に対して、多くを語る必要はないでしょう。

学会では憲法・法律よりも仏法(学会の教え)が上ですから、あくまで学会の中だけで見れば池田氏の言っていることは間違ってないのでしょう。

ただ、世間ではこのような集団・組織を「反社会的」というだけです。

あと、よく見れば「学会の方針、学会の指導に反してやることは絶対にいけませんが……喜ばしいことであると思うのでございます」と言っていることから、この事件が学会の方針であり指導であったと暴露しています。

後略の部分に書かれているんですが、そうして組織を信じ、乗せられて犯罪を犯した学会員さんが哀れでなりません。

いくら組織で一時もてはやされようと、社会から、友人、家族、親族からも見放される現実もあるのです。

社会のルールを守れないものが、社会で信用を得ることはまずありません。

ただ、それだけです。


汚い大人たち

2010-04-11 00:43:22 | 我が家の創価問題

ちょっと思い出したので昔話です。

私が子供の頃に「大人って汚いなぁ…」と思ったのは、もれなく学会員さんでした。

ある意味いい社会勉強というか、簡単に人を信用してはならないと教えてくれた、反面教師的な存在といえるでしょうが。

私が一番最初に「大人って…」と思ったのは、まだ小学校に入る前、うら若き(笑)幼稚園生の頃です。

私と弟は小さな頃、お留守番が苦手な子供でした。というのも、母親が子連れで買い物など行きたがらない人で、子供を置いて行きたいけど子供はついていきたがる…。で、子供が寝ている間や遊びに夢中になっている間に置き去りにして出て行く、ということがよくありました。

私と上の弟(下の弟はまだ生まれていない)は気付くと母親がいないわけで、ただでさえ嫌なお留守番で軽くパニクって玄関を飛び出して家の前でわんわん泣いていました(当時一戸建てに居住)。それがしょっちゅうで、今思えばいいご近所迷惑ですね…。

ある時、また気付くと母親がいなくて弟と二人、玄関前の路上で泣き倒します。そこへ小学生のお兄ちゃんが下校で通りかかりました。私たちはお互い顔を見て「アッ!」と思いました。

そのお兄ちゃんは、前日母親に連れて行かれた座談会で会ったお兄ちゃんだったからです。

この頃は母親が出席する座談会などに、弟ともどもよく連れて行かれていました。その小学生のお兄ちゃん(確か小6)も母親に連れられて来ていて、「子供同士こっちで遊んどき」みたいな感じで一緒にされたのです。

そのお兄ちゃんは私たちに近づき、「どうしたん?」と聞いてきました。私は「お母さんおれへんねん」と言うと、「ウチついといで」と言って私たちを自分の家に連れて行ってくれました。

私はお兄ちゃんの後ろについて歩く道中、とても安心したのを覚えています。なぜなら前日、このお兄ちゃんのお母さんがとても優しくて、私たちを「いい子やねー、賢いねー」と、とても褒めてくれたからです。「もしかしたらお母さんを探してくれるかも」とさえ淡い期待を抱いたほどでした(子供だからね…)。

しかし現実はそう上手くいきませんでした。

お兄ちゃんは家に着くと、まず私たちを玄関前で待たせて自分だけ家に入りました。そして暫くしてお兄ちゃんのお母さんが出てきました。

私はそのお母さんの顔を見た途端、それまでの嬉しさや安堵感が一気に引くのを感じました。それは昨日の座談会とは打って変わった、迷惑そうな、冷たい顔でした。

その人は開口一番「どこの子?」と聞きました。昨日の今日で、私は「知らないはずがないのに」とうろたえながら「〇〇(苗字)です…」と答えました。するとその人は聞こえなかったのか、「え?誰って?」と威圧的に聞き返してきます。子供だったから威圧的に見えただけかも知れませんが…。

私は再度、ハッキリと「〇〇!」と答えると、その人はあさっての方を見ながら「あぁ…〇〇さんとこの…」と言いました。私はこの瞬間、「この人は私たちを子供だと思って騙そうとしている」と悟りました。

「◇◇君(お兄ちゃんの名前)これから勉強やから、遊ばれへんの。おうち帰ってくれる?」

私は頷いて、弟と手を繋ぎまたわんわん泣きながら、お兄ちゃんに連れられて来た道をとぼとぼ帰りました。このお母さんの言っている事は全部ウソだと分かってました。

本当だったら悪いですが、◇◇君はどー見ても学校から帰ってすぐ勉強するタイプの子供ではなく、このお母さんは私たちを追い返したくて仕方なかったのが子供の目から見ても丸分かりでした。

いや、いいんです。突然顔見知りの子供が泣きながら家に来たからと言って、家に招き入れて面倒見ろとは思っていません。当時からそんなことはしてもらえると思ってませんでした。

が、ただ、前日に座談会でとっても優しくしてくれて、母親同士でとっても仲良さそうにしていたので、持ってはいけない期待を持ってしまったのです。そしてそれを、予想以上の態度で裏切られてしまったということです。

私はこの経験で、「大人は信用できない」と学びました。

どれだけ親しそうにして笑顔で接していても、知らないふりもすれば泣いている子供を追い返しもする。

そして母親と仲良しなのも、表面的な「ウソ」だと直感しました。だって本当に親しくて仲良しさんの子供なら、家に上げないまでもあんな態度取らないでしょう。

私はその後、座談会でこのお兄ちゃんのお母さんに会っても、決して近づくことはしませんでした。でもそんなことを知らない(言ってはいけないと思った)私の母親は、当然のように親しげに笑顔で会話します。

向こうのお母さんも、私のことなど目に入らないように、母親とは「親友か!」とツッコミたくなるような仲良しぶりで接します。これを見て、私はまた「大人って汚な~…」と思ったものです。

これだけだったなら、これはたまたまこの人がそういう人だった、として済ませられる話かもしれません。

しかし小学生で私は引っ越して転校し、新たな地域で出会う母親の周りの学会員さんというのが、これがまた良く似た人たちばかりだったのです。

小学生1~2年生になる頃には、逆に慣れてお留守番が得意な子供になっていました。むしろ親なんて留守の方がいい、くらいの(笑)。

ですから状況はまた違うのですが、婦人部の学会員さんに共通するのが「大人(親)がいる前」と「相手が子供だけ」の時でまったく態度が違うということです。まぁ、ウチの母親が人望のあるような人じゃないというのも手伝っているでしょう。

子供の親が一緒にいるときは、まるで褒めなくてはいけない掟でもあるかのように子供を褒めて優しく親しげに接してきます。しかし、ひとたび親の目が離れれば「この子ダレ?」みたいに冷たく態度を豹変させたり、子供だから分からないと思ってか、平然とその子供の親の悪口(軽いグチ程度ですが)を言ったりします。

当時は学会員さんと一般人とで違いがあるなどと思っていませんから、「大人」でひとくくりにして「大人って…」という風に、大変冷めた感情を育ててくれる場でした。座談会。

こうして学会のことを調べた今、思い返せば母親と親しげに接していた婦人部の方たちは、母親の顔に「学会員」というレッテルを貼って接していたのでしょう。

そのレッテルを貼っていれば、どんなにお友達になれそうにないタイプの人でも「特別優遇」してもらえるという、ありがたーい魔法のレッテル。注意書きには、「必ずしも本当のお友達にはなれません」とどこかに小さく書かれていることでしょう。

そういえば置き去りにされて泣いている私を保護してくれた人が一人いました。その人は学会とは関係のない「こわもて」のオッチャンでした(隣の空き地の管理会社の人だと思う)。

ただプレハブの事務所でテレビ観せてくれただけでしたが、このオッチャンの時は「大人って見た目じゃ分からない」と勉強させてくれたものです(笑)。


池田大作の品格PART2 第二章より「その淵源は『水滸会記録』にあった」

2010-04-04 17:43:36 | 創価本の紹介

 池田創価学会の謀略的体質のルーツは、戸田城聖(創価学会第二代会長)の遺言録といわれた「水滸会記録」にあるといいます。この「水滸会」は戸田城聖が創価学会青年部に対して、広宣流布を遂行していく為に、あらゆる分野に亘り発言したもので、後日、池田大作が加筆し修正したものです。すなわち、池田大作が都合のいいように改竄した「謀略的戦略本」の意味合いが強いのです。

〇「今日の日本では、経済界も政界でも、組織がガッチリ出来上がって、これからのびて行く余地は少ない。ところが、宗教界だけは、ちょうど戦国時代のときのような乱戦状態である。法律でしばる何ものもない。縛りを解いて虎を野に放ったようなものである。今こそ広宣流布できるチャンスだ」

 時代に遅れて登場したコンプレックスで凝り固まった暗い青年・池田大作は、宗教界を足掛かりとして天下を狙えると確信したのでしょう。それには、創価学会の会長になるのが最高の選択肢であると思考しました。池田は、宗教を表看板にして政治・経済界にまで食指を動かし、国家の最高権力者になろうと画策し、実行に移しました。後述した総体革命戦略を掲げ、学会組織を謀略組織へと変質させていきました。
 このように池田大作は、宗教の土俵を足場に、日本の最高権力者になるための手段にしていったとんでもない「虚け者(うつけもの)」なのです。

真摯な信仰者であれば「法律でしばるものがないから広宣流布のチャンスだ」とは考えないでしょう。

宗教に在るべき布教の姿ではありません。不法・違法行為の是非を考えながら布教するような宗教に誰が惹かれますか。

そして「経済界も政界ものびて行く余地がない~」って、のびる余地があればそっちがいいってことですか?

「何になりたい・何をしたいんですか?」ってツッコミどころが満載な発言ですね。