真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

残暑お見舞いと罰の話。

2018-08-14 16:42:46 | 創価学会問題

大変ご無沙汰しております。皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

ご無沙汰すぎて何を書けばいいのか分からない・・・w

私や猫らは特に変わったこともなく、元気にしております。

ついこの間、4匹中3匹が年1回のワクチンの時期だったので動物病院へ行きました。マダラ君の腎臓病が去年分かってから、ワクチンの時期に合わせて血液検査もするようにしたのですが、去年、今年に続いて特に重大な疾患もなくまたこの1年元気に過ごせるかな、といった所です。

ブログをほぼ手放してしまってから、あまり創価ネタに触れる機会もなくなってしまいまして・・・。これは間違いなく良いことなのですがw

最近感じたこととしましては、所謂「罰論」に捉われる人の感覚というのを不思議に思いました。

前々からそういった人が多いことや、何故そういった心理に陥るのかは、マインド・コントロールなどを調べる上で自分なりには理解していたつもりです。

このブログ上でもそういった心理作用について幾度となく取り上げてきました。そういう理論を知ることで、「罰論」に捉われる人が少しでも自分の心を整理できたらと思ってきましたが、実際そこから脱却するのはかなり時間を要するようです。

私からしてみたら何故創価学会の言う「罰」をそこまで恐れるのだろう?と不思議なのですが、逆に創価学会を信じているからこそ「罰」も恐れる(信じる)ことになるのだろうと思います。

しかし、創価学会の功徳・福運に見切りをつけ辞めたいと思っている人ですら、「罰が怖くてやめられない、踏ん切りがつかない」という声も珍しくありません。

「功徳・福運」を信じられなくなったのに「罰」だけは信じる。これはおかしな話です。

でもネットで意見を聞いていると頭で理解できても心がついていかない、そんな感じのように見受けられます。

逆に考えてみればもう少し心もカタがつくのかな、と思います。「罰」を与えられるほど何らかの力を持っているなら、「功徳・福運」を与えることもできるはず、と。

きっと辞めたいとまで思っている学会員さんたちは、今まで学会で得たとされる様々な功徳・福運は「何もなかった」か「手放せる程度のもの」、または失ったものの方が大きかったのだったのだと思います。あるいは大きな得難い幸福であったとしても、それが全て学会の力によるものではないと分かっているか。

では、罰も同程度の「受け入れられる程度」のものであり、大きな不幸は学会の力によるものではない、と分かるはずです。

もしこのバランスが罰に大きく傾いているものならば、本当にそんな力が在るならそんな邪悪で恐ろしい力を持つ団体と関わりたくないものですねよね。罰という手切れ金を支払ってでも縁を切るしかないでしょう。

身近なことで置き換えてみるのも分かりやすいかもしれません。

どこかに100円落としたとして「あ~あ」と思うことはあるでしょう。

けれど100円を拾えずに悔しがる人はいますか?「今日も100円拾えなかったなんて・・・!」とかw

それが千円なら?一万円なら?

金額が大きくなれば落とした時の落胆、あるいはきちんと管理していなかった自分を責める気持ちはかなり大きなものでしょう。

けれど「今日も一万円を拾えなかった!くっそ~!」と考える人がいるでしょうか。

創価学会で信仰に励んでいる人も同じで、功徳や福運に恵まれなかったといって「くっそ~!」といちいち悔しがる人はいないですよね(たぶん)。あれは活動していること自体に充実を感じている人が多いみたいですから・・・。

けれど悪いことが起きたときだけ「信心が足りない」とか「信心のお陰でこれくらいですんだ」などとなります。

お金は大事なものなので、紛失したり盗まれたりしないように軽率には扱わず、きちんと財布に入れて皆さん持ち歩いていると思います。

日々の悪いことも同じく、健康に気をつけ、人間関係が円滑になるよう気を配り、社会の一員として文化的な生活が出来るように真面目に働き、困ったことにならないように私たちは生活しています。

上述から分かるように創価学会の信仰では、功徳・福運のメリットの裏側に罰がリスクとして存在しているわけではありません。

一万円を拾えないことを悔しいともおかしいと思わず、一万円を落とすことだけ怯えている。

あるいは拾えても100円だと考えているのに、落とす時は100万円だと思っている。

罰論は随分と幸せなこととは釣り合わない、気持ちの上で損をしていることだと思います。

けれど人は得てしてそういうものでして、幸運を拾いに行くアクティブさは持ち合わせていなくても、不運を回避するためには労力を厭わないものです。

そういう人の心理に付け込まれている、ということなんでしょう。

パッと目の前が拓けるような分かりやすい喩えではなかったかも知れませんねw

そういう「一発解決!」みたいな方法はマインド・コントロール、人の心に巣食う歪には存在しません。

創価学会を辞めても尚、罰論に怯えるという人もいらっしゃるでしょう。本気で思っていなくても「つい」頭に浮かんでしまう、というような話はよく見かけます。

けれど学会で言われていたこととは全く別のものに置き換えて考えてみると、客観的に捉える事ができるかと思います。そういった小さな煩わしさからも少しでも早く解放されるように、発想の転換の一つとして試してみては如何でしょう。

とても暑い日が続きますね。災害レベルの暑さとかどんだけだよ、と思っていたのですが先日墓参りに行きましたら、そのレベルの暑さを実感できましたw

普段日中は会社に閉じこもっているので、日中の暑さをあまり実感していなかったのですよ。それでも通勤時の暑さは充分地獄だと思っていたのですがね。

皆さまも体調にはくれぐれも気をつけて、この夏を乗り切ってくださいね。


10 コメント

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人生の支障 (河童)
2018-08-15 13:23:24
押しかけ師匠のくせに
先人の格言を引用してドヤ顔で「これが仏法です」とか言われてもね……

どーもー。河童です。
盆カレーなうw

罰論ですか。
ワタシの場合は理系のせいか、「偶然はあくまでも偶然。道理に逆らえば不利益がやってくるのは必然。だからこの仏法で正しい軌道に乗るのだ」ぐらいの感覚でした。「この仏法」がエセ宗教だと分かった時から、活動すること自体が罰当たりだと思いましたね。非活化してかなり経ちますが、「罰」なんて思えることはな~んにもないです。それよりも造り笑顔の裏で素顔がどんどん暗くなっていく今も活動家の元仲間たちのことが心配です。

今日は終戦の日。
知人に戦地へ行ったおじいさんがいるんです。
反学会派だったんですが、10年前のある出来事(省きます)で入会してしまいました。
おじいさんの戦争体験は、すぐに会内でもかなりの幹部の知るところとなりました。
これまでにひとつのメディアからの連鎖で戦争体験の取材を数多く受けておられますが、学会側からの問い合わせが過去一度もなかったことや、政権与党の動きから、「平和を本気で願っている団体とは到底思えない」と脱会に至りました。

三代の会長は何れも戦地の経験がないみたいですが、他人の言葉だけで伝えるなら、ちゃんと取材しましょうね。
「戦え!勝利だ!」と、いまだに戦争ごっこはしてるみたいですが。

財務の申し込みが始まったのかな。
「広宣流布にはお金がかかる」……でしたよね。
あんなに集金しても、周りを見ても世界を見ても、ちっとも広宣流布されてる実感がないんですけど。
てことは、莫大な財務は無駄遣いなわけです。失敗の経緯をちゃんと報告しろよな。
報告したくないから「大発展してる」なんだろうけど。

会長は「財務に勝る大善も大功徳もない」と言ってます。
百歩譲って、広宣流布されて世界が平和になっているなら、それもアリでしょう。
広宣流布されたって世界は平和じゃないんだから、自分たちがガメることに功徳があるとか言わないでほしい。
財務する人たちは、「学会が正しく使ってくれている」と信じているんですよ。
「倍になって返ってくる」と本気で信じているんですよ。

経験上、活動家の苦労はノルマの数字には表れても、個人的な生活において報われたことは何ひとつないですw
安心しました。 (希望)
2018-08-22 21:31:50
 「白バラ通信パンドラの箱」の希望です。
 クロ様のブログが更新されたので、安心しました。とともに、罰論に関するご意見を興味深く拝読致しました。
 クロ様の問題意識の鋭さに、大変触発されました。私も研究してみようと思います。
 猛暑が続いております。ご自愛のほど、心よりお祈り申し上げます。
Unknown (ラッキースター)
2018-08-24 10:48:39
久しぶりの更新うれしくてコメントしてしまいました。
鋭くも、どこかほっこりした雰囲気が素敵に思っています。

私事で恐縮ですが、先日うっかり実家の母の創価らしい言動に落胆したところです‥時間と距離をおいて接するしか仕方がないと思っています。
しかしながら終戦記念日に思うのは、母のように戦時中を経験したものは、何かしら信仰を持ちたかったのも無理からぬのかな、と。‥この世代も次々とこの世を去りつつありますから、そうして学会員の学会員の被害に悩む方々が減っていけばなあ、と願っています。身内としての自分は、そうした考えになってしまい申し訳なく思っています。
先の大阪の地震、たびたびの災害に心痛むことが多く、感覚的に立ち止まってしまいがちですが、クロさんの久々のコメントに感じるものがありました。
河童さんへ (クロ)
2018-08-26 21:04:29
どうもお久しぶりです。
コメント下さりありがとうございます。

押しかけ師匠で恩の押し売りですね。
押し売りでも商品が手元にあるならまだしも、何も受け取っていないと感じている方も少なからずいるようで。
そういう方たちに「報恩」を強行に求める姿は恐喝に似たスタンスですね。

創価学会の初代、二代目会長は特に戦争反対を貫いたとして事実を捏造されていますね。
少し調べれば分かることだし、年配の学会員の方なら事実を多少なりと知っている方もいるでしょうに・・・。
使えるものは会長でも使う、ということですかね。


>広宣流布されたって世界は平和じゃないんだから、自分たちがガメることに功徳があるとか言わないでほしい。

いや、広宣流布されて困るのは創価学会ですからね。
次から何の名目で財務を煽ればいいんですか。
製薬会社が害虫が絶滅して困るのと同じ構図?かな?
だからいつまでも平和ではなく、病気や人間関係、さまざまな人生の苦しみに喘ぐ人がたくさんいてほしいと創価学会は願っているんじゃないですかね。少なくとも上の人たちは。
実際に活動家の方たちも、もし自分の周りから病気や怪我で苦しむ人がいなくなり、経済的にも裕福でいつも笑顔で幸せそうな人たちばかりになってしまうと、とても物足りなくなって、そして不安で仕方なくなってしまうのではないでしょうか。
やっきになって活動をかける対象がなくなると、本来は幸せとなるはずですがね。
私の勝手な想像ですが、そう的外れでもないと思います。
学会員の方たちは活動することが何より好きなので、周りが幸せな人ばかりだと動機を見失いそうですね。
希望さんへ (クロ)
2018-08-26 21:11:21
先のコメント、私のことをご心配くださりありがとうございます。
このように気にかけて頂いたこと、とても嬉しく思います。

罰論は人によって感じ方が違う一方、学会から離れる上で1、2を争うハードルになる重要なファクターです。
入会も脱会も自由だと謳いながら、抜けようとする者には罰の鎖できつく縛り上げる。
逆を返せばこの縛りがなければ創価学会から遠ざかることを選ぶ人はもっとたくさんいるはずだと思います。
罰論に捉われている人たちが少しでも心の整理のきっかけにしてもらえたら、と思っています。

今年は自然の驚異にさらされる日が多いですね。
四国も台風で大変だったと思います。
希望さんもお体を大事に、この夏を乗り切ってくださいね。
ラッキースターさんへ (クロ)
2018-08-26 21:29:38
はじめまして。コメントくださりありがとうございます。

私と同じく、お母様が学会員なのですね。
近しい身内が学会員であると、学会員らしい言動が目に付くことは避けられないことですよね。それを「やめろ」と言うこともできなくて。
本当にやり過ごすしかない、そんな感じです。
戦中、戦後は確かに宗教に縋るという人は多かったでしょう。
創価学会も戦後に急速に拡大しています。そこには戦後の混乱からの経済成長という時代の特徴が学会の現世利益という教義とマッチした、という背景があるわけですが・・・。
激動の世の中で、仲間と呼べる人で集まり、一つのことに皆で頑張れるという団結の輪は、確かに心の支えになったのでしょうね。
世の不幸はそれが創価学会であったということです。
そして今の時代、そうやって活動してきた方々が減ってきているのも事実で、学会内での世代交代による空気の変化も大きくなっていることと思います。
この界隈では有名な元職員3名の人らなど象徴的ですね。
その世代交代の末、創価学会がどのように変質するのか。きっと変質を決定付けるのは池田氏のXデーを含む動向なのでしょう。

今年は豪雨災害といい、思わぬ形での災害の被害が多かった印象がありますね。
自分に出来ることだけでも、備えは大事です。
誰の上にも自然の脅威は平等であると肝に銘じて、避難用品など準備しておきましょう。
まだ暑い日が続くようですので、熱中症にも気をつけていきましょうね。
Unknown (かりんとう)
2018-09-05 19:13:21
初めまして、非活婦人部かりんとうです。

沢山の発明をした大阪大学の政木和三先生(故人)は
日蓮さんの過去生の記憶があるそうです。
政木さんの講演をyoutuboで見ています。

お経はよく読んで理解して生活に活かすものだ、
神仏に唱えても意味がない。

釈迦等の生まれ変わりは、宗教の教組なんかしない。
人の役に立つことをしている。

仏教もキリストも、元は同じ、等々。

不思議な話や色々話されてます。
クロさんの趣旨に合わなければ削除してくださいね。
初めてなのに、頭おかしい話しですみません。
Unknown (けいこ)
2018-09-11 15:16:32
バチの現象、会合で学会員は聞かされてるでしょう。脱会したら、一家離散、原因不明な病気に冒されるとか。他宗派の人よりは活動しない役職なき会員、更に役職無しな活動家の会員、次に幹部は同じ罪な行動でも、バチがどんどん重くなると。修行をサボる、退会もバチと知ってて修行を怠けたり脱会など、経験や知識なく知らずにやるかやらないかの違いで、罪やバチの重さも違って来ると言います。知ってて、やる罪がより重いと言う訳でしょう。
知識としてバチの怖さを聞いてて、だから簡単にやめられないんだろうなーと思います。ガンになった脱会者の元幹部が、痛い痛い、早く痛み止めを打ってと叫び声を上げたり、学会の看護婦さんから聞きましたね。

活動家は、末期ガンでも痛みがでずに、数ヶ月か数年間寿命伸ばし、苦しまず眠るように亡くなるとは聞いてます。信心から離れ火事になり、家が焼け我が子が、焼死したなんて怖い話を聞かされたり。心は、もう未練ないけど、離れるのは怖い、気持ち的にはわかる気がします。
かりんとうさんへ (クロ)
2018-09-17 20:45:24
はじめまして。
せっかくのコメント、お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。

私は生まれ変わり、輪廻転生は「あるともないとも言えない」と思っています。
仮に自身に過去生の記憶があったとしても、それは自分しか分かりえないことなので他人に証明することができないですから、やはり自分の中だけのことになってしまうのでしょう。
個人的には、あるような気がする、という感じですが。

けれどかりんとうさんが書かれている、お経は活かすものだというのは確かどこかで目にしたことがあります。
それに釈迦やキリストも後に弟子たちが宗教として作り上げたようなもので、本人たちはまさに人の役に立てればと色々な話を周囲にしていただけのような気がします。
お釈迦様は特に、宗教の教えより社会の常識の方が大切である(他の人に迷惑をかけない)ということを話していたとあります。
それぞれの仕事や立場、その人の気持ちに沿って、その人の気持ちが楽になるような話をしていった、のではないのかなと。
であれば、生まれ変わっていたら同じように困っている人の気持ちに沿って、できることをしているでしょうね。

それ以前に、創価学会の教えや行動は、そもそも現在ある仏教の教えからはかなり逸脱しているので、引き合いに出すのも失礼な話ですが。
昔の小説にありましたが、日蓮さんが今の学会を見たら頭を抱える、といった感じでしょうね。
けいこさんへ (クロ)
2018-09-17 20:55:53
私もその「離れるのが怖い」と思ってしまう心情は理解できます。
散々脅されてきたのですからね。たとえ頭で分かっていても、心までそう簡単に割り切れない部分があるのでしょう。
けれどそれこそまさに、巧みに誘導された心理であり、すなわちマインド・コントロールと呼ばれるものです。
恐怖や不安を煽ることは、そこから逃れるために救いである学会を求める。というだけではありません。
記事に書いたように人間とは、不幸や不運を回避するためには、幸運を得るためより労力を厭わず行動するものです。
自由な思想や行動を自ら放棄しても、隷属しすべての事柄に答えを指示してくれる安心感を求めてしまうのです。
安心感を与えるという状況に持っていくためには、それぞれが持っている安心感を揺るがさなければいけません。
辞めた人が不幸になった、苦しんだ、というのはまさにその為に与えられる「不安と恐怖」です。

割り切れない気持ちは重々分かります。
それだけに、その当然の人の心理を利用して縛りつける学会のやり方には憤りを感じます。
安心感を求めるようにさせられるために不安を煽られている。そうして言葉にして理解することで気持ちの区切りがつくきっかけになればいいなと思います。