真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

話題のフェイスブック、再び

2015-07-26 21:11:58 | 創価学会問題

以前紹介させてもらった芸人・長井秀和のフェイスブックはご覧になられましたでしょうか。

「創価 コミュニティ」の方で引き続き記事がエントリーされているのですが、それが興味深いものであったので再びご紹介させてもらいます。

前回紹介した時点(2015.06.28)では学会の会則変更、本尊の取り決めに対して「教義がとっちらかっちゃってる」と疑問を呈していました。

それから長井さんは、なんと日蓮正宗のお寺に行って題目をあげてきたとか(7/15の記事)。その中で

創価学会としては、弘安2年のご本尊でなければ、どの日蓮大聖人の本尊でも受持の対象になったので。 あれこれ拝みに行けますね。
~中略~
創価学会員の方も、この会則変更中に、行っておきましょう。

と挑発的とも取れることを書いていますw

また、別のお寺で日蓮さんの真筆のご本尊を拝んできたとか。

これ、学会的に大丈夫なんですかね~?仏敵認定されません?聖教新聞や創価新報あたりで過去のスキャンダルを持ち出して叩かれたりしませんかね。

また、7/23付けの3連記事では創価学会の旭日会館相談室なる場所で相談員の方と面談したことが報告されています。

こちらの内容は創価学会・相談員の話ということで創価学会の公式見解として取れるワケで、興味深く読ませていただきました。

1本目の記事で、本尊の問題に関しては「弘安二年の本尊」はその本尊自体を認めないのではなくて単に謗法の地にあるので受持の対象としない、という答えだそう。

また「創価学会が正しい」という主張に対しても、

何故、創価が正しいか→創価学会が正しい法を広めている

何故、広めている法が正しいか→広めている創価が正しいから

というカルト宗教の常套手段である循環論法であるとして「困ったことを言っていました」と括っています。

2本目ではその本尊のコピーに際しての改ざんに対しての質問で、日蓮正宗から破門されても新規入会の人に日蓮大聖人に縁させたいので、という回答だそう。

広宣流布という崇高な目的のためには、手段を選ばずと言ったところでしょうか。 と長井さんの感想。

学会オリジナルの本尊制定もありえないことではないと、長井さんは見解を述べています。

そして3本目では日蓮正宗との決別に至った経緯についての質問がされたようです。

学会相談員の人の話では学会から何度も正宗に話し合いの場を持ちたいと丁重にお願いしていたが、一度も取り合ってもらえず一方的に破門された、との回答。

これに対してこの記事でのコメントで「時局資料館本館」というサイトが紹介されていました。これは破門に至るまでの正宗と学会のやり取り(公式文書)が順序に沿って掲載されているものでして、私もまだ全部読んだわけではありませんが興味深いものでした。

特に学会の二枚舌というか、今と同じ口が言ってんのかっていうやつですねw

興味のある方はサイトを覗いてみてください。

最初は長井さんの立場から、アンチとしては少し距離を置いて見るかな~と思っていたのですが、この行動力はさすが芸能人ですね。

学会内の不満、ちょっとした疑問を持つような方々の緩衝材になってしまうのかと思っていましたが、ここまで動いてくれるのならばちょっと応援したくなってきました。

元々そんなに長井さんのことを知らなくてウィキってみたら、無名芸人時代にあの鳥肌実とよく共演し、仲も良かったようで。そりゃ、こうなるわな。

鳥肌実って皆さんご存知ですかね。池田名誉会長や学会の批判・風刺ネタをする芸人さんで、それ故にテレビには出られない事実上ライブ専門の方です。

そうすると長井さんはたぶん、あれですね。ブレイクして池田氏と共に壇上に上がって学会員さんから拍手喝采を浴びていた頃から、今のようにドライな目で学会を見ていた可能性が高いですね。自分のモノマネをする池田氏をどんな風に思って見ていたんでしょうか。

いずれその辺りの頃の話とか出てきたら面白いなぁと思います。


聖教新聞の読者率

2015-07-19 23:15:58 | 創価学会問題

「押し紙」という言葉をご存知でしょうか。

ウィキより抜粋

新聞社は販売部数拡大と発行部数に比例して広告収入が決定されるため、広告費収入の維持・増益を目的として、しばしば「目標数○○万部」などと契約上の優越的地位を利用して過大なノルマを販売店に課すことがある。販売しなければならない新聞を販売店に押しつけている形になっているため、「押し紙」と呼ぶ者もいる。
販売店は新聞社に対して従属的な立場にあり要求を拒めば販売店契約の解除を暗にほのめかされるなど不利な状況に追い込まれるため、「押し紙」を受け入れざるを得ない。新聞社は販売店に「押し付けた」時点で利益を計上することができるが、販売店は売れ残った新聞の代金も新聞社に一方的に支払い続けなければならない。

実際には販売・配達されていないが「されたもの」として印刷を水増ししている、ということです。

そしてその販売・配達されずに廃棄される新聞の代金は販売店が負う、というものです。

3年前に発刊された「池田大作と暴力団」という書籍に、聖教新聞の実質読者率(販売部数から押し紙を差引いたもの)についての記述があります。

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PART4 池田大作亡き後の日本支配 より

『聖教新聞』の広告クライアントに大異変! ゼネコン・生保・銀行が激減。半数以上が通販広告のなぜ?
藤倉善朗 フリーライター

消えた銀行・生保・家電広告

トップの通販は広告スペースの約57%を占める。建設業は3位で8.5%、保険は7位で2.5%だ。
「『聖教新聞』で通販広告の多さが目につくようになったのは、5~6年前でしょうか。これは結局、減少した広告の穴埋めです。
~中略~
特に、創価学会の財務(寄付)の管理口座として利用されてきた現在の三菱東京UFJ銀行、施設建設で付き合いが深いゼネコン、そして保険会社の広告が目立っていました。保険会社広告を出すメリットも、通販業者と同じ。保険商品が学会員の間でクチコミで広がるからです。もともと学会人脈を生かして保険外交員をしている学会員も多いですから」

大手が敬遠する深刻な理由

 しかし同時に、『聖教新聞』ならではの事情もある。
「創価学会では、信者が一人で何部も『聖教新聞』を購読するということが行われています。これは一般紙で言う”押し紙”のようなもので、実際に紙面を手にして読む実質的な読者数は発行部数の25~30%しかいないと言われています。広告掲載企業にしてみれば、額面通りの広告効果が見込めない媒体なんです」(広告業界関係者)
 かつて『週刊新潮』が、『朝日新聞』の押し紙率を34%と報じたが、これは裏を返せば実質読者率66%ということだ。『聖教新聞』の実質読者率25~30%という数字が、いかに少ないか分かるだろう。

ウィキにあるような新聞社と販売店の関係性は、どちらも身内(学会員)で固められている聖教新聞ではどのうよなものなんでしょうね。また、ノルマ的販売部数を課せられるのが販売店ではなくて末端学会員さんたちである、という点も一般紙とは違います。

かつて聖教新聞での広告主は、創価学会を「お客様」とする企業が多くありました。それが銀行・生保・ゼネコンなどだったというわけです。

そしてその「お客様」である立場は今もって変わることはありません。財務もUFJで続いているし、箱モノも継続して建設されています。にも関わらず、広告からは手を引いているという現状なのですね。

そこには聖教新聞の実質読者率の低さが挙げられていますが、「読者率」という表現でいえば昔とそう変わっていないのではと思います。

変わってきたのは全体の発行部数ではないかと。550万部で上昇も下降もしていない、というのが公称ですがこの部数については何度もこのブログでも書いていますように、ABC協会など業界団体に属さない(発行部数のチェックをされない)イチ宗教団体出版部門の「自称」に過ぎないものであります。世帯数といっしょですね。

創価学会の活動家の方が減少傾向にあるのと同じく、学会機関紙や発刊物に関しても減少傾向にあるのは間違いないでしょう。そしてそれが一般企業、つまり外部の人間にも情報として浸透している、ということで広告が減ってきたのでしょうね。

創価学会の言うこと(発表)を信じているのは信者ばかりなり。ということです。書いて字の如く当然ですけど。

ではなぜ、創価学会は聖教新聞の発行部数をこれほどまでに水増しするのでしょうか。

販売部数は広告費に直結しますので、もちろん利益があります。100万部発行の新聞より、550万部発行の機関紙のほうが広告効果が高く広告単価が高くなるのも当然です。

また、宗教団体の機関紙という性質を考えれば、発行部数=学会の勢力という図式が成り立ち、水増しの理由にも充分でしょう。

しかしどちらかというと、前者の利益がメインであると思えます。なぜならばこれまたご存知のように、聖教新聞・公明新聞など学会機関紙は印刷を他社に委託しています。同書によれば『公明新聞』(80万部発行)で年間約16億7400万円の委託経費がかかっています。

最も多いとこで毎日新聞系の約7億2800万円です。

80万部発行の公明新聞でこれです。聖教新聞がどれだけ他のメディアにお金を落としているか恐ろしいほどですね。

これが創価学会のメディア封じの一環である、と言われています。新聞離れが進む今、創価学会は極上のお得意様なわけです。お得意様の批判的な記事は載せられない、というわけですね。

創価学会にとっての「利益」は広告費のみならず、印刷委託により発生する顧客関係にあると言えるでしょう。

コストダウンできるにも関わらず独自の印刷所を持たない理由として学会はこんなことを述べています。

「印刷を委託して代金を支払うことで、利益を社会に還元しているのです」と。

利益を還元すべき対象は社会ではなく購読者である学会員さんたちである(つまり値下げ)ことは明白です。どうしても社会に還元したいのならば、代金の数%を必要とされるところへ寄付するという方式を取る筈です。乳がんのピンクリボン運動やフェリシモ猫部のように。

マイ聖教という馬鹿げたシステムの下、その利益がどこに吸い上げられて使われているのか。

集金のために玄関に訪れる学会員さんにお金を渡す時、ふと立ち止まって考えてみてもらいたいものです。

3連休ということで少し長文になり過ぎましたね。お読み下さりありがとうございます。


女子部のお姉さんの妹

2015-07-12 21:57:44 | 我が家の創価問題

創価学会のことをブログに記すようになり、そういえばあの人は今頃どうしているんだろうな~?とたまに思い出すことがあります。

私が高校生の頃、家庭訪問に来ていた女子部の人もその一人。

あれですかね、家庭訪問に来るのって女子部の部長さんって決まっているのかな?

度々言っていますが私はまっっっったく学会のことに興味がなかったもので、家庭訪問に来る人のことも名前すら覚えていないという有様でして、ましてや役職など存じ上げるわけもなく。

まあ、その頃家庭訪問に来ていた女性がいたわけです。20代前半でしょうかね。大人しそうで、割とキレイな方だったので余計なお世話ですが「もったいないな~」と思っていました。

で、何回来てもらっても私が靡かないのは分かっているはずなのに、それでも月に2~3回くらいは来る。今ならそれ(家庭訪問)がほぼ義務化されているからと理解できますが、当時はそんな学会側の事情も知らず。

とても大人しそうな人だったので、思わず言ってしまったんですよね。

「何回誘ってもらっても(座談会や会合に)行く気はないから、来てもらっても無駄ですよ・・・」って。

毎回断るのも可哀相になるような雰囲気で申し訳ないという気持ちと、この人なら言えば引いてくれるんじゃないかという今なら甘すぎるとも思える勘違いもあってのことでした。

そうしたらその女子部の人、いつになく頑なな雰囲気になって「私、今クロさんのこと困らせてるんよね。私の妹も(信仰について)迷っててそれと同じやと思うねんけど・・・」と言い出し。

あれ?私のことちょっとでも信心してると思ってるの?と、そこで認識の食い違いに違和感を覚えました。

私が「いや、妹さんとは違うと思うんですけど・・・」と言っても何故かそのお姉さんは私を妹さんと同じとしてしか話してこなくて。妹さんは子供の頃は一緒に信心してたそうですが、中学生くらいから学会からは遠ざかるようになったとかで。

お姉さんは「困らせてごめんね」と言いつつ、こっちの言い分を理解しようとしてくれなくてなんだか「あれ?思ってた(大人しそう・言えば引く)感じと違う・・・?」と、私の方が押してはいけないスイッチを押してしまった気分になって焦ってしまいましたw

私としては生まれてこの方、創価学会に傾倒したことはなく信心も活動も拒否反応しかありません。もちろんアンチ情報を知る以前からです。ただただ、母親が学会員であるためにそのような家庭訪問があるのだとしか思っていませんでした。

玄関先でお誘いを受け、それを断る。一種のパターン化した儀式を済ませるだけ、というのが私と弟たちへの家庭訪問でした。本人たちに学会員である自覚すらないのです。

それは向こうも当然承知の上で家庭訪問に来ているのだと思っていたのですが、どうやら学会に縁した人間が信心しないことがあるなんて有り得ない、といった感じの女子部のお姉さんの反応。

こちらもこちらで、向こうの認識を完全に誤解していたようです。

お姉さんはそれからもコンスタントに、まるで何事もなかったかのようにこちらが引っ越すまで家庭訪問に来ていました。

私は内心、妹ガンバレ!と思わずにはいられませんでしたw

ふと思い出す、あのお姉さん。妹さんを含め、今頃どうされているのか。

押してはいけないスイッチを押すまでは本当にごく普通の会話のやり取りができる人だったのに、あの大人しそうでお綺麗な様子ならきっと男性にもモテたであろうに、なんとも「もったいない」と今になっても思います。

いわゆる「創価スイッチ」と呼ばれるような激しいものではありませんでしたが、本当に乗り越えられない壁を感じた出来事でした。


「対話を求めて」へGO!

2015-07-06 20:39:33 | 創価学会問題

もう皆様ご存知でしょうか?私は夕方帰ってきてから知りました。

本日、シニフィエさんのブログ「対話を求めて」200万アクセスが達成されました!(゜∇゜ノノ"☆(゜∇゜ノノ"☆(゜∇゜ノノ"☆パチパチパチ!!!

今回は初めての方も自己紹介なしでコメントを受け付けておられます。

是非皆様、お祝いコメントの投稿に駆けつけましょうヽ(゜▽゜*)乂(*゜▽゜)ノ バンザーイ♪


とある博士論文より

2015-07-05 20:56:19 | 創価学会問題

外部の人のほうがやっぱりちゃんと学会のこと分かってるよなー、と思うことありませんか。

アンチではなくとも客観的で事実をありのまま捉えている、そう思えること。

その客観的事実が創価学会にとっては認めがたい事実であることも少なくありません。ていうか、大体外から言われることと大本営発表とは相反しているのがスタンダードw

北海道大学院 櫻井研究室のサイトより、博士論文で創価学会を取り扱ったものがあったので軽くご紹介します。

龍谷大学専任講師 猪瀬氏の博士論文で「宗教集団における信仰継承と『ジェンダー』の再生産」というものです。

各章ごとの軽い説明だけなのですが、ジェンダー、つまり性差による信仰継承と離脱傾向に注目した論文のようです。

「創価学会二世信者の信仰継承に影響を与える要因として、女性信者は男性信者と比べて、親の影響、特に母親の影響が強いことや、離脱傾向は男性に顕著であるが、男女とも中学生の思春期に熱心に教団内の教育組織で活動したものはその後も活動を継続すること等が明らかになった。」
「現代社会では信仰の個人化が進む一方で、新宗教教団では、家・家族の信仰としていくことで教団の存続を図ろうとしているが、そのような組織戦略が信者の教化に成功しているかどうかが、二世信者の宗教意識から検討され、創価学会では成功していることが明らかになった。 」
「ジェンダーにより家内労働的役割が規定されている女性の社会的自己実現の機会として、また、社会的に許容された活動領域として、女性が信仰や教団活動に熱心に従事するのではないかという。創価学会とエホバの証人を支えている主婦層が抱いている宗教活動の効用から、女性の信仰活動の熱心さは説明されるというのである。」

といった感じのあらすじのようです。

エホパの証人と共に研究され、本にもされています。詳しくはこちらのサイトをご覧下さい。

信仰はどのように継承されるか ―― 創価学会にみる次世代育成 猪瀬優理 / 社会学

上記の「母親が与える影響と思春期の頃に熱心だった人が活動を継続する」というのはまさに私の母親が当てはまります。私の母親は中学生で母(私の祖母)と一緒に入信し、兄(私の伯父)の病気を治すために必死に信心したらしいです。

また、女性、特に専業主婦の方が学会にのめり込む傾向にあることも指摘されています。他に世界を持たないことから、自己実現の場として創価学会がある、ということですね。

創価学会員同士にしか友人と呼べる人がいない、という婦人部の方は多いのではないでしょうか。うちのママンも例に漏れずw

しかもその友人、ほんとに友達か?っていう人だったりもしますね。引っ越したらあっさり縁が切れたり、本人のいないところで蔑んだり。うちのママンの周囲の婦人部さんも例に漏れずw

学会員さん同士とはいえ、性格が違うのだから合う人・合わないがあって当然かと思うのですが、「学会員」というレッテルが貼ってあると是が非でも親友レベルに感じなければいけないような空気がある・・・ような気がします。うちのママンの周囲を見る限りですが。

その空気、っていうのが実に厄介で。空気だから決まりごとではないのです。ですから当然、会員それぞれの自己責任になり、会員一人ひとりがあたかも自分で選択してその状況になっている、というわけです。

そう、これがマインド・コントロールです。マインド・コントロールは空気だったのです!(←ウソw)

いや、あながちウソとも言い切れなくて、空気を演出するのはMCの手法で大きなウェイトを占めます。

このブログで昔に「ハイコンテクスト(コンテクストが高い)」という言葉をご紹介したのを覚えておられるでしょうか?これは同じ価値、背景、文化を共有しているレベルが高いという意味で、日本という社会は実に「ハイコンテクスト」であると言えます。

くだけて言うと「らしさ」であり、まさに「空気」。日本が元々高いコンテクストを有するが故に、日本人の特徴として「空気を読む」という習性が強いのです。

創価学会でいうと学会員さんたちの間で「学会(員)らしさ」がとても高いレベルで共通認識されている、というわけです。ですから、そこから逸脱することを誰に言われるでもなく、ルールに従うでもなく、おのずと回避するのです。

その「学会(員)らしさ」を演出し、浸透させるのがMCであるというワケですね~。ちゃんと繋がった!

そこを押さえて見ると、聖教新聞などはちゃんとその役目を担っていることがお分かりかと思います。

あ、しかし紹介した論文のテーマからはちょっと外れましたねw

家族間の信仰の継承によって組織の再生産を図るということが指摘されていますが、これ自体は子供の人権を無視した行為で、国が法で規制してもいいとすら思っています。

少しずつですが、成功を収めている学会でもこのスタイルは衰退しつつあるようですが。

子供の教化はカルト宗教に見られる要件の一つです。創価学会がそのような信仰の継承を自慢気に語れるのは、そんなに長くないのではないかと思います。