真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

すっぱいブドウと甘いレモン。

2017-06-25 22:03:14 | 認知的不協和の理論

創価学会の問題を語る中で、マインド・コントロール(MC)の話は度々登場するものの一つです。

その中でも「すっぱいブドウ」の話はよくたとえ話として引き出されます。

このブログでも何度かご紹介したイソップ童話ですね。キツネが木になっているブドウを採ろうと一生懸命ジャンプしますが届かず手に入れることが出来ません。そこでキツネは「ふん、あのブドウはすっぱいに決まっている!」と負け惜しみを吐き捨てる、というものです。

これは「認知的不協和」という心理のたとえ話です。

自分の信念やそれまでの行動とは矛盾する事実に相対したとき、人は強いストレスに晒されます。それを回避するため、それまで持っていた信念や行動基準を変えるか、直面した事実を否定することになります。この心理作用を認知的不協和と言います。

そして「すっぱいブドウ」と逆の心理。「甘いレモン」というものがあります。こちらは「すっぱいブドウ」に対してあまり出てきませんね。

名前で大体想像がつく内容かと思いますが、簡単に説明しますと・・・。

レモンしか手に入らないから、そのレモンは甘いのだと思い込む現象です。

「レモンしか手に入らない」という状況は、たとえば禁煙できない、ブラック企業に勤めている、自分の信仰している宗教がカルト宗教と批判される、などなどの状況でしょうか。

その反作用として喫煙者の方が健康だ、この仕事が好きなんだ、批判されるから正しい宗教なんだ、といった考えに向かうと言えますでしょうか。

この社会心理を実験した内容は、以前このブログでも紹介させていただきました。

よろしければ左のカテゴリから「認知的不協和の理論」から、その6その7に書かれてある「強制的承諾の効果」という記事をお読み下さい。

とかく人は苦労して手に入れたものほど、価値があると思い込みたいものです。

大金を出して買った美術品が、贋作の安物だとは思いたくないでしょう。鑑定書で贋作であると動かしようのない事実を突きつけられて、それでも「いや、この贋作は真作以上に素晴らしい」と言ってしまうのが甘いレモンの心理です。

信心に打ち込んで一生懸命学会活動してきた人ほど学会の不都合な真実は耳に入れられないものであり、認めざるを得ない場合「それだから(騙しているから)むしろたくさんの人が救われている」などというぶっ飛んだ反論をしてくることもあるのです。

今回紹介した認知的不協和における「すっぱいブドウ」と「甘いレモン」を分かりやすく解説している「論理的思考と議論」というサイトをリンクしておきますので、興味のある方は是非ご覧になって見てください。MCについての理解も深められると思います。(更にこのサイトにリンクされているサイトの「二重思考」も興味深い)

創価学会の活動家の方では、実は「すっぱいブドウ」よりも「甘いレモン」の心理の方が比重が大きいはず。人間、なかなか捨てられないものなのですよね・・・。どんなもの(こと)でも。

さて、今月初めからうちのニャンコ・マダラ君の病気のことを報告させて頂いていましたが、点滴通いの頻度はだいぶ延びてきて少し落ち着いてきました。

傍目にはすっかり元気で、相変わらず俊敏な動きでヤンチャな子猫のようであります。食欲もあり・・・なんですが腎臓病に特化した療法食より、お兄ちゃんが食べているphコントロールの療法食が好きで、そっちばかり横取りしようとします。好きなものを好きなだけ食べさせてあげたいものの、難しいところですね。なるべく自分のを食べるようにご飯中は背後で見守っていますw

まあ人間も同じなのですが、病気はなりたくてなるものではないので仕方ないとして、早期発見が大事になってきます。ましてや動物はその不調や変化を言葉で伝えることが出来ず、見過ごしがちです。

定期健診などを取り入れ健康第一で過ごしたいものです。皆様もどうか、普段から自分やご家族・ペットの健康をチェックして下さいね。


これが成果。

2017-02-12 21:47:52 | 認知的不協和の理論

大勝利さんのブログ「聖教新聞一面だけは読んでやる!」の2017年2月10日の記事を拝見して、私はちょっとゾッとしました。

フロリダで3ヵ国200人の青年が求道の心燃やし参加
北米・オセアニア教学研修会
池田先生が若き友にメッセージ贈る
幸福と平和の智慧を世界へ

との一面の見出し。そして大勝利さんが記事にして下さった部分が以下のものです。この内容に、私はゾッとしました。

米ニューメキシコの女子地区リーダーが、
「研修を通し、困難に直面した際に
”池田先生ならどうされるか”を
考える事が重要だと分かりました。」と言っているらしい。

何がゾッとしたかお分かりでしょうか?

「池田先生ならどうされるか」を考える、の部分です。

あぁ、これ完全なマインド・コントロール(MC)じゃないか!と。見事なMCです。お手本のように。

ニューメキシコの地区リーダーさんは、自ら理想とする池田氏をここで作り上げていきます。何か悩みや問題があったとして、その解決に完全無欠のスーパーヒーローが降臨するわけです。彼女の頭の中で。

それは彼女の妄想に過ぎないでしょうか?いいえ。彼女の中ではそれが現実の池田先生なのです。もしかしたら、妄想より本物はもっと凄い、と常に感じているかもしれません。

この思考の中では池田氏が現実にどうするか、はさほど考えられはしません。え?「池田先生ならどうするか」考えるのにさほど考えられないってどういうことかって?

「現実に」どうするかが考えられないのであって、彼女の頭の中で繰り広げられるのは「理想的に動いてくれる池田先生」です。現実より理想。「こうであってほしい」「こうであるべきだ」という理想に沿って、池田氏が動きます。あくまで彼女の頭の中では。

なので過去の池田氏の言動や、そこから推測される池田氏の性格などは重要視されません。あくまで、聖教新聞や人間革命の「山本伸一」、あるいは学会の出版物によるイメージの延長線上で、「理想的に動いてくれる池田先生」を想像し、そして想像の中の池田先生に心酔していくのです。

MCはたまに洗脳と同一視されることがあるのですが、この両者はまったくの別物です。

洗脳は書いて字のごとく、脳を洗う。一旦それまでの自我、アイデンティティを完全に崩壊させて新たな思想を植えつけることになります。ですので洗脳された人間は、それまでとは人格から全く変わってしまうことが特徴です。手法としても、薬物投与や虐待など、物理的な手段を用いることが前提とされます。

MCはこの洗脳のライトなやつ、と考えられがちですが大事なことなので二度言いますが、全くの別物です。

MCは「特定の目的を持ったある選択を、自ら選び取るように仕向ける」簡単に言うとこんな感じです。

ですのでMCされている人間は自ら選択していると思っているので、MCされている自覚はありませんし、人格や性格が変わることもありません。長期的には影響しますが。

そして洗脳がONとOFFのように施術されるのも解けるのも短期的ならば、MCはかかるのも解けるのも時間がかかります。

一つたとえ話をしましょう。

駅に行くまでにAという道とBという道があります。両方とも距離は同じ。歩きやすさ、交通量も変わりません。

そこへターゲットにAの道に関する悪い噂だけ吹き込みます。

「Aの道ではよく事故が起こる」「あの道はなんとなく陰気臭い」「Aの道でこの前痴漢が出たらしい」などなど、真偽も不明な噂を吹き込みます。そして同時にBの道の良い噂を口にします。

「Bの道はきれいね」「Bの道でこの前100円拾った」「Bの道では向かい風に遭わない」などなど、どうでもいいようなネタでもポジティブなものにします。

ターゲットは別段気にしていなくても、ある日Aの道を通ったときに何か悪いことが起こるとこの噂話を思い出します。Bの道で何事もなく通れると「やっぱりBだから無事だったのか」などと思い始めたりもします。そしてAの道で躓いて怪我でもしようものなら決定的です。

ターゲットは誰にも「Bの道を通れ」と命令されてはいません。「Aの道を通るな」とも。

しかしBの道を意識的に選び続け、何かの理由でAを通るときには「何事もありませんように」と願い、今まで気にもしなかったようなことが目に付いて「Aの道はやっぱりダメだ」と自ら噂話を補完していきます。

自らAの道のダメなところを探して考え始めます。自らBの道の良いところを探して考え始めます。

何故か。

それは一度でもAを悪いと思い、Bを選んだ自らの選択を正当化するためでもあり、その(思考に費やした)労力を無価値にしないためにです。誰でも自分の選択を否定されるのは気分のいいものではありません。自分が間違っていたとしても。

その正誤があやふやなものであるのならばその心理は更に強く働くでしょう。だから宗教ではMCされやすいのです。

ましてや労力や時間(創価で言えば活動であり、信仰についての思考)を費やしたならばなかなか切って捨てることはできません。正当化するほうに注力してしまうものなのです。人間の当然の心理として。

これが「認知的不協和」の心理であり、「すっぱいブドウ」の話と言えばお分かりの方も多いと思います。

ニューメキシコの地区リーダーさんは、ことある毎に「理想的な池田先生」を想像してそれを自らの指針とすることでしょう。この「理想的な池田先生」は勿論想像上の人物ですから、人によって様々です。その人一人ひとりにとって都合のいい、理想の姿が展開されます。

あの元職員3名の頭の中で、彼らを鼓舞する崇高な「師匠」もその中の一つと言えましょう。彼らの「師匠」とニューメキシコ地区リーダーの「池田先生」は必ずしも同じ言動をするとは限らないのです。面白いことに。

そして誰しもがその理想像を押し付けられたわけではないのです。自ら選び取った思考なのです。

元職員3名にとっては都合のいい師匠利用となっていますが、一般会員の多くにとっては未だ聖教新聞は重要なMCツールであることに違いはありません。

メキシコの地区リーダーさんに倣い、我も我もと理想の池田先生像を構築していくことでしょう。

「先生ならきっとこうしたはずだ」と。それは全知であり全能であり、その上をも行くことができる「凡人の考えの及ぶところではない」という魔法でもあるのです。

ここ最近の大勝利さんのブログから見る聖教一面で一番ゾッとしたお話でした。


マインドコントロールとは何か より「認知的不協和の理論」その8

2015-06-21 16:39:23 | 認知的不協和の理論
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第5章 「人間が変わること」の理解のための社会心理学研究 より

強制的承諾の効果(3)

マインドコントロールとは何か より「認知的不協和の理論」その8

そうした厳しい行動がいつしかエスカレートし、残虐な行動をするようにとなかば強制されたときにも、この効果が生じ、その人のもつ良心を侵食することも可能である。そして暴力的攻撃や反社会的行動といった、良心に反する行動を正当化しようとする自己説得が、個人の内面でおこなわれるかもしれない。
 たとえば、ユダヤ人の大虐殺を実行したナチの将校は、「私は命令に従っただけであり、最初は良くないこととも思ったが、何人も処刑するうちに慣れていった」と答えている。ナチのように大集会に参加し、鉄十字のマークの付いたユニフォームを着て、手を挙げて「ハイル・ヒトラー」と強制的にも叫ばせることは、まだ熱狂するには至っていない人びとにとって、その行動と賛成していない感情とのあいだに深い認知的不協和を生じさせることになるだろう。その結果、不協和を解消しようとして、思想や感情において少しずつ変化が起こり、その行動を正当化するようになるのである。
 だから、ある組織が、集団の外部からみると奇妙で風変わりなことをやっている場合も、集団の結束をはかるためには、かえってそのような奇妙なことが必要であるという側面があるのだ。この原理を応用実践してなのか、カルト・マインド・コントロールでは、まだ充分な納得ができていない新参メンバーにこそ、行動の実践を重視する傾向にある。

ここで聖教新聞社発行の「新会員の友のために」という新入会員のための冊子から、一文を紹介したいと思います。

「とにかく、忙しくても工夫して時間をつくって学会活動に参加していくことが、自身の成長につながっていきます」

ですって!

学会活動=自身の成長、って言い切っちゃっていますよ。それを決めるのは学会でも名誉会長でも日蓮さんでもありません。

自分の成長にならないと思ったら、それが正解です。

逆に学会活動でしか成長を得られないと思っている方々にとっては、それが正解でしょう。他人に迷惑をかけないならお好きにどうぞ、と言いたいところですが・・・学会の存続自体が日本社会の迷惑なのでねぇ・・・。

たった一口の財務でも、毎月1部聖教新聞だろうと、1票の清き公明票でさえ、社会悪に加担しているという自覚が善良な学会員さんには皆無ですからね。それが厄介なトコロです。

オルタナティブ派と呼ばれる、過激な活動を良く思わない学会員さんたちがどれだけこの創価学会を支えていることか。

そしてこの最大層と思われるオルタナティブ派の人らこそ、ネットをあまり見ない情報弱者の層です。

メールだけがデジタルツールの主婦層とか。

でもそういった人たちは、今後少なくなることはあっても増えることはありません。

テレビや新聞といった一方的に与えられる情報のみで判断している人と、自分で情報を探しにいく人とでは、その差は歴然としています。自分がそうだったからよく分かります。

「知らない」ということを「知る」のは大きな一歩なのです。

私は学会アンチになる前からネットは活用していましたが「創価学会」と検索してみたことはありませんでした。無関心でしたから。

少なからず学会に関心のある人にとってはこの一線は大きい。

ですからね、学会にはまず熱心な活動家さんたちのブログを読むことを推奨してほしいと思うのです。ネットは見るな!っていう方針はさすがに時代に逆行しまくりで無理があるでしょう。

活動家さんたちのブログでは、アンチブログの批判や嘲笑でアンチブログの強烈な宣伝をしていることが少なくありません。

入り口はどっちでもいいのです。

自分から情報を探し、その真偽を検証していくことが重要なのですから。思考停止から脱却せねば、自分が納得しているのかどうかさえ気づかないままです。

あるいはブログを運営中の活動家の皆さんは、積極的にリアルの学会仲間に自分のブログを宣伝してほしいですね。そういう人少なそう。

それで組織に身バレしたらブログ辞めさせられちゃったりしそうですけどw


マインドコントロールとは何か より「認知的不協和の理論」その7

2015-06-14 23:21:59 | 認知的不協和の理論
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第5章 「人間が変わること」の理解のための社会心理学研究 より

強制的承諾の効果(2)

マインドコントロールとは何か より「認知的不協和の理論」その7

 この実験の状況をイメージさせる状況が、破壊的カルトへの入会の過程のなかでみられる。アロンソンとミルズは、認知的不協和理論におけるこのような強制的承諾の効果を、集団への魅力の研究の中で実証する実験を行っている。それは、厳しい入会儀式(イニシエーション)と集団への魅力との関係をみる研究であった。実験の被験者は女子大学生六三人であり、性の心理に関する討議集団へ参加してほしい、ということで集められた人びとであった。

とここで恒例、実験内容の簡単説明です。

女子大生に「今まで継続して討議してきたメンバーが辞めて欠員が出たため、代理として討議に加わってほしい」と説明。

いざ討議に参加する段になって「(性に関する討議は)やっぱり無理」となられては困るので、事前に参加できるか判断する「困惑テスト」を実施。

その「困惑テスト」の条件を厳しい(卑猥程度が大きい)グループ、容易な(性を関連できる程度)グループとに分けてテストをし、参加の可否を問う。

テスト後に実際討議に参加してもらい(討議自体は同じ内容)、その討議の内容や他のメンバーに対する魅力を聞くアンケートを取る。

 この実験結果は、厳しい入会条件を課したグループが集団の魅力を高く評価する、という仮説通りのものであった。つまり、集団のメンバーになるためにより不愉快な入会の経験をした人たちは、その集団を魅力のないつまらない集団と認知すれば、認知的不協和を増大させることになるから、かえって、集団への魅力を高めることによって不協和を低減したというのであった。
 この実験結果からわかることとして、たとえば集団への魅力を獲得しようとすれば、個人がその集団に参加しようとしていくとき、厳しい入会儀式を課せばよい。その結果、個人の認知的不協和が増大し、それを解消するためにかってに集団への魅力を高める。すなわち、入会儀式が厳しかったという認知と協和関係にあるのは、それなりに価値の高い、魅力的な集団であるという認知をもつことになるのである。
 破壊的カルトにおいて、「修行」「伝道活動」「募金」「訪問販売」なと、その入会儀式や集団内部での生活は非常に厳しいものが多い。しかし、この理論から予測できるように、「厳しい入会儀式」は、彼らの組織に対する魅力をそこねるどころか、かえっていっそう魅力を高めてしまう効果をもつのである。

・・・続く

ここに、かつて学会に批判的だった、アンチだったという方たちが、熱心な活動家となってしまっている一つの要因が見て取れますね。

「昔はアンチであった」という経験は厳しい入会のハードルに相当します。当然ですよね。元から好意的であったという人よりハードルが高いのは誰にも理解できることでしょう。

ですから自身のその認知が強固であればあるほど、不協和の解消に努める=学会への評価が高くなる、ということになるのではないでしょうか。

これは現在の学会員さんでたとえかつてアンチでなかったとしても、学会の社会的な評価がイマイチであると気づいている方にも当てはまるのではないかと思います。

社会的にイマイチな評価の組織に属するということは、それ自体が「厳しい入会儀式」を経ていることに相当するでしょう。ですから学会の魅力を高め、周りの不理解であると自身を納得させなくてはならない、ということになるのではないでしょうか。

またそういった逆境に酔うが如く、外部には不条理とも思える選挙活動や寄付に邁進する姿もこういった心理作用が働いているのかな、というのは誰もが想像してしまうことでしょうしね。

ところで話は変わりますが皆さん、こんなものをご存知ですか?

「それぞれの血液型が自分の性格を詠う『血液型の詩』が的確すぎて面白い!」(Spotlight)

私は基本的に血液型診断、血液型占いみたいなものは信じていないのですが(何故なら家族全員が同じ血液型だから!同類とは認めん!)、これはちょっとフレーズがおもしろかったw

全部当てはまるというわけではないのですが、他の血液型の特徴に比べたら当てはまるものが多くてちょっと信じてしまいそうになったりw

さあ、ここでクイズです。私の血液型は何型でしょう?難易度高いかな~?つっても4択ですしねw

答えは来週です。当たっても何も出ませんがw

それから更新記事のトップに「はじめに」の記事を表示させることにしました。以前もこの形式でしたね。

やっぱり元に戻しますので、これからもこの形式でよろしくお願いいたします。


マインドコントロールとは何か より「認知的不協和の理論」その6

2015-06-07 22:06:18 | 認知的不協和の理論
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 第5章 「人間が変わること」の理解のための社会心理学研究 より

強制的承諾の効果(1)

マインドコントロールとは何か より「認知的不協和の理論」その6

 つぎに強制的承諾について説明しよう。強制承諾状況というのは、要するに当人の納得がいかないような状況でも、とにかく行動において承諾させてしまったという場合をさしている。この強制承諾の状況で、認知的不協和理論を実証する実験的な研究を一つ紹介しよう。
 それは、フェスティンガーとカールスミスがおこなった「不十分な正当化による自己説得効果」の実験である。彼らの考えた仮説は、人は、自分がおこなった行動に対して、なぜそうしたかについて十分に正当化できる理由をもてないとき、認知的不協和を経験するであろうというものであった。そして、人はひとたびおこなってしまった行動そのものを取り消すことができないので、自分がおこなった行動に対する認知を変える
ことで、その不協和を解消するだろう、というものであった。

・・・続く

この後に記される実験はまたそのままだと分かりにくいので、簡単に説明いたしますと・・・。

男子大学生にある実験と称して退屈で単調な作業をしてもらい、その後「助手が足りない」と言って次の実験の被験者である女子大学生たちに今した自分の作業を説明してもらう。
その時に「この作業はとても楽しいものである」と女子学生には説明し、もし退屈な作業だと言われても反論してください、と要請する。
その際、男子学生には助手の礼として1ドルの報酬、20ドルの報酬、無報酬というように分けられた。
そして最後に男子学生たちにそれぞれ自分に与えられた課題が「おもしろいものであった」~「つまらないものであった」と段階的に評価してもらう。
その結果、報酬が少ないグループの方が課題を「非常におもしろかった」と高評価し、20ドルのグループは「とてもつまらなかった」と評価した。
この結果はつまり、異性を前につまらない作業をおもしろいと説明するのは自分の本当の評価と矛盾することになるので、不協和を感じるのであるが、わずかな報酬では自分に課せられた行動を正当化できない。
なので自分の認知(つまらない作業だったという認識)の方を変えて自己説得し、認知的不協和の解消をしたということになる。

以上が実験の内容と結果です。

人間の心理って基本的に天邪鬼っていうか、ツンデレっていうかw

上の説明で分かりますかね。前にも同様の実験を紹介したことがありますが有名な心理学の実験なんでしょうね。

低報酬で退屈な作業をさせた方が「意味のある仕事だった」と思い、高報酬で退屈な仕事をさせると正直に「つまらない作業だった」と評価するという。

報酬が安い上につまらんことで時間取らせやがって、この上作業自体に意味がないなど認められん!てなところでしょうか。

ちなみにこの話は続きまして、破壊的カルトで起こる認知的不協和での例を説明していますが、それは次回ということで。

まあでも、察すること余りありますよね。

自分の状況を見たとき、本来の価値観とは大きくかけ離れたものを感じても、行動してしまったこと(過去)を取り消すことができないので価値観の方を状況に合わせていく・・・。

外から見れば「何でそんな(嫌そうな)ことをするんだろう?」と不思議に思うことが多々あろうと、ひとたび行動を起こしてしまった人たちにとってみれば自分の中に生まれた矛盾を解消するために「良いことだ」と思い込んでいってしまう、というものなのですね。

マインド・コントロールは脱却するのが至難といわれますが、自分を正当化しないという方向に進むことが必要とされますから当然のことかもしれませんね。

矛盾を矛盾として捉えたまま悩みながらも抱えていた人たちが、後に脱会したり非活になったりとされていることが多いです。

自分の正直な気持ちを見捨てずにいるということが、大事なことなんですね。

関西では梅雨入りし、雨が降ってちょっと肌寒くなったりと気温の変化の激しい季節になってきました。

こういう時に体調を崩しやすいものですので、梅雨入りした地域の方も、まだの地域の方も風邪などひかないようお気をつけくださいね~。