「乱脈経理」のことを書こうかと思ったんですが、一から書いていると大変膨大な量になりアレなんで…。
きっかけとなる「捨て金庫事件」のあらましを「乱脈経理」からまずご紹介。
知っている人は知っている、「基礎知識編」としてご覧ください。
-創価学会基礎知識・その3- 「捨て金庫事件」
【事件の概要について】
一九八九年に六月三〇日に神奈川県横浜市旭区のゴミ処分場に捨てられていた古金庫から現金一億七〇〇〇万円が見つかった事件。
この時点で持ち主は不明。
金庫の中の札束は全部旧一万円札。
中には「官封券」という大蔵省造幣局の封緘印付きの帯封がされた市中に出回ったことのない新札も含まれていた。
これは各銀行から特別の顧客にまとめて渡される特殊な紙幣。
翌七月一日に、この金庫は学会関連企業の「日本図書輸送」から回収されたものであることが分かった。
ちなみにこの「日本図書輸送」、池田氏の移動に際し身の回りの大量の荷物を運ぶ企業でもある。
さらに当時の社長は矢野元公明党委員長の手帖を持ち去った公明党OBの大川清幸氏。
七月三日夜、池田氏の側近であり"創価学会の金庫番"と言われていた中西治雄元聖教新聞社専務理事(当時創価学会総務)と日本図書輸送の大川社長と共に緊急記者会見。
「金は私(中西氏)のもの。昭和四六年(一九七一年)ころから三年間、総本山大石寺で個人的に開いた土産物店で金杯などを売って儲けて脱税した金だ。聖教新聞社地下倉庫に置いたまま忘れていた」と話す。
中西氏は池田氏や学会の金ではないかとの質問に明確に否定するも、中西氏個人の金だと証明するものは「処分して、ない」と答える。
七月三日、秋谷氏は学会員向けに「事件は中西氏個人の問題。学会は無関係」と会長通達を出す。
聖教新聞では七月四日に秋谷会長(当時)の談話を掲載。金庫も中身も中西氏個人のものとし、学会との関わりを否定。
七月六日の産経新聞には、中西氏は一九八二年に自宅を担保に極度額三五〇万円の根抵当権を設定し借金しているとし、「自分の大金の存在を忘れて借金までするとは考えにくく、同氏の説明に対する疑問は更に深まった」と書いている。
警察による捜査は続くが進展はなく、だが金庫のお金も返金されないままの状態が続く。
【舞台裏での学会について】
矢野氏の耳には金庫発見翌日には、懇意にしていた警察庁幹部から電話で「捨て金庫は学会関連。学会に中西という幹部がいるか」との話が入る。
第一庶務と秋谷氏にそのことを電話で伝えると、既に事情を全て承知していた。
池田氏の代弁者である長谷川重夫副会長(第一庶務室長)は最初、秋谷氏に「第三者を立てる。中西の名前は出すな」と言う。
これは中西氏が池田氏の執事役、影のような存在であり、両者を切り離して考える者は学会本部の中にはおらず、池田氏を守るためには中西氏の名は出すべきではないとの考えから。
暫く後、池田氏は学会に叛旗を翻した山崎氏らと同列視して、中西氏と公明党を罵る。これを聞いて「捨て金庫事件と池田先生は無関係だったのだ」と学会員は喜んだという。
山崎氏の後任である学会の顧問弁護士八尋副会長は「財務に悲鳴が出るので、できればお盆前決着がよい。秋谷さんと相談してまた依頼する」と矢野氏に話している。
学会本部の幹部職員、公明党幹部などは金庫の金は学会のもの、池田氏の裏金という見方が強かった。
【帯封の問題について】
金庫の中の札束には、未使用の官封券が一〇〇〇万円分も含まれていた。
中西氏の説明では表に出せない金で銀行預金しなかったとあるが、そこになぜ官封券が含まれているのか。
他にも別々の銀行の帯封付き札束もあった。
土産物を売って稼いだにしては額が大きく(当時の価値にして五億円)、どこで大蔵省造幣局の封緘付き官封券に化けたのかあまりにも不自然。
官封券は学会ルートで手に入れたのだろう、中西氏個人が学会に内緒で稼いだお金ならば学会ルートでそういう交換はできないはずだ。
…などと噂された。
七月二日には秋谷氏から矢野氏に「捨てた金の帯封の明細がわかる方法はないか」と問い合わせがあり、札束の帯封を意識していた。
中西氏が商売で稼いだ金ならば帯封の問題は発生しない。この金の素性に学会中枢も疑惑を持っていたと言える。
この札束の帯封については明確な答えは出ていない。
だが矢野氏は、銀行にとって大口預金者である創価学会は大事な取引先。相手が大事な大口顧客だからこそ銀行は貴重な官封券を渡し、それが何かの手違いで金庫に眠ったまま捨てられたのではないか、とし、金庫の金は創価学会のものとの見方が自然としている。
【金丸副総裁について】
八月二八日、藤井都議が矢野氏に電話。警視庁が慎重で国会でもこの問題で質問が出ているからと。
八尋氏からも「よろしく頼む」との電話が入り、矢野氏はとっておきの手として自民党金丸信副総理に面談。
この事件の協力を要請。金丸氏は快く了承。
翌日矢野氏への電話で
「金庫は中西のものと一応ハッキリしているらしいが、中のお金は、今の状況から中西のものと裏付ける資料がいまひとつ不足している。いま、(中西氏にお金を)お返しすると、マスコミから"何を理由に(落とし主が中西氏だと)断定したか"と詮索されるとやはり弱い。(発見後)六ヶ月経っても誰も俺のものだと手を挙げないときは、中身の金もだいたい推量で中西のものだと言える。そこまで波風立てないように待ちたい。ここだけの話だが、学会筋から"金は学会のもの。もし中西が自分のものだというと業務上横領の疑いがある(告訴するから)業務上横領での捜査をしろ"と警察に強く言ってきていて警察が困っている。それが裏にある事情だ。マスコミの話題になってしまう(と困る)ので持て余している」
と応じている。
【お金の返金と退会について】
一〇月一六日、中西氏に金庫のお金が返金される。中西氏は世間を騒がせたとして記者会見で陳謝。
拾得者の廃棄物会社に報労金として二六〇〇万円を支払い、一億一〇〇〇万円を日本赤十字社に寄付。
現金の性格についてはそれまで通り「学会に無断で儲けた金」と説明。
これに先立ち創価学会は一〇月一四日付で中西氏の退会届を受理。聖教新聞社の嘱託も懲戒免職となる。
曖昧さは残るまま、事件は幕を閉じる。
ちなみに今年二〇一一年七月、中西氏は学会と対立する日蓮正宗に入講する。
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以上が「乱脈経理」より拾った事件のあらましです。
今まで単に「学会の人が間違って裏金を金庫ごと捨てたら発見されちゃった事件」と思っていましたが、詳しく知ると何だかとんでもない。(詳しく知らなくてもとんでもないが…)
これともう一つ世に出ていない事件がきっかけとなり、国税に目をつけられ学会の税務調査に踏み込まれるわけです。
もう一つの事件はまた次回!