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真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

今更ながら・・・

2017-04-16 22:52:59 | 創価学会基礎知識

基本中の基本である学会用語「人間革命」。「師弟不二」と双璧を成すくらい有名な用語ですね。

細かい説明はいらないと思いますが、まあ人格とか境涯とかが革命的に変化・向上する、というイメージですかね。

なので学会員さんで人間的にアレな方は「まだ人間革命の途中だから・・・」というような使われ方をします。

そして「人間革命」を成した人は未だ存在しません。いたら教えて欲しいです。池田名誉会長ですら、成し遂げたということにはなっていないはずです。・・・これは死後とか来世で成就するものじゃないですよね?

で、今更ながらの基礎知識。

学会では「人間革命」という単語は二代目会長の戸田氏が作った、かのように言われています。そう思っている学会員さんは多数いらっしゃるはずです。

しかし知っている方はアンチには多くいらっしゃるかと思いますが、それは誤りです。良いほうに解釈すれば学会の意図的な誤解の放置、普通に考えれば積極的な誤解の流布、平たく言えばパクリ、ですかね。

「人間革命」とは元々は東大元総長の南原繁氏が昭和22年、東大の卒業式で使ったのが始まりです。この頃の流行語のような感じだったそうで、戸田氏はその言葉に惹かれたのか、ともかく自分も使う(小説のタイトルにする)ようになったのです。

南原氏は勿論学会員ではありません。キリスト教信者だとか。

この頃の学会は今ほど他宗教との融和を考えていませんから、もし最初から広くキリスト教信者の言葉・考えだと知られていれば今のような形で学会の中心的な教義になってはいなかったのではないでしょうか。

今創価学会で独占されているような現状は、南原氏にも、創価学会にとっても、互いに不愉快で不名誉なことだと思いますがいかがでしょう。

たぶん学会員さんの反応としては「パクリではない、たまたま同じ単語だっただけだ」とか、「戸田先生が南原氏に教えたのを先に向こうが発表しただけ」とか思うのかも?

「人間革命」という教義(?)はそもそも日蓮さんとは何ら関係がない、ということは学会員さんも承知のことでしょう。創価学会オリジナルという認識かと思います。現代に合わせた教義的な。

そのオリジナルがこの有様ですから・・・。いかにも学会らしいというか、一事が万事、と思うのはやはりアンチ側だけなんですかねぇ。


言論出版妨害事件

2014-11-02 23:18:03 | 創価学会基礎知識

-創価学会基礎知識・その19- 「言論出版妨害事件」

【事件の発端】
1969年(昭和44年)、政治評論家の藤原弘達氏が創価学会・公明党を批判した著書『創価学会を斬る』という本の出版を計画。電車の中吊り広告に小さな宣伝が載ると、学会から妨害・抗議がなされることになる。
矢野氏の著書によれば表面化した『創価学会を斬る』以前にも、学会や公明党を批判する出版物に対して、作者や出版社、書店にまで妨害工作を行っていた実績があったとのこと。

【事件の概要】
広告が出た同年8月、作者及び出版社に学会は抗議をすると同時に、池田氏から直接の命を受けた公明党幹部であり東京都議の藤原行正氏や、当時の聖教新聞社主幹であった秋谷栄之助氏が直接弘達氏の自宅を訪ねて出版の差し止めを求めるも「言論妨害」として拒否される。
そのため次に竹入氏に指示が及び、当時の自民党幹事長田中角栄氏に事態の収拾を依頼、しかしこれに弘達氏が応じることはなかった。
この後竹入氏、矢野氏、田中角栄氏が料亭で弘達氏を説得。
その条件として「初版分は出版してもいい。その大半を買い取るので、新たな増刷はしないと確約してほしい。その代わり、非常にうまみの大きい仕事をこちらから回す」という内容が呈示されるも、会談は物別れに終る。

同年11月6日に『創価学会を斬る』は刊行される。
この時点で学会による妨害工作は雑誌などで取り上げられていた。
それが話題になり100万部を超えるベストセラーに。
当時学会批判をタブーとしていたマスコミだが、日本共産党議員がNHKの討論会で出版妨害の事実を告発。しかし学会・公明党は「事実無根」として全面否定する。
しかし共産党の告発をきっかけに、1969~1970年国会でも取り上げられ、出版妨害の組織的行為、公明党幹部の働きかけ、弘達氏以外の被害者の発覚など問題は広がりを見せる。
そして事は宗教団体・創価学会と政党・公明党の「政教分離」の関係まで論じられるようになり、池田氏(当時会長)の証人喚問を要請する声も挙がる。
宗教法人の非課税問題、信徒団体への独立した宗教法人認可など、創価学会の存亡に関わりかねない所まで問題追求がなされることとなる。

このような社会的批判、政治的追求に晒され、池田氏は1970年(昭和45年)5月3日の創価学会本部総会(会長就任10周年)で、
「『正しく理解してほしい』という極めて単純な動機から発したものであり個人の熱情からの交渉であった」「言論妨害というような陰湿な意図は全くなかった」と弁明しつつ、「結果として関係者をはじめ国民の皆さんに多大のご迷惑をおかけしたことを率直にお詫び申し上げるものであります」と謝罪。
同時にそれまで公明党の最終目標であった『国立戒壇』(国会の議決で日蓮正宗の戒壇を作る)を撤回し、学会と公明党を制度上、分離することなどを公約した。
この池田氏の声明発表で、事態は一応の収束を見ることになる。
政教分離を明言したため竹入氏、矢野氏は創価学会本部の総務という役職を離れることになった。

【行われた妨害工作】
藤原弘達氏の著作『創価学会を斬る』に関しての妨害工作には以下のようものがあった。

藤原弘達氏と出版元の「日新報道」社に抗議や脅迫の電話や手紙等が多数寄せられる。
藤原弘達氏への手紙や電話等による嫌がらせや脅迫が始まる。
藤原弘達氏の妻によれば、「段ボール箱に3箱以上も投書が来たり、警察が子どもに警備をつけなくてはならないほど脅迫が相次いだ」という。
公明党議員による出版中止や内容変更の要請。
出版前の原稿の開示を要求。様々な甘言で出版中止を依頼するも、拒否される。
妨害は本の印刷所にまで及ぶ。極秘に印刷、製本しようとするも、どこかの段階で学会員の目に触れることになり妨害に晒されることに。
出版されるも、全国の書店、取次店に抗議や脅迫の電話、手紙が相次ぐ。学会員が一般の人に買われない様にと、大量に買い占めて売り切れにするような工作もされる。
言論・表現の自由の侵害だけでなく、出版物の流通過程にまで干渉することが初めて問題化される。

【池田氏の発言】
2001年9月19日付の『産経新聞』でのインタビュー記事で池田氏は「許せなかったのは、学会婦人部に対して、口を極めて侮辱したことだ」「政治評論家として名を売っている人(藤原弘達)が、真剣に宗教を持っている人をそこまで誹謗するのは許せなかった」「信仰心は純粋なものだ。純粋であればあるほど、侮辱のつくり話などに反発し、怒るのは当然だろう」などと述べているが、ジャーナリストの段勲は『創価学会を斬る』に創価学会の婦人部を侮辱した箇所はないと述べている。

2005年10月に出版された池田氏の自伝的著作『新・人間革命』にて事件について
「衆院選前に、藤沢達造(藤原弘達の仮名)の本とともに、学会の批判本が次々と出されたのだ。暗黒の嵐が吹き荒れ、伸一(池田氏の仮名)を倒さんとする、攻撃の毒矢が放たれたのであった」
「あくまでも要請を伝えたにすぎず、その言い方も丁重であり、妨害の意図など全くなかった。だが、出版前に接触したということ自体が問題にされたのだ。ということは、事実と異なる屈辱的なことを書きたい放題書かれ、名誉や人格が傷つけられることがわかっていても、事前には、なんの対応もできないことになる。おかしな話ではある。だが、事前に接触したことが攻撃の口実にされ、言論を抑圧したかのような誤解を社会に与えてしまったのだ。社会性のうえから、慎重に配慮し、より適切な対応をすべきではなかったか」などと述べていることから、謝罪会見での反省は表面上のものであったことが窺える。
池田氏の元側近で創価学会の教学部長を務めていた原島嵩は、池田氏から批判本を書いた者に対して「仇を打て」と言われたと語っている。

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「言論出版妨害事件」(ウィキペディア)

というわけで、前回記事からの流れでかの有名な「言論出版妨害事件」に触れてみました。

詳しくはウィキのページをご覧下さい。これでもかと載っていますw

この事件をきっかけにして、池田総理路線から池田法王路線に変更になったわけです。

創価問題に少しでも興味のある方ならば知らない人はいないであろう有名な事件ですが、何分昔のことですので今の若い方たちはよく知らない方もいらっしゃるかもしれません。

また、時間の経過と共に学会の著作物では事件の改竄が行われ、学会による妨害はなかった、事件自体が学会を攻撃するための意図的なもの、など客観的とは言い難いストーリーが浸透しつつあります。教育って大事w

これまた有名な話ですが、『創価学会を斬る』の著者である藤原弘達氏がお亡くなりになったときには、葬儀に祝電がダンボールに山のように届き、「おめでとうございます」という電話もひっきりなしにかかってきたとか。

池田氏の謝罪や反省の弁が表面的なタテマエであったことの証左に、共産党委員長の宮本氏宅への盗聴事件、携帯電話通話記録窃盗事件は言論出版妨害事件の後に起きています。

これが宗教団体のすることか。・・・と言いつつ、創価学会らしいと言えばらしい。

特に「新・人間革命」などの学会メディアで昔のことを改竄していく辺りが、いかにも。

この事に限らずですが、創価学会って反省はしたくない主義ですよね。

そのツケがちゃんと回ってきていますから、それでいいのかもしれませんが。


商標登録問題

2012-02-12 15:26:32 | 創価学会基礎知識

以前にも記事やコメントにて触れましたが、もう初期の頃の記事ですので創価学会の商標登録事件について今一度ご紹介です。

題目商標登録問題はまだしも、「日蓮世界宗」の正式名称はまだそれほど知れ渡っていないようです。

創価学会(池田名誉会長)が「南無妙法蓮華経」というお題目を商標登録に出願したことは、ここに訪れてくださっている方々は既にご存知のことと思いますが、今一度お付き合いください。

-創価学会基礎知識・その4- 「お題目商標登録問題」

【問題の概要について】(Wikipedia 「商標問題」より)

「南無妙法蓮華経」のお題目を創価学会が商標登録しようとした事件。1962年と1972年の2回あったといわれる。
通常、お題目は日蓮宗各派および新宗教教団に共通するもので、どこの登録商標ではないはずであり、信仰の対象である題目が「商標」として認められるかどうかといった問題も指摘されるが、1度目は創価学会は池田大作会長名義で出願、また2度目は池田大作を代表名義として出願するもいずれも拒絶された。
1回目の際は「題目の悪用を防止するために商標を出願した」と創価学会側では説明。
2回目は立正佼成会等が中心となり「信教の自由を踏みにじる池田氏の暴挙」として異議申立があり、この異議申立が認められ題目の商標登録は取り消された。
なお1993年に創価学会は「日蓮世界宗」という名称を商標登録している。

【出願詳細について】

1962(昭和37)年9月に、縦書きの「南無妙法蓮華経」の商標登録(第十七項-被服・布製身回品)を出願。
10年後の1972(昭和47)年1月には、続いて横書きの「南無妙法蓮華経」の商標登録を行っている。
1991(平成3)年12月25日 「日蓮世界宗創価学会」を出願。平成5年3月31日認可。「日蓮世界宗」の名称も同時に出願。

この出願した1991年というのは創価学会が破門された年。破門された直後、出願申請している。

これにより創価学会は正式名称「日蓮世界宗創価学会」となったことに。

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以前「池田大作の品格PART2」の記事でも紹介しましたので、そちらもご覧ください。

池田大作の品格PART2 第二章より「あきれた御題目の商標登録」(真実と幻想と創価学会)

また創価学会は、これら以外にも大量の出願、登録を行っており、その数は200件以上にも登っているようです。

そういうところが宗教っぽくないんですよねー。神経疑うというか。

悪用されたら困るから商標登録するとよく言っていますが、そこがそもそも仏教の理念から外れている気がします。

悪用する人たちをも包む気持ちがなければいけないのではないでしょうか。正当性が自分達にあると思っているならそれでいいのではないでしょうか。

もちろん一般論ではないですよ。宗教団体にだから言っていることです。

そういえば今回ふと思ったのですが、「日蓮世界宗」というのは前々から考えていた名称だったのでしょうか?それともいよいよ破門されて急遽考え出したものなのでしょうか。

センスが問われると感じたのは私だけではないですよね、きっと…。


捨て金庫事件

2011-11-06 17:25:48 | 創価学会基礎知識

「乱脈経理」のことを書こうかと思ったんですが、一から書いていると大変膨大な量になりアレなんで…。

きっかけとなる「捨て金庫事件」のあらましを「乱脈経理」からまずご紹介。

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知っている人は知っている、「基礎知識編」としてご覧ください。

-創価学会基礎知識・その3- 「捨て金庫事件」

【事件の概要について】

一九八九年に六月三〇日に神奈川県横浜市旭区のゴミ処分場に捨てられていた古金庫から現金一億七〇〇〇万円が見つかった事件。

この時点で持ち主は不明。

金庫の中の札束は全部旧一万円札。

中には「官封券」という大蔵省造幣局の封緘印付きの帯封がされた市中に出回ったことのない新札も含まれていた。

これは各銀行から特別の顧客にまとめて渡される特殊な紙幣。

翌七月一日に、この金庫は学会関連企業の「日本図書輸送」から回収されたものであることが分かった。

ちなみにこの「日本図書輸送」、池田氏の移動に際し身の回りの大量の荷物を運ぶ企業でもある。

さらに当時の社長は矢野元公明党委員長の手帖を持ち去った公明党OBの大川清幸氏。

七月三日夜、池田氏の側近であり"創価学会の金庫番"と言われていた中西治雄元聖教新聞社専務理事(当時創価学会総務)と日本図書輸送の大川社長と共に緊急記者会見。

「金は私(中西氏)のもの。昭和四六年(一九七一年)ころから三年間、総本山大石寺で個人的に開いた土産物店で金杯などを売って儲けて脱税した金だ。聖教新聞社地下倉庫に置いたまま忘れていた」と話す。

中西氏は池田氏や学会の金ではないかとの質問に明確に否定するも、中西氏個人の金だと証明するものは「処分して、ない」と答える。

七月三日、秋谷氏は学会員向けに「事件は中西氏個人の問題。学会は無関係」と会長通達を出す。

聖教新聞では七月四日に秋谷会長(当時)の談話を掲載。金庫も中身も中西氏個人のものとし、学会との関わりを否定。

七月六日の産経新聞には、中西氏は一九八二年に自宅を担保に極度額三五〇万円の根抵当権を設定し借金しているとし、「自分の大金の存在を忘れて借金までするとは考えにくく、同氏の説明に対する疑問は更に深まった」と書いている。

警察による捜査は続くが進展はなく、だが金庫のお金も返金されないままの状態が続く。

【舞台裏での学会について】

矢野氏の耳には金庫発見翌日には、懇意にしていた警察庁幹部から電話で「捨て金庫は学会関連。学会に中西という幹部がいるか」との話が入る。

第一庶務と秋谷氏にそのことを電話で伝えると、既に事情を全て承知していた。

池田氏の代弁者である長谷川重夫副会長(第一庶務室長)は最初、秋谷氏に「第三者を立てる。中西の名前は出すな」と言う。

これは中西氏が池田氏の執事役、影のような存在であり、両者を切り離して考える者は学会本部の中にはおらず、池田氏を守るためには中西氏の名は出すべきではないとの考えから。

暫く後、池田氏は学会に叛旗を翻した山崎氏らと同列視して、中西氏と公明党を罵る。これを聞いて「捨て金庫事件と池田先生は無関係だったのだ」と学会員は喜んだという。

山崎氏の後任である学会の顧問弁護士八尋副会長は「財務に悲鳴が出るので、できればお盆前決着がよい。秋谷さんと相談してまた依頼する」と矢野氏に話している。

学会本部の幹部職員、公明党幹部などは金庫の金は学会のもの、池田氏の裏金という見方が強かった。

【帯封の問題について】

金庫の中の札束には、未使用の官封券が一〇〇〇万円分も含まれていた。

中西氏の説明では表に出せない金で銀行預金しなかったとあるが、そこになぜ官封券が含まれているのか。

他にも別々の銀行の帯封付き札束もあった。

土産物を売って稼いだにしては額が大きく(当時の価値にして五億円)、どこで大蔵省造幣局の封緘付き官封券に化けたのかあまりにも不自然。

官封券は学会ルートで手に入れたのだろう、中西氏個人が学会に内緒で稼いだお金ならば学会ルートでそういう交換はできないはずだ。

…などと噂された。

七月二日には秋谷氏から矢野氏に「捨てた金の帯封の明細がわかる方法はないか」と問い合わせがあり、札束の帯封を意識していた。

中西氏が商売で稼いだ金ならば帯封の問題は発生しない。この金の素性に学会中枢も疑惑を持っていたと言える。

この札束の帯封については明確な答えは出ていない。

だが矢野氏は、銀行にとって大口預金者である創価学会は大事な取引先。相手が大事な大口顧客だからこそ銀行は貴重な官封券を渡し、それが何かの手違いで金庫に眠ったまま捨てられたのではないか、とし、金庫の金は創価学会のものとの見方が自然としている。

【金丸副総裁について】

八月二八日、藤井都議が矢野氏に電話。警視庁が慎重で国会でもこの問題で質問が出ているからと。

八尋氏からも「よろしく頼む」との電話が入り、矢野氏はとっておきの手として自民党金丸信副総理に面談。

この事件の協力を要請。金丸氏は快く了承。

翌日矢野氏への電話で

「金庫は中西のものと一応ハッキリしているらしいが、中のお金は、今の状況から中西のものと裏付ける資料がいまひとつ不足している。いま、(中西氏にお金を)お返しすると、マスコミから"何を理由に(落とし主が中西氏だと)断定したか"と詮索されるとやはり弱い。(発見後)六ヶ月経っても誰も俺のものだと手を挙げないときは、中身の金もだいたい推量で中西のものだと言える。そこまで波風立てないように待ちたい。ここだけの話だが、学会筋から"金は学会のもの。もし中西が自分のものだというと業務上横領の疑いがある(告訴するから)業務上横領での捜査をしろ"と警察に強く言ってきていて警察が困っている。それが裏にある事情だ。マスコミの話題になってしまう(と困る)ので持て余している」

と応じている。

【お金の返金と退会について】

一〇月一六日、中西氏に金庫のお金が返金される。中西氏は世間を騒がせたとして記者会見で陳謝。

拾得者の廃棄物会社に報労金として二六〇〇万円を支払い、一億一〇〇〇万円を日本赤十字社に寄付。

現金の性格についてはそれまで通り「学会に無断で儲けた金」と説明。

これに先立ち創価学会は一〇月一四日付で中西氏の退会届を受理。聖教新聞社の嘱託も懲戒免職となる。

曖昧さは残るまま、事件は幕を閉じる。

ちなみに今年二〇一一年七月、中西氏は学会と対立する日蓮正宗に入講する。

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以上が「乱脈経理」より拾った事件のあらましです。

今まで単に「学会の人が間違って裏金を金庫ごと捨てたら発見されちゃった事件」と思っていましたが、詳しく知ると何だかとんでもない。(詳しく知らなくてもとんでもないが…)

これともう一つ世に出ていない事件がきっかけとなり、国税に目をつけられ学会の税務調査に踏み込まれるわけです。

もう一つの事件はまた次回!


創価学園・創価大学

2011-09-12 01:02:17 | 創価学会基礎知識

「その1」よりかなりの期間が空いてしまいましたが、お久しぶりの創価学会基礎知識編です。

今回は前回までの記事に何度か登場した創価学会の学校について、情報を載せてみたいと思います。

尚、Wikipedia及び学園・大学のHPからの情報が主となっております。

-創価学会基礎知識・その2- 「創価学園・創価大学」

【創価学園について】

学校法人創価学園。創立者は池田大作創価学会名誉会長。

東京に東京創価小学校、創価中学校・高等学校が設置されている。

他に関西創価小学校、関西創価中学校・高等学校、札幌創価幼稚園が存在する。

開校された順番でいうと…

1968年創価中学校・高等学校(当時は男子校で82年から男女共学)
1973年創価女子中学校・高等学校(82年に男女共学。それに伴い関西創価中学校・高等学校に改称)
1976年札幌創価幼稚園
1978年東京創価小学校
1982年関西創価小学校

理事長は長谷川重夫氏(創価大学常任顧問、創価学会副理事長、中部最高参与)
副理事長は池田尊弘氏(主事)

副理事長の尊弘氏は名誉会長の三男です。脱線ですがこの方の肩書きも多い。

創価学会副男子部長、創価学会副青年部長、創価学会副総合青年部長を歴任。創価学会副会長に就任。創価学会副総東京長、創価学会関西方面副方面長、関西21世紀交響楽団顧問、創友会運営委員などを兼務…とあります。

教育方針は「健康な英才主義 人間性豊かな実力主義」

創価学園の五原則として
一、生命の尊厳
一、人格の尊重
一、友情の深さ・一生涯の友情
一、暴力の否定
一、知的・知性的人生たれ!

また創立者が開校にあたって以下のモットーを掲げています。

一. 真理を求め、価値を創造する、英知と情熱の人たれ
二. 決して人に迷惑をかけず、自分の行動は自分で責任をとる
三. 人には親切に、礼儀正しく、暴力を否定し、信頼と協調を重んずる
四. 自分の信条を堂々と述べ、正義のためには勇気をもって実行する
五. 進取の気性に富み、栄光ある日本の指導者、世界の指導者に育て

この辺は生温い笑みで聞いておきましょう。どの口が言うか!との思いは胸にしまいつつw

さて、他に海外姉妹校として香港・シンガポール・マレーシアに創価幼稚園が。ブラジル創価学園と、何故か韓国の幼稚園だけ名称が「幸福幼稚園」となっています。実現党の幼稚園と間違われそうですね。

矢野氏の著書にあった「栄光祭」は創価中・高等学校の学校行事。他に文化祭に相当する「情熱の日」と、創立記念日である「英知の日」があり、学園生の三大行事と呼ばれています(関西学園も同様)。

東京キャンパス 学園の生活・三大行事

【創価大学について】

学校法人創価大学。創立者は学園と同じく池田大作創価学会名誉会長。

創価大学(1971年設立)と創価女子短期大学(1985年設立)がある。

ちなみに女子短期大学は創価大学と同じ敷地内にある。

創価女子短期大学では2012年度より新入生全員に「iPad」が配布されるそうです。

理事長は田代康則氏。大学学長は山本英夫氏。創短女学長は石井秀明氏。

系列校にアメリカ創価大学がある。

創価大学建学の精神は…

人間教育の最高学府たれ
新しき大文化建設の揺籃たれ
人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ

創価女子短期大学建学の指針は…

知性と福徳ゆたかな女性
自己の信条をもち人間共和をめざす女性
社会性と国際性に富む女性

となっております。生温い笑みで見守りましょう。

【オフィシャルサイトについて】

創価学園オフィシャルサイト

創価大学ホームページ(キャッチコピーは「自分力の発見」)

創価女子短期大学ホームページ

上記のオフィシャルサイトには創立者のことがコレでもか!と沢山書かれています。「創立者池田大作先生に贈られた世界からの名誉学術称号」というカテゴリが全てに設置されています。

初めてこちらのサイトに訪問した際、ある違和感に襲われます。

創価の学校はいずれも池田氏が創立者ですが、この創立者を上記のように「池田先生」と称して紹介しているんですね。

これは以前蛍さんのブログ「実事求是」でも指摘されていましたが、知っていても実際にサイトを訪問すると違和感が拭えません。

有名人が創立者である他大学はどうだろう?と、真っ先に思いついた諭吉さんの大学のホームページを閲覧してみると、やはり呼び捨てでありました。

また他の宗教団体の学校はどうか、と花火と高校野球で有名なパーフェクトでリバティな学園の公式サイトへ行きますと、創立者ではなく教団が母体となって開校とあり、「〇〇教主」と紹介されているだけでした。

それ以前に、いずれも創立者がこんなに前に出ていません。

ちなみに有名でもなんでもない私の出身大学でも同様でした。

同組織に所属する人間を紹介する場合、どのような役職であろうと呼び捨てにするのが一般的であるかと思いますが、きっと池田氏を呼び捨てにすると福運が逃げてしまうと思われているのかもしれません。

【カルトとしての創価学会=池田大作】

カルトとしての創価学会=池田大作 カルトとしての創価学会=池田大作
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2000-11

前回記事で紹介しました教職員組合からの公開質問状

一、無資格の教員が教科を担当している
二、必須科目の授業を行っていない
三、創価学会の宗教行事のため、授業日数が圧迫されている
四、池田氏によって運営が左右され、ことにその意を代表する校長の独裁が行われ、理事会や職員会議が全く無視されている
五、教員は、労働基準法に全く違反した過酷な勤務条件を強いられ、創価学会の宗教行事を強制される。私生活も学校内の行動も、すべて創価学会の組織に監視される
六、入学試験において、信仰の差別が行われ、また、経済状態によって差別が行われている

などの内容が載っています古川利明氏の著書、『カルトとしての創価学会=池田大作』。

第1章「創価学園、創価大学」
第2章「SGI」
第3章「世界桂冠詩人」
第4章「創価学会と日蓮正宗、抗争の迷路」
第5章「カルトとしての創価学会」

私はまだ読んだことがないのですが、いずれ目を通したい一冊です。

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今回も知っている人、興味のない人にはどうでもいい基礎知識編でしたが、つらつらと書き連ねてしまいました。

最後までお付き合いくださった方、ありがとうございます。

創価大学-Wikipedia

創価女子短期大学-Wikipedia

学校法人創価学園-Wikipedia