マインド・コントロールとは何か 価格:¥ 1,427(税込) 発売日:1995-08 |
第5章 「人間が変わること」の理解のための社会心理学研究 より
不協和の低減の仕方・2
マインドコントロールとは何か より「認知的不協和の理論」その4
そして第三の仕方が、新しい認知要素を付加するというものである。このやり方についても、例をあげてみよう。ある人が、タバコを吸うことが健康を害するということに関連するある認知と、自分がタバコを吸いつづけているという行動に関する認知とのあいだに不協和が起こった場合、人は不協和を低減させるような新しい情報を積極的に探し求め、それと同時に、既存の不協和を増大させるような新しい情報を回避しようとする。その結果、タバコが健康に有害であるという見解に批判的な情報を探しだすことによって、不協和を低減するのである。
~中略~
破壊的カルトは、この第三の理屈でもって、予言が外れたり、約束反故の事態になったときの急場をのりきることが多い。たとえば、「われわれの祈りが神に通じた」あるいは、「自分たちメンバーの努力が足りないところに約束反故の原因がある」などの説明を新たに付加するのである。
第三の理屈、ズバリ「信心が足りない」という常套句が当てはまりますね。
常套句、ですよねぇ・・・。
うちの母親の口からも聞いたことがありますよ。この台詞。
私からしたら「信心が足りない」ということの因果関係を見せてみろ、というところなのですが。
あるいは「信心で何もかも上手く行ったら苦労せんわ!」とかね。
私などがそう言ってみてもバリ活さんからしたら、信心してもみないでいい加減なことばかり言うなって感じかもしれませんね。
でもたとえ何十年に及ぶバリ活経験がある方がそういうこと言ったって、その時は「信心があったから今まで守られてたのにウンタラカンタラ・・・」とか「途中で辞めたら今まで積んだ福運を消してしまうからホニャラララ・・・」とか、結局認めない。
「信心が足りない」。では「足りる・足りない」のボーダーラインは誰が決めるのか。
信心している本人以外に決められる人はいません。(信心の効果の有無は置いといて)
でも本人が自分で「ああ、失敗したのは信心が足りなかったからだ」と言っていると思うでしょう。自発的にそう考えてより信心に精を出すものだと。
では、学会の中で、他の学会員さんに向かって「(あなたの)信心が足りなかったのだ」と言ったことがない、他の人がそう言われているのを聞いたことがない、という人が果たしているでしょうか。
そしてその雰囲気の中で、学会の都合の良いように「信心が足りないから」と自発的に解釈することが否定的に感じられることはあり得ません。
学会の巧妙なところは、決して明言しないことです。匂わせ、空気を醸成し、あたかもそれが正しいと思わせるところにあります。
何故明言しないか?責任を取らないためです。
学会の報告書の確認印を押す欄には空白の欄が一番上に一つあります。それは池田氏が確認したという空白の印であり、池田氏に責任が及ばないようにするための「無印」なのです。
責任を取らないということにおいて、このトップに勝てる人はそうそういないことでしょう。
その体質が組織全体にも蔓延していたとして、何の不思議がありましょうか。
※リンク追加のお知らせ※
学会3世のしゅうえいさんが綴る「普通の日々って素晴らしい」というブログをリンクに追加させて頂きました。
白ゆり長になり疑問が噴出し、非活への道を歩むまでの様子やお母様との学会を挟んでのやり取りなど、ご自身の言葉で綴っておられます。
こういった元活動家の方のブログはとても説得力があり、現在学会に在籍しながらも疑問をお持ちの学会員さんたちにとってはとても貴重な情報であると思います。
どうぞ皆様もご覧になってみてくださいね。