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真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

私が愛した池田大作 より「弟子の『永久名簿』」 その2

2014-10-26 14:28:20 | 私が愛した池田大作
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第四章 「政治指導者」として より

弟子の「永久名簿」 その2

  ただこの「永久名簿」、我々を縛る脅威として次第に厄介な存在になっていった。何か池田氏の気に食わないことをしでかすと、
「名簿に『この者、背き了んぬ』と書くぞ」
 というのが最大の脅し文句になってしまったのだ。「こいつは師に背いた」というわけで、名簿に赤線が引かれる。これでその者は地獄行きだ。言われた弟子は慌てて地にひれ伏し、必死で許しを請うたものである。思えばあれほど畳に頭をこすりつけ、平謝りに謝る人間の姿というものを、学会以外で目にした覚えはない。

 ~中略~

  話を戻すと、その年の三月一六日には、公明党創立者として、池田氏が国会の公明党控え室に現れた。事前に連絡があり、二五人の議員全員が緊張してお迎えした。氏が国会に来たのは後にも先にも、このときだけだったと記憶している。竹入委員長は低い声ながら厳粛な口調で、
「次は総理としてお迎えいたします」
 と言った。池田氏も「うん」とうなずいていた。そのやりとりを見て、我々は決意を固めたものだ。

 後略~

 はい、というわけでお引越しが完了しまして、最初の記事を更新しました。

 まだまだ見慣れないとは思いますが、今まで通りぬるい感じで進めていきますのでよろしくお願いします。

 前回の記事で「浅い永久名簿」と書きましたが、お分かりいただけたでしょうか。全然永久じゃないじゃん!とツッコミますよね、誰しも。

 この名簿からの除名が弟子とされた人たちにとっては堪えがたい恐怖であり不名誉なことであったようですが、私からすれば「好きにすれば」って感じです。ほんと、価値観の違いって凄いですよねw

 そして最大の見せ場。「総理としてお迎えいたします」!!

 これ言われたとき、池田氏はさぞ気分が良かったことでしょうな~。王様気分というか、自分の部下(弟子)が国会議員にまでなり、それらがうやうやしく傅いてくれて。

 やめることができなくなるのも、理解できないわけではないかもしれません。教祖っていう職業は。

 それにしてもその場にいた人たちは、どこまで本気だったのでしょうね。池田氏自身も、どれだけ本気にしていたでしょうか。いずれ必ずそうなると、本当に思っていたんでしょうかね。

 自分で選挙を戦って当選した議員でもなく、政治家としての努力もなく、祀り上げてもらって総理の椅子に座れるものだと。

 日本の総理大臣ナメとんのか。

 自惚れとか野心とか、何だかそういうことでは説明がつかない気がします。

 そんで総理になって何がしたかったんでしょうね。創価学会の表看板を掲げつつ、裏でやっていることをそのまま国家スケールでやりたかったんでしょうか。

 名誉称号をアホほど貰う総理大臣なんて嫌ですけどね。いち日本国民として。

 まあ今回、創価学会の自他共に認めるトップである池田名誉会長でさえも「祈りて叶わざることなし」にはなりませんでしたっていう実証?となったお話ということでしょうか。


私が愛した池田大作 より「弟子の『永久名簿』」 その1

2014-10-19 23:30:11 | 私が愛した池田大作
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第四章 「政治指導者」として より

弟子の「永久名簿」 その1

 公明党ができてまだ三年。これからどうなるか先がまったく見えない。海のものとも山のものとも分からない段階である。だから池田氏も、何かと党を気遣っているようだった。

~中略~

 あるときなどいきなり、
「映画を見に行こう」
 と誘われた。二月二八日。まだ創価大学を作る準備をしていた時期のことである。大学の建設計画申請を八王子市に出したのが、この年の五月八日。その準備のために、審議会を開いて終った後だったと記憶している。
 新宿の映画館で、見たのは『アルジェの戦い』だった。フランスからの独立を目指す、アルジェリアの抵抗運動を描いた作品である。これを見ようと指定したのも池田氏だった。池田氏と秘書、私と何人かでブラブラ見に行ったと記憶している。当時はそのように、池田氏を囲んで数人で映画に行けるような、気楽な感じだったのだ。今ではとうてい考えられないことである。

~中略~

 映画を見終わった後は、学会本部近くの学会系のレストラン『博文』で一緒に食事した。その場の流れで一緒に食事するなど、これまた今ではありえない光景だろう。
 この前日には「永久名簿」が作られている。池田氏の認めた忠実な弟子だけの名前が連ねられた弟子帖、弟子名簿である。
 これはもともと法華経にあるもので、「授記」と言って許可を与えることを意味する。お釈迦様が「お前は何々菩薩」「お前は何々如来」というように、五〇〇人の弟子に仏の尊号を授けたという話に由来している。

その2に続く・・・

池田氏とブラブラ映画なんて、今の若い学会員さんたちが聞いたら卒倒しそうなくらい羨ましがるんじゃないでしょうかw

池田教池田教ってよく言われて実際その通りなんですけど、池田教の信者が信奉しているのは実は「山本伸一」ではないかと思ったりもするんですが、山本教だと何のこっちゃ分からない感じがするのは私だけでしょうか(。・w・。 ) ププッ

話を戻しまして、弟子の永久名簿。浅い「永久」ですな。

次に書きますが、この名簿はいつでも池田氏の気分一つで削除できる仕組みだそうで、一種の脅しに使われるようになるらしいです。

今でもこの名簿は効力を発揮しているんでしょうかね。ていうか五百人、当時の公明党議員は全員載ったらしいですが、他は誰の名が記載されているんでしょう。これは私が知らないだけで公にされているのかな?

矢野氏の記述では、弟子が望んで名を載せてもらったのではなく、池田氏の独断と偏見で勝手に弟子に選ばれたようです。まあ、端から見ればいい迷惑ですが当時の選ばれし弟子たちはとても有難がっていたようですね。

そうして池田氏への忠誠心をより高められたと、そういうことのようです。

前回記事へのコメントに河童さんが書いてくださったのですが、聖教新聞にて「弟子の生命は永遠に若い」っていう長編詩が掲載されたそうです。

この中で池田氏は自分が師匠であることを前提として「弟子とは如何なるものか」みたいな姿勢を説いているわけなのですが、自分で言うなよ!っていうツッコミはもう今更な感じがしまして新鮮味が欠けますねw

しかし今まで、明らかに池田氏自身がそう望んでストーリーを描いていることはバレバレなんですが、あくまで弟子の側から師匠と求められてっていうスタンスでした。

そしてここに来て遂に(自ら師匠と)言っちゃったなって感じだったのですが、実は昭和40年代から既に「自称・師匠」やってたんですね。自称・師匠・・・語呂が悪いですがw

師匠とは弟子が決めるもので、自ら師匠を名乗るような制度のものではありません。

女房が押しかけてくるのとはワケが違うんですから、押しかけ師匠なんて恥を知れ!って感じですね。

これ書くのも3回目ですが、自分で自分のことを師匠と言っちゃうような人間、その場でオカシイと思わなきゃオカシイでしょ。矢野さんだけじゃないけど、その場で気づけ、その場で!


私が愛した池田大作 より「池田語録、苦言編」 その2

2014-10-12 22:15:20 | 私が愛した池田大作
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第四章 「政治指導者」として より

池田語録、苦言編 その2

 政治関係の苦言ばかりではない。折伏を積極的に奨励する言葉も多い。とにかくあちこちで座談会を開いて新参者を集め、学会に勧誘せよ、というわけだ。この当時、こうした地域の座談会に、副会長クラスが積極的に指導に行くよう指示された。学会幹部どころか、公明党議員までも折伏にこれ努めよということだ。

~中略~

 たしかに、我々としても国会で威張っているほうが楽だ。そうするとすかさず、そのあたりの心理を読んで池田氏からお小言が飛んでくる。
「座談会は戦いだ」
「対話ではない。文句ではない(文言がどうかは問題ではない)。切れ味が大切だ」
「(なのに最近のお前らは)強引さがなくなった」
「大幹部になるほど折伏が下手だ。特に総務が一番下手だ」
 我々も学会の役職では「総務」に属している。竹入氏や私を名指ししているようで、これは恐縮するしかなかった。
 奄美大島のあたりを回ったときは、ハブとマングースの戦いになぞらえてお言葉があった。
「戦いはアレでなければダメだ。先手必勝だ」
「マングースは一点しかかじらない。敵を攻めるのも急所がある」
「敵を一つに絞ることが大事だ。それが効くのだ。周りの全てを敵に回すような形にしてはいけない」
 そのうち、精神論になってくる。
「幹部らは迎合ばかり。腐ってきた。エゴイストだ」
「人気者になろう。有名という二字をうまく持っていこう。そういう考え方では信心がおかしくなる」

~中略~

 名誉欲にばかり走る、当時の我々幹部に対しての戒めだが、なんだか最近のご本人に聞かせてあげたいような言葉ばかりである。今やその言葉のままの者ばかり側にいるようだが、それに気がついていないとすれば、ご本人もすっぽりその世界にはまりこんでいる証といものであろう。

しかし戦いの好きな方ですねぇ。

人を学会に勧誘するにしても、対話してこの信仰の素晴らしさや思想を説明するのではなく、言い負かせて引き入れろ、と。

これは恐らくご自身が教学部長に折伏されて嫌々学会に入会させられたことから来ているのでしょうね。

『宗教と信仰の心理学』(小口偉一編)という本の中に、以下のような池田氏の言葉があります。

「学校時代の友人に誘われて創価学会の本部に行きました。私は友人と二人で行ったのですが、三、四十人はいたでしょうか。五時間ぐらいもそこで締め上げられたのです。南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずいぶん反対したのですが、理論で敗れて信仰しなければいけないということになってしまったのです」

だから折伏はこれぐらいやれよ!ということなのでしょうね。

もし若き日の池田氏が、もうちょっと理論と弁舌に長けて折伏してきた相手を言い負かせていたり、言葉で負けても心まで負けていなければ「師弟不二」なんて言葉も学会で流行していなかったでしょうね。

もうちょっと頑張ってほしかったなー。池田青年w

そして上記の池田氏のお小言からは興味深いことが推察されます。

当時の座談会には新参者(未入会者)が参加することが珍しいことではなく、そこで勧誘されるのが常であったということです。

私が子供の頃、母親に連れられて何度か参加したことがある座談会で外部の人が来ることはまずなく、そういうことがあるという雰囲気すらありませんでした。たぶん、今ではとても珍しいことですよね?

それを考えると、創価学会の活発さとは程遠い淋しい現状というものが良く分かるのではないでしょうか。

矢野氏はこの著書の中で池田氏の周りの幹部たちが、かつて池田氏が戒めていた状態そのものであると記していますが、池田氏がその言葉を発している時に気づくべきでした。

このような他者への批判は、自分に覚えがあるからこそ出てくる言葉なのだと。

そして前回その1でも書きましたが、到底宗教家、いや、まともな人間性を有した人の言葉とは思えないものばかりでしょう。

なんでそんなのについていくのかなー。

仮にも仏教信仰者を名乗っている人が「敵」だの「先手必勝」だの言っている時点で、「あ、こいつパチもん(偽物)だ」って気づかなきゃ。

今回の記事の中で一番可哀想なのはハブとマングースです。

「お前らの為に戦ってんじゃねーよ!」と彼らは心の中で叫んだことでしょう。きっとw


私が愛した池田大作 より「池田語録、苦言編」 その1

2014-09-28 17:36:43 | 私が愛した池田大作
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第四章 「政治指導者」として より

池田語録、苦言編 その1

 翌六八(昭和四三)年になると、池田氏から苦言を呈されることが目立って増えた。
「敵は自民、社会、民社党だ。彼らは本腰を入れて公明党対策をやっている。なのに敵が動いているのがお前たちにはわからない。このままでは敗北だ」
 他の政党の老獪な動きに対し、公明の愚鈍さがじれったく感じられてならなかったのであろう。
「お前らは自分で手を汚さない」
「臆病だ」
「お前らを甘やかしすぎた。失敗した」
 などなどとなじられている。
「魔は怖くない。戦わないことを問題にしている」
「宴会はタキシード。盆踊りでは浴衣。その場その場に合わせて姿は変わっても、闘魂を失ってはならない」
 というような言葉もある。敵を悪魔に例えたり、服装を比喩に使ったりといった用法が、いかにもあの人らしい。
「新聞記者を味方にせよ。積極的に会いに行け」
「政治家に会え。ヤクザに会え。ありとあらゆるところに布石を打て」

 そんな具体的な行動戦略を指示する言葉もあった。

その2に続く・・・

すこーしお久しぶりの、本の紹介です。

この昭和四三年というのは、前年の第三一回衆議院議員選挙にて公明党が初めて衆院選に乗り込んだその翌年ということになります。

また、池田氏の会長就任7周年という節目(?)の年であったようです。

上記の若き会長時代の池田氏の発言、なかなかのものではありませんか。

今や自民は連立相手で「敵」呼ばわりしていたことはなかったことになっていますね。若い学会員さんたちは知らないという方も多いのではないでしょうか。

しかし今も昔も「敵」を作るのが好きなのは変わりませんね。

野党だろうが与党だろうが、政策の対立する他の政党を「敵」と認識しているなどとはあまり表に出て欲しくない発言でしょうね。

また、新聞記者(マスメディア関係)と暴力団を利用し取り込むことを、公明党を駒とした戦略盤に組み込んでいることから池田氏が純粋に宗教を広めたいという考えではなかったことが伺えます。

そしてそれらのことは「善なる団体」としての宗教組織からは逸脱してはいますが、権力、経済力、社会に対する影響力を莫大なものにするという目的には非常に合致した考えであったことが、現在の姿からも証明されていると言えるでしょう。

今更ですが、このような指示を直接下された公明議員さんたちは、なんでそれでも池田氏を師匠とかセンセイとか言ってついていけたんですかね。

「ヤクザに会え!」って言われて「さすがセンセイ」と思うか?フツー。

話は変わりまして、前回記事にしましたお引越しの件。

新しいgooブログに一応移転できました。たぶん記事やコメントが飛んだってことはないと思いますw

しかしまだ微調整と、ブログのシステムに慣れていないのもあって来月いっぱいくらいはこのままこちらのブログで書いていこうと思います。

ですので、もうしばらくこのままでよろしくお願いいたします。


私が愛した池田大作 より「墓場で『俺を呼んでいる』」

2014-01-19 22:17:24 | 私が愛した池田大作
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第一章 「カリスマ」として より

墓場で「俺を呼んでいる」

 池田氏の側につき従っていると、時おり神懸り的な言動に接することがある。
 一九六七(昭和四二)年春、総本山・大石寺に参詣し、墓苑に参拝するのでついてこいということで、学会や党の幹部ら数人でお供したことがあった。牧口常三郎初代会長や、戸田城聖第二代会長の墓もあるところである。学会の中でも古参会員の墓が多い。夕暮れ時、日が沈んで暗くなりかかった時刻だったと記憶している。
「おい、何か聞こえないか」
 と言い出した。しかしどれだけ耳を澄ましても何も聞こえない。我々は思わず顔を見合わせる。
「申し訳ありません。何も聞こえませんが」
 だが池田氏は遠くを見るようにして、
「いや、たしかに聞こえる。俺を呼んでいる。あっちのほうだ」
 少し先を指差して、「誰の墓だ?」と聞くのでお付きの人間が走って見てきた。
「××さんのお墓でした」
「そうか。そうだろう」
 池田氏はいかにも納得いった、という顔でつぶやく。
「やはり彼か。古い同志だ。俺を呼んでいるんだ」
 そうした機会に接するたび、我々は、
「ああ、やはり池田先生はすごい」
 と感じ入ってしまうわけだ。
 墓苑の控え室に帰ってくると、我々はさっそく反省会である。
「おい聞こえたか」
「いや何も聞こえなかった」
「まだまだ俺たちは信心が足りないのだ」
 こうして氏のカリスマ性が、さらに高まる結果となる。墓という舞台設定、夕刻というシチュエーションが、そうした感慨を煽るのに一役買っている面もあるのかもしれない。
 実は私は、けっこう醒めた人間なので、内心どうしても他の幹部たちほどには没入できない。
「ああ、またやっとるわい」
 といった思いについ駆られてしまう。

~ 中略 ~

 もっと、極めつきのエピソードがある。池田氏がこともあろうに日蓮大聖人の生まれ変わりだという一世一代の大演技をしたのだ。これは私自身が実際に見たわけではないが、その直後に聞いた話だ。当時、学会や公明党内部では「やっぱりそうか」「すごーい」といった調子で語られていた。
「昭和四十九年二月十六日のことである。この日、日蓮大聖人生誕の地、千葉・小湊に蓮生寺が建立された。午前中、池田は初めてこの付近にある遺跡をめぐり、大聖人が法難で受けた傷を洗ったとの言伝えのある井戸までくると、側近のまえで、『たしか、あの時もこのメンバーだったなあ』とのたまわった。そして十二時ちょうど、立宗宣言の午の刻と同じ時刻に、清澄時に登るのである。境内にある千年杉という老木のまえまでくると、やおら、『なつかしいなあ!』と声をあげた。側近たちはびっくり、『これはすごい。池田先生は日蓮大聖人の生れ変りに違いない』と吹聴して歩いた」(『崩壊する池田創価学会』継命新聞編著、日新報道)
 世間の常識では信じられるはずもない話だし、「幻覚か」とか「稚気愛すべきこと」と失笑したくなる。「なんでそこまで」と呆れもする。だが、ご本人は一種の高揚か自己酩酊なのか、本気なのだ。

日蓮さんの生れ変り。これも有名な池田氏の誇大妄想ですね。

しかも「懐かしい」とさすった杉の木は、日蓮さんの時代にはまだなかったというオチまでついている優れものです。

ここでは池田氏の奇行よりも、少し周囲の反応に注目したいと思います。

上段の墓苑での幻聴ですが、何故その場で誰も「ああ、私も聞こえました」と言わないのか!

ノリが悪いったら。ここでボケを潰して拾っておかないといけない場面でしょうが。

で、「俺を呼んでいるんだ」と言われたなら「で?逝かない行かないんですか?w」ぐらいのことは言えないのか!関西人の一人もいなかったんでしょうか。

その後の反省会!

信心が足りないだと?ハッ、信心があれば墓で死者の声が聞こえるようになるのが創価の信心かw

そんな教義は初耳だぜw

そういや牧口氏や戸田氏のお墓参りは、池田氏はもとより他の幹部の方たちもしていないんですかね。してなさそうですけど。

そして日蓮さんの生れ変り説ですが。

「やっぱりそうか」って・・・。やっぱりって何ですか、やっぱりってww

マインド・コントロールの手法にですね、メッセージの送り手に有名人を起用するというのがあります。テレビCMなどが分かりやすい例ですね。

これは、メッセージの内容の確かさを曖昧なままで相手に説得の効果をもたらす、という結果が得られます。

池田氏がやたら日蓮さんの生れ変りを騙ったり、著名人物との対談(往復書簡)をしたりするのは、つまりそういうことではないでしょうか。

勿論それ以外のハッタリ効果もバツグンですし、何より池田氏の虚栄心の反映もありそうですが、常に冷静にそれらの意図を洞察する賢さが、池田氏の周囲の人間には圧倒的に足りない気がするのは決して大袈裟なことではないでしょう。

ボケだと思えばいいんですよ。で、ツッコミ入れてあげればいいだけなんです。

ある意味お笑いのカリスマとして違う可能性を花開かせていたかもしれませんよw

でも本当に、池田氏の奇行はコントや漫才の「ボケ」レベルの話です(しかも低レベル)。真に受けることこそ「ボケ潰し」。関西ではそういうの、嫌われてしまうって話ですよ。