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真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

不幸は必ずやってくる!

2015-01-25 16:31:35 | カルト宗教

働き出して間もない頃、会社の社長に一冊の本を頂きました。私だけでなく新しく入る人には配っている本です。大掃除で久しぶりに開いてみたw

「社会人になって嫌なことや辛いこともあるだろうけれど、これを読んで気楽に頑張れるように」というようなことで渡されたと記憶しています。

その本は元気をつくる『吉本流』コーチング」(大谷由里子 著)という本です。

かつて吉本興業で故・横山やすしさんや漫才師の宮川大助・花子さんらのマネージャーを勤めた女性が吉本を退職後ベンチャー企業を立ち上げ、その後社長業を後輩に譲りまた吉本の業務委託プロデューサーに戻って「コーチング」というものに出会って書かれた本です。

吉本時代と企業家時代の色々な、主にアクシデントを乗り越えるための発想の転換みたいなものが紹介されています。

まえがきより抜粋。

 自分のココロが元気じゃないのに、人の面倒をみたり、マネジメントしたりできるわけなどない。自分を正当化することにばかりエネルギーを使っている人間に、良い仕事も企画もできるはずなんかない。人のせいにばかりしている人が、本当に幸せなれるはずなんてない。わたしもかつては、世の中の悪いことを全て人のせいにばかりしていた。

 大切なのは、「まず、自分が自分らしく生きること」。
 自分らしく生きているから、ココロが元気になりエネルギーが余ってくるんだ。
 自分が幸せだから人の幸せも願うことができるんだ。

という当たり前のことですが、現実に不幸な出来事やアクシデントにぶつかった際、そうそう簡単にこれらの意識を保てないのも事実。

それを「コーチング」という理論によって「ココロの元気」を取り戻そうという、吉本ではマネージャー教育の一環として勉強されているスキルのようです。

創価学会では功徳・福運と称して「幸せしかない」人生を勝ち取るということを掲げていますが(少なくとも私にはそう見える)、果たしてそれが目指すべき幸せな人生なのか?

多くの日本人は特定の宗教に頼らず生きているわけですが、どのように望ましくない状況と対峙し乗り越えたり回避したり、受けた傷を癒していくのか。

その片鱗に触れるということで、こちらの本からご紹介したいと思います。

3章 壁にぶち当たった!どないしょう・・・ より
「20 不幸は必ずやってくる!」

 私の人生は、「なんで!」っと思うくらい、しょっちゅう壁にぶち当たっている。
 会社をつくって五年目、売上も毎年倍倍ゲームで伸びて、「これから!」と思っていたら、阪神大震災でほとんど売上はゼロになるし、信じていた人にお金を払ってもらえなかったり、仕事をこっそり持っていかれたりもされた。それだけじゃない。情にほだされて、しなくてもいい借金をしたり、自分を見失ってボロボロになったり・・・。

 でもそんなときに月亭八方さんに教えてもらった。
「人は、安心を求めるから不安になるんや。人生に安心なんてないと思ったら心が安らぐんや。開き直ったらええんや」。
 なるほど。ほんまや。考えたら、不幸になるのも生きてる証拠や。死ぬことを思ったら、不幸があっても生きてるだけ幸せなんや。
 そのときから、「生きてるからには、不幸は絶対やってくる」という発想に変わった。何が起こっても、一瞬パニックになっても、「さて、次にどうしょう」という発想ができるようになった。

~中略~

ONE POINT COACHING 状況をありのまま受け入れ、そこからどうするかを考えよう

不幸は必ずやってくる。当たり前。

普通、意識的に考えていなくても、いざ不幸が訪れて「なんで!?」「どうして自分だけ!?」と思うことがあっても、そのようなことがあるのは事実としてどこか当たり前のことに受け入れているのが大半だと思います。

起こってしまったことは仕方がない、とそこからまた新しく歩き出すことができる。これが人間の強さであり、それを繰り返すことで人間としての成長を得ることもできます。

そして成功の階段を登るよりも、失敗から積み上げていくことの方が遥かな高みにいけるということも、誰から学ぶでもなく何故か知っているのです。

ですから誰に言われるでもなく、今ある状況からの展望を考える。・・・というのが無宗教の人の大抵の考え方、ではないかと思います。

そりゃあ誰しも幸せになりたい、不幸には見舞われたくない、と思います。

ですがその為に例えば毎日勤行をすればいいとか、特定の政党を応援したりすればいいとか、そんな突拍子もない超理論には辿り着かないわけです。

幸せも不幸も表裏一体の場面があります。

不幸は必ずやってくる。だからその不幸に負けない心身を養う。或いは自分の力で回避できる技量や知恵を身につける。不幸を幸福にひっくり返せる努力をする。

生き方として健やかなことは、他人から見ても美しいものです。

少なくとも私には、学会員さんたちの生き方に美しさは感じません。個人として良い人はいるでしょうがね。

私自身健やかな生き方を実践できているかは自信がありませんが、そうあろうとする意識は持っていたいと思います。

大事なのはその心掛け、なのではないでしょうか。


今日はカレー曜日

2015-01-18 14:55:43 | カルト宗教

先日、春日大社のお土産を渡しに父方の親戚のおばさんと会う機会がありました。

その際うちの母親の話から学会の話になり、おばさんは「学会だけじゃないけど宗教やってる人ってなんで、ああ『ガーッ』となれるか(信じ込めるか)分からんわぁ~」と言うので、私は「マインド・コントロールされてるからやで」と簡単に説明。

しかしブログで散々書籍からの引用で説明していたにも関わらず、いざ人に面と向かって説明するとなると上手く言葉が出てこず・・・。なんて言うか、あまり先鋭的になると一般人には理解されず逆に引かれ、簡単すぎると根本的な理解をしてもらえず・・・のような空気もありまして。

「マインド・コントロール」という言葉自体がやはりオウム事件で認識が広まったこともあり、何か特殊な宗教儀式のように捉えられている感も否めません。

今回はバカバカしくも簡単にふわっと理解できるマインド・コントロール(M・C)の説明を試みてみたいと思います。

M・Cの記事で紹介していた「マインド・コントロールとは何か」(西田公昭 著)という本の中で、「こころ(マインド)」の操作は究極的に情報の操作によって行われる、という一文があります。

「何かの料理をつくる」という意思決定をさせるのに、「料理の材料」と「料理道具セット」、ともに指定したものを使わせておいて、「自由に好きな料理をつくればよい」と、言っているようなものである。

~中略~

もしも新鮮な鯛が食材として選ばされて、使える道具が包丁だけしかなかったなら、まずほとんどの日本人なら、だれかに命令されなくても刺身を造るであろう。しかも「自分の頭で考えた」結果によってである。

との説明があります。鯛なんかそうそう誰もが捌けないよ、というツッコミは置いておいてw

以前同書の中から「弁別性」「一貫性」「合意性」のそれぞれ高い情報を選択的に重視するという話を記事にしました。詳しくは以下のリンクからご覧下さい。

マインド・コントロールとは何か より「注目されやすい情報」その1

ということを踏まえ、鯛の刺身より分かりやすく考えてみたいと思います。

とある人にカレーを作らせようとする場合。

とある人はスーパーに夕食の買出しに出かけます。

するとスーパーではカレー材料の特売で、入り口すぐの売り場に目玉商品としてカレー材料が山積みになっており、沢山の買い物客がそれらを買い求めています。

設置されたテレビでは芸能人の〇〇やスポーツ選手の△△が出演しているカレールーのCMがエンドレスで流れています。

美味しいカレーの作り方のレシピが無料で配布されていたりもします。

そしてその人は、自分の考えで、誰に命令されるでもなく、夕食のメニューをカレーにしてしまうことでしょう。

この人に「何故カレーにしたのか?」と質問してみましょう。きっとこう答えるはずです。「だって宣伝してたから」と。

ここまですると、さすがに宣伝されていると気付かれてしまいますね。気付かれるようではこのスーパーは売り上げが上がったとしてもM・C使いとしては三流です。

では一流のM・Cとは?

宣伝を宣伝と気付かせないのです。

その人の周辺でカレーの話をその人に聞こえるように別々の人が話します。

「カレーって栄養価が高くって、辛いものを食べると汗をかいて新陳代謝もアップするんだって~」

「芸能人の〇〇やスポーツ選手の△△ってカレーが大好物なんだって」

「・・・無性にカレーが食べたくなる時ってあるよね」

さらにはカレールーの棚の前で、「グ〇コとハ〇スのカレールーをブレンドするとビックリするくらい美味しいんだよね~」などと呟かせますw

すれ違った親子連れの子供が「ママ、今日カレーが食べたい~」と駄々をこねます。

キモはスーパーとは関係ないと思われる人物、組織からカレーの情報を発信させることです。

その人は宣伝されたという意識もないまま、カレーの材料を買ってしまう確率が相当高まったことでしょう。

たとえこの一回の買い物でカレーにしなくても、じわじわとカレーに対する意識が高まります。

そうしてカレー材料が特売でなくても、有名人がCMしていなくても、この人はカレー材料を買って夕食のメニューをカレーにしてしまいます。

カレー教信者の入り口に立ったわけです。

そのうちカレー好きと称する仲間がその人の周りに集まってきます。カレーの有用性を語り、その美味を競い、カレーの歴史を学び、周囲にカレーが如何に素晴らしい料理か広める努力を讃え合います。

信仰が深まれば、その人は噂話を耳にすることがなくとも、完全に自発的に自分の考えで、頼まれもしないのに毎日カレーの材料を、しかもより価格の高いものを買い求め、家に腐るほど余っていても余分に余分にと買い込んでしまうようになります。

カレーを至高の料理と信じてやまない、立派なカレー教信者の誕生です。

スーパーの陰謀とも気付かず、カレーしか考えられなくなったこの人は、カレーに賭ける情熱こそ生き甲斐と感じて生きていきます。

スーパーはコスト>売り上げとなってしまったかもしれませんが、M・C使いとしては一流と言えましょう。

しかし宣伝による一度きりのカレー調理ではなく、信者になると後は意識を継続させるための少しの手間で勝手に信者たちがカレー調理を求めてくるようになります。そして自らが熱心に宣伝してくれるわけです。

毎度バカバカしい内容と相成りましたが、M・Cが特別な宗教儀式ではなく一過性の宣伝から長期的な刷り込みまでを含む、人間心理の方向性の操作であるということが少しは伝わりましたでしょうか。

カレー=学会みたいに書いてしまいましたが、カレーに一切恨みはありませんw

私は大好きだぜ、カレー!今日の晩御飯はカレーうどんだしな!

今回の喩えは私の素人考えによるものですので、心理学やM・Cの専門的観点から見るとツッコミ所が多々あるかもしれませんが、そもそもそういうものであるという前提でご理解ください。

さて、ではカレー教信者がカレーから抜け出すにはどうしたらいいでしょうか?

カレーから離れることです。一気にカレー断ちは無理でも、たまにカレーとは違うものを食べたり、メニューを見たり考えたりするだけでもいい。徐々に距離を取り、カレー熱を冷ましていくことです。

人によって熱の冷まし方は色々です。家族が「カレーばっかり食べてたら栄養が偏るよ」と心配してくれたり、カレーのネガティブな情報を意識的に取り入れたり、カレー教信者仲間の押し付けに嫌気が差して「何でカレーが好きになったんだったっけ?」と我に返ってみたり。

大事なのは、M・Cされているという事実に気付くこと。そして操作された情報以外の信用に足る情報に触れることです。

M・Cは使い方によっては恐ろしい現象をもたらしますが、特別な技術ではありません。

一般の多くの人々が身近にあることかもしれないと、予備知識を得ることが重要ではないかと思います。

簡単な説明にしようとしたのに、この長文w

長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。


初詣に行ってきました!2015

2015-01-12 15:17:48 | ブログ

毎年この成人の日を含む三連休に、友人達と鹿のいる奈良公園で有名な春日大社へ初詣にいっています。

春日大社は参道に鹿さんがたくさんいて、荘厳な木々が立ち並ぶ森の中とても癒されます。

 つぶらな瞳がたまらんっ!なんて愛らしいことでしょう。

今年で5回目の春日大社への初詣なのですが、今回初めて知ったのが下の写真にある木です。

お分かりになりますでしょうか。木の中から、竹が生えているのです!

ムクロジという大きな木の幹の空洞から竹が生えていて、割と有名だそうです。この木はなんと、果皮が石鹸として利用されていたとか。固い実は羽根つきの玉となるそうです。

奈良公園では、鹿に食べられるので竹は育たないそうです。それをこのムクロジの巨木が抱いて守っているから、ここにだけ竹があるのだと。

自然には不思議で面白いことがいっぱいですね。

今年は何故か外国人観光客と思われる方々がとても多いのが印象的でした。

お参りでは昨年一年、無事に過ごせたこと感謝して手を合わせてきました。

そしてお土産を買って、くたくたになって、今日は筋肉痛という例年のパターンですw

春日大社の前日には友達とカラオケに行ったりしてて、ちょっと遊び疲れた3連休です。

そんなわけでして、今回も個別にコメントのお返事ができなくてごめんなさい。

カノンさん、kanさん、ぎん千代さん、しゅうえいさん、花ちゃんさん、河童さん、招き猫さん、マコさん、ミルフィーユさん、希望さん、セイコさん、新年のご挨拶ありがとうございました。

特に初めてコメントを下さった花ちゃんさん、脱会されたとか。大変な中コメント下さりありがとうございます。

花ちゃんさんが迎えられる、まさに新しい一年を、明るく清々しくお過ごしになられますよう、陰ながら応援しております。

何かありましたらお気軽にコメントしてください。私がお力になれるようなことはほとんどないでしょうが、文章に自分の気持ちを書き起こすだけでもスッキリとするものです。愚痴があれば存分に吐き出してください。

それでは皆さま、たぶん来週からは通常営業に戻ると思います。・・・たぶんw

頼りないブログ主ですが、引き続きよろしくお願い申し上げます!


初春のお慶びを申し上げます

2015-01-04 15:34:58 | ブログ

年賀状

新年あけましておめでとうございます。

三が日が過ぎ、如何お過ごしでしょうか?

私は例年の如く大掃除が年を跨ぎ、昨日でようやく予定していた分が終りましたw

年末に一気にできればいいのですが、スロースターターなのでついつい夕方からとか始めたりして毎日ちょこちょこと済ませました。やり始めるとガーッと集中してやっちゃうんですけどね・・・。

それはそうと皆さん、箱根駅伝ご覧になりましたか?私は観ようとは思っていなかったのですが、たまたまテレビをつけたら創価大学がゴール直前でしたw

何でも三色旗での応援は禁止令が出ていたらしく「創価大学」の幟が目立ってはためいておりました。

何人か禁止令を知らずに、或いは思い余るほどの創価愛で三色旗を振っていないかと画面を探しましたが私が観た限りゴール前には一人としておらず、さすがの統率力を感じずにはおられませんでしたw

けれどよくよく考えればおかしな話ですよね。創価大学の応援で学会のシンボル・三色旗って・・・。創価大学は創価学会の専門校wではなく、非会員でも入学できる一般の大学のはず。

まあそんなことを気にするのはアンチぐらいのどうでもいい話でしょうけれどw

この辺りのちょっとした動きに、学会との力関係が顕れているのではないかと思ってしまいます。


 

最後になりましたが、昨年末から新年にかけてコメントを下さった皆さん、こちらで一気に軽いお返事となりますことをお許しください。

カノンさん、選挙結果の詳細ありがとうございます。そうなんですよね、しっかり得票数は減らしています。この調子で行きましょう!お母様のお世話で何かと忙しいこととは思いますが、お子様もいらっしゃることですから、ご自身の体こそ大事になさってくださいね。いつも温かいコメントありがとうございます。

マリーナさん、選挙のたびに何があっても「大勝利!」。そう言いながら消滅してもらいたいものですw早く野党にならないかな、公明だけ。違反するために与党でいるわけですか・・・。そんな支援者に支えられているということ、ちゃんと有権者は知らなければなりませんね。

めがねさん、昨年は奇妙なご縁でコメントありがとうございました。アクシデントであったとはいえ、こうしてコメントのやり取りが出来るようになって嬉しく思います。今年も覗いてやって下さいませ。

ミルフィーユさん、昨年はたくさんの聖教レポートありがとうございました。聖教新聞からみる学会の動きや心理、興味深く拝見させてもらいました。今年は記念日が目白押しのようで、ツッコミの腕が鳴りますね~!

招き猫さん、このブログに訪れて下さり、ありがとうございます。ご家族との溝は辛いものがありますよね。私も母親と、宗教や公明党の話とか、そもそも論で家族関係についての話もしたくありません。事務的な話に限りますね~。でも、それでもいいのだと開き直っています。自分が明るく楽しく生きることが、最大の親孝行ですから!

希望さん、いつもお忙しく大変な状況でらっしゃる中、コメントを残して頂きありがとうございます。既に長い闘いとなっておりますが、最後に笑うのは希望さんであり、応援している私達であると信じております。

河童さん、いつもながらセンス溢れるコメント、感服いたしますw河童さんに言われたからというのではないですが、学会発のアイドルグループも出てきてもおかしくないですよねwAKB商法で若者達の活動離れも食い止められるかも!?

ひろこさん、まだコメントを下さるようになってから間もないのに、既に常連の風情ですね。毎回色々なコメントをありがとうございます。ひろこさんのように、学会の闇の部分を今から知っていくという方に広く読まれるようなブログを目指していきたいと思います。

まるさん、大吉連発とは縁起が良いですな!きっと初詣を楽しむまるさんを神様も祝福してくださったのでしょう。箱根駅伝はチラッと最後だけ観たんですが、創価大学の幟は目立っていましたね。さすが金に糸目はつけない学会様ですw創価は高校野球での応援マナーの悪さも評判ですね。スポーツマンシップよりも、池田先生に勝利の報告をするため、学会の宣伝(広宣流布)のため、そういった下心が上回っている故の表現なのでしょうね。残念ながら。

ではでは皆さま、今年もこんな感じでゆる~いアンチネタを主軸にブログ運営をしていくことになるかと存じます。どうぞよろしくお願い致します。