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私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年 価格:¥ 1,785(税込) 発売日:2009-12-22 |
第四章 「政治指導者」として より
弟子の「永久名簿」 その2
ただこの「永久名簿」、我々を縛る脅威として次第に厄介な存在になっていった。何か池田氏の気に食わないことをしでかすと、
「名簿に『この者、背き了んぬ』と書くぞ」
というのが最大の脅し文句になってしまったのだ。「こいつは師に背いた」というわけで、名簿に赤線が引かれる。これでその者は地獄行きだ。言われた弟子は慌てて地にひれ伏し、必死で許しを請うたものである。思えばあれほど畳に頭をこすりつけ、平謝りに謝る人間の姿というものを、学会以外で目にした覚えはない。
~中略~
話を戻すと、その年の三月一六日には、公明党創立者として、池田氏が国会の公明党控え室に現れた。事前に連絡があり、二五人の議員全員が緊張してお迎えした。氏が国会に来たのは後にも先にも、このときだけだったと記憶している。竹入委員長は低い声ながら厳粛な口調で、
「次は総理としてお迎えいたします」
と言った。池田氏も「うん」とうなずいていた。そのやりとりを見て、我々は決意を固めたものだ。
後略~
はい、というわけでお引越しが完了しまして、最初の記事を更新しました。
まだまだ見慣れないとは思いますが、今まで通りぬるい感じで進めていきますのでよろしくお願いします。
前回の記事で「浅い永久名簿」と書きましたが、お分かりいただけたでしょうか。全然永久じゃないじゃん!とツッコミますよね、誰しも。
この名簿からの除名が弟子とされた人たちにとっては堪えがたい恐怖であり不名誉なことであったようですが、私からすれば「好きにすれば」って感じです。ほんと、価値観の違いって凄いですよねw
そして最大の見せ場。「総理としてお迎えいたします」!!
これ言われたとき、池田氏はさぞ気分が良かったことでしょうな~。王様気分というか、自分の部下(弟子)が国会議員にまでなり、それらがうやうやしく傅いてくれて。
やめることができなくなるのも、理解できないわけではないかもしれません。教祖っていう職業は。
それにしてもその場にいた人たちは、どこまで本気だったのでしょうね。池田氏自身も、どれだけ本気にしていたでしょうか。いずれ必ずそうなると、本当に思っていたんでしょうかね。
自分で選挙を戦って当選した議員でもなく、政治家としての努力もなく、祀り上げてもらって総理の椅子に座れるものだと。
日本の総理大臣ナメとんのか。
自惚れとか野心とか、何だかそういうことでは説明がつかない気がします。
そんで総理になって何がしたかったんでしょうね。創価学会の表看板を掲げつつ、裏でやっていることをそのまま国家スケールでやりたかったんでしょうか。
名誉称号をアホほど貰う総理大臣なんて嫌ですけどね。いち日本国民として。
まあ今回、創価学会の自他共に認めるトップである池田名誉会長でさえも「祈りて叶わざることなし」にはなりませんでしたっていう実証?となったお話ということでしょうか。