真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

新年のご挨拶とお知らせ

2021-01-04 17:58:00 | ブログ

令和三年を迎えました。皆様、明けましておめでとうございます。

大変長い間、ブログを放置しておりました。全国的に寒い年末年始であったかと思いますが、皆様お元気にお過ごしでしょうか?

まず最初にお詫びさせて下さい。せっかくトニーさんから新作小説のお知らせをコメント欄に頂いていましたが、長らく無反応で申し訳ありませんでした。ずっと気になっていたのですが、事情があってなかなかブログに向かうことができませんでした。

もしまだトニーさんのコメントをご覧になっていない方がいましたら、一つ前の記事のコメント欄をご覧ください。

トニーさんが小説を書き続けていらっしゃること、とても嬉しく思います。

皆様にお知らせがあります。

今回、このブログはこの記事が最後になります。

もう長い間記事の更新がなかったのでさもありなん、といったところでしょうか。

昨年からずっとこの最後の記事を書かなくてはと思って、遂に新年になってしまいました。

 

めでたい新年には似つかわしくない報告となりますが、きちんと皆様にお知らせしたいと思います。

以前の記事を覚えていらっしゃる方はもうどれくらいでしょう。私が週一の定期更新をやめて不定期にした理由の一つに愛猫マダラ君(マダラ君というのはブログ内の仮名です)の看病というのがありました。

マダラ君は生まれつきの腎委縮(腎臓が固く小さい)で、若くして腎臓病を患っていました。

昨年7月の末、マダラ君は虹の橋に旅立ってしまいました。

11歳と2か月弱の猫生でした。

ちょうど一年前の年末くらいから目に見えて調子が悪くなり、ゴールデンウィーク頃からふらついてまともに動けなくなり、その頃からはもう階段を降りていくように段階的に悪化していきました。

腎臓病の子は悪化するとあっという間、と言われますが、本当にそんな感じでした。

4月の末、時期的にちょうど緊急事態宣言が発出され、私もリモートワークに切り替わって在宅で日中も看病しながら仕事をしていました。新型コロナは今もって大変な思いをされている方々ばかりなので良かったとは言えないのですが、タイミングとしてはまさに看病の為に在宅勤務になったようなものでした。

その頃にはあまりご飯を食べられなくなり、腎臓病用の療法食だったのですが、もう食べてくれるなら何でもいいとなって大好きなカルカンのウエットフードを食べやすいようにスプーンの背ですり潰して食べさせていました。それでも量が減っていき、少しでも、ほんの一舐めでもとの思いで最終的には2時間おきにご飯をお顔の前に持っていっていました。

私がそうやってしつこいからか、たまにプイっと顔を背けるのですが、それでも少しでも舐めてくれると嬉しくて「あ~良い子やね~、賢いね~」と褒めちぎって最期の日まで、自分でご飯を食べてくれていました。

昨年の年明けからは私が自宅で毎日点滴もしていました。最初の頃は嫌がってキャリーバッグから飛び出していましたが、7月にはもう逃げることもできずに私の膝の上で大人しく点滴を受けてくれました。

もう長くないと、どれだけ覚悟しようとも涙が溢れ、点滴の後は私のベッドの上で一緒に横になって休憩しながら泣いてばかりいました。

マダラ君は本当に賢い良い子でした。

私のことが大好きでした。

私が帰ってきて玄関まで必ずお出迎えしてくれるのはマダラ君だけ。他の子はご飯が欲しくて玄関までやってきますが、マダラ君だけは私が帰ってきたことが嬉しくて、短い尻尾をビビビと傍目に分かる程震わせながら立てて私の脛にまとわりついていました。

膝の上が大好きで、目が合うとどこにいても必ず寄ってきて膝の上に登ってきました。毎晩寝るときは、私がベッドに入るよりも先に枕もとでスタンバって、私の腕枕というか脇に挟まって眠っていました。ゴロゴロ喉を鳴らして冷たい鼻先を私の顎や頬にペトッとくっつけたりして。

猫らしからぬ警戒心のなさで、本当に朝まで布団の中で熟睡しているのです。

でも、ゴールデンウィークの頃にはベッドに登れなくなり、私は一緒に寝るべく居間にマットを敷いて最後の2か月くらいはそこで一緒に寝ていました。

毎日、毎晩、今日も生きていてくれてありがとう、と。まだ元気でいてほしいと、そう願いながら一緒に寝ていました。しんどいの飛んでけ~、気持ち悪いの飛んでけ~、そう言いながらずっと撫でていました。

私自身、マダラ君がいなくなるのが悲しいというよりは恐怖で、毎晩明日は大丈夫だろうかと不安で怖くて仕方なかった。

そんな中で、頭の片隅にこのブログのことが気掛かりでもありました。

その頃の状況では到底更新を続けられるわけもなく、また、手が空く状況になるということは即ちマダラ君が亡くなることを意味し、その後まともにブログに向かえるとも思えなかったからです。

本当はマダラ君が悪化する前のもっと早い内に、ブログ終了のお知らせをするべきでした。

マダラ君が亡くなり、毎日泣いて、在宅勤務が終わり会社のトイレでも泣いているうちに、なんとトニーさんからコメントが届きました。

本当にいつまでもこのままブログを置いておくのは良くないと、終了のお知らせを決意した次第です。

けれどそこから更にまた時間が空いてしまいました。情けない話ですが、この記事の内容を頭で考えているだけで号泣してしまい、なかなか文章にすることができませんでした。亡くなった直後の8月、9月頃には私も体調を崩してしまい、ずっと悲しい気持ちが体中に満ちていました。一応念のため、病院で診察を受けましたがコロナではありませんでした。

もうマダラ君がいなくなって5か月以上が経ちますが、まだ毎日のように泣いてしまいます。ようやく、ぽつぽつと泣かない日が出てきた感じです。

マダラ君はペット供養もしているお寺でお焼香と手を合わせるだけの簡単な葬儀と火葬をしました。お寺には両親もお見送りに来てくれました。たくさんのお花と、お気に入りのじゃらしと、ちょっと高級なご飯を独り占めするように一緒にお供えして、私の手で火葬台に寝かせました。

今でも昨日の事のように思い出します。たくさん泣いて、離れがたく、ガリガリになった小さな体を抱きしめました。今は静かに家で眠っています。

在宅勤務になってからは、たくさん写真も動画も撮りましたが、亡くなった直後よりも日が経つにつれて悲しみのあまり見られなくなってしまいました。遺影も1秒見つめたら涙、です。変な話ですよね。

 

長々と悲しい話ばかりでしたが、新年のご挨拶をきっかけに、ようやく、本当にようやくご報告ができました。

まだ泣きながら書いていますが、昨年の目標でしたが年を跨いで消化できました。

トニーさん。ここまで放置した挙句に新作小説の感想をやり取りできずに本当に申し訳なく思います。実は、まだ読んでいません。今の私にはとてもフラットな感情で読めないと思って、手を出せずにいます。

小説を載せているサイトの方で、どうか読者の方々と感想をやり取りして頂ければと思います。

ブログでのやり取りはこんな形で終わらせることになりましたが、トニーさんの創作活動を心より応援しております。

このブログのそこそこ長い歴史の中で、たくさんのコメントを頂きました。多くが応援のコメントであり、また、ご自身の経験を語って下さり、多くの情報交換の場として、そして共感し合える場として交流が生まれました。

交流していた方々の中には今現在も、精力的にブログを続けていらっしゃる方もいます。

「白バラ通信 パンドラの箱」の希望さん、「創価学会とは-対話を求めて-静かに創価学会を去るために」のシニフィエさん、「Escape from "LABYRINTH"」のアズラさん、「聖教新聞 一面だけは読んでやる!」の大勝利さんなどなど。

ずっと皆さんのブログも離れていたのですが、年末に久しぶりに訪問してみましたらやっぱり創価学会は創価学会のままだなーと絶対的な安定感を懐かしく感じました。池田名誉会長の表向きの扱いまでもが変わっていないようで、このまま100歳超えそうなのが現実味を増してきましたね。

それでもシニフィエさんやアズラさんのブログを拝見するに、高齢化や社会の在り方の変化から「活発な活動」というのはなかなか見られなくなってきているようです。だからといって、学会員さん達の特性が損なわれないのは流石と言う他ないようですが。

ああ、何だかとても久しぶりにこのブログっぽいことを書いた気がします。

このブログの終了は心の中ではもう随分前から決めていましたが、ようやくここに辿り着きました。

皆様、長い間お世話になりました。

マダラ君がいなくなって、亡くなる直前にほぼ24時間付きっ切りだったこともあり膨大な喪失感に漂っていましたが、ブログを更新できるぐらいには日常が戻ってきています。

ペットを飼っている方はご存知かと思いますが、亡くなったペットは虹の橋のたもとで飼い主さんと再会するために待っていてくれていると言われています。

私は、またいづれ必ず6匹の愛猫を見送り、悲しみに暮れるでしょう。

私はこの子達がいてくれて幸せでした。特に、お休みの日に昼までゆっくり寝て、(実家の3兄弟が来る前)ベッドの上に4匹のにゃんこたちが一緒に寝てくれているのを見てそのまま暫くゴロゴロしている時間がこの上ない至福の時でした。

もう二度と、この至福の時間は私に訪れることはないでしょう。幸福感だけで塗りつぶされたようなあの幸せなひと時。それが、当たり前にいつでもあるものだと、勝手に思い込んでいました。

私もいつか死にます。

その時に、虹の橋で、待っていてくれているであろう7匹と、また至福の時間を過ごしたいと思います。

きっと皆さんにも、身近で当たり前にある幸せがあることと思います。

形あるものには終わりが。人間も必ずこの世から去ります。

既に手の中にあるものには気づきにくいものです。どうか、当たり前の幸せを大切に、そのひと時がある喜びを味わい尽くして下さい。

新年から湿っぽい話になってしまい、心苦しい限りです。

今は世界中で大変な時期であり、まだ先行きが明るく見通せるとは言い難い状況です。

それでもせめて、このブログに関わって下さった皆様や、皆様の大切な方たちにとって、この新しい年が健康で笑顔になれる一年でありますように。そして世界中でいつかこの疫病を乗り越えて、新しい日常がまた当たり前になりますように。

長い間、本当にありがとうございました。皆様、お元気で!