ようやく「池田大作の品格PART2 ―創価テロリズムを許すな― 」のご紹介です。
でも本編は次回から(汗)。
「はじめに」を読んで
著者・小多仁氏は前作の反響で、「池田創価学会については、信仰に関係している人たちだけでなく、社会のあらゆる分野の人たちがかなり密接に関わっており、学会員と接する際にいろいろな感情的摩擦を経験している」ことを知ることができた、と書いています。
その感情的摩擦とは、学会員が持つ一種独特な価値観と集団の持つ圧力に、「辟易している感情」「ストレスが溜まる不快感」を一様に抱いていることであった。続編のサブタイトルを―創価テロリズムを許すな―にした理由は、池田創価学会がこのままの姿で社会の中で暗躍していくならば、一般人や批判者との「感情的摩擦」が益々、激化していき、暗い市民社会の現出すらありうるという、警告・告発の書である。
この感情的摩擦は社会の中にあることは当然だが、社会のルールを無視してまで自分達の目的を達成しようとする姿勢が問題なのだ、とあります。
そのルールを破るとはいかなることか。被害の状況の一例がまたすごい。
「批判したら地獄に落ちると言われた」
「尾行や無言電話攻撃を受けた」
「近所に無い噂を立てられた」
「暴力を振るわれた」
「創価学会に盾突いたら反撃が怖い」
「何をされるか不安だ」
「集団で圧力をかけてきた」
「警察もグルのようだ」
「裁判が偏向。学会寄りだ」等々。
どれを取っても、宗教団体のことを言っているとは思えない状況です。これが日本最大の宗教団体の姿ですって。
そしてサブタイトルにある「テロリズム」。
これは池田氏が「日本制覇の野望」を達成すべく、権力を求道する「政治集団」へと変貌したことについての警鐘です。
一般の方々も同様の解釈を持っているかと思いますが、創価学会は宗教団体というよりは「選挙屋」「=公明党」というイメージです。
「金」「票」「情報」を手にし、池田氏の目的である「日本制覇」のために日夜活動する…。
池田氏の「偉人化計画」も「世界からの称号」も「池田神格化路線」も、この「日本制覇の野望」達成のためのアクセサリーである、と小多仁氏は表現しています。
そして一宗教団体がここまで肥大化した責任は日本社会、とりわけオピニオンリーダーの責任は非常に重い、と。
これは相手が相手なのと、日本人の気質が合わさってここまで放置されてしまったんだと思いますね。しかしこれほどまでに社会に影響を与えるようになった集団が、「宗教」の影に隠れてやりたい放題では、許されるはずはありません。
「宗教」を声高に掲げれば掲げるほど、それは「宗教」を振りかざして悪用していると言っているようなものです。
最後に池田氏のXデー後について。
「池田イズム」は、予想以上に、この社会の隅々までウイルスの増殖菌のように深く静かに侵食しているからである。池田大作が死んでも、一度マインドコントロールの呪縛に合った人間は、簡単に解放されないため、「池田イズム」を己が使命として邁進する人生を選択するのである。
~中略~
「しまった」と気がついた時には、もう手遅れであることを知るべきなのだ。池田大作が言っているではないか、「奴等が、しまったと言うときには、こちらのものだ」と。
私は学会員さんは騙されている、利用されていると思うのと同時に、それを自ら選んでいるのだとも思っています。
騙されているなどとは夢にも思わず信仰だと信じている。恐らく多くの学会員さんはこれに当てはまると思いますが、これは「信仰している」という「免罪符」が欲しい一面があると思います。
「信仰者」はそれをしていない人よりも上だと思っているのでしょう。よく聖教新聞にも「宗教は哲学だ。哲学の無い人間は劣っている」というようなフレーズが飛び交っています。
現世利益を謳ってはいますが、学会に入ったからと言って利益が降ってくるわけではありませんのでね。多くは精神的優越感と、まるでボランティアに従事して「私、善い事したな~♪」と自己満足しているような感覚があるのではないでしょうか。実際もっと激しい印象ですが。
そして一回そのように感じてしまえば、自分自身でその感覚を覆すことはかなりの苦痛と勇気を伴うことでしょう。
もう一方は利用されているのを分かりつつ、学会のくれる甘い蜜(優越感など)から離れられなくなった人。
これは上層部に多そうですね。職員とか、一部の幹部とかでしょうか。池田氏の周りの人間はこのような方が多そうです。
前作にも書かれていましたが、池田氏という王様の周りにはべるという優越感は、多くの学会員たちを足元に置き、なんとも得がたいものであるようです。
また、学会職員はとてもオイシイお仕事のようですから、割り切っている人もいるかもしれませんね。
こう書いてみると、学会員でいることを選ぶ人は麻薬中毒の症状にも似ていますね。前者は麻薬を「良い薬」と思い、後者は「悪い薬」と分かってる…みたいな。
「麻薬」は、一度手を出してしまうと二度とやめられない薬です。麻薬から足を洗うということは一生「やめ続け」なければならないのです。一生、禁断症状・誘惑と戦い続けなければならないのです。
難しい問題です。もし社会で創価学会への糾弾の声が大きくなり、私たちの望むように色々な闇の部分が暴露されていたとして。または池田氏が天に召されたとして。
学会員さんたちは、自分達がどうなっていくかの予想はついていないのでしょうね。
私にもつきませんけど。
次回から本編の読書感想文です。まえがきなのに長くなっちゃった。