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マインド・コントロールとは何か 価格:¥ 1,427(税込) 発売日:1995-08 |
第6章 永続的マインド・コントロールの実践-組織入会の過程 より
『ザ・ウェーブ』
一九六九年、ある高校教師が、歴史の授業でナチス支配下のドイツにおける全体主義を教えようとしていた。彼は講義で映画を見せて全体主義を説明したが、学生たちは、ドイツの民衆がなぜヒトラーについていったのか、なぜだれもナチの行動を批判できなかったのかが、まったく理解できないという様子であった。そこで、その高校教師はある試みを行った。
教師は、生徒に「規律と力を作り出せることを証明しよう」と提案し、姿勢、持ち物から、先生に対する呼び方、質問の仕方や答え方などについて細かく規律をつくり、軽いゲームのつもりで守ってみるように指導した。はじめ教師は嫌がられるのではないかと懸念したが、ふだん自由な雰囲気で教育されてきた生徒たちは、嫌がるどころか競争心をもって規律に従おうとした。不気味なことに、生徒たちは規律を覚えるたびに、次の規則を欲してゆき、授業終了のベルがなり終わっても、彼らはその規則を続けようとした。もはやゲームではなかった。
~中略~
この教師の教科学習の試みは、とどまることを知らず、数日間で全校の生徒たちに浸透していった。ナチスの運動とそっくりであった。彼らは、自分達の自由と交換に、メンバー間の平等と「ザ・ウェーブ」グループに入っていない人に対する優越を得て、差別をし、攻撃をした。また彼らは、この運動はちょっとしたゲームであり、いつでもやめられるつもりでいた。しかし、やめようという者はほとんどいなくなり、そうした者は密告され、制裁を受けることになっていった。
結局、この歴史教師は、メンバー全員を講堂に集め、テレビ画面を用意し、もう一度、ヒトラーの映画を見せ、自分たちのやっていることがナチスと同じであったことを示し、誰でもが第二のナチになって歴史が繰り返される危険性のあることを説明した。生徒たちは愕然として目が覚め、軍隊調の姿勢をくずし、軍旗をすてた。
このように現実の場面で、高校教師という他者が大勢の高校生のこころと行動を操作してしまった。そして高校生自身は、そのことに操作者自身から告知されるまで気づかなかった。これが永続的マインド・コントロールなのである。
久しぶりに「マインド・コントロールとは何か」から紹介したいと思います。
本当にこんなことがあるんですねぇ。アメリカのカリフォルニア州での話ですが、この学校の高校生たち、流されやすすぎでしょw
この高校生達は自ら「ザ・ウェーブ」運動の旗や運動員章を作って所属意識を高めたそうです。
教師のやり方が上手かったのかな。日本の学校ではまあ成功しない実験だと思いますが。そもそも日本の学校は最初から規律が結構ありますからね。
それはさて置き、この実験で注目すべきは途中から生徒達自身が暗黙の元に規律を作って「ザ・ウェーブ」という運動のあるべき姿を体現していくことだと思います。
教師の強制ではなく、生徒達自らというのがキモですね。
全体主義にはそれだけある種の魅力があるのでしょう。それは個という概念の消去によって得られる様々な快感です。
自由な思想の恩恵に預かる我々からすれば、一見拒絶してしまうようなことですが、実はその中に身を浸すと少なからずの解放感を得られるのではないかと想像します。
まず個の責任から逃れられます。
やるべきこと、やらなければならないこと。人生において自らの責任で選択しなければならないことはいっぱいありますよね。この選択と責任から解放されます。
そして個の魅力に捉われることがなくなります。これはつまり、組織の魅力が個の魅力にフィードバックされるからです。
なので組織への批判へ極端に寛容でなくなります。自分自身への批判と同じに受け取るからです。
そして所属欲求が満たされます。同時に所属していない人に対しての差別意識が生まれ、優越感を覚えることが出来ます。この時の優越性は先に述べた「個の魅力」から解放された「組織の魅力」に拠るものになるため、自分が向上したわけでもないのに他者を見下すことが出来るのです。
努力もせず自身が上になったような錯覚に陥るわけです。これらはある種の魅力と言えましょう。
この熱狂の中にいる人たちは、自分たちの変容に気づきもせず、自らの意思で教師の提示した規律と思想に自分を重ね合わせようとします。そしてその「重ね合わせ」がピタッといけばいくほどに快感を覚えてしまうのだと思います。
センセイと呼吸を合わせるのよ~。との言葉が脳裏に横切りますねw
全体主義的だと言われる創価学会。池田氏も「全体主義が理想だ」と語っていました。
意外に簡単に「全体主義」の空気に染まれることを知っていただければ、創価の組織運営にも引っかかりを覚えることがあるかもしれませんね。