-創価学会基礎知識・その14の(1)- 「財務ってなんですか?」
【「白バラ通信 パンドラの箱」コメント欄】より
「財務ってなんだろう」:その二 『マスメディアと金権支配』
◎マスメディアと金権支配
◇創価学会では早くから報道・宣伝の重要性に目を向け、「聖教新聞」を昭和28年に、雑誌「潮」「第三文明」を昭和35年より発刊している。
昭和39年、聖教新聞紙上に小説「人間革命」の連載が始まり、当時は池田大作氏の著作とされ、中でも第二巻には、戸田城聖氏の前で即興の詩を詠う、学会員にとっては、感動の名場面が描かれている。
そこには、山本伸一こと池田大作自身が「布教のあるべき姿」として次のように述べている。
『 ・・・・、或る人は利口気に言う。布教に、ラジオを使うべきだ、テレビを使うべきだと。何と浅はかな言であろうか。俗に言うPRなど、学会には絶対に必要ないのだ。それこそ、多くの新興宗教が取るべき、悪質な「企業宗教」の手段にほかならない。正法は、断じて「法」を下げるような方法は取らない。取る必要がないのである』と。
◇池田大作氏の代作者(ゴーストライター)に語らせたとしても、立派な決意表明である。ラジオ、テレビを利用した布教は「法」を下げ、『悪質な企業宗教』と断じている。
昭和44年、「創価学会を斬る」(藤原弘達著)等の出版を妨害し、厳しく批判された池田氏・創価学会は、その後、表向きは反省のポーズを示しながらも、心底から非を認めることはなかった。
『今回の事件で、とにかく日本中に浸透した。有名になった。本当は政教分離どころか、政教一致で私が指揮を取りたいよ。どこでもやっていることだ、・・・・、新聞記者はどんな時でも味方につけなければならない』(昭和45年2月第32回社長会)
◇その後、国家権力、マスコミの威力を恐れた池田氏は、検察、裁判官、官僚、弁護士等、権力への浸透と、マスメディア対策に猛進することになる。
『口八丁手八丁、なんでもうまくやるんだ。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは、信心、学会を守るためだ』(昭和51年6月)
★大手新聞社と金権支配
◇聖教新聞が日刊紙になったのは昭和40年からであり、その過程で聖教新聞の印刷を自前でするのではなく、毎日新聞の子会社をはじめ、外部各紙の関連会社に発注している。
本来なら、聖教新聞社が自前で印刷所を持ってもいいようなものだが、敢えてそれをしないで、わざわざ新聞社に印刷を持っていくところに、学会のマスコミ対策の芸の細かさがある。要するに、日ごろの利害打算を伴う付き合いを重ねておくことが、「いざ、鎌倉」の時に、「保険」として機能することをよく知っているのである。
◇創価学会は文科省に収支報告をしているが、公明新聞と違って聖教新聞をどこの印刷所で、どれくらい刷っているかは公表されていない。
しかし、ほぼ間違いなく「公明新聞」を印刷している各新聞系列社は、すべて「聖教新聞」を印刷していると考えられ、関係している新聞社は24社、全国37か所の印刷工場にもなるとされている。
平成22年では、公明新聞の印刷費の総計は、16億7千万円に達し、その中でも、最も多額の収益を得ているのが、毎日新聞社系で約7億3千万円である。更に、西日本新聞社が1億800万円、四国新聞が1億200万円、その他に神戸新聞社、時事通信社、朝日新聞社系、読売新聞社系、等々5千万円を超える新聞社が6社にも達している。
また、このほかに「宣伝作業費」「材料代」等の項目で、『電通』に約9400万円が支出されている。
( 黒藪徹哉氏記事、宝島社「池田大作と暴力団」掲載、「平成22年度政治資金収支報告書」より)
平成22年、「公明新聞」の80万部の印刷費だけでも、28社で年間約16億7千万円の経費をかけている。この公明新聞の印刷費から単純計算すると、聖教新聞550万部の印刷費は毎年100億円を下回らないことになる。
◇しかし、一般紙と違って、購読者は信者で固められていて、印刷部数も目標設定されるので、収益は安定的に確保でき、印刷費、広告費等にあてる経費に支障はない。無駄を少なくするようにシステムが非常に管理されている、といってよい。
先週は「ぎっくり腰」ならぬ「ぎっくり肩」に、痛い目に遭わされたクロでございます。
幸いにも2日ほどで大体治りました。どうもお騒がせ致しました。
また、ご心配のコメントを寄せて下さった方々、本当にありがとうございました。
さてさて、続いております桃太郎さんのコメントのご紹介です。少し長くなるので分割して今回のコメントはご紹介します。
確か、小説「人間革命」は現代の御書とか言われていませんでしたっけ?
「布教に、ラジオを使うべきだ、テレビを使うべきだと。何と浅はかな言であろうか。俗に言うPRなど、学会には絶対に必要ないのだ・・・」
都合のいいところだけ「フィクションだ」と言うつもりなのでしょうが、口が曲がっても知りませんよw
いや、逆ですね。
都合のいいところだけ、「真実だ」と言うのですよね。
ほぼフィクションである。しかし、例えば山本伸一(池田大作)の入信神話などは「真実だ」と。
いやいや、「人間革命」においてフィクションでないところはほとんどないんじゃないですか。
ネット上で散々暴露されてきた池田氏の即興詩付きの戸田城聖氏との出会いですが、「池田大作の品格」(小多仁伯著)という本で詳しく暴かれています。
池田氏自身が聖教新聞(昭和32年10月18日付け)で「教学部長から折伏された」とし、「宗教と信仰の心理学」(小口偉一編)という本の中でも「学校時代の友人に誘われて創価学会の本部に行きました。~中略~南妙法蓮華教は嫌いだったので、ずいぶん反対したのですが、理論で敗れて信仰しなければいけないということになってしまったのです」と発言しています。
また入信神話の舞台になった三宅家の三女である妙子さんが、この池田氏のでっち上げ神話を否定しています。
こうして色々な方面から事実として入信神話は否定されていますが、では学会側はそのようなことを知らないというのでしょうか。
実際どのように指導されているかはしりませんが、おそらく「本当のことのように話す」だけで誰も「真実とは言っていない」というスタイルなのだと思います。
アンチやこういった事実を知った学会員さんなどから追求されたとき、「事実ではないとは言っていないが、真実だとも言っていない」というかわし方なのでしょう。
つまり「勝手に学会員たちが信じたのだ」という切り捨て方です。
これが絶対正義で唯一正法の宗教だそうです。
なかなかできることじゃないですよねw
騙された~!と言って怒るのは初歩の初歩として、どうしてここまでして信者を嘘で騙すのでしょう。外部に嘘をつくのではなく、信者を騙すのです。勿論外部も騙してますが。
騙して誰が得をするのか。何が得なのか。
次の段階まで考えるようになると、創価学会はより一層複雑で奥の深い、得体の知れないナニカであることが見えてくるでしょう。
そして複雑さを超えた先には、とってもシンプルな「理由」が存在しているような気がします。
まるで小さな裸の王様が、得体の知れないナニカを何重にも身に纏って肥大化しているような感じでしょうか。
早く「素」の王様の姿が見たいものです。