ちょくちょく紹介しています元職員3名のブログで、ふと目に留まった言葉がありました。
「師匠の創価の中で許されていいのか」
何でも原田会長に10通ほどの手紙を送っていたが(最早業務妨害のレベルでは?)、その原田会長から「話があるならアポを取りなさい」と言われアポを取る為に役員室に5通、41頁に渡る手紙(最早業務妨害・・・)を提出したら、アポが取れるどころか懲罰対象行為と認定されてしまった、という出来事のようなのですが。
その失意の中で彼らは題目を上げると、師匠の言葉が降りてくる境地になっているようです。
そうしてこんな騙し討ちのような行為が「師匠の創価の中で許されていいのか」と。
しかし彼らの手紙好きは一体全体、何の病と呼ぶべきなのでしょうか。手紙に異常なまで固執するのは、手紙で何か成功体験があるからなのでしょうか。最早手紙を送られた側に同情を禁じえないレベルになってきているのは、私だけではないと思うのですが・・・。
まあそれはさておき、師匠の創価、らしいですよ。
確か池田氏は「学会は皆さん(会員)のものです」みたいなことを言っていたような気がするんですが、記憶違いでしたでしょうかね。
名実共に「池田名誉会長の創価学会」であることには誰も異論を挟まないとは思いますが、言葉にしてはいけないことだったのではないかとw
彼らのブログはこういったある意味での「失言」がチラホラ出てきます。本音が出てしまうとでも言うのでしょうか、事実は事実なんですがね。
何度も言っていますが、彼らのブログ記事は通読するにはかなりの苦痛を伴い、私は引っかかった一部分のみを書き出しています。ですので全体で読めば違った意味に取れる、ということもあるかもしれません。
しかしながら、彼らのブログ記事が本当の本気で書かれているならば、冗談抜きで病院のお世話になるレベルではないかと心配してしまいます。
手紙攻撃が無視され続けるという、彼らにとっての理不尽があったにせよ、題目しかないと一心不乱に祈り倒したら池田氏の指導が頭に蘇ってきてそれを行動の指針にしているのです。
学会的にはこれは美談になるんですかね。どうも一線を越えていってしまっている気がします。こちらの世界には帰ってこれないのではないでしょうか。
これが「演出」ならば、まあ釣れる学会員さんたちが一線を越えていっている方たちであるというだけなのですが。
そしてまた別の話題を一つ。
週刊ダイヤモンド「特集 創価学会と共産党」の中で「東大・早大閥が実験を握ったポスト・池田体制の権力構造」という記事の中から。
学会本部では、新卒採用の7割程度を創価大卒が占めるとされ、創価大卒は本部人材の圧倒的マジョリティーだ。正木は創価大閥の頭目的存在として理事長に君臨し、最近まで病床の池田への面談を許された、ごく限られた最高幹部の一人だったとされる。
新卒採用の7割が創価大卒ですか。思ったより少ない。9割ぐらいだと思っていました。
理事長から参議会副議長に降格され、粛清されたとされる正木氏(創価大卒)。次期会長レースからの脱落だと、一時期騒がれていました。
その正木氏が最高幹部の特権として許されていた「病床への池田氏との面談」。
かつて一度も池田氏が「病床」にあるとはされていません。糖尿病など持病があるにせよ、学会側の言うことは常に「お元気な先生と奥様」。
熱心な学会員さんたちとて、聖教新聞に載る池田氏の写真を見て「お元気」と信じきるのは難しいとは思いますが、それでも言うことは「お元気な先生と奥様」。まあ奥様はお元気なんでしょう。
池田氏が「病床」にあった。あるいは今現在も「病床」なのかもしれません。
さあこれは週刊ダイヤモンドの捏造か?誤報か?それとも真実か。
とりあえず創価学会が週刊ダイヤモンドを訴えたという情報は流れていませんね。
普通に考えればお元気ではないことは明らかであり、病床にあると言われても何の疑問もありません。しかしこれもまた、ハッキリと「言葉」にしてはいけないことだったのではないかな~?なんて引っ掛かりを覚えたということで、今日の記事にしてみました。