真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

アレがそうならコレは?

2014-03-30 22:26:38 | 創価学会問題

まだ全然問題が解決していないので皆さんの印象にも強く残っているかと思われますが、世間を騒がせている「偽ベートーベン」の話題がありますよね。

きっと学会問題について少しでも知っている方は脳裏を掠めたはずです。

ゴーストライターって、あのベストセラー本wもじゃん・・・ってね。

ええ、小説「人間革命」でおなじみの篠原善太郎(故人)という方ですね。今は聖教新聞社で数人が力を合わせて書いている、というもっぱらの噂です。

しかし「偽ベートーベン」が告発されたようにもしも篠原氏が自分が書いていたのだと告白していたら、著者として名前が書かれた池田大作氏はやはり言うのでしょうか。「名誉毀損で訴える」と・・・。

どんな名誉だ!?

興味深いサイト記事があったのでご紹介します。

弁護士ドットコムというサイトで本物の弁護士が質問に答える形式なのですが。

「実話のように語られた『創作の物語』真実と思った読者は『慰謝料』をもらえる?」というものです。

ええ、脳裏を掠めますよね。「実話のように語られた『創作の物語』」って、私にはアレしか思い浮かびませんw

記事の内容はネット掲示板に書かれた感動の実話に見せかけた物語が実は創作であったとバレたことによる質問で、実話と思って感動して読んだ人は慰謝料を請求できるのか?というものです。

弁護士の方の回答では「読者はなんの権利も侵害されていないので、(慰謝料請求は)できない」となっています。

じゃああのゴーストライターに書かせた小説も、違法性はないのか~?と思って説明を読むと、ちょっと引っかかる部分もありました。

「道徳の問題はともかく、『実話でないことをさも実話であるかのように話を広めた』という行為が、詐欺に当たるような場合でない限り、違法ではありません。
このエピソードの場合、作者は『特定の人から不当な対価を得ようとした』目的があるとは言えませんので詐欺にはあたらず、この点からも違法とは考えられません」

「さらにいうならば、このエピソードの場合、それを聞いた人は『話の内容』を聞いて『勝手に感動した』のであって、それが実話かどうかは問題ではありません。
もし、この話がフィクションであるとしても『感動する人は感動する』こともあるからです。
したがって、社会通念上も、この程度の『うそ』は容認されます」
つまり、他人のプライバシーや名誉、財産など、法的権利に被害を及ぼさない限り、この程度の「演出」は許されるということだろう。

小説「人間革命」って、一応フィクションとは謳っていても学会員さんの間では事実を基にしているということは共通の前提としてあります。「現代の御書」というくらいですから。

つまり登場人物の名前や細かな台詞回しなど、事実とは異なる部分があるにせよ、そこに書かれている山本伸一のストーリー自体は「事実」であるという前提なのは疑いようもないことでしょう。学会の指導がそうなんですから当然でしょう。

で、学会員さんたちは山本伸一ストーリーが本当のことじゃないと分かっていたら買いますかね?上からのノルマがあるにせよ、それでも購読しますかね?

これって「特定の人からの不当な対価」になる?なんて思ったんですけど。

また、「特定の人(学会員)からの不当な対価(賞賛と尊敬)」という形にも取れますよね。

何故不当か?事実でないことを事実としているからです。事実でなければ得られない対価(賞賛と尊敬)ですよね。

ネット上に書き込まれた創作の感動物語と違い、この小説「人間革命」シリーズは「感動的ないい話だったね~」で終らないのが厄介なところです。

特に実際の池田氏にほとんど触れてこなかった3世や4世の若い世代の学会員さんたちの間では、池田大作というのはそのまま「人間革命」の中の山本伸一であり、山本伸一に抱く尊敬や思慕をそのまま池田氏にスライドさせているのです。

だからよけいに池田大作という人物は完全無欠のスーパーヒーローになっているのです。

これって「勝手に感動した」っていう話じゃないですよね。

その虚像によって得ている創価学会の利益って、本自体の収益だけではなく膨大なものがあります。「信仰心」これに尽きるでしょう。

実際のところはゴーストライターが公にされなければ、違法性も何も言える話ではないのが残念なところです。

心ある聖教新聞社の職員はいないのかな・・・。

ところで、冒頭「偽ベートーベン」の話題から入りましたが、この方学会員であるという噂がありますが本当なんですかね?

所属事務所の筆頭株主が池田氏だということは知っていますが、そこに所属している人はみんな学会員さんなのかな?あんまりちゃんと調べてなくてスイマセンw

知っている人がいたら情報お待ちしています。


自由の砦 より「私は見た!池田創価学会の実態を」 その6

2014-03-23 22:05:54 | 創価学会問題

一連のポーリー女史の手記については、もうご存知の方も多いでしょうが「創価学会による被害者の会・自由の砦」というサイトで全文が掲載されています。

私が記事にしてきた「池田大作の品格PART2」という本にはその中からの抜粋と言うことで、全文は載っていないんですよね。

ですので今回はその載っていない文から、特にご紹介したい箇所をお届けします。

「とりとめもない、内容薄い本」 より

 日本に着くまでの長い時間、私は祖父の死後に出版された本『生命の選択』 (※邦題『21世紀への対話』)を読みました。この本は祖父と、池田大作という日本の仏教指導者との対談を収録したものです。
 この対談がなされた時期は、歴史家だった祖父アーノルド・トインビーが85歳の時で、脳出血で倒れる少し前でした。この本は、祖父の著作の中でも最も忘れ去られたような本で、性教育から始まって、汚染、戦争などに至るまで、とりとめもなく長々とした、二人のおしゃべりを収録したものです。

ポーリー女史は、池田氏に招待されなければ生涯この本を手に取ることはなかったのかもしれません。孫娘に「最も忘れ去れたような本」とまで言われてしまうとは、この対談本の価値が創価学会で宣揚されているものと実際とではどれだけ乖離しているかが如実に表れている一場面といっていいでしょう。

池田の虚像崇める会員達 より

 なお、後で、彼の写真の撮り方を見ることができましたが、彼は、側近がフィルム入りのカメラを渡すと、腕を伸ばしてカメラを構え、ファインダーも覗かないまま、適当にシャッターを切っていくのです。
 その撮り方について質問をすると、側近は「先生は、写真を目で撮るのではなく、心で撮るんですよ」とささやきました。

更にその後ろで、同じアングルでカメラを構えた人がいなかったか要チェックですw

“対談集”続編の出版狙う より

「私の使命は、彼の作品を全世界の人に読んでもらうようにすることです。そのために、あなたも協力してくれるでしょうね」と言われ、私は「ノー」とは言えませんでした。
「約束しますね? 約束してくれますね?」と言われ、彼が私に何を期待しているのか、不安に思いました。
「そこで突然、彼は“トインビー・池田会談で、まだ出版されていない部分があり、近いうちに出版にこぎつけられる”という事を明かしました。
 この旅行の目的の一部が、ここで明らかになった訳です。

何だか脅しに近いような雰囲気に読み取れます。実際にどのような口調だったのかは分かりませんが、少なくともポーリー女史ご自身がどのように感じておられたかは容易に察することができます。

池田の表情が突如一変 より

 また、食事が進む中で、気まずい思いをする瞬間がありました。
 彼は私達に、「トインビー博士は別れ際に、私にどんな戒めの言葉を与えてくれたとおもいますか?」と質問してきました。
 考え抜いたあげく、夫が少しヤケ気味に
「貪欲(どんよく)であってはならない、ということでしょう」と答えてしまいました。
 すると池田氏の大きな顔は、氷のように冷たい表情に一変したのです。あたかも武士達でも召集して、私達を外へ引っ張り出すのではないか、とすら思えました。

ポーリー女史の旦那さん(ピーター氏)に何か賞でもあげたい気分ですw英雄と称するにも等しいひと言を発してくれました。

対してその発言を受けて顔色を変える辺り、池田氏の器の小ささが浮き彫りになっていますね。これもある意味、何らかの賞を与えてあげたい気分ですw

これが池田創価学会の実態だ より

 また、まったく民主主義的な要素のない、階級支配的な団体であり、池田氏が絶対的権力を手中に握っている組織です。会員には、1日に2度の勤行以外に、ほとんど宗教的かつ倫理的な修行を課してはいませんが、一方、組織内では、ほとんど絶対的な服従のもとで活動に参加することが求められています。
 池田氏が政党である公明党を作ったことにより、彼がこの権力をどのように使っていくのかを警戒する声をが聞かれはじめました。この警戒感をほぐすため、表向きは、党と創価学会とは分離されましたが、しかし、党の議員は全て創価学会員なのです。

ポーリー女史は創価学会のことを調べられたのですね。そしてそれは簡潔ながらも実に客観的に実態を捉えられていると思います。

民主主義的要素がないというのは、議員のほとんどが学会員である(確か一人だけ非学会員でしたね)公明党においてもそうです。党の代表は今まで一度たりとも選挙によって選ばれておらず、どのように選出されて決定されているかは明らかにされていません。

また党と学会が分離されていることが「表向き」であり、中身が学会そのものであることを指摘することで池田氏の政治に関する権力の警戒感が薄れる要素になっていないということも、重要な指摘の一つであるかと思います。

・・・というように、とても豪華な歓待を受けた海外のお客様が抱いた感想がこれでは、創価学会としては仏敵にでもしたい気分かもしれませんね。

でもそんなネガキャンをしてしまうとこの手記の存在やトインビー対談の重要性、信憑性に至るまで学会員さんたちの目に触れる危険性があります。ですから無かったことにするしか学会には手がないのでしょう。

以前親しく交流させて頂いていたみるさんの「意味のないことなんて起こらない」というブログでも、このポーリー女史の手記が紹介されています。

よろしければ併せてご覧になってみてください。

「偉人の七光[トインビー編1]」(意味のないことなんて起こらない)

「偉人の七光[トインビー編2]」(意味のないことなんて起こらない)

「偉人の七光[トインビー編おまけ]」(意味のないことなんて起こらない)


池田大作の品格PART2 第五章より「トインビー博士の孫娘・ポーリー女史の痛烈批判」 その5

2014-03-16 21:11:37 | 創価本の紹介
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発売日:2009-07

第五章 色あせた「池田神格化」の現実 より

二,トインビー博士の孫娘・ポーリー女史の痛烈批判 その5

 〈対談集続編の発行は拒絶〉
 ―利用されたことを認める著名人も―

 私達が日本を出発するとき、池田氏の秘書が横に来て、「初版で洩(も)れた部分を、池田・トインビー会談の2冊目として出版したいが、その手助けをしてくれるか、どうか」と尋ねてきました。出版および著作権で、何か問題があったようです。
 また、一九八五年六月に池田氏がイギリスに行く予定があり、それで何らかの手助けが必要だったようです。それが何だったのかは明らかにされませんでしたが、少なくとも私達を利用しようとしていたのです。
 私達は、イギリスに戻ってから、池田氏により招待され、また彼の訪問を受けたりした何人かの人物に、電話を架けてみました。尋ねられること自体が不愉快、という明らかな反応を示した人もありましたが、何人かは、
池田氏の名声を高めるために利用されてしまったことを認めました。つまり、すべての行事が素晴らしいものであるかのように繕(つくろ)われ、写真が撮(と)られ、そっけない型どおりの会話が、あたかも非常に重要な会談であったかのごとくに取り扱われ、記事にされた、と。
 私は、祖父の著作を出版しているオックスフォード大学出版(OUP)にも問い合わせてみました。
 OUPでは、池田氏が、祖父の死後、宣伝のためにトインビー・池田対談の出版をしようと頼んできたが、最初は固く断った、と言っていました。
 その決断を貫き通せればよかったと思うのですが、池田氏はニューヨークの出版社から出版させることに成功し、OUPも、それに従わざるをえない形になってしまった、ということです。また、保存されているファイルの中には、「対談の第2冊目が出版されるかもしれない」といった内容の手紙もありました。

その6に続く・・・

先週、書き上げた記事の消失によりお休みさせて頂いた分をお届けいたします。

ポーリー女史ご家族の招待旅行は、トインビー対談本の続編発刊のためであったと。池田氏のイギリス訪問云々はちょっとよく分かりませんが、現実的な理由がここではっきりしたわけです。

それでやはり思いませんか。その目的を達するための手段としては、悪手以外の何物でもなかったのでは、と。

フツーにポーリー女史の下へ学会幹部とかが訪問して、事務的に依頼すればスマートに済んだ話だったかもしれません。

無論、続編の出版目的以外に女史が仰っているような写真を撮られ会話を重要な会談のように記事にされ、池田氏の名声を高めるという2本柱であったことは確かです。

しかしそれも、事務的な依頼の後、池田氏がイギリスに行って握手の一つでも写真に収めれば充分な結果が残せたのではないでしょうか。

少なくともポーリー女史のこういった手記はこの世に出てはこなかったでしょう。

何故に金をかけて愚かな行為を繰り返すのか。他の人らも不愉快だったというではありませんか。

学会上層部はどんだけおバカなのか?それとも池田氏の強い意向なのか?

学会員さんたちへの意識誘導、大雑把にMCと括ってもいいと思いますが、その辺の人身掌握術には大変長けているのに、著名人や学者・識者と呼ばれるような人に対しての接し方があまりにもあんまりな印象を受けるのは、私だけではないと思います。

こういった対外的な接待に関して、100%ではないにしても池田氏の半ば強制的な意向が働いていることは想像に難くありません。

そして自分より立場が下である学会員さんたちへの巧妙な対応と、いわば目上に見られるような知識人へ対しての拙劣な対応の落差。

これはそのまま池田氏のコンプレックスが反映されているのでは、と思います。

矢野氏の著書などでは繰り返し、池田氏は人の心を掴むのが上手かったと書かれてあります。けれどそれはあくまで創価学会という閉ざされた組織で上に立ちその下にいる人の心を掴むのに長けていたということであり、世間一般の対等な人間関係や信頼関係というものは、該当しないのではなかったのかと思います。

もっと言えば、盲目的な尊敬で媚び諂う人間や、恫喝や暗に脅迫めいた言動が通じ、自分を脅かすことがない・できないと思える人間にしか、池田氏は向き合うことができない極度の臆病者であると、私は思います。

さて、今回はちゃんとメモ帳に書き上げたものを保存してコピペしましたので、前回のような失敗はもうしません!

次回はポーリー女史の手記(全文)から思わず拍手喝采したい部分をピックアップしてお届けしたいと思います。(あくまで予定w)


ショック・・・

2014-03-09 22:51:42 | ブログ

せっかく先週の続きの記事を書き上げ、最後に保存のボタンをクリックしたら突然ログアウト・・・。

保存も途中までで、自分の感想がまるっと失われてしまいましたとさ・・・。

今日はもう時間もないし、もう書く気力がないよ!

ひでーよ、ブログ人!!私の時間と労力を返せ!

というわけで今週はお休みです。来週続き書きます。

Img_0394

コタツの中からにょっと猫。

ではまた~。


池田大作の品格PART2 第五章より「トインビー博士の孫娘・ポーリー女史の痛烈批判」 その4

2014-03-02 22:19:39 | 創価本の紹介
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第五章 色あせた「池田神格化」の現実 より

二,トインビー博士の孫娘・ポーリー女史の痛烈批判 その4

 ②池田は権力と自己陶酔人間

 この旅行は、いったい何のためのものだったのか、それは、帰途につくまでに、すべて判明しました。
 私達は来日中、新聞やテレビのインタビューを受け、夫のピーターは国際情勢について、私は祖父について質問をされました。インタビューを受けるたびに、大衆の目には、池田氏とアーノルド・トインビーの仲が、より親密なものとして映ったと思います。池田氏は、自らをトインビーの、公けの代表的な親友であり、スポークスマンであるかのように見せるため、記事やフィルムを造らせたのです。
 私は祖父が、日本でどれだけ有名で重んぜられているのかを、まったく知りませんでした。「オーダー・オブ・ライジング・サン」で受賞してから、祖父の著書は全ての大学で必読書となっていました。

~中略~

 私の祖父は、日本を訪問した際、まったく池田氏には会っていません。祖父の昔からの日本の友人達も、祖父の最晩年の、どちらかというと漠然(ばくぜん)としたインタビューをもとに、池田氏が大袈裟に祖父の思い出を書きたて、自分のために利用していることに対し、明らかに苦々(にがにが)しく思っていました。

その5に続く・・・

ポーリー女史とそのご家族を招待した目的は、後に詳しく紹介しますが重要なもう一つがありました。

トインビー対談の続編の出版に際して必要となる遺族の了承を、ポーリー女史に働きかけるという目的です。

この豪華な接待は、まさに「接待」であったということです。

学会の話をしていると必ずと言っていいほどに出てくるのが、相手に恩を売っておいて公明党への一票を働きかけるというものがあります。親分も全く同じ発想です。親分だから当然かw

続編の出版に関してはポーリー女史側は拒否しますが、色々あって出版されてしまいます。それもまた後の記事に記します。

しかしそれと引き換えに、上記のポーリー女史の手記が英紙「ガーディアン」紙に掲載されるという経緯を辿ります。

創価学会の中だけで生きている学会員さんたちにとっては、ポーリー女史によってトインビー博士と池田氏の関係性は揺ぎ無いものであると確信を強めていることでしょう。

しかし世界的にはこのような創価学会と池田氏の実態を暴露されるという、実に愚かしい様を晒すことになったわけです。

この手記のおかげでトインビー博士の友人達などの関係者が池田氏や学会のやり方に不快感を抱いているということまで、明らかになってしまいました。学会にしてみれば、関西弁で言うと「いらんことしてもうたぁ~」てな感じでしょうかね。

池田氏本人の要望であったのかは分かりませんが、それにしてもあまりにもやり方がまずいのは素人目にも明白です。

もしも学会上層部のエリート集団wなどがまともな社会感覚を持っていれば、ポーリー女史にここまで言われることはなかったでしょう。

裏目に出た、などと言う次元の話ではなく、最初から失策であったわけです。

それともこういった接待を創価学会では常態化していたのでしょうか。豪華なもてなしで見返りを得られた有名人や識者などが、成功例としてあったのかもしれません。だから深く考えもせずに人を従わせるときには「札束で頬を叩く」というような行為に出るのかもしれませんね。

それが創価学会。イメージを裏切らないと言えば、その通りなんですけどね。