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京都&神楽坂 美味彩花
京都と神楽坂を行ったり来たり、風景などを綴っています。
 




只今再建工事中の「赤城神社」、上は仮の社殿ですがかつての本殿等はすっかり無くなり
広くなった境内の敷地を眺めていると少し寂しい気持ちになります
七五三をしたり成人式をしたりと色々な思い出がありますが
子供の頃は特に秋のお祭りも楽しみの1つでした。
今年は無くなるのでしょうか・・・ってこの状況じゃ無理ですよね
(下の写真は昨年秋撮影)

神楽坂は1丁目~5丁目までと6丁目と
交差点をはさみ商店街なども別れていますが
氏神様も6丁目は横寺町や矢来町等と共に「赤城神社」となっています。
地元では昔から通称”赤城さん”と呼んでいます。

この”赤城”さんとは名前の通り群馬県の”赤城山”からきているもので
群馬県赤城山麓の豪族だった大胡彦太郎重治が
後伏見天皇の創祀に際し牛込に移住した時に
御分霊をお祀りしたのが始まりという由緒正しき神社さんなわけです。
最初は早稲田の鶴巻町にあったようですが今から454年前、弘治元年(1555年)
この地に移って以来現在に至るまで鎮守様として町内を守ってこられたわけです。

今は仮の社殿ができていて横の仮参道を通ると
お参りすることができるようになっています。
境内は唯一残された御神木の楠木が印象的です。



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久々に神楽坂ということで・・・「若宮八幡神社」です。よく”若宮さん”とよんでいます。
東京理科大裏手にある若宮公園から少し西に行った所にあります。
真新しい作りの社ですが、由来は以外に古く1189年(文治5年)
源頼朝が鎌倉の鶴岡八幡宮の下宮を遷し祀ったのが始まりとされています。

その後、江戸時代には太田道灌が社殿を修築。
近くに勝海舟が住んでいたこともあり直筆の書が残されているそうです。

社は近年建て替えられたもので、以前の基調な写真を
たきおさんのブログトップのテンプレート一番右で見ることができます。



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このところ寒の戻りがあり冬に逆戻りという感じでしたがまた今日辺りから暖かくなるようですね
毘沙門様の桜も頑張ってくれています。



境内では枝垂れ桜も咲き始めています。




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10月14日(日)神楽坂の毘沙門様ではお会式法要がおこなわれます。
夕方7時半より万灯行列(まんどうぎょうれつ)も行われるそうです。

”おえしき”とは日蓮聖人のご命日を追恩して行われる法要です。

明かりを点けた万灯が坂下から威勢よく練り歩かれます。




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外堀通りから「日仏学院」さん方向に上る「逢坂」

かなりの急勾配な坂です。

この坂の入口付近に「築士神社」という
小さいお宮さんがあります。

今まで何気なく通り過ぎていましたが
「神楽坂 街の案内人」さんブログで知った『堀兼の井』
今は実際に井戸が存在するわけではありませんが史跡が書かれています。

悲しいお話です



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赤城神社幣殿の左にある赤城カフェさんの横を通り、裏側へ回ってみると奥の院(本殿)があります。

元の本殿は今は残っていませんが
裏から見る赤城さんもちょっと素敵です

境内の朝はインターナショナル

赤城幼稚園の一室にあるフランス幼稚園 「オペイ・デ・サクラ」に
都内各所から皆さん集まって来ます。

「赤城神社」さんの起源は平安時代ですが、元々は早稲田の鶴巻町にあったようで
その後、牛込見附付近に遷され、今現在の場所に遷されたのは弘治元年(1555年)なのだそうです。

徳川幕府の頃には「日枝神社」や「神田明神」と共に「江戸の三社」と称されていたようです。

参道にある末社「出世稲荷」さんは赤城さんが遷る
以前からあり鎮守様として尊ばれてきました。

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神楽坂上の交差点を飯田橋方向へ歩くと
やがて左側に「筑土八幡神社」へ上る石段が見えてきます。

階段を上って行くと途中、石造の明神型鳥居があります。
これは江戸時代(享保11年)のもので
新宿区内でも最古とされているようです。

「筑土八幡神社」の起源は以外に古く
社伝には平安時代 嵯峨天皇の時代と伝えられています。

戦国時代は管領上杉氏の城郭であったそうで
それ以来この地の鎮守様として敬われています。

また境内には二匹の猿が桃の実を採って遊んでいる姿が彫られた
江戸時代初期に奉納されたという『庚申塔』(こうしんとう)があります。

縁起の良い姿から縁結びの神様ともいわれています。

また石段を上りきった左側には『田村虎蔵先生をたたえる碑』があり
”金太郎”の楽譜の一部が刻み込まれています。

田村虎三先生とはあまり聞いたことがないかもしれませんが
「金太郎」「花咲じじい」「浦島太郎」「したきりすずめ」「大寒小寒」「うさぎ」「一寸法師」等々・・・
有名な童謡を数多く作曲された作曲家で
筑土八幡神社の裏辺りに住んでいたことからここに碑が建てられたようです。

さて、そんな今日の「筑土八幡神社」ですが
実は昔ここには二つの”つくど神社”があったそうです。

もう一つは「津久戸明神社」といい「筑土八幡神社」の隣に祀られていましたが
戦災で全焼したため戦後九段北へ遷されたそうです。
その名残が町名の”津久戸”になっているというわけです。

またその名をとった「津久戸小学校」は母校でもありますが
明治37年に開校し、今年で103年目を迎えます。

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神楽坂のシンボル的存在の「毘沙門様」ですが

今回初めて知ったのがこちらの”狛犬”さん
実は”犬”ではなく”虎”(狛虎)なのだそうです。

確かによくよく見ると・・・”虎”かも~
小さい頃から何度もお参りしているのに全く気づきませんでした。

石台の部分に彫ってある絵を見ても確かに”虎”です。
以外な事実にちょっと楽しい気分になりました。

最近の神楽坂はお祭り以外にもゆかた姿や着物姿の若い人をよく見かけます。

和服姿はやっぱり風情があって良いですね~


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写真だけを見ると京都のようですが・・・
神楽坂は坂上交差点角にある「安養寺」さんの境内です。
この場所に来ると何故か落ち着きます。

"洗心、寛生水"とあります。
夏になると小学校の帰り道この水をガブガブ飲んでいたのですが・・・
今も飲めるかな???(たぶん井戸水だと思います)

「安養寺」さんは江戸三十三観音巡り第十六番
天台宗のお寺で本尊様は十一面観世音菩薩になっています。

このお寺、始めは江戸城内にあったそうですが
その後平河口や田安に移転し現在の地に移されたそうです。

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