ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

四川省

2014-04-15 05:00:00 | 大阪にて

先週木曜日になって、やっと出たり引いたりの熱から解放され、それでも当日は半信半疑で過ごしていましたが、どうやらお腹も減って晩御飯も久し振りに食べました。その後用心して厚着は続いているのですが、どうやら無事に過ごせる日が戻って来て、土曜日も日曜日もソフトボールの練習に行くことができるようになりました。

普段は麻雀やドンジャラ(子供向けのお遊び麻雀)など賭けてなくても一切しないのですが、この麻雀パイを使うゲーム・四川省は会社に居る時の僅かに出る暇な時間を潰すのにも持って来いのゲームなので、よく遊んでいました。それが昂じてか、仕事に行かなくなってからは毎日のように長時間、PCの前に座るようになってしまっていました。別段、ブログを書いているわけでもなく、ただダラダラと四川省で遊んでいるのです。勝てば勝ったで次の勝負、負ければ腹が立ち次の勝負とキリがありません。

             

最近特に目立つのは電車に乗っていても、自転車に乗ったままの人を見かけても、スマホをいじっています。きっとテレビのCMなんかで流されているゲームを楽しんでいるのでしょうが、私はスマホでゲームをしたいとは思いません。というよりCMで見かけるようなゲームなんか、ようせんのです。ついでに漏らしておけば、子供が未だ小さい頃から流行り出した任天堂のファミコンもゲームボーイもソニーのPlayStationも一切買わなかったし、触ったこともありません。所謂ゲームが蔓延ってる時代から、ゲームとは無縁の生活をしていたのです。何故なのか、当初喫茶店などには机がゲーム機になっていたインベーダーゲームというのがありました。ある時それをやってみたのですが、何度やっても悉く自分がやっつけられるので、お金もかかるし、巧くいかないので全く興味を示すことがなかったのでした。お金がかからないとは言え、この四川省に嵌ってしまったのはどういうことなのでしょう。

             

この間、しんどくて眠っている時も夢の中にこの四川省が現れて、頭の中で勝手に牌を並べて、それを取り崩していく夢を何度も見ました。何かとても苦しい状況なのに、一所懸命頭を働かそうとしていて、いつもこのゲームをしているのですが、通常ではありませんから、この写真にあるような四角の中で解いていくのではなく、外で解いていたり、外が終わったら中が残ってるやんみたいな夢も覚えています。

1つ終えるのに短くても3分、平均して5~6分はかかると思うのですが、答えが最初から用意されている問題ではありません。1ヶ所潰しただけで『手詰まり!』になってしまうほど、答えなど無いゲームなのです。それが30連勝も出来たのは、単に問題に恵まれただけとう側面が強いだけです。ただこれだけ連勝が続くと、手詰まりになるのが怖くて、ゲームからついつい遠ざかったりしていました。

こういう状態をゲーム依存症とでも言うのかも知れません。勿論お金がかかることはないのですが、それより却って先行き短い貴重な時間の方が、このようなゲームに費やされてしまっているのではないかと懸念し始めたのです。夢にでも出てくるようになったのですから、深刻と言わねばなりますまい、もう絶対にゲームなんかやらんぞなどとは考えませんが、なるべくPCの前に座る時間は短くしていきたいものだと思っています。



花まつり

2014-04-14 05:00:00 | 大阪にて

甲子園で何も食べなかったとはいえ、そのまま帰って何も食べずに寝てしまうのも良いことではないと思い、阪神電車の梅田駅西口にあるうどん屋でソバを一杯食べて帰ったのでした。体調も悪くなく、これは治ったかと病名にも気付いてないのに、一人合点していたのでした。翌朝はモモを散歩に連れて出ても、体がまだ重いなぁと思うぐらいで、普通に歩いていました。その日は何処へ行く予定も無かったので一日中家でのんびり過ごしていたのですが、4時ごろになってまたしんどくなり始め、布団を敷いて寝ることにしたのです。夜になって熱が出てきたようでもあり、さりとて薬を飲めば残りは少なくありませんから、何処かに熱さまシートがあったようなことを思い出したのですが、布団から出るのも面倒なので、そのまま目を瞑って熱さに耐えているといつの間にか眠ってしまっていました。夜中に気付くともう熱があるような状況ではなくなっており、薬を飲まんでも良かったんやと安心して寝直したら、翌朝はすっきり、足どりも前日よりは軽くなった感じでした。

             

これって風邪だったのか、あまり風邪などひかないで(ひいても医者などにかからず治っていた)過ごしてきましたが、今回は少し酷かったように思われます。風邪をひかないことを根拠に自分はアホだと決め込んでいるのですが、その根拠もだんだん危うくなってきているのかも知れません。ことの発端の練習中の冷え固まりですが、齢をとると肩の冷えるのがだんだん早くなり、思い通りに投げるには10球以上はキャッチボールをしないと肩が暖まりません。イニング交替でのキャッチボールなどはせいぜい2~3球程度であり、その後もあまりボールも飛んで来ないので、試合中などは何時も肩が冷えた状態であり、ボールが飛んできてもすぐに投げ返せると言う状況ではなくなるのです。齢をとるというのはそういうことでもあるのです。

             

さて甲子園へ野球を観に行った日は4月8日であり、仏教ではお釈迦様の誕生日に当たり、花まつりの日と重なっていました。おそらく私の家から一番近いお寺がこの『正福寺』でしょう。マンションンの階上からも北の方に見えています。実はこのお寺はT橋という私の同級生が住んでいた(今でも住んでるのかも)お寺なのです。K川君に見せてあげようと思って、わざわざ遠回りして写真を撮って来たのでした。

                        

普段は誰もが入れるような状態ではありませんが、この花まつりの日は誰もが入れるように門が開放されていました。日本で言う釈迦の誕生日である4月8日はグレゴリー暦ですが、釈迦の生まれたインドの暦では2月15日とされていて、それは当に中国暦の4月~5月に相当する季節であるらしいのですが、中国暦の4月8日は明らかにグレゴリー暦とは違います。このように同じ仏教でも釈迦の誕生日は例え4月8日だと言っても違う日が設定されているのであり、こうなってくるとどれが本当なのか判らなくなってくるのであり、そうなると釈迦ってホントに居た人物なの?ということに至ってきます。

             

境内には誕生仏が置かれ“甘茶かけてください”のお願いが見られますが、かける甘茶?は・・・自分で用意していくものなのでしょうか。甘茶ってどんな味のお茶ですかね。舌が付いてるけど、甜茶なら飲んだことがあります、確かに少し甘い感じの味がするお茶でした。

             

失敗して物事をダメにする時に使う言葉「お釈迦になる」がよく使われていますが、この言葉の由来を知ってますか?江戸の鍛冶職人の隠語として、火を使いすぎて鈍ってしまった金物を江戸訛りで「し(火)がつよかった」が4月8日と重なり、それがお釈迦様の誕生日と重なるので使われ始めたとか・・・

       

こちらは病に倒れた当日、4月5日の土曜日、練習前の小学校のサクラです。見ごろは過ぎていますが、未だ沢山の花が散らずに残っています。このページが投稿される今日は、おそらく葉桜に変わってしまっていることでしょう。

甲子園球場での開幕戦

2014-04-11 05:00:00 | スポーツ

ブルブルと震えることは無くなったけど、あれは何やったんやろ?と気が気でなりません。5時前にもう一度薬を飲んで1時間半ほどして目が覚めると、やはり前日と同じように寝汗をかいていました。この日はK川君と甲子園球場に行かなければならなかったのですが、起きた時はまずまずの調子だったので、このまま一日元気ならば、この病ともお別れでしょうし、甲子園でも飲めるはずだと思っていました。昼まではそれで良かったのですが、昼を過ぎるとまた体が重い感じになるのです。それでもお金を貸してほしい人が居たので、難波まで自転車で行ってきました。ペダルを漕ぐにも力が入らない状況、しっかり走らな危ないなぁなどと思いながら、なんとか往復することが出来たものの、4時ごろに家を出ようと思っていたので、後1時間半寝ようと思ったのでした。寝ようと思ったものの寝すぎたら困るので、あまりしっかり寝てはいません。起き出して薬を飲み、4時半に出発、西梅田から阪神電車に乗り換えようと思っていたら、丁度甲子園行きの臨時特急というのが停まっていて、それに飛び乗りました。途中で汗が出てきましたが、きっとあの薬のせいだと思いながら、とうとう電車は途中の駅には一切止まらず、甲子園駅まで直通なのでした。

             

甲子園駅の近くのダイエーで買い物をしようと地下の食料品売り場に行くと、やはりいつもより人がいっぱい、今季初の甲子園でのタイガースの試合が始まるのですから。近所の人にとっては迷惑なことなのだと思います。案外、球場近辺の家々に住む人はアンチタイガース、いやアンチプロ野球が多いのかも知れません。

薬が効いているのか、別段しんどさも無く、1本だけスーパードライ500mlを買い、肴になるようなものはどうでも良くなって、和風の弁当だけ一つ買い、500mlのペットボトル入りのチューハイを1本買いました。京セラドームではペットボトルも持ち込み禁止なのですが、甲子園球場ではペットボトルはOKなのです。

             

入場したのは6時前、ブリーズシートの6段92という席でしたが、どの辺りなのか全く分からず、係員に案内してもらったら、すぐ近くで、これなら途中トイレに行きたくなってもすぐやと思ったのでしたが、K川君が来る前に1度行ったきりでした。ブリーズシートと言うのは去年まではアイビーシートと呼ばれていた席で、企業などが何らかの目的で年間の予約をしている席のことです。念のためMEIJIなのかと見てみたのですが、椅子には違う企業の名前が貼られていました。

             

この日入場の際にスクラッチカードと年間スケジュールと黄色い旗を貰ったのですが、ライト側スタンドはその旗の黄色一色に染まっています。

この選手がもう少し打っていれば、この日の試合は負けずに済んだかも知れません。前の京セラドームの試合にしても、テレビで観る試合にしても1番・2番・4番・5番バッターは物凄く頑張ってるんじゃないかと思うのです。

             

ここまでは順調にタイガースのペース、こういうパターンだと勝ちは見えているというものです。もうこの頃までにはダイエーで買ったビールもチューハイも、持って行った水筒に入れた麦茶割の焼酎も無くなっていましたが、不思議とお腹は空かず、買った弁当はK川君に食べてもらいました。



パノラマで撮ってみたのですが、何だか右側がおかしなことになっています。左からずっと見て3/4を超えた辺りから右下へ落ちていくような格好になっているでしょ。手前側の観客席はさほどでもありませんが、グランドも右下がりに写っています。撮影している場所が低かったからかも知れません。

             

先発ピッチャー藤浪は7回2アウト・ランナー無しまで漕ぎ着けながら、3連打されて1失点、その後フォァボールで満塁になったところで昨年打率・打点と2冠王だったブランコを迎えて守備側は何か策を採ったのか、ブランコをなめていたんじゃなかったのか、ここで出たバックスクリーンへ一直線のホームランが試合を決めたんでしょう。藤浪もベンチもショックは大きかったと思います。8回にも1点を追加され、その裏で点が入らなかったら帰ろうと合意した二人は、2アウト満塁まで漕ぎ着けながら点が入らなかったので、すごすごと球場を後にしたのでした。お陰で球場を出るまでも出てからも混雑はなく、電車も座って帰れました。

               

真ん中は入場する際に貰ったスクラッチカード、3連戦とも各5000個づつ帽子が当たると書いてあります。4万人入場者が居るとすれば8人に一人当たると言う計算になりますが、私は野球場に来て何らの抽選に当たった例がありません。球団側としては正当な料金を払い、熱烈なファンの詰めかける1塁からライトスタンドに多く振り分けるような気がします。それでもまぁ削ってみようと適当なコインで削ったら、タイガースのマークが出てきました。K川君が来る前に、トイレに行ったそのついでに景品交換所まで行ってきたのでした。でもこの帽子を被るのはチョット恥ずかしい感じです。

上かん屋

2014-04-10 05:00:00 | 大阪にて

月曜日の朝起きた時は結構スッキリしていた体調もロキソニンの効果が薄れてくる9時過ぎには何ともモヤモヤした気分、暫らくすると血尿が出始めました。それでもこの日は四條畷の長男の家まで行かなければなりません。車を運転しなければならないので、出る前に薬を飲むことは憚られるし、身体が重く、足もしっかり歩けているわけではありません。長男は今月、つい目と鼻の先の一戸建てに引っ越しを決めたので、買ってあげた家具類が届くのでした。ニトリで買った孫たちの机兼ベッドは配送業者が組み立ててくれますが、ダイニングテーブルは自分で組み立てねばならず、ネットで頼んだ組立品って説明書が十分ではなく、メッチャ解り難いのです。まぁ自分たちの仕事はすぐに終わったのですが、2階に運んだベッド兼机の作業がなかなか終わりません。終わらんでもエエから帰ろうと言ってるのに、一緒に車に乗って来た人は帰る素振りがありません。それでも3時過ぎには作業が終わって、そのまま帰ることにしたのですが、途中で熱が出たような感じ、4時ごろに大阪の家に着くなり薬を飲んで、布団を敷いて寝たのでした。9時前になって起き出した時はまた元気な感じ、ちょっとだけ加工肉とスナップエンドウを肴に焼酎の麦茶割を飲んで、何をする気も無いのでまた眠りに就いたのですが、12時ごろになって布団の中は温いのに体が寒くて(冷たいわけではない)震えが止まらなくなってしまいました。こんなことは初めてで、何か着るよりエアコンを点けようと思ってリモコンボタンを押し、暫らくすると震えも止まったので1時間ほどでエアコンを切ったのですが、今年の冬はエアコン要らずだったのにと時ならぬ使用に妙な自慢も吹っ飛んでしまったのでした。

             

K川君から4月8日の甲子園での開幕第一戦のチケットが手に入ったから、自分は6時半ごろにしか到着できないので、先にチケットを渡すので何処かで会おうと連絡が入ったのは4月2日、なので体調が悪くなる(予想していたわけではないのですが)前日の金曜日に、法善寺横丁の『上かん屋』に行こうと誘ったのでした。“上かん屋 へいへいへいと さからはず”の句碑からしてどんな店なのか気になっていたのです。

             

水掛け不動の前で6時半に待ち合わせ、その『上かん屋』が何処にあるのかを知っておくために早目に着いたのですが、千日前のラーメン屋が何軒あるのか数えて、句碑のあった筋で探したのですが見つからず、そのまま水掛け不動前に行くとK川君はもう来ていました。因みにラーメン屋は5~6軒どころか9軒もあったのです。

K川君は地図まで印刷していて、それを基に位置を確かめると、千日前の方へ歩いていくらしいと思ったら、すぐに左手に看板が見えていました。

             

初めての店ですから、その日のおまかせコース3000円を2人前、最初は1本だけ瓶ビール、後は『上かん屋』なのですから、熱燗を2合、計4本注文したのでした。コースには生もの、煮物、焼き物、揚げ物が、出ている物が無くなった頃合いを見計らって出てきます。でもK川君と私では、食べるスピードが違います。どちらかというと私は飲んでなくて、ご飯だけを食べるときは早食いだと言われますが、飲んでいる時はそんなに早くは食べられません。食べるより飲むになってしまうのです。

       

鮭のヌカ焼きみたいな焼き物が一番美味しかったかな。私が未だそれを食べている最中にK川君はテンプラまで平らげてしまったので、私のテンプラはK川君に食べてもらいました。錫製のちろりって日本酒の旨い店に来たと言う感じがします。最後〆にちりめん山椒ごはんが出てきました。

             

ご飯の前に一品だけ、名物のどて焼きを注文したのでした。6時半に入って8時過ぎまで飲み、後もう少しだけ、別の焼き鳥屋で飲み直したのでした。

阿部野神社のサクラ

2014-04-09 05:00:00 | 大阪にて

土曜日は寒かった、寒かったと言っても1月2月の寒さではなく、前日より気温が下がっただけなのに、花冷えに備えて着込まなかったからだと思うのですが、最初のキャッチボールのころは良かったものの、練習を見ているうちに体が冷え込んで、フリーバッティングの際にキャッチャーの打順で代わりに座ったら、体が固まって普通にボールが投げれませんでした。自分でも「なんで?」と思ったぐらいだったのですが、思えばそこから体の異変が始まったのかも知れません。

練習が終わっていつも行く飲み屋で「寒いから最初から熱燗か湯割り」を飲もうと決め込んでいたのに、行ってみると臨時休業になっているではありませんか。仕方なしにいつもは2軒目に行く店に行こうとしたのですが、そこは自分のマンションの前を通るので、「もう帰ろ」とらしくもないことを考えて、家で湯割りを飲んで済ませたのでした。

翌日曜日、朝からモモの散歩に行き、二日分のブログを書いておいたのですが、どうも寒気がして頭も少しだけ痛いので、昼ご飯を食べてから布団を敷いて寝ることにしたのです。丁度タイガースとスワローズの試合をテレビで放送していたので半分眠り、半分見ながら、結構面白い試合展開でしたが、やはり試合時間が長い、結局6時頃までやってたので、そこから起きて夕食の買い物に行くのもしんどく、かと言って誰も帰ってこないので、この日はそのまま何も飲まず食わずで寝てしまったのでした。

             

寝てしまったと言っても、ずっと寝てるせいか背中が痛いし、喉が渇くので麦茶を何度も飲んだのですが、体は依然として熱っぽく、朝まで寝返りを何度も打ち続け、眠ったのはどれだけだったのか、朝方あまりにも背中が痛いので、この間警察病院で貰ったロキソニンを飲んだら寝汗をかき、朝モモを散歩に連れて行くのに起きた時はすっきりしていました。話はここで終わらないのですが、続きは又明日と言うことで。

拝殿の西側には祖霊社と勲の宮という二つの祠が並んでいますが、勲の宮とは北畠顕家(ここでは源顕家と表されている)に従軍した甲州・波来井梅平(何処で区切るのか分からない)の城主、南部師行と一族郎党108名が、頼家討ち死にの知らせを聞いて敵陣に討って出て、全員が悲惨な最期を迎えたので、その御霊を祀っているのだと書かれていました。

               

ここに再び旗上稲荷社の鳥居、昨日紹介した鳥居を抜けると、曲り曲ってここに入って来れるのです。真ん中は『征露戦役紀念碑』、東郷平八郎の揮毫ですが、日露と書かずに征露と書いている所に日本国の持っていた侵略性が現れています。右は生田花朝女の句碑“飯蛸や 春の景色は 淡路より”何とも冴えない句を載せたものですが、画家として勲四等瑞宝章を頂いているのですから、きっと立派な絵を描く人だったのでしょう。

             

私はこの神社に3人の息子と孫の七五三のお詣りの際に来ているのですが、その時はあまり何も観ていなかったようです。孫と記念に撮った写真にはバックにこの校歌の入った看板が写っています。この帝塚山学院旧校歌は大正5年の作となっていますから、小学校のものです。当時帝塚山学院は小学校しかありませんでした。1番の歌詞はまぁ納得がいくとして、2番には顕家や正成など歴史上の謎が多い人物を弧忠や至誠として持ち上げ、3番などは当時としては仕方なかったとしても明治天皇のことを大帝と讃え上げ、4番などは“心と体に乾坤も 一擲すべき活力を”ここはどう読むんだろうと考えてしまいます。乾坤とは天と地、一擲とは一回投げることであり、運を天に任せてサイコロを振るような意味、ですから心と体に乾坤一擲の活力をということになるのでしょうが、運を天に任せるような活力など有り得るのでしょうか?それ以降も凄い、“みなぎらしめて皇国に つくさん時を 望むなり”この作者の意図が最終に込められているようです。こんな歌を小学生から歌わされれば、皇国少年=天皇の為になら命を投げ出すことも厭わない人間を作り上げるのです。こんな時代錯誤の歌詞を殊更関係のない神社の境内に残さなくても良さそうなものですが。

             

“神は人の敬によって威を増し 人は神の徳によって運を添う”左右の柱に書かれた文字です。右の柱の“神は・・・”はそうかも知れません。神は人間が信じない限り神ではあり得ないのですから。でも左の柱“人は・・・”は違うでしょ、無いものの筈の神に徳などある筈がないのです。だから無いものの筈の徳によって運が寄り添うこともありません。小さな神社ってこんなことを書こうこともありませんが、大きい神社って何故こんな有りもしないことをこと好んで書くのでしょう。七五三で詣った3人の息子も2人の孫も何の御利益など有りはしないのです。

             

更に近くに寄ってみると、笹竜胆の紋があるのを知ったのです。これでようやく我が母校の校章に笹竜胆が使われている謎が解りかけてきた感じがします。母校の前身、高等女学校の校歌には“あさゆふあふぐ 阿部野の宮居・・・”という歌い出しがあり、ここにもこの阿部野神社との関連が歌われているのです。因みにこの校歌の歌詞には、帝塚山学院の旧校歌のような勇ましい軍国主義的な語彙は一切ありません。

               

拝殿から南を向いた風景。真ん中は燈籠を撮っているようですが、実はその前に植えられた木に注目しているのです。小賀玉木(おがたまのき)です。天に向かって真っすぐ枝を伸ばすことから古来神霊を招く神の依代として玉串にされたと説明書きがありました。1円玉にデザインされているのはこの木です。

もう最盛期は過ぎたでしょうが、未だ散ってしまったわけではありません。境内に咲くこのサクラは幹2本分です。2本でこれだけの面積を覆うのを見るのはなかなか爽快です。

             

さて、そろそろ帰ることにしましょう。こちらが来た方向、西側です。阿部野神社があるのは上町台地の中央部のほぼ南の果てで標高14m、住吉大社まで下がると標高6mになります。上町台地は西側が急峻な崖状であって、ここが足利軍と北畠軍の戦いの場となったのは納得がいきますが、何処を見て回ってもどちらの軍勢が台地側に陣取っていたのか分かりません。

                        

“幸誘う 語らい神馬”いつごろから置かれている像なのかは知りませんが、像の下に有る奉納者の名前を見てビックリ、知ってる人の名前があるではありませんか。同じ苗字なので5人とも家族なんだろうと思いますが、9年前に奉納しています。因みに次男と同級生だったソフトボールをしていた子の親の名前があったのですが、その子の名前は有りません。

             

帰りは階段を使わず、懐かしい坂道を下りました。昔は無かった団地も建っています。そのずっと奥にはあべのハルカスが佇んでいました。

阿部野神社

2014-04-08 05:00:00 | 大阪にて

家から自転車で数分、2月末に亡くなったI葉さんの家の近くに阿部野神社という大きな神社が有ります。阪堺電車の天神の森駅を越えてすぐ、東の方へ向かう道からすでに大きな鳥居が見えており、小学生のころはこの辺りでも遊んだ覚えがあります。どうやらその頃は最初の鳥居は無かったようで、建立が昭和48年となっていました。

             

阿部野神社が鎮座して90周年に当たる年に建てたようで、その頃私はすでに働いていました。しかし昭和48年と言えば戦後から28年が経過し、日本国にも民主主義が定着しつつある時期ですが、この鳥居には右の柱に“大日本は”左の柱に“神國なり”などと、あの悲惨な戦争を引き起こしたイデオロギーが刻まれています。こんな文句を刻んで誰も抗議しなかったのでしょうか。

       

私が小さい頃によく来ていたこの神社の鳥居はここが最初のものだったのでしょう。左横にアスファルトの坂が見えていますが、私が遊んだ頃は土の道でもっと狭かったと記憶しています。最初の鳥居が建っている所は西成区内、この鳥居が建っている辺りから阿倍野区になります。阿部野神社の石碑が建っていますが、鳥居の形が何だか変で、阪神大震災で倒れたのかも知れません。

             

階段を登り切ったところに有る旗上稲荷社、芸能稲荷社とも書かれていました。階段の正面から入るものと思っていましたが、扉が閉まっていたので、稲荷社とは反対方向へ道が付いていたのでそこを通って行くことにしました。実はこの稲荷社の赤い鳥居を潜って行くと拝殿に行けたのですが、それは境内を歩いているうちに分かったことです。

               

左側に北畠親房・顕家の生涯らしきものを描いた板がずっと並んでいましたが、あまりよく読めないのでパスしました。右側に中今亭と書かれたこれは茶屋でしょうか、料亭でしょうか、こんなものが阿部野神社に有ったとは知りませんでした。中を覗くと歌碑が建っていて、“風にのり 言葉はゆきぬいつしかは 谺となりて かへりしたらむ 佐登”と彫られていましたが、あまり有名な句でもなさそうで、ネットで調べてもヒットしませんし、佐登が誰なのかも分かりませんでした。

             

一旦は拝殿の前に出たのですが、右に大きな鳥居があり、まずそちらから入り直しました。南の方から来るとこの鳥居を潜ることになります。正面が拝殿なのでこちらの鳥居が正式なものなのかも知れません。

       

南の鳥居を潜ると左に北畠顕家の像があったのですが、周りの木々の剪定作業をしていて、ブルーシートや白いシートが放りっぱなしにされ、ゆっくり眺める余裕が生まれません。像の右の立札は『花将軍 北畠顕家』とい歌の歌詞らしい。

この神社は明治15年に別格官幣社として建立され南朝方の北畠親房・顕家親子を祀っていると言いますから、天皇の為に戦うことは尊いことだという当時の政府の意図が込められているようです。戦災で全焼し、昭和43年に再建されたと言いますから、私が小さい頃に遊んでいた時には、拝殿などは無かったのですね。

京セラドームで今年最初のプロ野球の試合を観る

2014-04-07 05:00:00 | スポーツ

先々週の金曜日からプロ野球が開幕しました。我がホークスはまずまずの滑り出しを見せていますが、タイガースはジャイアンツに負け越したけど、1つ勝ったからまぁ良しとしておきましょう。そして先週の水曜日、準ホーム球場としている京セラドームでのドラゴンズ戦に行って来ました。大失態をやらかした1000円チケットの購入でしたが、13枚も買うとそのうちの一人ぐらいは予定が入って行けない人が出てくるもので、今回も年度初めと言うことで一人来れなくなった人がいたのです。

             

これだけ点数が開けば、もう負けようがありません。9時も回ったし早目に帰ることにしました。それにしても7回途中で3時間もかかるって、長いですね。それだけ飲み続けることになるのですから、私としてはもっとスピーディに試合を進めて欲しいと思うのです。早く終わればそれだけ飲まなくて済むので、そんなに酔うことはありません。じゃ、自制したらええやんということになるのでしょうが、自分の中ではなかなかそうは問屋は卸してくれないのです。

    

1000円でチケットを購入したのですが、実はこの時の席は3500円の席だったのです。でもグランドからは結構遠いですよね。A竹君が私のチケットを取り損ねたことを知って、何処かでチケットを都合してくれたのですが、それは勿論私が使わずに二人の共通の知人が使ったのですが、その席はグランドからは近い席でした。Joshin関係のチケットでした。

ただ、今回は1000円チケットを買うと、球場でグッズと引き換えてくれます。今回はタイガースロゴ入りの財布みたいなものでした。翌日しげしげと見ていたので、絶対に持ち帰ってるはずですが、何処に置いたのか、狭い家でいくら探しても見当たりません。

       

去年1000円チケットで最後に観戦したのが8月でしたから、旧の職場の人たちと会うのはそれ以来、8か月ぶりということになります。京セラドームはビンや缶は勿論、ペットボトルも持ち込み禁止ですが、紙パックはOKなので、いつも飲んでる『黒よかいち』の900ml入りを買ってはいたのですが。職場の人たちはこんなパウチパックのものを買ってきてました。私の買って来た方を先に飲んだのですが、こちらが余ったので私が頂戴して帰りました。

職場では隣の席に座っていたK山君は、いつもドリップバッグのコーヒーを買ってきてくれます。20個ぐらい入って500円です。いつもお金を取ってくれません。今回は私がこのところ紅茶を飲んでるのを知ってか知らずか、見たこともない紅茶を買ってきてくれました。一つはユニオンジャック、片方はバナナとう何の脈絡もないものですが、ひょっとしたら美味しいかも知れません。

法善寺

2014-04-04 05:00:00 | 大阪にて

8億円を化粧品会社のDHC会長から借りたと言われる『みんなの党』の渡辺喜美代表、選挙直前に借りたのにも拘らず個人の借金だと言うのですが、個人で8億円も借りて個人で返せるものなのか、8億円を0、5%の利子で借りたとすれば、返す額だけで400万円も要るのですよ。何に使ったと問われて「酉の市でかなり大きな熊手」などと嘯いていますが、熊手業者は怒っていることでしょう。選挙の直前に融通してもらった5000万円を個人の借金だと言い張った猪瀬知事はついに知事を辞任しましたが、その居直る姿に渡辺代表は「引き摺り下ろされてジ・エンドより、潔く身を引く選択肢がベターだ」と辞任を促していた筈ですが・・・

貸した方の吉田嘉明会長は一昨年の衆議院選挙に絡めて「5億円が必要」とのメールが残っていると証言、渡辺代表の説明を虚偽だと述べ、政党助成金で返してもらえると認識していたと言います。貸した相手がそう証言しているのですから、もう逃げ場はない、猪瀬氏に促したように潔く身を引いたらどうでしょう。

                       

法善寺横丁まで行ったのですから、当の法善寺にも寄ってみなければなりますまい、法善寺は一つ南の通りにあります。法善寺は繁華街のど真ん中に有るわけで、社務所のようなものは有りますが、伽藍などは有りません。

                       

法善寺で有名なのは水掛不動尊、水を掛けているうちに苔生したように造られています。どうみてもお詣りする人が水を掛けるので自然に苔が生えて、成長したようには見えません。昭和20年の大阪大空襲で六堂伽藍が焼失し、不動明王だけが残ったと聞きました。戦前からあったとしても、昼間は太陽が照りつけるところで、苔ってこんなに生えるものなのか、陽の当たらないような山道でもこんなに苔が生えているのを見たことがありません。

       

千日前筋から水掛不動まで料理屋などが立ち並び、この通りも法善寺横丁です。三男は仕事でこの写真に写っている『一心』という小料理屋に魚を運んでいるらしいのですが、ある時この店で弁当を貰い、食べたら「メッチャ美味しかった」と、普段世話になっている私に持って帰らずに自分で食べたらしい。右は金毘羅堂、昔この辺りまでは海だったのです。

             

織田作之助が『夫婦善哉』で描いた法善寺として有名ですが、大阪では千日寺と呼ばれたりしています。千日前の由来は千日寺の門前から来ています。

             

社務所らしき建物の横に昨日の横丁へと繋がる道が有りました。火事の前はこんな筋が有ったのか知りませんでしたが、途中右側にお地蔵さんのリレーフが有りました。

             

昔はこのようなところにお地蔵さんなど無かったのではないかと思います。馬蹄型の枠の根元に人形のようなものが彫られています。中国の女子のような頭をした像が笛を吹いている様子みたいです。

法善寺横丁

2014-04-03 05:00:00 | 大阪にて

消費税が5%から8%にUPされたのですが、いざ買い物をする段になって「?」と思ってしまうようなことがあります。例えば運賃、3月末まで200円だった区間は大概のところ210円になっているのですが、200円が5%を含んだ運賃だとすると、消費税が無ければ190,47719・・・円というようなお金の単位としてはあり得ない額になるのですが、その数字に新しい消費税率である8%を上乗せすると205,71428・・・円となるのです。単に200円に3%の消費税を上乗せしても206円であり、両方とも決して210円では無いのです。消費税を上乗せすると言いながら、そうでないお金を搾取していることになります。このようなことが横行しているのではないかと気になっているのです。そして消費税率を5%から8%へ引き上げると言うことは、実際に計算しても解るように、決して現行価格に3%上乗せすると言うことではありません、そのように計算することは初めから客を騙そうとする意図があると取られても仕方ありません。

                      

以上のことは初めから考えていたことではなく、書いているうちに出てきたことなのですが、書こうと思っていたのは3月31日までに売られていた(造られていた)物は、総て消費税5%の時の価格で造られたのであり、係った経費も5%で計算されていた筈なのに何故翌日から消費者だけ8%で計算された価格で買わなければならないのか。法律でそう決まったというような言い方は、誰が得をし、誰が損をしているかという細かいことへの解答になってないので、そのことを踏まえて誰か教えて貰えませんか?例えばお店に入ってビールを頼んだとしましょう。昨日までは500円でした。4月1日になって520円になりました。上乗せ額の問題は上で提起していますからここでは触れませんが、仕入れたお店は税率5%の時点で購入しているわけなのに、何故8%を上乗せした額で客からお金を取ることが出来るのでしょう。更に私が懸念しているのは例えば4月1日以降に売ったものでも、3月31日までに売ったと書き変えれば、簡単に税務署を騙すことが出来てしまい、余分なお金は自分のものとすることが出来るのです。こんな疑問を書いているとまたまた政府に騙されているのではないかと疑ってしまいます。

       

手許に現金が無くなったので、またまた銀行のある難波まで自転車で行って来ました。私のメインバンクは近畿労働金庫なのですが、便利な点は(私だけかも知れませんが)串本に支店があるということ、不便な点は主要ターミナルまで行かないと支店がないということで、姫の家から串本の労金までと、大阪の家から難波や天王寺の労金までの距離はそんなに変わりありませんが、都会では車に乗るのが面倒なので、大阪に居る時の方が銀行へ行くのは煩わしいのです。

労金の横に自転車を停めておいて、昼食を食べようと付近をウロウロしているうちに法善寺横丁までやってきました。月曜日だったので横丁の人通りは少なく、比較的多いと思える千日前や道頓堀などでは歩いている人の殆どが日本語を喋っていません。久し振りに横丁の石畳を歩いてみると、今まで無かったのか、気付かなかったのか、何か書かれた標があちらこちらにあるのです。左の標には『上かん屋 へいへいへいと さからはず』私は入ったことがありませんが、上かん屋という店のスタイルが描かれているのでしょう。真ん中は『おかしおます この横丁でおもろい噺 五十銭也 此処は花月の落語席あと』とあり、昔こんなところに花月の座があったようです。右はこの石畳を造った会社などのな前が刻まれていました。

             

藤島桓夫の『月の法善寺横丁』の歌碑が建てられていました。恒夫(つねお)みたいな字を書きますが桓夫(たけお)です。私の8歳ころにヒットした歌ですからよく覚えていますが、この人が私と同じ会社に所属していたことがあったのを知ったのはずっと後のことでした。

             

平成14年9月と翌年の4月にこの辺り一帯で火事が発生しています。私は直接現場を見たわけではありませんが、もっと角座寄りの方だったと思っていました。義援金の使途などを書き残した木札、10年前に建てられていますが、今まで全く気が付きませんでした。といってもそんなにこの横丁を通っているわけではありません。西に戎橋筋、東に千日前筋、その間をこの横丁が通っているのですが、私がよく通るのは千日前筋だけなのです。

                       

その千日前筋の姿は最近になってすっかり変わり果てたという感じ、昔は何屋だったとかは思い出さないのですが、やたらとラーメン屋が立ち並びます。そんなに長くない区画に少なくとも5~6軒はあると思います(勘定していません)。写真の道ではありませんので悪しからず。

春の嵐

2014-04-02 05:00:00 | 大阪にて

とうとう消費税が上がってしまいました。私は未だ買い物をしていないので驚いてはいませんが、国民の7割が反対していたという消費税の引き上げ、国民は何故消費税を引き上げると公約していた自民党に投票してしまったのでしょう。というより、消費税率を上げないと公約した政党に投票しなかったのは何故なんだろうと考えてしまいます。デフレからの脱却を錦の御旗のように繰り返す総理大臣、何度も言うけど、景気が良くなったのは大企業だけであり、中小・零細企業や労働者は全く恩恵など蒙ってはいません。その上に消費税の増税ですから、支払額が下がる一方の私たちのような年金生活者にとっては、生活を苦しくするものであることに間違いありません。

             

先の日曜日、大雨が振りました。私が散歩に行く6時過ぎは穏やかな雨だったのですが、9時から済まさねばならない用事があり、出かけようとすると凄い雨が降っていました。目的の会館まで5分ほどなのに、歩いていくと途中でもうソックスが濡れてしまったぐらいの雨でした。でも会館で用事をしながら9時半ごろに外を眺めると、出かける際の雨よりもっとひどい土砂降りの雨になっていました。

             

この日は学校でソフトボールの今年度の発会式があり、我が校はリーグ運営の幹事校ということで、このひと月その準備のためにかなりの時間を費やされたのですが、いよいよ本格的に忙しくなる時期がやってきたのです。発会式は昼の1時からでしたが、資料の印刷や飲み物の買い出しを3人で行い、11時からは大勢の選手に来てもらって机・椅子の準備などを行いました。この頃には土砂降りの雨は上がり、降ってると言えば降ってるなぁという程度の雨に変わっていました。

             

今年のリーグ戦に当たっては、近年在籍選手の減少からチームの存続が難しいと言う学校が多くなり、選手が試合当日に集まらない状況があり、試合を消化していくのにも問題が出てきているので、支援選手(助っ人)の取り扱いについて幹事校から提案し、論議を行いました。従来は自分のチームから選手(現役PTA会員と以前からチーム内でプレーしてきたOB・OGで構成)は最低7名必要としていましたが、その基準を大幅に緩和して5名とすることにしました。

             

更に助っ人は兄弟・姉妹校から貸してもらえることを前提としていましたが、兄弟・姉妹校がない学校もあり、同一リーグ内であれば貸し借りを認めることにしました。助っ人選手の起用方法についても対戦相手によって言ってることがまちまちだったので、バッテリーやクリーンアップでは起用できないようにしました。

このような状況に陥っているのは、児童数の減少だけでなく、賃金が下がる一方で働き方も多様になって、日曜日も休めない親が増えているのではないかと思ったりもします。

             

前日の土曜日、三男とT中君は串本へ釣りに出かけました。私は日曜日に発会式があったので一緒には行けませんでしたが、低気圧が近づいてきていたので、時化るでと話していた通り、やはり大島の表には出られず、裏側で釣ったと言うことでしたが、1月の釣果より少しはマシだったと思います。

低気圧が去った翌朝月曜日、隣国からの有難くない贈り物も一掃されたような青空が広がっていました。金曜日には未だ1分ぐらいしか咲いていなかったサクラも日曜の朝にはほぼ8分咲きにまで咲いています。