大阪市立美術館の北に茶臼山という小さな山があり、古墳だと言う説と古墳ではないと言う説がせめぎ合っているようです。周りには河底池という堀のような池が有り、古墳の雰囲気は確かにあるのですが、埋葬品が出ていないのです。その埋葬品は四天王寺に伝わっていると言う説もあり、ややこしいのですが、茶臼山は大阪冬の陣で徳川家康が陣を築いたところ、そして翌年の大坂夏の陣では真田幸村が陣を敷いたところで有名です。大坂夏の陣は1615年5月7日ですから、来年400周年を迎えるわけです。
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美術館を出て右へと道をとるとすぐに河底池に囲まれた茶臼山が見えてきます。山を右手に見てまっすぐ進むとやがて山への登り口が見えてきます。
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山と言ってもせいぜい10m程度の高さですが、上町台地の上にあるので海抜はかなり高いと思われます。山頂の写真と反対側に降りる階段が有ったので、階段を降りて広場から山を写してみました。
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400年前にこの辺りがどんな風景だったのか知る由も有りませんが、この絵によると下が北で上が南、幸村隊は茶臼山、その裏の堀越神社から四天王寺へと陣を敷き、家康側は現在のあべのハルカスからアポロビル、ルシアス方面に陣を敷いていたことになります。だけどこの絵はおかしい、茶臼山・堀越神社・四天王寺の位置が正確なら、JR天王寺駅はもっと上、つまり南の方に描かれなければなりません。いやもっとおかしい、JR環状線は天王寺付近では南北に通っているのではなく、東西に走っているのです。そうなれば徳川軍はハルカスの方ではなく、通天閣の方に陣を構えていたことになります。これはあくまで、幸村陣営が図の通り茶臼山・堀越神社・四天王寺に沿って陣取っていたことからの推察です。
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河底池には美術館方面に向かって橋が架かっています。この橋を和気橋と名付けられており、その訳は788年に和気清麻呂が河内湖や大和川の排水と水運のために上町台地をここで開削しようとして失敗した跡地と言われているからだとか。失敗したのに名付けるなんて変ですね。
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サクラはすでに散ってしまいましたが、山には黄緑色の新緑が眩しく、天王寺公園にはあちらこちらでツツジの花が真っ盛り、天王寺公園は広いので(茶臼山も公園内の一角)あらゆるところからハルカスが眺められます。ハルカスに登るためのチケットも当日券が発売されるようになりました。こんな天気の良い日には登ってみたいものですが、春は遠くが霞んでいて、おそらく西の六甲山系も東の生駒山系も南の金剛・葛城山系も観ることが出来ないでしょう。
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新世界まで戻ってくる手前、動物園の入り口ですが、天王寺動物園は来年100周年を迎えるようです。この動物園に最後に来たのは、三男が共同保育所のお別れ遠足の時だったと記憶していますから、かれこれ30年前になります。この日もブリッジの上から遠足の子供たちの姿がたくさん見えていましたが、中身も随分変わったことでしょうね。