家から自転車で数分、2月末に亡くなったI葉さんの家の近くに阿部野神社という大きな神社が有ります。阪堺電車の天神の森駅を越えてすぐ、東の方へ向かう道からすでに大きな鳥居が見えており、小学生のころはこの辺りでも遊んだ覚えがあります。どうやらその頃は最初の鳥居は無かったようで、建立が昭和48年となっていました。
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阿部野神社が鎮座して90周年に当たる年に建てたようで、その頃私はすでに働いていました。しかし昭和48年と言えば戦後から28年が経過し、日本国にも民主主義が定着しつつある時期ですが、この鳥居には右の柱に“大日本は”左の柱に“神國なり”などと、あの悲惨な戦争を引き起こしたイデオロギーが刻まれています。こんな文句を刻んで誰も抗議しなかったのでしょうか。
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私が小さい頃によく来ていたこの神社の鳥居はここが最初のものだったのでしょう。左横にアスファルトの坂が見えていますが、私が遊んだ頃は土の道でもっと狭かったと記憶しています。最初の鳥居が建っている所は西成区内、この鳥居が建っている辺りから阿倍野区になります。阿部野神社の石碑が建っていますが、鳥居の形が何だか変で、阪神大震災で倒れたのかも知れません。
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階段を登り切ったところに有る旗上稲荷社、芸能稲荷社とも書かれていました。階段の正面から入るものと思っていましたが、扉が閉まっていたので、稲荷社とは反対方向へ道が付いていたのでそこを通って行くことにしました。実はこの稲荷社の赤い鳥居を潜って行くと拝殿に行けたのですが、それは境内を歩いているうちに分かったことです。
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左側に北畠親房・顕家の生涯らしきものを描いた板がずっと並んでいましたが、あまりよく読めないのでパスしました。右側に中今亭と書かれたこれは茶屋でしょうか、料亭でしょうか、こんなものが阿部野神社に有ったとは知りませんでした。中を覗くと歌碑が建っていて、“風にのり 言葉はゆきぬいつしかは 谺となりて かへりしたらむ 佐登”と彫られていましたが、あまり有名な句でもなさそうで、ネットで調べてもヒットしませんし、佐登が誰なのかも分かりませんでした。
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一旦は拝殿の前に出たのですが、右に大きな鳥居があり、まずそちらから入り直しました。南の方から来るとこの鳥居を潜ることになります。正面が拝殿なのでこちらの鳥居が正式なものなのかも知れません。
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南の鳥居を潜ると左に北畠顕家の像があったのですが、周りの木々の剪定作業をしていて、ブルーシートや白いシートが放りっぱなしにされ、ゆっくり眺める余裕が生まれません。像の右の立札は『花将軍 北畠顕家』とい歌の歌詞らしい。
この神社は明治15年に別格官幣社として建立され南朝方の北畠親房・顕家親子を祀っていると言いますから、天皇の為に戦うことは尊いことだという当時の政府の意図が込められているようです。戦災で全焼し、昭和43年に再建されたと言いますから、私が小さい頃に遊んでいた時には、拝殿などは無かったのですね。