♪♪これこそはと信じられるものがこの世にあるだろうか 信じるものがあったとしても信じないそぶり♪♪と唄ったのは吉田拓郎の『イメージの詩』、もう40年も前のことですが、世相は今もあまり変わってないようにも思えます。その『イメージの詩』の中にこんな歌詞がありました。♪♪古い船には新しい水夫が乗り込んでいくだろう~古い船を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう♪♪今頃そんな古い歌を思い出しているのですが、もしこの中古の船を私が買ったとすれば、乗り込むのは新しい水夫であったとしても、拓郎が期待したような若く情熱的な人間ではありません。
串本に来た11日の夜、古谷魚店の主人が不躾にも「ケンケンガツオの船買わんか」と聞くので、藪から棒に何を言いだすねんと思いながら、好きな時に船にも乗れるようにはなりたいなと常々思っていたので、少し興味が湧いてきて翌日2時にその船を見に行くことになりました。
一目見て、今まで乗った船と比べて幅が狭いと思ったのでした。今まで乗った船と言ってもたいがいが渡船の船であり自分で操縦などしたことありませんし、第一未だ免許さえ持っていません。渡船はお客さんを乗せないといけませんから定員は20人ぐらい、この船だと何人乗せれるのか見当も付きませんが、10人も乗れないと思います。
幅が狭いと言うことはスピードは出るけど、安定が悪いと言うことになりますから、これから免許を取ろうと思ってるような素人にとっては危険この上ない代物かも知れません。
ただ装備は完璧らしく、魚探もありテレビまで付いています。エアコンまで付いておれば言うこと無いのですが・・・
私はカツオ漁などしたいとはこれっぽっちも思って無く、ただただ船を出して、釣れそうなところで竿を出してのんびりしたいだけなのです。つまり漁師になろうなんてこれっぽっちも思ってないのです。自分に船があれば、道中重い荷物を背負いながら遠い道のりを歩くことを思うと楽だと思うのですが、磯を歩くのとは違う危険もあるのです。
船には竿受けも数個付いており、ケンケン漁しか出来ないような装備ではありません。これらの竿も仕掛けも全部付いていると言います。燃料も9万円分積んであると言いますが、いったい船ってどれ位の燃料が要るものなのか、それさえ分かってないなどと思うと、やはり容易には手が出せません。
これはリールなのか?リールだとしたら一体何を釣ろうとするものなのでしょう。
まぁ進水してからはだいぶん年月を経ている感があります。最近60万円かけて何処かを修理したのだとか、持ち主はその後、急に癌で亡くなったのだとか聞かされました。船を造ったのは田子の大辺路を歩いた時に平見下のバス停で見た坂本造船。150万円でと言われても高いのか、安いのか・・・買えない金額ではありませんが、維持費や台風の時などどうしているのかが不明であり、乗りこなせるのかが心配で躊躇しているのです。
今回は釣りをしようとは思っていませんでしたが、様子見にと一度だけ大島港を訪れました。その時大裕丸のにいちゃんが声をかけてくれたので、話の中でその船の話を持ち出してみると、「今時古い船は100万円もせんでぇ(しませんよ)」と言い「船はエンジンが命や」とか「坂本さんの船やったら大丈夫やけどの」とまたまたややこしいことを言います。「いっぺん、見といたるわ」と言ってくれました。
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