新宮城址を出て左折し、真っ直ぐな道を歩いて前回は路面に有った大辺路の標識を紹介しました。その先はすぐに四つ辻になっていたのですが、その周りの家々が見たことのある風景だったのです。拙い記憶を辿ると阿須賀神社へ行く折に見た家並みだったようです。こう何度も新宮の街をウロウロしていると、新宮の街自体は案外狭いものだと思い、私が住んでいる大阪市のとある区よりも小さいと感じました。いやいや新宮市自体は山あり川ありで広大なのですよ、中心街の知らない道を歩いていても、すぐに知ってるところに出くわすもんですから、狭いなぁと感じるのです。
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四つ辻まで来て阿須賀神社の方へは曲がらず、右方向に曲がりました。暫らくは知らない道を歩いていましたが、何本か筋を越えた向こうに税務署が見え、やっぱり知ってる道やんと思ったのです。そのまま真っ直ぐに進むと徐福公園の標識があり、もう新宮駅に近いことが分りました。2年前の夏に丹鶴城址や中上健次生誕の地、浮島の森などをゆっくりと見て回っていますが、その時にも徐福公園には立ち寄っていました。ただ何故だかブログの記事にしたつもりが何処をどう探しても徐福公園の記事は見当たりません。
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きっと書いたつもりになってしまっていたのかも知れません。なので12時も相当回っていましたが、先にこの公園を取材しておこうと考えたのでした。この不老の池に立っている7本の柱には、夫々、和・仁・慈・壮・勇・財・調という文字が並んでいます。徐福に従っていた七重臣の品性や人格の徳を刻んでいると言います。しかし和と調で調和、勇と壮で勇壮、仁と慈で仁慈という意味のよく似た熟語となり、財と言う字だけがつま弾きになっているように見えるのは私だけでしょうか。財と言う字はどうにも人の徳には見えないことから、私が辿り着いた考えなのですけどね。
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この池の中には7匹のコイが泳いでいるとか、写真には6匹しか写っていません。どうやらここでは7という数字に拘っているようです。
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裏門の正面には徐福寿司なる店までありました。中華っぽいお寿司などが連想されて、お腹が減っていたけど店に入る気にはなりませんでした。
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中央に徐福の墓があります。ここがその入り口ですが、中国らしい設えですね。狛犬と呼ぶのかどうか知りませんが、左右両方とも口を開いています。中国系の狛犬は皆口を開けているのようにも思えます。阿吽の呼吸と言う考えは中国には無いのかも知れません。
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この碑は天保5年に藩の儒臣・仁井田好古の撰・書によるものが、和歌山より運搬の際に海難に遭い実現されなかったものを、残された書によって昭和15年に建てられたものだそうですが、いったい何が書いてあるのかさっぱり解りません。
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そのさっぱり解らない碑文を要約したのがこの説明板、“後の人が昔のことを思い見るのは、丁度月夜に遠方を望み見るようなものである”という文から始まる説明は、ちょっと立ち寄った名所で読めるような長さではなく、理解しながら読むのはとても困難ですが、正否はともかく、なかなか面白い説明文になっています。始皇帝の暴政から身を守るために道教を学び、東の海に仙人の住む蓬莱、方丈、瀛州という3つの島があり、そこには不老長寿の薬があるなどと始皇帝を誑かって、多くの金銀、多くの子供たちを船に乗せて日本に渡って来た、魯中連という人が「秦が天下を取るようなことがあれば私はその民にはならない」と言いながら果たさなかったのとは月とスッポンというようなことまで書かれています。新宮の徐福公園を訪れるようなことがあれば、時間がかかりますが是非一読をお勧めします。ただ残念なのは、文章が途中で終わってしまっていること、スペースの関係で最後まで書けなかったのか、とすれば文字の大きさ、配分に気を配らなかったのは遺憾です。
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そしてこれが徐福の墓、本当に徐福が新宮に上陸したとしても紀元前のこと、当時のこの地には未だ文字はありませんから、まさか本物ではあり得ませんが、新宮市民の観光客誘致の思いが伝わります。江戸時代の中期に建てられたようです。
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墓の傍らには七重臣の塚があり、昔この塚を掘った住人が珍しい什器が出てきたので家に持ち帰ったら気がふれたので再度埋め直したというような言い伝えがあるようですが、江戸時代に建てられた墓ですから、そのようなことは考えられません。
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15分程度の散策でしたが、もう12時30分を越えました。行きたいのは勝丸、クジラカツの定食を食べたかったのです。
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