ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

春日大社

2011-11-15 05:00:00 | 

11月ももう半ば、昨日から姫へ来ていますが、こちらは着いた途端に暑い感じがしました。大阪でも少しは寒さも増してるものの靴下要らずの生活は続いています。

奈良公園まで来る観光客が必ずと言っていいほど訪れる古刹が三つあり、一つは興福寺、もう一つは東大寺、そして春日大社です。私はこの歳になるまで何度か奈良公園を訪れていますが、一度も春日大社へは行ったことがありませんでした。今回、正倉院展を観るにあたって、一度春日大社へも赴いてみようと思っていたのでした。

             

奈良公園から表参道を暫らく歩くと、ここは二の鳥居。一の鳥居は奈良公園の中にあります。結構人通りがあり誰もいないところを撮るのは至難の業、後ろから人が歩いてきてるのは知っていましたが、立ち止まってピントを合わせていると、やはり抜かされて左隅に写り込んでしまいました。

             

石灯籠が並ぶ参道、最初の写真の南門までの距離が結構あります。さすがに広い境内やなぁと思いながら歩きます。

             

南門をくぐるとあるのは普通なら拝殿、でもここでは幣殿とか舞殿と呼ばれていて、この奥にいろんな社があるのですが、拝観料が500円もかかるので、大概の人はここで帰ってしまうようです。

             

『砂ずりの藤』と呼ばれる藤の木、今は季節外れなので花は咲いていませんし、枝も地に届くほど長くはありません。いくら砂ずりでも鶏とは関係無いと思いますので、よほど長い花房になるのでしょう。特別にこのようなものを設えてあるのは、やはり藤原氏ゆかりの神社なのでしょうか。そんな話はこの神社のHPには一切触れていません。

             

シカも参拝に来ています、いや、ただ人に紛れておればエサが貰えるという条件反射だけなのでしょう。

案内板を見ると山内の一番奥に紀伊神社というのがあり、和歌山県に関係ある私としてはとても行ってみたくなりました。

             

途中にあった若宮社、改築中だそうで真っ暗です。

             

ここが紀伊神社、御神徳は新たな生気をいただく神様とありました。一人熱心にお参りしている人がいて、終わるまで待っていたのですが、はたして和歌山県人だったのでしょうか、それとも新たな生気が欲しかったのでしょうか。

                  

紀伊神社の手前にあった龍王珠石、どれが珠石なのかよく分かりませんが、丸い石はみな珠石なのでしょうね。

奥まで来るような人は少なく、寂しいながらも写真は撮りやすいのですが、そう思ってる人がいるもんで、撮りたいところは暫らく待っていないといけないこともありました。

             

来た道を帰るのも無駄なような気がして、あまり人気がない山道を歩いて帰ったのでした。こんなところでシカに出会うとシカも私もびっくりするのでしょうが、シカも分かっていて人気のないところには現れません。

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猿沢池

2011-11-14 05:00:00 | 

先週はまる一週間働きました。久しぶりに一週間を通して働くと、たった5日間なのに普段より長く感じるものです。従来ならあっという間に金曜日になっていて、「あぁもう金曜か、明日から休みや」と思うのですが、今は水曜になると先が長く感じられ、木曜には金曜なのかと思うように疲れを感じます。久々に出勤するので毎夜「飲みに行こ」とお誘いが続くからかも知れません。

近鉄奈良駅から奈良国立博物館へ向かう途中、奈良公園の一角に興福寺があるのですが、今回は昼食をとるため大通りを通らずに一つ南の道を歩いたので、猿沢池に突き当たりました。昨年の春に興福寺を訪れていますが、その際にはめんどくさいのでこの池にまでは歩きませんでした。池自体はたいしたことはありませんが、水面に写る五重塔の姿が美しい。

             

天気も良かったのできれいな写真を撮ることが出来ました。池の周りでは写生をしている人や弁当を広げる人も多く、気候の良さを感じさせます。

             

カメも大勢甲羅干し、20匹以上いますね。信心深いカメさんなのでしょうか、皆が皆、興福寺の方を見ているようです。

             

このようなタイルに描かれた絵入りの『猿沢池こんなお話し』と題された案内板が3/4周するうちに3ヶ所あり、この板では采女まつりというのが取り上げられています。花扇を池に浮かべる行事があるとか、平城貴族の姿を思い浮かべるお祭りなのでしょう。

             

日本人が7という数字を好きなのか、ラッキーセブンなどと言うように他国の人も7という数字が好きなのか、よく考えたことがありませんが、この池にも7つの不思議があるようです。書かれていることが本当なら不思議なのかも知れません。

             

3つ目がこれ、采女まつりのものと同じ内容ですが、衣を掛けたと思わせる柳が植わっているのですが、あまりにも嘘っぽく(樹齢が若いので)写真を撮るのをやめました。福島県の郡山市にも采女の霊を祀る神社があるので奈良市と郡山市は姉妹都市だと説明されていますが、そんな縁だけで姉妹都市の契りを交わすものでしょうか。

                  

縦撮りの写真も添えておきましょう。写っている対岸を歩いていないので4つ目の案内板があったのかどうか。

             

池の北西方向の屋根は南円堂。興福寺の風景は猿沢池を含めた構図が美しいように思います。

             

修復中の中金堂と講堂、昨年訪れた時は礎石だけだったのがもう外郭は出来ているようです。

猿沢池は普段「さるさわのいけ」と呼んでいますが、「さるさわいけ」が正解なのか、「さるさわのいけ」で変換しても猿沢池にはなりません。「たいらのきよもり」なら平清盛、「みなもとのよしつね」は源義経で「わけのきよまろ」は和気清麻呂と変換するのですがね。

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正倉院展

2011-11-11 05:00:00 | 展覧会

今日は’11/11/11で1が並ぶ日です。一瞬ですが昼前の11時11分11秒になる瞬間があり、何と1が12個も並ぶのです。いや、もう過ぎていますが夜中の1時11分11秒なら1が11個並んで徹底してますかね。

今週は毎日出勤していますが、先週は水曜日だけ出勤、その前後4日間づつを休みました。後半は文化の日の関係で1日年休を取ると4連休になるので、人出も多いだろうと思い、一日の火曜日天気も良かったので、正倉院展が開かれている奈良国立博物館へ行ってきました。

             


この日も’11/11/1/11/11/11と1が11並個ぶ瞬間があったのですね。それじゃ1月にもそんな瞬間があったわけで、珍しくもないのかと自省している次第です。

おそらく正倉院展なるものに出向いたのは初めて、そして今回が最後になるのでしょう。火曜日とあって大混雑をしているわけでもなく、比較的スムーズにそしてゆっくりと見て廻ることが出来ました。それでも12時前に入館して出たのは2時前、約2時間も見ていたのです。

             

まぁ、正倉院の遺品を以って歴史を考えるというような催しではなく、正倉院にはこんな物までちゃんと保存されているのだぞという宮内庁のふんぞり返る姿が目にちらつくだけで、私にとっては興味深いと言えるほどのものではありませんでした。

あまりにもつまらないので少し歩いて正倉院そのものを見たく思い、東大寺の裏まで足を延ばしました。

             

普段の正倉院がどういう形で拝観できるのか知らないのですが、この日行くと門は硬く閉ざされていました。どうやら外壁の工事をしているらしい、でも周りを少し歩いてみてもも正倉院の外壁の何処を工事しているのか判りません。

正倉院のことを書いてあるのだろうと思われる案内板、門の手前の柵で阻まれている上に、薄くなってしまった字、遠目には何が書いてあるのか解りません。

             

正倉院は宮内庁の管轄で天皇家のものだろうと思うのですが、屋根瓦の紋は三つ巴、菊ではありません。

             

普段はここから入場できるのかな?鉄扉が重厚に閉ざされています。隙間が無いので中を覗いて窺うことも出来ません。いや左右の扉の合わせ目に少し隙間がありますが、これだけでは見えるところは限られるし、写真も撮れません。

             

半周ほど周囲を歩いてみました。一周すると元の位置に戻れないのは門のところで分っていたので半周です。

             

正倉院の周囲は木々で囲まれていますが、塀はすのこ状で中を窺うことは出来ます。何とか正倉院らしい姿をキャッチ、でも校倉造などは見ることが出来ません。

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里程標

2011-11-10 05:00:00 | 

ここのところ大分寒くなってきましたね。でも未だ10℃を割ってはいませんから、私は未だサンダルで通っています。そろそろ靴にチェンジする頃合いですかね。

仕事に出なくてもよいと言うのは非常に楽なもので、0歳から6年間だけが箱に詰め込まれたような学校生活、次いでの会社生活から自由な年月であったのですが、実際には圧迫された53年間を経験していないので、その自由さは到底分らないものだったのでしょう。幼子に言って聞かせたところで理解出来ようもありません。

私の今の立場は溜まった有給休暇を使って休んでいるので、いくら休んでも賃金は入ってくるのです。それがとてもいい気持ちなのですが、来年4月からはそうはいきません。

                  

中心の話題は明日になりますが、家を10時ごろに出て近鉄電車で奈良へ行ってきました。急に思い立って正倉院展を見学に出かけたのですが、過日梅田でチケット屋を覗いていると、正倉院展のチケットは800円で売っていたはず、その際は正倉院展へ行こうとは決めていなかったので購入しなかったのですが、当日難波のナンバウォークでチケット屋を覗くと売ってないところばかり、地下にあるチケット屋をかなり廻ったのですが無いので、地上に出ると開いてるのか開いてないのか分らないような店で900円で売ってました。でもそこで買わずにもう少し探してみようと思いましたが、とうとう見つからず、もうええわと思いながら地下へ降りたところのナンナンタウンのチケット屋でやはり900円で売っていました。いやはや実に歩かされたものです。これだけ歩いて100円浮いただけでは間尺に合いません。でも運賃が片道540円でしたから、2000円以内で正倉院展を見れたことになります。

先日、梅田の第3ビルのチケット屋を覗くと、やはり800円で売っていました。

             

11時半ごろに奈良駅に到着し、普通なら大通りを東へ奈良公園の方へ向かいますが、大通りには食べ物屋が無かったはずなので、博物館へ行く前に昼食をとろうと脇道の商店街に足を踏み入れたのですが、食べる所がなかなかありません。商店街を抜けて左へ行けば博物館方面、なので右へと曲がってしまったのが余計に時間を食ってしまったことの始まり、お土産屋は並んでいるもののこちらも食べる所がありません。結局次の信号の手前にCOCO壱・カレー屋があったので、そこで昼食です。わざわざ奈良まで来てCOCO壱のカレーなんて・・・北海道へ行ったのに吉野家の牛丼を食べているようなものです。

カレーを食べ終えて通りを戻っていくと、商店街との交差を通り越した途端に食堂が並んでいるではありませんか。時間を食ってしまったのですから、それで我慢しとこと思ったら良かったのかも知れません。

             

タイトルや写真とは全く無関係の記事になってしまいました。食堂が並ぶ通りを東へと向かって歩いていくとこの高札の群れに目が留まったのでした。高札というものは役所からのお達しを示しておくもので、こんなに沢山の高札を一度に立てかけておくものではないと思います。

読んでいくと古くからあるものではなく、近年書かれた模造であることが判りますが、わざわざ古ぼけたように造ってあるのが尤もらしくて不純です。

里程標のように一見して新しく建てたものと判るけど、書かれている内容は昔のままというのが正直でよろしいように思います。

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一谷嫩軍記 熊谷陣屋

2011-11-09 05:00:00 | 大阪にて

一月に7日の出勤、土日祭日を除いて13日ほど休むのですが、田舎に帰ってない時も休みがあります。1日中家にいればお金を使うことはなく悠々としていられるのですが、そんなことをしておれば忽ちブログのネタが無くなってしまうので、時折思い出したように外出して何とか話題を繋ごうと思っています。

『いちのたにふたばぐんき くまがいじんや』と読みます。この『嫩』の字、ふたばと読みますがパソコンで変換しても出てきません。意味は双葉のことで芽を出した頃の幼い葉のことですから、きっとこの場面では弱冠16歳の平敦盛のことを指すのでしょうか、それとも身代りに殺された熊谷小次郎のことなのでしょうか。ふと思ったのですが、双葉ですからこの若い二人のことを指すのではないのでしょうか。

             

家を出る前にネットで検索し、安くチケットを手に入れようと思ったのですが、まずこの映画を興行している映画館が大阪では難波と堺と八尾しかありません。観劇料が2000円で何の割引も効きません。チケット屋に行けば少しは安くなるかもと思ったのですが、ネットで席を探したらまん真ん中の席が取れたので、そのまま難波へと出かけました。

開演が正午12時、11時過ぎに映画館に到着し先にチケットを購入して、昼飯を食べようと思い映画館のあるなんばパークスで飲食店を物色しました。このようなところでご飯など食べたことのない私は、何処に入ろうかと迷いに迷った挙句、映画のチケットがあればお得になる店から選んでこの『鶏の舞』という店に決めたのです。

             

入店したのが11時半過ぎ、お客は誰も入ってないし、オーダーした品もなかなか出てきません。11時50分ごろになって出てきたのがこのお膳、5分もあれば食えると思っていたのに、今から火を点けて炊くというのですからとても間に合いそうもありません。チケットを見せて映画は「12時からやねん」と言うと、固形燃料を2倍にしてくれただけ。

             

『シネトク』では当日購入された鑑賞券があれば、この店では1000円以下の飲み物を1杯サービスと書いてあったではありませんか。アルコールを含むやから、ビールでも飲もうと思っていたのに・・・そんなものを頼んでるヒマもありません。腹立つなぁ!

                  

『平家物語』の終盤に一ノ谷の合戦で熊谷直実が平敦盛を討つ場面がありますが、本編では直実が我が子と同世代の敦盛を殺してしまうことに躊躇しながらも、敦盛自身から早く首を討てと迫られ、遂には敦盛の首を掻き切ってしまい、その無常さを儚み後年出家するという粗筋です。

その平家物語から題材を得たこの『熊谷陣屋』では、まず町人風の二人が桜の木脇にある制札を読む場面から、その制札には弁慶の筆で「一枝を伐らば一指を剪るべし」という箇所があり、見ている二人は意味が解らんと言うところから話が始まりました。

須磨の合戦から生田の陣屋へ戻った熊谷直実は妻の相模や先の主上・藤の方から敦盛を討ったのかと責められますが、取った首は義経の首実検が済むまでは見せられないと突っぱねます。

義経が現れ、首実検を行う段になり、まじまじと首に見入る義経は間違いないと言うのですが、それを見た相模や藤の方はそれが直実の子・小次郎であることに驚きます。ここで義経の命が書かれている制札を抜いた直実が見得を切る場面になるのです。我が子を殺した苦悩、この制札に違えることが出来ない我が身、ここに戦の世の無常と人生の儚さを描いたこの物語の頂点に達します。

                  

ここで梶原平次景高が「頼朝様にチクッてやろ」(もちろんそんな言葉ではありません)と走り出すのを弥陀六という石屋の爺が投げた石の礫に当り、景高はあっけなく死んでしまいます。義経はこの弥陀六が頼朝を救ってくれたことのある平宗清であることを見抜き、敦盛の体を鎧櫃に入れて持たせます。藤の方は櫃の中を見せよと迫り、宗清は何も入ってないと嘯きますが、中を見た藤の方は絶句・・・とうようなストーリー。

義経に出家を願い出て許された直実は、幕が閉じたあとの花道を「十六年は一昔・・・あぁ夢だ夢だ」と呟きながらよろりよろりと歩くのでした。

この話の設定では、敦盛は後白河法皇と藤の方の間に出来た落胤であることになっていますが、万世一系の天皇家と言うなら、男寵といいこの女狂いと言う平安時代の皇族の淫乱なDNAは無くなってはいますまい。

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古代国家はいつ成立したか

2011-11-08 05:00:00 | 読書

相も変わらずこういう本を好んで読んでいるのですが、この本の言わんとする古代国家とは邪馬台国とか倭国とか日本国とかという国名が成立したという意味ではなく、国家としての機能、軍事や官制、租税や賦役、地方の支配や王の存在などの諸要件が整ったのはいつ頃なのかを検証しようとするものです。

当然、日本国には記紀以前の書物は現在のところ確認されていませんから、書き残されたものから判断することはできません。古墳や銅鏡の造られた年代や分布などから、そして中国や朝鮮に残っている東方の島国について書かれたものから、真偽を確かめながら考証していくのです。

著者は三世紀、古墳時代の始まりと共に国家は成立し始めたとみています。

             

この本は9月に帰省した頃から読み始めたもの、小説と違って話し言葉がないので600ページに及んでぎっしり書き込んであります。それが2冊ですから読み終わるまでに2ヶ月も要しました。

日本人はどこから来たのかという話から、幕末維新までを199のタイトルで199人の著名な方々がエッセイ風に記しています。1997年の初出ですから、担当された著者の中には亡くなられた方も幾人かおられます。こういう企画もなかなか面白いものです。

             

花窟神社の記事を綴った折、イザナミが火傷を負ってこの地に葬られたことが日本書紀に書かれてると記された案内板があり、読み返してみると神代の段にやはりあるにはありました。でも一書(第五)によるとという但し書きが付いています。

古代についての本を読むと、この日本書紀や古事記を横に置いて読めば、その本の真偽を問うためではなく、古事記や日本書紀の解読にたいそう役に立ちます。記紀はそのものをいくら読んでもなかなか理解することができません。

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神ノ木通り

2011-11-07 05:00:00 | 神戸にて

久々に仕事のお話になりました。今は東灘区の神ノ木通りという所に行っています。前回同様JRの六甲道駅で降りて、バスに乗るように指示されましたが、私は阪神電車の大石駅で降りて、都賀川を遡って歩きます。そちらの方が近いし、運賃も10円安いのです。

高校時代は堺から大阪市内へ通学していたのですが、南海電車・高野線の住吉東駅で降りて、阪堺電車の上町線の神ノ木という駅で乗り継いでいました。勝手に因縁めいたものを感じますが、全くの偶然でしょう。

             

都賀川沿いを歩いていて、ふと気が付くと道路を歩いているより、川底に造られた遊歩道を歩いている人の方が圧倒的に多いこと、考えてみれば信号も無いし大回りをすることも無いので、そちらの方が早いですよね。

でもこの都賀川は数年前の急激な豪雨で学童保育の子供が流された事故があったような記憶があります。

             

神ノ木通りの街は広いのですが集合住宅を省くと100軒足らず、商店や小さなマンションが多いところです。このマンションも六戸しかありません。

             

でもフレッツ光のマンションタイプを取り入れてくれてます。完全に外壁に設置されていますが、雨風に晒されても大丈夫なんですね。

50歳でこの仕事に就いた頃、名古屋に単身赴任しましたが、その頃は8戸以上の契約がないとマンションタイプは付けられないという条件で、8戸や12戸、多くても20数戸のマンションを回っていました。そんなことが可能なわけが無いようなことを平気でやらせていた会社は、私たちに低い評価を与えるためにそう仕組んだとしか考えられません。

現に今では6戸しか入居できないマンションでも取り付けているではありませんか。見ているときっとこのマンションで契約しているのは1戸だけだと思われます。

             

保育所や幼稚園がある街は珍しくもありませんが、この地域では自分の無能さのせいもあるのでしょうが、理解できないような名前が付いています。

『ホザナ』って何ですか?

             

こちらの保育園は『ゆりか』、想像するにユリの香りでしょうか。

             

保育園や幼稚園ではありませんが、動物病院の名前『ベレノス』、横文字なのは何処か他国の神さんの名前なのでしょうか。灘高校などという全国屈指の進学校がある地域なので、低学力の私などには思いも付かないネーミングなのでしょうね。

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大阪マラソン

2011-11-04 05:00:00 | スポーツ

先週末の日曜日、10月30日は第1回大阪マラソンの開催日でした。走行する地図を見ていると我が家(マンション)の真下の道路を走るらしい。マスコミもこぞって大阪マラソンの開催を宣伝するのですが、この催しの意図がどのようなものであるのかを明らかにはしないので、私にも解らないのですが正直言って迷惑でなのであります。

参加者は3万人とも言われますが、せっかくなのだから希望者全員走らせてあげればいいものを全員が参加できるわけでもなく、きっと大阪の税金を使ったイベントなんだろうけど、大阪の参加希望者は削られて他の府県のランナーが加わっています。この日、日本人で1位だったのは埼玉県庁の職員の誰かだったのでしょう。参加者を他府県から募った方がいいという意見も理解するのですが、それなら大阪に税金を払ってる大阪の希望者を優先させるべきだと私は思っているのです。

             

この日は朝から雨の天気予報、ソフトボールの試合が中止になって、家でゴロゴロし時折ベランダから眼下を見下ろしてはいました。

             


国際的なマラソンランナーというのは実に速いもので、1時間半を過ぎた頃には私が住んでいるマンションの前を通り過ぎて行ってしまいました。前述のこの日の埼玉県職員などを私自身は応援したい人なので一目見ようなどと思っていたら、いつの間にか通り過ぎてしまっていました。

その後暫らくしてから、ノコノコと沿道に出てみたのでした。

私が出だしたのはスタートしてから2時間ほど経ってから、この頃になるとランナーは一団となって走ってきます。動画は顔を横に向けて見てくださいね。

             

迷惑というのはこの貼り紙、貼り紙自体ではなく、書いてある内容です。9時半ごろから2時半ごろまで駐車場の入出庫が出来ません。実に一番利用したい時間帯に5時間もの制限を強いられるのです。これは非常に高圧的な命令だと思うのです。例えばその時間帯に入出庫が必要な人には、自治会であれ町会であれ自治体であれ、何処の管轄でも構わないのですが、その時間に自由に車が使えるように別の駐車場を提供すべきです。

             

この貼り紙も内容としては甚だおかしい。マンションの共用部分を役員会の承認を得て、中学の吹奏楽部の演奏をその部分ですると書いていますが、チラホラ見えるのはだから応援に来なさいという暗示、それに我がマンションの共用部を貸してやるのだという顕示です。その部分がマンションの共用部なのか厚生信用金庫の管理下にあるのかは私には判断が付きにくいのですが、仮にマンションの共用部であればこの銀行の横で営んでいる塾はどうなんでしょう。受講に来る小中学生の自転車が毎日たくさん停めてあります。

私は別段塾に来る子供たちの自転車を停めるなと言ってるのではありません。そのことを役員会云々というお知らせをしないのなら、今回も別段、中学生の吹奏楽部の利用に際して、わざわざ掲示するようなことであるのかという疑問が残るだけなのです。

             

国道沿いで応援する町内の人々、オレンジの半被を着ているのは銀行の人々、大いに宣伝効果を発揮しています。水色の半被を着ているのは町内会から動員された人たちでしょうか。私たちの町会でも800人の動員があったとか。

この横断歩道はスタート時点の9時ごろから横断禁止になっていて、渡りたい人と警備員との諍いが朝早くから聞こえてきます。当たり前です、そんな早くにランナーがやって来るわけがありません。テレビ中継のある国際マラソンなどを見ていても、ランナーが途切れた時は歩行者が横断しています。そんなに早くから規制するのは全く筋が通らない、大阪マラソンの翌日に辞任した知事の名前は『徹』ですが、いろんな物議を醸し続けた彼の4年間、今回の件を見ても『通らない』のです。

             


これは雨が少し降り出した頃、今度は通り過ぎていくランナーを撮ってみました。これも顔を横にして見てください。

             

一所懸命演奏する中学校の吹奏楽部員、彼らには何の罪もありません。

この大阪マラソンを直接見るのもこれが最後でしょう。近くで走る大阪国際マラソンでも見に出かけようとはしない私ですから・・・もし再度見るようなことがあるとすれば、姫の家を何時に出なければいけないのか、もし規制時間までに帰れなかったら自分の駐車場に停めれない羽目になってしまいます。

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紀伊姫駅ノート

2011-11-02 05:00:00 | 田舎

今年も10月が過ぎ、考えてみれば残すところあと2か月、『サラリーマン』生活も残り5か月の命となり、秋の深まりとも伴って寂しさを感じる今日この頃です。それにしても暑くはないけど暖かい日々が続くものです。未だ半袖、ハーフパンツで過ごす毎日、さすがに仕事に行く日は長袖には変わってきていますが、靴下を履いて靴を履くなどまだまだ早い感じがします。

さて、突然として紀伊姫駅の写真です。この週は月・火・水と釣りに行ったものの、風と波浪により木曜日からは釣りに行けませんでした。これは大阪に帰る前日・金曜の朝方の写真ですが、今にも雨が降り出しそうな雰囲気です。

紀伊姫駅と言えばどうしてもこの映像を思い出します。再掲します

                  

何時置かれたものなのか知らないのですが、夏の頃から気が付いていたこの駅に設置されている『紀伊姫駅ノート』と記された大学ノートです。この駅で乗り降りする客といえば大半は高校生で、旅の人がふらっと降りるような駅には思えないのですが、何故か「旅の思い出にどうぞ」という副題が付いています。最初のページに書かれていたのですが、名前が素敵な駅、見老津や湯川等の駅にも設置したそうで、そういうところから設置者の気持ちが理解されます。

でもと言うか、やはりと言うか、設置された方の思いとは裏腹に書き込むのは殆どが学生であり、その内容は殆どが漫画。表紙に残されている漫画なども学生によって描かれたものでしょう。きっと幾人かの学生が描いたのだと思うのですが、描いている絵にどうも一貫性がありませんし、設置した人の思いを汲んでいると思えるのは「どんどん書いて下さい!」という部分だけでしょうね。ページを繰っても表紙と大同小異、この姫の地への思いを綴ったもの、姫の地で暮らす喜びや苦悩の筆記もありません。この辺りに住む高校生ってこの程度なのかと思ってしまいます。変わったものといえば実にくだらんのですが、この夏にやってきた長男が一筆「T・H参上」と、私からすると孫の名前を記しているものぐらいです。

                  

そこで一晩家に持ち帰って、とりとめの無い文章をしたためてみました。財政的には仕方の無いこととは言え、古座には古座なりの良さがあったのに、串本町に合併された恨みが綴られています。古座川町にとっては迷惑かも知れませんが、同じ合併するなら『古座』の名前を残して欲しかったというのは私の思いです。

最後の方は自己のPRを載せてしまっていますが、この駅で乗降する若者は読んでくれたでしょうか?

             

綴っている私自身はこの地への旅人という範疇ではありませんが、住人でもありません。設置された方の意に沿っているのかどうかも分からない文章ですが、何処かでこのノートの分岐点になればいいと思って書き込みました。その後のことは知る由もありませんが、黒一色のボールペンよりはいいかと思い、三色のボールペンを寄付しましたと言っても、自分でお金を払ったわけではありませんのでご心配なく。

心配と言えば、設置された方がこのノートを回収に来るのかどうか、設置し放っし、後は知らんでは、学生たちの暇潰しにうってつけだっただけになってしまいます。是非見老津にも湯川・・・にも行かれて回収、出来れば設置者の感想を伺いたいものです。

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串本余話

2011-11-01 05:00:00 | 田舎

前回の帰省時(9/17~24)串本駅前のエサ屋『すぎや』が閉店したと書きましたが、それは誤報でした。あれだけ板を打ち付けて、閉門蟄居を命ぜられたような様子はどうやら台風対策のためだったらしく、今回通るとちゃんと営業をしているのです。

私のブログを見て、『すぎや』は無くなったんやと、『すぎや』に買いに行こうと思ってたのに行かなかった人はいないとは思いますが、営業妨害をしたような思いで申し訳ない思いです。

             

中で働いてる人は知らん人だったので、なんか『すぎや』に来た感じはしませんでしたが、阿野木漁港用のオキアミを買って帰りました。やはり亡くなった主人がいないと『すぎや』に来た感がありません。NHKアーカイブスで懐かしの出演した時には「磯で釣るより、ここの方が難しい」とか言っていました。あの番組が再放送がされた時には、もうここのご主人は亡くなった後でした。

             

そのNHKアーカイブスに出演していた串本の人はもう一人います。18日の阿野木漁港に釣りに行った日の夕方、その古谷魚店のご主人に解禁になったばかりのイセエビの鍋を奢ってもらったのでした。

奢ってくれると言うので、串本のとある知人にお誘いをかけましたが、翌日ゴルフがあるとか・・・満腹まで食べたら翌日体が動かんそうでお断りになられましたが、勿体無いことです。自分で調節してお腹いっぱいになるまで食べんかったらエエやんとか思いながら、「奢りやで」とは言わんかったせいもあるかも・・・とも思ったのでした。

以前Y下君と同じものを食った時は、写真を撮るのを忘れていて、食べてすっかり空になった鍋を撮ったりしていましたが、今回もうっかり、最初の盛り付けを撮るのを忘れてしまい、少し食べてしまってから思い出したように写真にしました。

食べながらNHKアーカイブスの内容で話が弾み、『すぎや』のご主人のこと、潮岬の瓜田渡船や浜渡船の話など、やはり幅広く商売をしているだけあって、知らんでもエエようなことまで語ってくれたのでした。

             

何故だか湯気が写ってなくて、美味しそうには見えませんね。でも美味しかったですよ。何日か前にY下君にもお誘いをしようと電話をしたのですが出なかったので、当日シャメだけ送ってあげました。

             

このイセエビの胴体の部分は最初イセエビのお造りが盛ってありました。甘くてとても美味しかったのですが、食べ終わると古谷氏は鍋へ放り込みます。出汁にでもするのかと思いきや、このように未だ身がいっぱい付いているのでした。

             

最後雑炊をする段、イセエビは全部平らげたのですが、野菜が残ってしまっています。Y下君はイセエビを食べるのが上手く、足の管まで中を突っついて食べますが、私はそんなことは面倒なので食べやすい身だけ食べます。雑炊も美味しかった。

8時29分の電車に乗らないとまた1時間待たないといけないので、早々に退散、ゴッツァンでした。

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