ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

一谷嫩軍記 熊谷陣屋

2011-11-09 05:00:00 | 大阪にて

一月に7日の出勤、土日祭日を除いて13日ほど休むのですが、田舎に帰ってない時も休みがあります。1日中家にいればお金を使うことはなく悠々としていられるのですが、そんなことをしておれば忽ちブログのネタが無くなってしまうので、時折思い出したように外出して何とか話題を繋ごうと思っています。

『いちのたにふたばぐんき くまがいじんや』と読みます。この『嫩』の字、ふたばと読みますがパソコンで変換しても出てきません。意味は双葉のことで芽を出した頃の幼い葉のことですから、きっとこの場面では弱冠16歳の平敦盛のことを指すのでしょうか、それとも身代りに殺された熊谷小次郎のことなのでしょうか。ふと思ったのですが、双葉ですからこの若い二人のことを指すのではないのでしょうか。

             

家を出る前にネットで検索し、安くチケットを手に入れようと思ったのですが、まずこの映画を興行している映画館が大阪では難波と堺と八尾しかありません。観劇料が2000円で何の割引も効きません。チケット屋に行けば少しは安くなるかもと思ったのですが、ネットで席を探したらまん真ん中の席が取れたので、そのまま難波へと出かけました。

開演が正午12時、11時過ぎに映画館に到着し先にチケットを購入して、昼飯を食べようと思い映画館のあるなんばパークスで飲食店を物色しました。このようなところでご飯など食べたことのない私は、何処に入ろうかと迷いに迷った挙句、映画のチケットがあればお得になる店から選んでこの『鶏の舞』という店に決めたのです。

             

入店したのが11時半過ぎ、お客は誰も入ってないし、オーダーした品もなかなか出てきません。11時50分ごろになって出てきたのがこのお膳、5分もあれば食えると思っていたのに、今から火を点けて炊くというのですからとても間に合いそうもありません。チケットを見せて映画は「12時からやねん」と言うと、固形燃料を2倍にしてくれただけ。

             

『シネトク』では当日購入された鑑賞券があれば、この店では1000円以下の飲み物を1杯サービスと書いてあったではありませんか。アルコールを含むやから、ビールでも飲もうと思っていたのに・・・そんなものを頼んでるヒマもありません。腹立つなぁ!

                  

『平家物語』の終盤に一ノ谷の合戦で熊谷直実が平敦盛を討つ場面がありますが、本編では直実が我が子と同世代の敦盛を殺してしまうことに躊躇しながらも、敦盛自身から早く首を討てと迫られ、遂には敦盛の首を掻き切ってしまい、その無常さを儚み後年出家するという粗筋です。

その平家物語から題材を得たこの『熊谷陣屋』では、まず町人風の二人が桜の木脇にある制札を読む場面から、その制札には弁慶の筆で「一枝を伐らば一指を剪るべし」という箇所があり、見ている二人は意味が解らんと言うところから話が始まりました。

須磨の合戦から生田の陣屋へ戻った熊谷直実は妻の相模や先の主上・藤の方から敦盛を討ったのかと責められますが、取った首は義経の首実検が済むまでは見せられないと突っぱねます。

義経が現れ、首実検を行う段になり、まじまじと首に見入る義経は間違いないと言うのですが、それを見た相模や藤の方はそれが直実の子・小次郎であることに驚きます。ここで義経の命が書かれている制札を抜いた直実が見得を切る場面になるのです。我が子を殺した苦悩、この制札に違えることが出来ない我が身、ここに戦の世の無常と人生の儚さを描いたこの物語の頂点に達します。

                  

ここで梶原平次景高が「頼朝様にチクッてやろ」(もちろんそんな言葉ではありません)と走り出すのを弥陀六という石屋の爺が投げた石の礫に当り、景高はあっけなく死んでしまいます。義経はこの弥陀六が頼朝を救ってくれたことのある平宗清であることを見抜き、敦盛の体を鎧櫃に入れて持たせます。藤の方は櫃の中を見せよと迫り、宗清は何も入ってないと嘯きますが、中を見た藤の方は絶句・・・とうようなストーリー。

義経に出家を願い出て許された直実は、幕が閉じたあとの花道を「十六年は一昔・・・あぁ夢だ夢だ」と呟きながらよろりよろりと歩くのでした。

この話の設定では、敦盛は後白河法皇と藤の方の間に出来た落胤であることになっていますが、万世一系の天皇家と言うなら、男寵といいこの女狂いと言う平安時代の皇族の淫乱なDNAは無くなってはいますまい。

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