ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

蕎麦打ち

2011-11-25 05:00:00 | 大阪にて

18日串本を15時16分発の特急くろしおに乗車、思ったより乗客が多く、串本から乗った人は皆座れたようでしたが、白浜・田辺辺りから乗って来る人は座れることが困難なくらいです。まぁ、日に2往復しか特急は走ってないのですから、混むのは当たり前。JRもそこの所をよく考えて運転してほしいものです。因みに翌19日からは日に6往復に増発するようで、12月3日からは全面復旧するそうです。

19日蕎麦打ち当日は朝から大雨、自称シェフは予定通り昼ごろに蕎麦を打つI葉家に到着ですが、蕎麦を打つ場所がありません。おまけに蕎麦を食べたい人たちは皆仕事で、夕方からしか参加できませんという。仕方なしに屋根のある駐車場の片隅で、シェフと二人で寂しく蕎麦を打ちました。二人で打ったといっても私は見てるだけ、シェフを一人にすることも出来ないでしょう。去年のような賑やかさはありませんでした。

             

そして夕方、手に飲み物を携え、中には手作りの料理を持参の人もいて、なんとたくさんの人たちが集まったものです。おちおち座ってられません。

蕎麦を打ってる時にも雨が降ってたせいか湿度が高かったので、口には出さないものの、私はいつもよりうまく打ててないと思ったのですが、みんなは美味い、旨い、上手いと言って食べていました。

そして9時ごろにお開き、私はその朝は3時ごろに目が覚めたので眠たく、2次会には行かず一目散に家に帰って寝たのでした。何回も電話がかかっていたのを気付いたのは朝、着信がいっぱいありました。

             

翌20日は晴天、実は蕎麦を食べてる最中に徳島からI葉家に、イノシシが手に入ったから取りに来いと電話が入ったらしい。翌朝一緒に行ってくれと言われて、仕方なしに付いていくことになり、8時ごろ家を出ました。最初の写真は鳴門大橋を渡っているところ。

湾岸線を通れば神戸まではすぐなのに何を勘違いしたのか中国道の方へ行ってしまい、おまけに道を間違って池田で高速に乗れず、宝塚まで下道を通る羽目に・・・お陰で昔歩いた昆陽池の近くを通ることが出来ました。

ようやく徳島県の脇町にあるその家に着いたのが11時ごろ、家の人は「今朝、罠にかかったのが二つあるから山へ行こう」と言います。その山までは10分ほどでしたが、先に昨日獲れたというイノシシを車に積む作業、100kgほどある大きなもので、三人で車に移し替えるのがやっと、そして少し歩いて罠のあるところへ案内されました。


猟師さんは「こんな小さいのは獲りとうないけど、山の持ち主が獲ってくれと言うんで仕方ないんじゃ」といいながら槍を出して私に突けと言うのですが、流石にそれは出来ません。モモより少し大きいだけ、ウリボウではないけど未だ子供です。魚は捌くことは出来ますが、獣は捌いたことも殺したこともありません。

             

こうやってじゃれているのか突進しているのか判りませんが、モモと同じような仕草をします。鼻が鉄の檻に当たって痛そう、鼻血が出んもんやなぁと感心してたら、猟師さんが槍で突き始めましたが、体の割に檻が大きすぎてなかなか仕留められません。仕留めると今度は腹を裂いて内臓と血を抜きます。猟師さんは手袋をはめますが、素手の私に両足を掴んどいてくれと頼みます。手が泥まみれ、血まみれになってしまいました。

このような殺傷現場を見ると、殺した方は穢れを覚えるのでしょうね。太古から狩猟民族が穢れや、農耕民族にしても自然に対する恐れを神を祀ることで回避してきたことの意味が解るような気がしました。

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