ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

大鳥大社

2014-06-19 05:00:00 | 大阪にて

大鳥大社へは浜寺公園南信号を左折して1本道だと覚えていましたが、信号の名前などすぐに度忘れするので、何処を曲がるのかと道が有る度に左を見ますが、何処も南海本線が走っており、なかなか踏切のある道が見えてきません。そのうち「ここやな」と思える道があり、周りを見てみましたが大鳥大社への標識はありませんでした。そんなに有名な神社ではないのかも知れませんが、阪和線から見える柱看板は大きなものですし、かなりの樹木が茂っており、広い境内なのは間違いありません。

             

10分も走らないうちに正面に大きな鳥居が見えて、ここが大鳥神社であることがすぐに判りました。写真を見て貰っても分るように参道の奥に社殿は見えていません。この参道を突き当たって右に曲がり、20mほど歩いて左に曲がります。遠いですが正面に鳥居と社が見えてきて、「エライちっちゃな社殿やなぁ」と思いながら進んでいたら、左方に大きな鳥居とその奥に社殿があったので、こっちが大鳥大社なのかとすぐに判りました。

             

お宮参りで写真を撮るためなのでしょう、ひな壇が設けられていますが、とても神域とは似つかわしくない代物です。

               

鳥居の両側には今年の春阿部野神社で知った小賀玉木(おがたまの木)が植わっていますが、阿部野神社で見た木よりもずっと大きな樹木でした。境内は約1,5万坪も有り、千種の森と呼ばれる森が四方を取り囲んでいます。

             

こちらは拝殿、何となく凛々しく見えます。ラッキーなことに参拝する人が殆ど居ませんでした。大鳥大社は日本武尊が死んだ後、白鳥になって飛び立ち、最終的にこの地に舞い降りたので神社を建てたというお話しから日本武尊を祭神としてきましたが、明治時代の考証で大鳥連祖神に変えさせられました。神社側としては不満だったそうで、昭和36年になって日本武尊を追加できるようになったと言います。

       

こちらが参道を2回曲った時に正面に見えた鳥居、大鳥美波比神社と書くそうですが、何と読むのか分りません。大鳥五社というのが有るそうで、大鳥大社とこの大鳥美波比神社がこの地、他に浜寺元町に大鳥北濱神社、羽衣に大鳥羽衣濱神社、ちょっと遠いですが宿院に大鳥井瀬神社が有るそうで、初めから分っておれば全部回ったのにと思っています。左側の写真は美波比神社の左に有った稲荷社です。

                  

境内の木々はあまり剪定されていないようで、折角の富岡鉄斎の筆による平清盛の歌碑もその案内板も隠れてしまって読めませんが、概ねこうです。平治元年、平清盛・重盛親子が熊野へ参拝の途中、都で兵乱あるとの急報を聞き、引き返す途中、大鳥大社で戦勝祈願した際に“かひこぞよ かへりはてなば飛びかけり はぐくみたてよ 大鳥の神”の和歌と神馬1頭を献じたと書かれているのです。真ん中の写真、こんな名前を付けて貰った人も居るんだと密かに笑ってしまいますが、慎太郎よりはマシかも知れません。参道を歩いていると大鳥大社の社殿の手前にある神馬像と、こちらも未剪定の葉が邪魔して正面からはよく見えない日本武尊像です。