ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

神倉神社

2014-06-02 05:00:00 | 田舎

11時前に補陀落山寺を後にし、少し戻って新宮へのバイパス道路を利用して一路新宮へと走りました。補陀落山寺まで来ておきながら、何故那智の滝や青岸渡寺、熊野那智大社に行かなかったのか、それは中学生の時にK川君と那智の滝に行った写真が残っているので、那智には行ったことがあるのです。その時に青岸渡寺や那智大社を見物したのかどうかは記憶力に乏しい私は覚えていませんが、敢えてK川君も那智山方面には行きたいとは言わなかったので、新宮の神倉神社を目指したのでした。

             

その頃のJR那智駅がどのようなものだったのかは全く覚えていませんが、K川君の話によると駅を越えて浜まで行き、泳いだと言うのですが、覚えが有りません。泳いだと言えば古座の叔父さんに手漕ぎのボートを貸してもらい、九龍島まで行って遊んだり、泳いだりしたことはよく覚えているのです。

那智勝浦新宮道路を走ると10分ほどで新宮に到着しますが、そこから目的の神倉神社までは信号も有りますからゆっくり走って10分程度、途中で山腹に見える赤い鳥居を指差し「あれが神倉神社」と教えます。その姿に刺激されたのか、殊更行きたくなったようでした。愚車にはカーナビなど積んでありませんから、何処で曲ったかなと思い出しながら、裁判所前の信号を左折、狭い道を矢印通りに進むと社務所前に到着します。信号の名前を裁判所前ではなく、神倉神社に変えてくれると分り易いと思うのですが、実際には神倉神社に続く真っ直ぐな道は有りませんから、無理でしょうか?鳥居の前には7~8台は停めることが出来る駐車場が有るのですが、この時は満車状態、行楽シーズンの日曜日ともなれば、こんな所にも大勢の人がやってくるものですね。

                       

K川君は勇躍して階段を登って行くのですが、私はサンダル履きだったので上には登りませんでした。下で待っていると老若男女いろんな人が階段を登って行きますが、齢を召した女性の一団は鳥居の前で立ち往生、とても登れないと口々に言っていました。鳥居口に立つ板碑には“続古今集 入道前太政大臣”で始まる歌が刻まれており、平清盛の歌かと思って、時間もあるので読んでみました。“三熊野の神倉山の石たたみ のぼりはてても猶祈るかな”でもこれは清盛の歌ではありませんでした。西園寺公経という公家のでありながら朝廷に味方せず幕府を支持していた人で、承久の変では後鳥羽上皇の蜂起計画を事前に察知し、朝廷に幽閉されながらも幕府に知らせた功績で変後には太政大臣にまで昇進した人です。尚、碑自体は世耕弘一の字でしたから、そんなに古いものではありません。

             

途中で何度もくじけそうになったK川君、周りの人の励ましでゴトビキ岩まで行って来たそうで、たいそう喜んで降りてきたのが12時前、何か食べなアカン時間ですが、何処で何を食べれば良いのか浮かびません。目と鼻の先に有る速玉大社へ行ってみることにしましたが、ここもいつもより人が多く、社殿だけを撮るのがなかなか難しかったのですが、どうやら昼時になったので、皆さん昼食をとりに出たのか、一瞬ですが誰もいない社を撮ることが出来ました。

             

こんな舞台って以前から有ったのでしょうか、記憶にないのですが、扇立祭舞台と書かれていました。境内の外に有るナントカ村で何か食べる物でもあればと思って行ったのですが、これと言ったものも無くて、去年の秋に絵解き列車に乗って熊野比丘尼の話を聞いた時と同じ格好の人が、また熊野曼荼羅の話を聞かせてくれましたが、比丘尼に扮した人によって違うのか、話の主題が違っているように思えました。

             

何処で食べるか思いつかないので、熊野の花の窟神社まで行ってみることにしたのですが、熊野川を渡ると新しい道が出来ていました。紀宝バイパスと言うそうで、井田の手前まで快適でした。でもそこからが遠い、こんなに遠かったかと思いながら目指したことを後悔しましたが、後の祭りです。やっと辿り着くとここも人がたくさん来ていました。新しく出来た土産物屋で昼食、二人とも地鶏入りうどんを注文したのですが、出てきたのは蕎麦かと思うような色のうどん、コンニャクかとも思いましたが、結構美味しかったのです。

帰りに走りながらでも七里御浜が見えるところがあるのですが、何やら放送用のビデオカメラを担いだ一集団が居て、何やろ?と思っていたら、先週の木曜日にたまたま点けたテレビのチャンネルを6にしようと思ったのに4を押してしまったら、『ちちんぷいぷい』が放送されていて、“昔の人は偉かった”というコーナーで河田アナとクッスンが歩いて旅をする番組の中で七里御浜を歩いていたので、あの時の一団はこの番組収録のスタッフだったんだと気付いたのでした。

この後、K川君は3時21分かの電車で帰阪、これで今回の串本のお話しはお仕舞いです。