ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

大鳥井瀬神社

2014-06-25 05:00:00 | 大阪にて

大鳥大社へ行った時に大鳥五社というのがあるのを知り、ついでやからと甲子園で雨に降られた翌日は晴れと言うことだったので、再び自転車に乗って堺を目指しました。目的地は先ずは宿院の大鳥井瀬神社、次に浜寺元町に有るという大鳥北濱神社、大鳥大社の近くに家原寺が有るというのでそのお寺、そして羽衣の大鳥羽衣濱神社です。4ヶ所も回るので朝9時には家を出たのでした。

             

今回は国道を通らずに、紀州街道で南下、国道は信号の度に停まらなアカンし、そこに段差が有るのでガタンガタンと鬱陶しいのです。紀州街道を南へ走って行くと昔勤めていた会社の堺支店が有りますが、営業業務をしていた1階は和菓子屋になっていました。電話のことなど少しも知らなかった私は16年前にその堺支店で2週間ほど電話の勉強をさせられ、116の仕事をするようになったのでした。そんなことを思い出しながら走っていると、宿院の交差点に到着です。

                    

宿院の交差点から東の方を見ると、車道の中に常夜灯が2つ建っているのが見えます。随分前からこの常夜灯が有るのは知っていましたが、刻まれている字を読んだことがありません。今回自転車を降りて何と書いてあるのか写真を撮っておきました。左右とも同じことが書かれ、上から永代常夜灯、左海、たも(む)こ、包丁鍛冶と読めますが、この位置からだと左は海ではありません。左は大阪方面であり、海は私のいる方、手前です。だからこの常夜灯は何処からか運んできたものと思われます。堺のものだとすると、大阪方面を背にして建っていたことになります。

右の写真は宿院交差点より一つ東の交差点、ここにも石碑が建っており、大鳥・住吉両大社頓宮と彫られています。ここにその頓宮とやらが有るのです。

             

大鳥井瀬神社が有るのは宿院町東2丁と書いてありましたから、このお宮の一帯にある筈ですが、何処を探しても他に神社は無いのです。なので大鳥と名前が付いているのでここが大鳥井瀬神社なのかと思うのですが、どうも納得がいきません。

             

境内には兜神社蹟の石碑が建っています。兜神社とは神功皇后が三韓征伐から堺に帰ってきた時、兜を埋めて戦勝を祝った場所に建てられた神社ですが、そんな事実が有るわけないので、きっと神社自体は何処かに作為的に造られたのでしょうが、この神社の境内ではない筈です。

             

神社の西側は宿院公園という公園と隣接していて、ちょっとした遊具と共に『白夜の兎』群像という彫刻が置かれていました。

               

宿院公園の中にまたまた鳥居が有り、ここは飯匙堀(いいがいぼり)と言われる堀が有ったところと言われていますが、ここに海幸・山幸神話に登場する『潮干珠』を埋めたところで、どんなに雨が降っても水が溜まらないという伝説があると言います。公園の西の外側にも飯匙堀の石碑が建った鳥居が有りました、丁度公園内の鳥居の裏にあたります。

              

公園の東側の外側に有った堺市議会開設百周年の記念碑が建っていましたが、いつ建てたのか書いてないので、堺市議会が初めて開かれたのがいつなのか分りません。写真を撮って歩いているとバッテリーの赤信号が点り始めました。これでは遠くへ行っても証拠写真、ネタに使える写真が撮れません。