ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

家原寺

2014-06-30 05:00:00 | 大阪にて

営業職をしていた頃、あちこちで見かけた行基の像、行基の生誕の地が堺の家原寺町であることは知っていましたし、その街に家原寺があるのも知っていましたが、なかなか訪れる機会もなく、先日大鳥大社を訪れた際に帰ってから地図を見ていたら、近くに家原寺があることに気付き、どうせ大鳥五社のうちの残り三社を訪れるのですがら、その際に寄ってみようと思っていたのでした。

             
                              山門(仁王門)
大鳥北濱神社を見つけることが出来ず、諦めて家原寺を目指したのですが、方向だけ分かっていて、後は勘に頼って走っていると、急に大鳥大社の前に出てしまいました。浜寺元町からずっと東へ走っておれば良いものを、途中鳳小栗街道という信号で南に曲がってしまい、何処かから熊野街道と書いてあった道を走っていたことになります。

                       
                              有料ですが、料金の徴収場が無いので、任意のようです。私はちゃんと200円を払いましたよ。
「しまった!」と思ったけど、その時点では未だどちらに向かって走れば良いのか分かっていました。阪和線のガードを潜った辺りでお腹が減ってきて、時間を見ると12時前でした。でも適当な食堂も無いし、そのまま走っていたら目指している津久野1丁目の信号がなかなか見つからず、そりゃそうです、思い違いして道を間違っていたのでした。方向としては合ってるのですが、広い道としては2本も西を走っていたので、おかしいと思って、左方向に走り出した時には、もう家原寺への道を過ぎてしまっていたのでした。

                    
                    仁王さんは外を向いているのではなく、互いに向き合っています。行基の像は建っている所によって顔や姿が違いますね。
私は高校生の頃、堺市に住んでいましたが、ずっと南の方、大阪狭山市と隣接している北野田というところ、学校は大阪市内だったせいか、堺市の地域については殆ど知らないので、おまけに通学・通勤には南海高野線を使っていたので、今回の阪和線沿線である毛穴町、堀上緑町、八田寺町という住宅街に入ってしまった折には、もうどっちを向いて走っているのか、さっぱり分りません。

             
                              板塀の向こう側が中院
更にUP・DOWNが激しくて、自転車ではきつい、だんだん疲れてきました。どうしたら良いのかと思って呆然としていると、思い出しました。私には便利なツールが有ったのです。スマホ、音声検索で「えばらじ」と発声すると、なんと荏原寺というお寺が検出されたので、今度は「いえはらてら」と唱えると、出てきました。現在地からは案外近い所に有るのですが、自分がどの方向を向いているのか分からないものですから、地図を見ていても分りません。前回、方違神社を探すのに迷った時は、自分がどちらに向かっているのかが分かっていたのです。

             
                               一願不動明王を祀る護摩堂
地図を頼りに少し走ってみてもやっぱり判らないので、じっとスマホを見ていると、“ナビを開始”というボタンが有るのに気付き、タッチするとナビが開始されましたが、自転車ですからずっと見ているわけにはいきません。時々見るとナビのように案内しています。ようやく家原寺に着いたのは1時前、間違わなければ大鳥大社からでも5分ぐらいで来れたところだと思います。

         
                  行った時のハスはあまり咲いていませんでした。蕾が多かったので今日以降ぐらいが良くなってるかも知れません。
行基という坊さんは、飛鳥から奈良時代にかけて、お寺もたくさん建てていますが、灌漑用の池を作ったり、橋をかけたりして活躍し、人民の為に尽くした人で、空海などよりも私は偉い僧だと思います。

        
                             薬師堂の手前の大木はヤマモモ、真ん中のトイレのような建物は経堂、右は東門です。
空海は貴族・天皇家などに仏教を説き、宇多天皇に寵愛されましたが、行基は仏教の民間布教に専念し、僧尼令に違反したとして朝廷から弾圧を受けたのでした。同じ仏教を広めるにしても全く逆な立場の二人ですが、生きた時代は違います。行基の方が古いので、行基は空海の事を知りませんが、空海は行基のことを知り得たので(知ってたかどうかは判りませんが)、知ってたとしたらどう思っていたのでしょう。でも家原寺は高野山真言宗の別格本山になっているのです。

             
                              地蔵堂
思っていたよりも広い境内ですが、大戦後の農地改革で敷地を大幅に減らしたそうです。それでも2万坪もあるようですが、板塀の向こうはどのようにして行くのか分りませんでした。

       
                              池の端に建つ観音像、横に咲いていたのは花菖蒲
三重塔にも行きたかったので、一旦門外に出て、駐車場があるという左側の方へ行ってみたのですが、案内板に書かれていた信号を曲った途端、上り坂になっていて、もう体力の限界と諦めて帰ったのでした。

             

この板塀の何処かに中院への入り口を作ってくれたら良いのにと思います。でもこの板塀は昔からあるものではなさそうです。

20分弱散策して、府道30号線所謂熊野街道を北上して帰りましたが、疲れ果てて走っている感じ、途中までは思い出せない道でしたが、大仙古墳の辺りまで来ると見たことある風景、堺東駅の前を通り、大和川を遠里小野橋で渡ったら、だんだん東へ斜め向いて行く感じ、松虫通りの手前で西に曲がって、家まで相当時間がかかったのでした。