ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

木津卸売市場

2014-06-13 05:00:00 | 大阪にて

梅雨に入って、大阪では雨こそあまり降らないもののカラッと晴れる日は少なく、どんよりと曇った日が続いています。今月は1日が日曜だったので、週を数えると日曜の方が土曜より早く、つまり第1土曜は第1日曜の後にくるので、普段の月とは異なっているのです。こんな週になるのは1日が日曜日の月だけ、私はソフトボールの関係で第1と第2と第4土曜に練習があり、第2と第4と第5日曜も試合や練習があるので、普段なら第2の土・日をクリアすると、次は第4土・日まで約2週間ヒマになるので、その間に串本に行くことにしていたのですが、今月は第2土曜が過ぎても約1週間で第4日曜がやってくるので、期間が短く串本に行こうという気持ちが起こりません。そのせいもあるし、天候も良くないので、だんだんネタに困ってきました。

             

何処かに出かけようと思うけど、出かけたところで空が青くないので、写真を撮っても美しくないだろうという気持ちが先に出て、出かける気持ちになりません。でも用事が出来れば出かけなくてはならないので、一応カメラを持って出かけます。先日は労金に行く用事が出来たので難波まで自転車で行ってきました。

             

往きはいつも通り勝間街道を北上、大国町駅辺りで26号線を横断し、少し北東方向へ行くと労金の難波支店が有ります。用事を済ませば自転車は労金に停めておき、タカシマヤへ歩いて行って、食料品などを買って帰るのですが、帰りは来た道を通るわけではありません。昔あった大阪球場の西側の道を南下すると、木津市場の東側を通ることになります。木津市場は4年ぐらい前に新しく建て替わり、随分きれいになりました。

             

木津市場のルーツは平安時代に遡り、朝廷へ魚介類を奉納していたと伝わっているそうですが、その頃この辺りは海ではなかったのかと疑っているのですが、魚介類を奉納していたのですから、海に近かったのかも知れません。今から300年ほど前に現在の市場より西側、大國主神社の北辺りで野立売りが始まったのが市場としての始まりで、それから100年ほど経って市場として官許されたと言います。現在の地に移ったのが昭和13年、その後戦災により廃場となり、昭和25年に再建されたのが、私も少しばかり通った市場でした。

       

昔から市場の中に食堂などが有りましたが、今は市場とは一線を画した高速道路の高架下に食べ物屋が並んでいます。これらの食堂がどのような営業形態をとっているのか知りませんが、私が通った2時ごろにはお客は一人もいませんでした。朝早い市場関係の人たちが利用できるようになってるんでしょうか。

                

難波から昼食をとろうと歩いてくるには少し遠すぎますし、会社帰りに一杯と思っても、帰りの道を考えると足が遠のきます。

             

木津卸売市場の木津というのは、何処から来たのでしょう。この辺りには木津という地名は有りません。市場ってたいがい地名を付けてるもんですが、ここは敷津東という町名です。大阪には木津川が流れているし、浪速区木津川という地名も、汐見橋線に木津川という駅も有りますが、ここからは随分遠い所です。そこで思い出されるのが大國主神社に祭られていた木津勘助の銅像、元々江戸時代には木津市場は神社の北側で営まれてきたと書きました。木津勘助が官倉を破って町民に振る舞ったことから考えても、その名前から取ったと考えても妥当ではないでしょうか。

             

この店は木津市場の対面に有り、わざわざ写真に撮ったのは、三男が一時アルバイトをしていた魚屋だからです。朝が早いし、もう2時を回ってましたから、この店も市場の店も全部閉まっていました。

             

木津市場から南東の空を眺めるとハルカスがこのように見え、手前には通天閣の頭も見えています。