ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

法起寺

2013-07-18 05:00:00 | 大阪にて

話は前後しましたが、矢田寺からの帰りに法起寺に寄りました。行きしなにのどかな田園、住宅街にポツンと建つ三重塔が気になっていたのです。斑鳩町大字岡本にあるので、岡本寺とも呼ばれています。でもそれって疑問、この場所には岡本宮という宮殿があって、622年(推古30年)聖徳太子が死に臨んだ時、長子・山背大兄に宮殿を寺に改めるよう遺命したのです。それで岡本寺となって、その後この地を岡本と呼ぶようになったと考える方が自然な感じです。

             

お寺に入る前に山側に堰のようなものがあったので行ってみました。池があり、単に古池という名前が付いていました。岡本寺=法起寺は池後寺(いけじりでら)とも呼ばれています。岡本寺には12体の観音像が安置されていましたが、聖武天皇の時代に6体が盗まれ、八方探し回りましたが見つからなかったと言います。ある夏の日、子供が池の真ん中に留まっているいるサギを見つけ、石を投げたのに逃げないので水に入って行って捕まえると観音像だったのです。役人が来て調べてみると6体の観音像が見つかり、観音様がサギに見せかけて居場所を知らせたと言うので、一層信仰を厚くしたというお話が残っています。

             

池から見た法起寺の三重塔、塔自体はそんなに高くないのに、周りに高い建物が無いので、ポツンと見える塔が魅力的なのです。周りをいくら探しても駐車場が無いので門の前に車を停めています。

             

奈良時代には『正倉院文書』や『日本霊異記』などに栄えたことが記されているとか、でも平安時代になると法隆寺の傘下に入り次第に衰微しました。鎌倉時代に講堂や三重塔が修復され、室町時代に再び衰えたとか。江戸時代の初めには三重塔が残されているのみという姿であったらしいのです。

             

こちらは聖天堂、江戸時代、1863年(文久3年)に建立されたもの、建てられて200年も経っていません。

                  

三重塔は飛鳥時代のもの、我が国最古の三重塔であり、国宝に指定されています。最初の写真、三重塔の左側に位置するのが講堂で、こちらも江戸時代、1694年(元禄7年)の再建です。元禄7年と言えば高田馬場の決闘があった年であり、松尾芭蕉が亡くなった年でした。高田馬場の決闘で有名になった堀部(当時は中山姓)安兵衛はこの年から8年後に吉良亭を襲撃します。

             

こちらは使われていませんが、中門です。岡本寺建立の当時はこの場所にあった中門が使われていたのでしょう。

             

中門やや左側からの三重塔の眺め、1678年(延宝6年)に修復されています。

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