ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

抵抗論

2010-08-09 05:00:00 | 読書
一昨日から夏休みに入り、田舎に来ています。
大阪を発つのが遅くなってしまったので、さぞ高速道路は混んでることだろうと思いきや、渋滞は有田南~広川南までとなっていて、そんなに車の量は多くないと思っていたのですが、海南からの道がいつもと違うのです。
懸念の4車線化が完成していて、片側2車線で走っているのです。トンネルも非常に明るくヘッドライト無しで通行できますが、標識にライト点灯の表示が無かったのかは、見ていません。

ここまで4車線化できたら、もう混むこともなかろうと思っていたのですが、やはり2車線から1車線になるところで、混んでいました。そこを過ぎれば渋滞もなくなりそうなものですが、広川南まで8kmはノロノロ運転です。では広川南で降りる車が多いかというとそんなことはありませんし、広川南以降が2車線になっているわけでもありません。これは絶対他人の迷惑顧みず、堂々と我が道を走る輩がほんの僅かですが居るからなんでしょうね。

他人の迷惑顧みず等と言うと、世の中の流れに棹差す天邪鬼みたいな人間を指すような気がしないわけでも無いのですが、昨今の世の中を見ていると、例えば誰の目にも明らかなように、先の選挙でも消費税の引き上げを公言して止まない政党への投票が集中したように、この国では天邪鬼が多過ぎるような気がしてなりません。この人なのか鬼なのか・・・たちは日本国が財政赤字で汲々としている現状を打開するためには、消費税を引き上げるしか道は無い、と本気で思って投票したのか、“寄らば大樹の陰”的な発想からなのか、そんなことが解る私ではありませんが、他人の迷惑顧みず、ついでに自分の負担も顧みない人なのか鬼なのか・・・たちのためによって、私たちの暮らしは日本国の財政より汲々となっていくのです。財界はきっと思っているのでしょう。我々に迷惑はかからんかった・・・シメシメとほくそ笑んでいることでしょう。

             

このような一億総鬼化してしまったこの国では、やはり『だまされることの責任』をもう一度確認してほしい。こういう世の中のなってはならない流れに棹差す一人がこの辺見庸氏なのだと思っています。

以前評価した『株式会社という病』で著者は労働者階級は存在しなくなったと書いていましたが、辺見氏は労働者階級は存在すると明言しています。当たり前です。資本家がいて、その元で賃労働を行う労働者がいる限り、その闘争性は微弱になろうとも労働者階級は存在するのです。

もの食う人びと』ではおっかなびっくりで書かれていた辺見氏も、これらの本では少しきつ過ぎはしないかと思うほど自身にも世の中にも批判的ですが、これ位ものを思わないと棹差す力にはなり得ないのかも知れません。

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