現在、西長洲にある職場からJR尼崎駅を経て、久々地・下坂部・上坂部・若王子から食満という町まで歩いて行っています。往復で10Km以上はあると思われます。
食満は『けま』と読み、大阪の放出を『はなてん』と読むが如く、何故そう読むのか不可解なままです。若王子も『なこうじ』と読むのですが、こちらは若を『にゃく』と読むことがあるので、『にゃくおうじ』から『なこうじ』に変わっていったのだろうと想像することが出来ます。
下坂部2丁目の辺りで遠くに神社の屋根らしきものが見えるので、横道を入って行きました。
途中柵で囲まれた広場があり、そこで馬が草を食んでいました。
こんな街の中に馬を飼ってる人がおられるんですね。
空海の弟子真雅がこの村の人の力を借りて、常願寺を建てたとあります。
そういえば空海は若い頃は真魚と名乗っていましたね。
戦国時代に消失して再建されていますが、おそらく真言宗だったお寺が何故曹洞宗として再建されたのか?禅が盛んになった頃の再建だったのでしょうか。
1枚目の画像にある小さな祠とこの粗末なプレハブの宝物殿があるだけの寺社跡です。宝物殿には何が入っているのでしょう。普通の寺より気になるものがあります。
ここにあった厳島神社を伊居太神社に移転したとあります。
こちらが伊居太神社、近松公園の近く若王子にあります。
阪神大震災で倒壊したと書いてありましたから、この神社は新築されたものでしょうか?
神社の前の案内板ですが、神社というより古墳の案内になっており、その古墳も今は無いのですから、あまり意味が無いように思うのですがどうでしょう。
伊居太神社の狛犬ですが、こちらは震災で再建されたものではないようです。
食満は『けま』と読み、大阪の放出を『はなてん』と読むが如く、何故そう読むのか不可解なままです。若王子も『なこうじ』と読むのですが、こちらは若を『にゃく』と読むことがあるので、『にゃくおうじ』から『なこうじ』に変わっていったのだろうと想像することが出来ます。
下坂部2丁目の辺りで遠くに神社の屋根らしきものが見えるので、横道を入って行きました。
途中柵で囲まれた広場があり、そこで馬が草を食んでいました。
こんな街の中に馬を飼ってる人がおられるんですね。
空海の弟子真雅がこの村の人の力を借りて、常願寺を建てたとあります。
そういえば空海は若い頃は真魚と名乗っていましたね。
戦国時代に消失して再建されていますが、おそらく真言宗だったお寺が何故曹洞宗として再建されたのか?禅が盛んになった頃の再建だったのでしょうか。
1枚目の画像にある小さな祠とこの粗末なプレハブの宝物殿があるだけの寺社跡です。宝物殿には何が入っているのでしょう。普通の寺より気になるものがあります。
ここにあった厳島神社を伊居太神社に移転したとあります。
こちらが伊居太神社、近松公園の近く若王子にあります。
阪神大震災で倒壊したと書いてありましたから、この神社は新築されたものでしょうか?
神社の前の案内板ですが、神社というより古墳の案内になっており、その古墳も今は無いのですから、あまり意味が無いように思うのですがどうでしょう。
伊居太神社の狛犬ですが、こちらは震災で再建されたものではないようです。