ブログにアクセスする世代は20歳から30歳代が多い。本ブログ「部族民通信」にアクセスするかたは、入る時間帯などから類推すると、10代の方も含めさらに若い傾向かとうかがえます。
初回(小さい友1 8月23日投稿)で伝えたが、小さい友の舞台は43年前。多くの読者が生まれる以前の世となる。、舞台設定、言い回しなどには投稿子の思い出す限り、当時を再現している。たとえば当時隆盛だった甘味処でのデート、これなどもはやデートスポットでは無いだろう。
とっさにルミ子は「妾」と叫んだ。一体この語はなんだとのお叱り、ごもっとも。今は使いません。決して「メカケ」と呼んでくださるな。これはワラワです。広辞苑では武家の女性がへりくだって自身を指すとある。武家は明治維新で消えた、すでに150年の前、いくら43年前とはいえ、女性が「ワラワ」を使う道理がないと疑るお方は、歴史を知るが風俗を顧みない。おおかたの悲しい歴史家が陥る過ちでもある。
以下に説明しよう。
43年前とは1969年、ルミ子嬢はその時20歳。聞いた住所(ナンペー台)から山の手のお嬢さんと思われる。旧家ならばお祖母さんなどと同居して、その世代の風習、慣行、言葉遣いで影響を受けている。お祖母さんがその時に80歳とすれば明治22年1889年生まれ。それ以前かもしれない。「妾」を使った物書きには樋口一葉が上げられるが、彼女はその半世代前になりますが、その間、慣行などは変化していない。習俗言葉などが変化するのは大正期です。
ルミ子嬢の生活環境で、妾ワラワなる古語がある拍子でてくる、その言い回しに影響を受けたと考えられる。ちなみに武士は自分をなんと卑下したか「それがし、あるいは拙者」です。渡来部は立石生まれの錦糸町育ちなので、昔も今も「おいら」。お里が知れるとはこの事です。
「お客さん、鉢、引き下げますか」
鉢とは切り子ガラスのアンミツ鉢で、その縁に手をかけたのは甘み処の給仕係、がっしりした中年の女性だ。鉢にはアンミツが半分ほどが残っていた。平らげようか残そうか、ルミ子嬢に結論が見えないままに放置された貴重な残りアンミツである。渡来部は未練がましい顔のルミ子嬢をしっかり見たので、食べ尽くすと思っていた。
「まだ置いておいてくれ」と下げる女の手を止めた。
「お兄さん、こんな風に伏せってるのは危険な兆候ですよ。必ずその後取り乱す。すると男が逃げだし女が追いかける、薄情だよ男は。その上アンミツを鉢ごとぶちまけられたら大変だ。
あとの始末は私に回ってくる、この切り子ガラスだって高いんだ」
「ルミ子さんがそんな見境ない行動をとるものか。さっきまでおいしそうに頬ばっていたから、残りだって平らげるさ、それにおい…」
おっといつもの癖だ、「おいら」は良くない。少し気取らないと。しかしまさか「拙者」はない。
「それがし、逃げ出すものか」
男は薄情払い逃げと信じ込む女店員と渡来部との間に険悪な雰囲気が流れた。
「須万男様」
ルミ子嬢が一旦、顔を上げ「いいのよ。アンミツ引き下げて、もう食べない。それに妾きっと手を振り回し泣きわめいたりする」また伏せた。
「それだけは止めてくれ、私まで悲しくなる」
逃げ出したくなるとは口が裂けても言えない。女店員はまだ横に立ち、無愛想に進展を聞き探っていたのだ。
男と女が陰気な顔つきで話し込む。女が泣きわめいたら別れ話に決まっている。
「まだくっついてもいないのに取り乱し様まで見せつけられるのか」
渡来部の不満はやるかたないけれど、それ以上に不安がもたげた。
「こんな場所、痴話で乱れて大騒ぎ、人に見られたらなお格好悪い。まずはアンミツぶちまけを防がねば。おっとアンミツは引き下げてくれた。これで安心だが、次はルミ子嬢の取り乱しを防がなければ」
思い悩むうちに妙案が浮かんだ。「これで全て解決、バンザイだ」
咳をゴホンと一回払って、卓に伏せるルミ子嬢に
「ルミ子様、こんなに悩んでいるのはそれがしの苦しみでもあります。しかしご安心ください、完璧な解決策を考えました。あなた様もきっと賛成してくれる」
渡来部がルミ子の耳元に囁いたのが、窮余のとっておき策。しかしこれも「カジマン」と同レベル、その場しのぎの思いつきに変わりない。うつ伏しながらもフムフムと頷くルミ子、聞き終わると顔を上げた。
「アンミツ持っていかれたわ、アイスクリーム、頼んでくださらない。妾、喉が苦ししゅうて」
渡来部は一体なにを囁いたのたのか、
「カジマンは卑しい言葉だ。それはフェイク、プスード、フォールスだ。だからルミ子さんをもうカジマンフィアンセとは言わない。その代わり」
「その代わり何というの、まさかフェークフィアンセではないでしょうね」
凝り固まった不誠実な男との疑いを解かすには、いっぱし覚悟はそれなりに必要だ。
「ヴレマンフィアンセという、ヴァッシュマンフィアンセでもいい」
ヴレマンとは本当にの意味、ヴァッシュマンはヴァッシュ(=雌牛)で尊敬語ではないが、形容詞的に使うと「スッゲー」となる。俗語です。
ここでルミ子嬢、目を輝かせてアイスクリームを頬張った。
「それってただのフィアンセのことでしょう」
「ただのフィアンとも言うのだ」
彼女をフィアンセとして渡来部の友人達に紹介する約束をとられた。
初回(小さい友1 8月23日投稿)で伝えたが、小さい友の舞台は43年前。多くの読者が生まれる以前の世となる。、舞台設定、言い回しなどには投稿子の思い出す限り、当時を再現している。たとえば当時隆盛だった甘味処でのデート、これなどもはやデートスポットでは無いだろう。
とっさにルミ子は「妾」と叫んだ。一体この語はなんだとのお叱り、ごもっとも。今は使いません。決して「メカケ」と呼んでくださるな。これはワラワです。広辞苑では武家の女性がへりくだって自身を指すとある。武家は明治維新で消えた、すでに150年の前、いくら43年前とはいえ、女性が「ワラワ」を使う道理がないと疑るお方は、歴史を知るが風俗を顧みない。おおかたの悲しい歴史家が陥る過ちでもある。
以下に説明しよう。
43年前とは1969年、ルミ子嬢はその時20歳。聞いた住所(ナンペー台)から山の手のお嬢さんと思われる。旧家ならばお祖母さんなどと同居して、その世代の風習、慣行、言葉遣いで影響を受けている。お祖母さんがその時に80歳とすれば明治22年1889年生まれ。それ以前かもしれない。「妾」を使った物書きには樋口一葉が上げられるが、彼女はその半世代前になりますが、その間、慣行などは変化していない。習俗言葉などが変化するのは大正期です。
ルミ子嬢の生活環境で、妾ワラワなる古語がある拍子でてくる、その言い回しに影響を受けたと考えられる。ちなみに武士は自分をなんと卑下したか「それがし、あるいは拙者」です。渡来部は立石生まれの錦糸町育ちなので、昔も今も「おいら」。お里が知れるとはこの事です。
「お客さん、鉢、引き下げますか」
鉢とは切り子ガラスのアンミツ鉢で、その縁に手をかけたのは甘み処の給仕係、がっしりした中年の女性だ。鉢にはアンミツが半分ほどが残っていた。平らげようか残そうか、ルミ子嬢に結論が見えないままに放置された貴重な残りアンミツである。渡来部は未練がましい顔のルミ子嬢をしっかり見たので、食べ尽くすと思っていた。
「まだ置いておいてくれ」と下げる女の手を止めた。
「お兄さん、こんな風に伏せってるのは危険な兆候ですよ。必ずその後取り乱す。すると男が逃げだし女が追いかける、薄情だよ男は。その上アンミツを鉢ごとぶちまけられたら大変だ。
あとの始末は私に回ってくる、この切り子ガラスだって高いんだ」
「ルミ子さんがそんな見境ない行動をとるものか。さっきまでおいしそうに頬ばっていたから、残りだって平らげるさ、それにおい…」
おっといつもの癖だ、「おいら」は良くない。少し気取らないと。しかしまさか「拙者」はない。
「それがし、逃げ出すものか」
男は薄情払い逃げと信じ込む女店員と渡来部との間に険悪な雰囲気が流れた。
「須万男様」
ルミ子嬢が一旦、顔を上げ「いいのよ。アンミツ引き下げて、もう食べない。それに妾きっと手を振り回し泣きわめいたりする」また伏せた。
「それだけは止めてくれ、私まで悲しくなる」
逃げ出したくなるとは口が裂けても言えない。女店員はまだ横に立ち、無愛想に進展を聞き探っていたのだ。
男と女が陰気な顔つきで話し込む。女が泣きわめいたら別れ話に決まっている。
「まだくっついてもいないのに取り乱し様まで見せつけられるのか」
渡来部の不満はやるかたないけれど、それ以上に不安がもたげた。
「こんな場所、痴話で乱れて大騒ぎ、人に見られたらなお格好悪い。まずはアンミツぶちまけを防がねば。おっとアンミツは引き下げてくれた。これで安心だが、次はルミ子嬢の取り乱しを防がなければ」
思い悩むうちに妙案が浮かんだ。「これで全て解決、バンザイだ」
咳をゴホンと一回払って、卓に伏せるルミ子嬢に
「ルミ子様、こんなに悩んでいるのはそれがしの苦しみでもあります。しかしご安心ください、完璧な解決策を考えました。あなた様もきっと賛成してくれる」
渡来部がルミ子の耳元に囁いたのが、窮余のとっておき策。しかしこれも「カジマン」と同レベル、その場しのぎの思いつきに変わりない。うつ伏しながらもフムフムと頷くルミ子、聞き終わると顔を上げた。
「アンミツ持っていかれたわ、アイスクリーム、頼んでくださらない。妾、喉が苦ししゅうて」
渡来部は一体なにを囁いたのたのか、
「カジマンは卑しい言葉だ。それはフェイク、プスード、フォールスだ。だからルミ子さんをもうカジマンフィアンセとは言わない。その代わり」
「その代わり何というの、まさかフェークフィアンセではないでしょうね」
凝り固まった不誠実な男との疑いを解かすには、いっぱし覚悟はそれなりに必要だ。
「ヴレマンフィアンセという、ヴァッシュマンフィアンセでもいい」
ヴレマンとは本当にの意味、ヴァッシュマンはヴァッシュ(=雌牛)で尊敬語ではないが、形容詞的に使うと「スッゲー」となる。俗語です。
ここでルミ子嬢、目を輝かせてアイスクリームを頬張った。
「それってただのフィアンセのことでしょう」
「ただのフィアンとも言うのだ」
彼女をフィアンセとして渡来部の友人達に紹介する約束をとられた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます